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櫻麻トキ  作者: 葉暮銀


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春夜の風と月の光と唇の感触

 櫻麻邸に帰ると俺は露天風呂の掃除を開始した。

 櫻麻邸のお風呂は天然の温泉が湧いていて有名だ。

 しかし住んでいたのが母上と俺の二人しかいなかったため、露天風呂に温泉を引くのを止めていた。

 通常は内風呂だけで間に合うからだ。

 祖父の丈儀が生きている頃には、櫻麻邸の露天風呂は櫻麻家に連ねる家には解放していて賑わっていたそうだ。


 俺は束子(たわし)を使って、露天風呂の隅々まで綺麗にしていった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 日が落ちて夕食を食べ終わった。


 いよいよだ……。

 緊張で喉がカラカラになってくる。


 俺は意を決してアイシスに声をかけた。


「背中の治療で薬を塗りたいんだ。良いかな?」


 俺の顔を見てクスクス笑い出すアイシス。


「ちゃんと薬の塗り方は雪月さんから聞いているから、そんなに緊張しないで欲しいかな。トキが恥ずかしがると私まで恥ずかしくなっちゃうから」


 さすが雪月さん。既に俺の城壁を除いていてくれたか。

 

 少し冷静を取り戻した俺だが、次のアイシスの言葉に俺の思考は一瞬止まってしまった。


「どうせなら一緒に入りましょう。トキが服のままだと濡れてしまうし、時間の無駄よね」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 シュル、シュルシュル。


 背後から衣擦(きぬず)れの音が聞こえる。

 五月蝿いほど自分の動悸の音がした。首を触るとドクドクと脈を打っているのを感じる。

 なんとか平静を装いながら、全裸になり真新しい(ふんどし)を締める。これにより当たり前のように硬くなった部分を幾許(いくばく)かでも隠せれば良いが……。


「もう振り向いても良いかな? 私は大丈夫よ」


 アイシスの声に俺は勢い良く振り向いてしまう。

 アイシスは裸に前掛け状の湯浴(ゆあ)み着を着ていた。

 前は膝上まで布で覆われている。ただし背中は全て肌を露出されている。患部を出す必要があるからだろう。露出されている部分からはお尻の割れ目の上の部分が目に入る。また後ろからでも、横の乳の曲線が見えるような気がする。


「結構、恥ずかしいわね。雪月さんが用意してくれたの。トキにお薬を塗ってもらう為って言ってたわ」


 頬が赤くなるアイシスに心の奥底が震えてしまう。無理矢理欲情を抑え込み、笑顔を見せる。


「俺も恥ずかしいからお互い様だね。でもこれは治療だから……。恥ずかしいのは最初だけだよ。それに治療は三ヶ月続けないといけないから慣れないとね」


 なんとしてもアイシスの傷を治す。その為には治療をしないと駄目だ。俺の欲情でアイシスが治療を受けるのを止めてしまっては悔やんでも悔やみきれない。

 これは治療だ、治療なんだ、性的な事を考えるなんて間違っている。治療だ、治療なんだ。

 何度も何度も自分に言い聞かせた。


 しかし俺のそんな思いをあっさりと砕く言葉をアイシスは口にする。


「トキの背中を流しても良いかな? トキにはとても良くしてもらっているし、それくらいはさせてよね」


 キーンっと耳鳴りがした。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「トキって見た目よりも筋肉が付いているわよね。それに柔らかい筋肉をしているわ。しなやかな肉食獣って感じ?」


 俺は風呂椅子に座り、無心で数を数えていた。数えていた数が200を超える時に背中から柔らかな感触を受けた。


「もう、無視しないでよ。寂しいじゃない」


 耳元で囁くアイシス。

 ゾクゾクと背筋に電気が走った。

 身体が信じられないくらい強張(こわば)る。


 クスクスと笑うアイシス。


「はい、背中は洗い終わったわ。前は自分で洗ってね。私も身体を洗ってくるわ」


 信じられないくらい顔が熱くなっている。今のアイシスは(まさ)に小悪魔だ……。


 アイシスは三つ離れた洗い場で髪を洗っていた。前屈みになっている為、来ている湯浴み着が(たる)んでいる。

 柔らかそうな丘の頂点が見えているような見えていないような状態だ。影になっている為、明確に視認できないが意志に関係なく凝視してしまう。

 その時、俯いて髪を洗っていたアイシスがそのままこちらを見た。

 完全に眼があってしまった。動揺する俺にアイシスは笑顔を浮かべ髪を再び洗い出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 身体と髪を洗い、湯船に浸かる。

