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櫻麻トキ  作者: 葉暮銀


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特別診療

 春の朝日を(まぶた)越しに感じる。昨晩はカーテンをそのままにして寝てしまったか。


 半覚醒した頭で目を開けてみると、三日前と同じように陽光が部屋いっぱいに満ちている。まだ肌寒い早春の空気。その張り詰めた空気を陽光が少しずつ溶かしていく。

 春の日差しは慈愛に満ちている。壊れた心の(ひび)に暖かな何かを運んでくれる。


 三日前と春の日差しは変わっていない。変わったのは俺の心ほうだろう。


 俺の腕の中で丸まって眠るアイシス。

 昨晩、アイシスの身体の震えが止まらなかった。アイシスからの頼みで俺のベッドで一緒に眠った。

 俺に背中を見せた事で心の傷が刺激されたのか? それとも俺に弱みを見せた事で、俺には虚勢を張る必要が無いと感じたのか?


 月明かりに照らされたアイシスの背中は傷だらけだった。何度も何度も傷付けられたような傷痕が確認できた。どう考えても虐待だろう。確か六歳から母親の元を離されソレイユ家の一員として育てられるって言ってたな。六歳から今まで11年間か。


 腕の中にいるアイシスを抱き締めると今まで気が付かなかったが相当細い。見た目の幼さを考えるとアイシスは栄養が足りてなかったんじゃないだろうか。初日の朝食の食べっぷり、その後も食事は自分の限度を超えて食べているように感じた。それも今まで満足に食事を与えられていなかったと思えば()に落ちる。


 腕の中のアイシスが軽く動く。それに伴い女性特有の甘い香りがした。

 寝起きのため男の生理現象が発生している。俺は腰を引いてアイシスに当たらないようにした。


 もう少し眠れるかな?

 俺はアイシスの身体を抱き締め、アイシスの頭頂部に鼻先を当てる。

 暖かな春の朝日の中、アイシスの香りと柔らかさを感じながら二度寝を始めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 うん? 良く寝たわ。

 あれ? アイシスが朝の鍛錬だって起こすと思っていたのにな。


 俺は腕の中にはまだアイシスがいる。

 アイシスは俺の胸に顔を擦り付けていた。

 俺が動いた事で起きた事が分かったのだろう。アイシスと目が合ってしまった。


 お互いに気恥ずかしさからか、なかなか言葉が出てこない。

 

「……。えっと、おはよう、アイシス。調子はどうだい?」


 顔が見る見るうちに赤くなるアイシス。

 俺は慌てて身体を離し言葉を続ける。


「もう結構な時間になっているな。お腹が空いただろ? 朝食を作るよ」


 俺はアイシスの頭を一つ撫でてベッドを抜け出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ねぇ、今日も東雲邸に行くの? 月読さんは全く教えてくれないから、行っても無駄なのよね。私はお留守番してちゃ駄目?」


「駄目だね。今日はアイシスがいないと意味がない。それに月読さんにアイシスに魔術を教えてもらえるように俺から頼むよ」


「トキが頼んでくれても月読さんは首を縦に振らないと思うけど……」


「大丈夫さ、俺に任せておけ」


 アイシスと話していたら東雲邸が見えてきた。星見と諜報を司る東雲家。そしてもう一つ、医療を専門としている家でもある。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 東雲邸に入り、すぐに特別診療をお願いした。

 特別診療では東雲家の当主自ら診察、治療をしてくれるが、治療費がとんでもなく高額だ。一般の人の年収が吹っ飛ぶくらいの料金である。

 普通の診察でも質の高い医療を提供している東雲家。その為、特別診療を希望するものは相当な金持ちか不治の病の人ぐらいだ。


 都合の良い事に雪月さんの予定が空いていて、すぐに診察をしてくれる運びとなった。

 最初は診察を拒んでいたアイシスだったが、雪月さんがアイシスと他愛(たわい)もない話をしていると何故か診察を受ける事になっていた。

 狐に(つま)まれた気分だった。


 長い診察が終わり雪月さんが俺を呼んだ。


「アイシスちゃんはちょっと休んでいるわ。それよりトキさんにはこれから色々とアイシスちゃんの支援をしてもらわないと駄目ね」


「どのような状態でした?」


「背中の傷痕はとても酷いわ。本人に聞いたけど、革製の鞭で叩かれていたようね。傷が治る前に何度も叩かれていたせいで傷痕が信じられないくらい盛り上がっている。皮膚も硬くなっている部分と薄くなっている部分があって歪ね。通常(・・)の治療ではまず綺麗にならないわね」


 通常の部分を強調してきたか……。こちらは元よりそのつもりだ。

 

「わざわざ特別診療を選択したんですよ。アイシスの背中の傷を治療してください」


 溜め息を吐く雪月さん。


「本気なの? 確かに女性にとっては辛い傷痕だわ。でも命に別状は無いのよ。考え直すつもりはないの?」


「月の涙を使用した治療になるんですよね。お金は必要な時に使わないと意味がありませんから。そして今は必要な時です」


「……わかったわ。でもお知り合い価格にはならないわよ。そんな事をしたら今まで月の涙を使用した患者さんから抗議がくるから」


「わかっていますよ。キチンと払わせてもらいます」


 月の涙は東雲家秘伝の薬である。成分や製法方法などは秘匿されている。そして重量換算で黄金の50倍くらいの価格だ。


「最初の一か月は小さじ一杯の月の涙を三倍に希釈した液体。次の一か月は小さじ一杯と半分を二倍に希釈。最後の一か月は大さじ一杯の月の涙をそのまま使うわ。私の見立てだと全治三ヶ月ね。背中に塗ってあげるのだけど、月の涙の効能を最大限に発揮させる必要があるわ」


 俺は懐から紙を取り出し備忘録を書き始めた。


「月の涙の効能を最大限発揮されるのは月光の中なの。だから背中に塗布したあとは月光浴をして欲しいわ。月光には再生を手助けする力もあるしね。そして月の涙を皮膚に浸透させるためには皮膚が充分に潤っている必要があるわ」


 ちょいと待て!? もしかしてだけど……。


「もともと患部が背中だからアイシスちゃん一人では月の涙を塗布できないでしょ。ゆっくりと湯船に浸かった後で身体を拭かずに月の涙を塗布するの。皮膚を潤わせる為にも湯船の近くが良いわね。月光浴で身体も冷えるから、足は湯船に浸けたままが良いわ。櫻麻邸には有明な露天風呂があるから最適ね。一度で塗布するのは三回。10分置きに塗布してあげてね。それにしてもトキ、役得ね」


 片目を瞑る雪月さん。

 確かに役得だけど、本当に良いのか?


「月の涙の代金は後で請求書を送らせていただきます。それと皮膚症状は精神状態にとても関係しているの。心痛や心労が重なると皮膚症状は悪化しやすいわ。心の傷も良くないの。できればアイシスちゃんの心の傷にも気を付けてあげてね」


 少しでもアイシスの心に寄り添っていきたいな。


「あとは栄養状態が著しく悪いわね。あれでは成長が遅れるのは当たり前。消化に良い、栄養のある食事を食べさせてあげてね」


 俺は雪月さんにお礼を言って、アイシスの休んでいる場所に向かった。

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