暗黙の了解
露天風呂でアイシスの治療を行い、後は寝るだけになった。
俺に取っては何ものにも代え難い至福の時間になる。
俺が寛ぐためにソファに座ると、アイシスが近寄ってきた。アイシスは俺の足を広げて場所を作り、背中を向けてそこに当たり前のように座る。
そして俺の腕を取り自分の身体を抱くように促す。
俺が腕に軽く力を入れてアイシスの身体を包み込むとアイシスは頬を俺の腕に擦り付けてくる。
アイシスが愛おしくて堪らない……。今まで俺が経験してきた至福の時間が色褪せてしまうほどの幸福感を覚えた。
アイシスは首だけを振り返って上目遣いで俺を見る。
「ねぇ、話の続きをしてよ。トキの祖父の丈儀さんの話。この間は丈儀さんが結構凄い粛正を実施して、不知夜国の人達に恐怖と不満が心の奥底に溜まっていた。それを狒々爺の曙銀次が醸成させていったところまでよ」
「そこまで話をしたね。それじゃ、その頃の不知夜国とソレイユ帝国の情勢を説明するよ。アイシスの祖父のガイル・ソレイユがソレイユ帝国の皇帝。その弟であるライル・ソレイユが丈儀と友好を結んだ人だね。この頃、不知夜では六大家筆頭当主はいなかったんだ。ガイルが剣魔の儀に参加した時は不知夜国の剣士を雇わなかったんだ。弟のライルがガイルを助力し、剣魔の儀を勝ち抜いたんだ。その為明確な六大家筆頭当主がいなかった。ただ、ソレイユ帝国の重鎮になったライルと個人的な友好を結んでいた丈儀が六大家筆頭当主の代わりを担っていた。そして【血雪の夜】の一年前に不知夜国の歴史に一躍躍り出た剣士が現れる」
「もったいつけるわね……。だいたい検討が付いているんだけど……」
「駄目だよ、アイシス。せっかく盛り上げようと思ったのに茶々を入れちゃ」
「だって予想は付くでしょ。有明泰山でしょ」
「まぁそんなんだけどね……。有明家は曙家の分家の傍流の家なんだよ。泰山はこの当時剣士番付を駆け上がる新星だった。そして16歳で剣士番付拾位の剣鬼に名を連ねた。しかしここから数年停滞するんだ」
「若き天才でも壁があるのね。まぁトントン拍子に行くわけないわ」
「違うんだよ。剣士番付は完全に剣術の実力だけと謳っているけど、やっぱり政治的な思惑が働いてしまっているんだ。アイシスは剣士番付の称号は知っている?」
「ふふん。ソレイユ帝国の図書館で調べてきたと言ったでしょ。血で血を洗う無数の立ち会いの上で構築される剣士番付。何人も剣術の実力以外で介在できない神聖な物。そんな解説があったんだけどなぁ」
「一応、神聖な物ではあるよ。建前はしっかりと生きているし、不知夜国の人は心情的にも剣士番付の不正はしにくい」
「ふーん。幻滅しそうになったから良かったわ。剣士番付の称号だったわね。えっと、まずは伝説の剣神。でもこれは数百年の間、空位なのよね」
「そうだね。剣神はなろうと思ってなれるもんじゃないから。排除して良いかな」
「それなら剣士番付壱位の称号が剣聖、弍位から肆位が剣王、伍位から拾位が剣鬼、拾壱位から参拾位までが剣豪ね」
「良く調べているね。そして31位から100位が一級剣士、101位から300位までが二級剣士、301位から1,000位までが三級剣士。その下は称号無しの剣士になる」
頷くアイシス。
「不知夜国の政治は六大家の合議制だ。剣士番付とは関係無いとされてはいるが、やはり番付上位の剣士が多い家の発言が強くなってしまう。特に剣士番付拾位までの剣士の人数が大切だ。その為、各家は剣士番付の上位を目指すのだけど、誰かが上がれば誰かが落ちてしまう。番付を落とされた剣士の家はどうしても番付を上げた剣士の家に恨みを持ってしまう。今は無用な軋轢を生まないように各家は自主規制をしているんだ」
「なんか興醒めね……。でもそんなもんよね。不知夜国の剣士番付に夢を見過ぎていたわ」
「別に不正をしているわけじゃない。拾位以内の剣士に積極的に挑戦してないだけだ。長い目で見れば剣士番付は実力通りになっていくよ。ただ泰山が16歳になった時に家の許可を取らずに勝手に剣士番付拾位の剣鬼に血闘を申し込んだんだ。そして泰山があっさりと勝ってしまう。暗黙の了解を破る行為だが、剣士番付の建前上は何の問題がない」
「だいたい家の許可がいるっておかしいじゃない。そんなの私の知っている剣士番付ではないわ!」
お前は剣士番付の何を知っているというのか……。
危うく喉まで本音が出かかった。
「ここで曙銀次が素早く動く。動揺が広がる前に各家に『今後泰山にはこのような事は絶対させない、泰山の手綱を握るために自分の娘を嫁に出す』と説明したんだ。そして多額の詫び料を各家に支払った。銀次は16才の若い才能溢れる剣士を手駒にでき、各家にも恩を売ることができた」
「へぇー。あの狒々爺やるもんね」
暗黙の了解を破った泰山。しかし表向き非難はできない。だが何もしないのは面子が潰されてしまう。
出口の無い袋小路に陥った各家に銀次はあっさりと解決策を提示してみせた。
有明家の主家である曙家の当主である銀次の謝罪と多額の詫び料。
面子が保たれて金も入る。この提案に反対する家はないだろう。
「それから泰山は剣術番付を上げるような事はしなくなった。銀次にしてみれば若い泰山を操縦する事なんて容易かっただろうな。そして数年が経過し、【血雪の夜】の一年前に剣魔の儀が執り行われる。大事な事だが、剣魔の儀は先程話した剣士番付の暗黙の了解は取り払われるんだ。六大家の筆頭当主を決めるものだからね」
「そうなのね。でもどうして?」
「剣士番付の暗黙の了解は不知夜国の政治権力の無用な衝突を避けるために存在している。平時でそんな事していると政治が乱れるだろ。しかし剣魔の儀は次の六大家の筆頭当主を決めるものだ。新たな政治権力の構築なんだよ」
納得した顔をするアイシス。
「泰山は曙家が推すジャベル・ソレイユの陣営で剣魔の儀に参加するのさ。下馬評では櫻麻家が推す皇太子候補が本命、曙家が推すジャベル・ソレイユの陣営は対抗にも上がらなかった。しかし櫻麻家が推す皇太子候補が剣魔の儀の最中に毒殺されてね。そして下馬評を覆し泰山の大活躍でジャベル・ソレイユが剣魔の儀を勝ち抜いて皇太子になったんだ。この剣魔の儀が終わって泰山は剣士番付弍位の剣王になっていた」
「ふーん。トキの父親って凄かったのね」
「剣士としては俺が今まで見た中では間違い無く一番強いね。まぁ剣術だけは凄かったよ」
夜がゆっくりと深まっていた。
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