 どうにも腑に落ちない。

 どう考えてもアイシスに誘惑されているとしか思えなかった。

 アイシスと出会ってまだ四日目だ。アイシスが俺の事を好きになるなんて有り得るのか? 早すぎないか? 確かに俺は既にアイシスに恋をしているが、そんな虫のいい話なんてあるのか?


 悶々(もんもん)と考えていると隣りにアイシスが入ってきた。

 あからさまに近い……。


「なぁアイシス、ちょっと良いか?」


「なに?」


「昨晩、アイシスが言っていただろ。俺から好意を感じるって。それに女性として見られているとも言っていたよね。その通りだ。今更隠してもしょうがない。俺はアイシスに()かれている。それにアイシスを女性として性的に見ている」


 アイシスは俺の言葉に少し戸惑いながらも嬉しそうな表情をする。

 俺の事は少なくとも嫌ってはいないよな?


「だからこそ困惑しているんだ。俺はアイシスに魅かれている。アイシスを大切にしたい。アイシスに好かれたい。アイシスに性的な事をしたい。アイシスに嫌われたくない。アイシスを傷つけたくない。いろんな想いがあるんだ。そしてアイシスの一挙手一投足が俺の中で大きな影響を与えている」


 アイシスは真剣に俺の話を聞いてくれている。取り返しのつかない状態になる前に、自分達それぞれの立ち位置を明確にしておかないと……。


「今話した事は嘘偽りの無い気持ちだ。だけどある感情が刺激され過ぎると他の想いとは違った行動を取りそうになるんだ。そうなってしまうのは俺の本意ではない」


「どういう事かしら?」


「俺はアイシスに性的な事をしたいと思っている。この性的感情が刺激され過ぎると、暴走しかねないんだよ。そうすると他の感情と反対の行動をする可能性があるだろう?」


「それで?」


 何となく冷たい反応を返すアイシス。


「説明しなくてもわかってるだろう。もう率直に言うよ。俺の性的感情を刺激するような事をすると、アイシスを襲いたくなる衝動が湧き上がるんだ。理性で止めるのも限界があるんだよ。アイシスの意にそぐわない事をすれば、アイシスを傷付けるし、アイシスに嫌われてしまう。そんな結果を俺は望んでいないんだ。俺の一番の望みはアイシスの笑顔が見たいんだ。そしてその笑顔が俺に向けられたら最高だ。だからアイシスにも少し注意をして欲しいんだ。当分二人で生活を共にするんだよ。剣魔の儀まではまだまだ日があるしね」


「馬鹿……」


 うん? 馬鹿って言われた?


「今、馬鹿って言ったのか?」


「馬鹿に馬鹿と言っただけよ。それが何か問題ある? 月読さんもそう言ってたじゃない」


「なんで俺が馬鹿なんだよ。このまま行けば、早かれ遅かれ俺はアイシスを襲うぞ。そうしたら取り返しが付かないだろ?」


「何で私を襲っちゃ駄目なの? トキが私を襲う事が何で私の意にそぐわないって決め付けているの? トキに性的に求められて、私がトキを嫌うの? そんなのトキの勝手な想像じゃない。そしてその想像が余りにも検討違いだから馬鹿って言ったのよ」


 俺を睨み付けるアイシス。

 そして俺の首に腕を絡ませて顔を近づけてきた。


「えっ、これって……。良いの?」


 アイシスは少し呆れた表情を見せる。


「馬鹿……」


 確かに間の抜けた言葉だったな。


 穏やかな春夜の風と優しい月の光、そして柔らかな感触を唇に感じた。

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