8話 マーリス1ーマーリスのお誘い、お茶会ー
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「故国の才女は存在自体がチートでした」8話になります。
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
「はじめまして、私は記憶を司る女神、マーリスと申します。この場所を統べております。」
「これでもかつては、人として、現世で生を謳歌しておりましたのよ。まぁ、それも、リーゼ・ナハトと戦うまでは、ですけどね。」
自身を”記憶を司る女神”マーリスと名乗る女性は穏やかな微笑をたたえて私の前に立っていた。
「ーー!!!」
しかし、その穏やかな表情とは対照的に、私は目を剥く。
(マーリス、ですって!? リーゼ・ナハトと戦った、マーリスですって!?)
なぜなら、マーリスの名は、皇国、とりわけ私とって非常に特別な意味を持っているのだから。
それは、聖女と勇者の栄光の歴史物語として・・・。
◇◇◇
ル・バニア皇国国教、聖マーリス教聖典 第一章
時は昔、美し国ル・バニア皇国が建国される以前まで遡る、それは未だこの地が巨大な深い夜に覆われていた頃のこと。
当時、皇国は現在のような強大な一国家ではなく、貧しい小国、部族の寄せ集めに過ぎなかった。
実質上、この地を支配していたのは、人間ではなくリーゼ・ナハトと呼ばれる魔物の王であった。
住む人々はリーゼ・ナハト率いる魔物の軍団によって、明日をもしれない暗く苦しい生活を余儀なくされていたのである。
しかし、そんな日々にも一筋の光が射した。
隣国、アストロメリア王国の若き騎士、ル・バニアの率いる討伐軍が現れ、瞬く間に地に蔓延る魔物の軍団を一掃し、リーゼ・ナハトに戦いを挑んだのだ。
激戦の末、ル・バニアの手によってリーゼ・ナハトは倒された。強大な夜は祓われ、この地に栄光の光が満ち溢れたのである。
魔物の恐怖から解放された人々はアストロメリア王国とル・バニアの偉業を称えた。
だがしかし、この栄光に満ちた解放劇はアストロメリア王国とル・バニアだけでは決して成すことはできなかったであろう。
ある、少女の存在がなければ。
その少女こそ、魔物を浄化する力を持つ選ばれし乙女、マーリス、後の聖女マーリスである。
マーリスはアストロメリア王国の平民階級のうら若き少女であったが、ある日、神の神託がなされ魔物を浄化する力に目覚めた。
神託は告げた。魔物の王を排し、虐げられた彼の地の民を救うべし、と。
そして、心優しき少女マーリスは、示された神の啓示に従い、風前の灯火となっていたこの地の民を救うため、アストロメリア王家を説得し、ル・バニアとともに立ち上がったのである。
かくして、マーリスの浄化の力とル・バニアの活躍よって、リーゼ・ナハトは倒され、この地に平和と安寧がもたらされたのであった。
しかし、物語はそれだけでは終わらないのである。マーリスはリーゼ・ナハトの討伐の後、再び母国アストロメリア王国の地を踏むことはなかったのだ。
母国へ凱旋の後、得られたであろう褒章も名誉も捨て、勇者ル・バニアと共に皇国の建国、そして民の為にその生涯を捧げたのである。
その太陽のように分け隔てなく、万人に降り注ぐ慈愛に満ち溢れたお人柄、如何に酷い状態でも瞬く間に完治してしまう強力な治癒魔法により、いつしか皆は彼女をこう呼んだ。
選ばれし聖女、聖女マーリス様、と。
これが我ら聖マーリス教が十柱ではなく聖女マーリス様を崇め奉りたる所以である。
そして、聖女マーリス様のお姿は、いまだに色あせることなく語り継がれ、上流階級や下流に限ることなく我ら教会が、非常に多くの信奉者を擁していることからも、聖女マーリス様の成した偉業がいかに尊いことであろうことは、あえてここに書き述べるまでもなくーー。
◇◇◇
その後、皇国は魔法による驚異的な発展を遂げ、豊かな暮らしを送ることが出来るようになったのである。
けれど、今日において、この歴史的事実は歴史書の数項、あるいは私のような子供の遊びの一コマとして時折耳にする程度となってしまった。
それでも、私は考える。この歴史的事実が皇国や人々にもたらした豊かさとは?そこから人々は何を得たのか。
事実として、それら豊かさを手に入れた多くの人々は、時を経て、外面的、経済的な豊かさを追い求めるようになっていった。
それがもたらされた豊かさに対する、人々の選択だったのである。
私はそれを間違っているとは思わないし、それを選択した人々を責める権利はない。だって私は今までその恩恵を人一倍、享受してきた人間だから。
そんな身であるからこそ、このことは真剣に考えなくてはならない。聖女マーリス様が真にお示しになった豊かさとは何であったのかを。
或いは、それは私達が選び取った豊かさではなく、もう片方、つまり、もっと内にある心の豊かさではないだろうかと強く思うのだ。
その心の豊かさは聖女マーリス様のお姿そのもので、まさに己のあるべき姿、私にとっての「ノブレス・オブリージュ」、理想の自分であった。
だから私は、少しでも聖女マーリス様に近づきたいと強く思うようになった。
それが六歳の時に公爵家令嬢としてではなく一個人として、洗礼の儀を受け聖マーリス教に入信し、私が聖女マーリス様を崇敬して止まない一人となった理由である。
跪いて教えを請う、未熟な自らをもっと高めるために。
多くの皇国貴族が長年、慣例的に多額の寄付を教会に行うほど、敬虔に聖マーリス教を支持、信奉していることに関係なくである。
そして、今、まさに目の前のこの方は、私にとって崇敬の存在であり、同時に憧れで、目指すべき目標なのだ。
「・・・。」
しかし。私は驚きもそこそこに、今では怪訝な顔をマーリス様に対して向けていた。
(この方を聖女マーリス様だとは、とても思えないわ、だって・・・。)
私にはどうしてもこのマーリス様をリーゼ・ナハトを倒し、皇国に豊かさをもたらした、憧れの聖女マーリス様と同一であると思えない。
それはなぜか。
(ーーだって、何もかもが、違いすぎるのよ。)
それは、端的に言えば、マーリス様の見た目が、私の中にある聖女マーリス様のお姿とはあまりに離れてしまっているからである。
その私の中にある聖女マーリス様お姿とは、皇都にある聖マーリス教の総本山、セント・グローレ大聖堂の肖像画のお姿だ。
その肖像画は世界で最も壮麗と名高い礼拝堂の壁面に描かれた壁画で、若き日の、まだ聖女となられて間もない頃の聖女マーリス様を描いたものであった。
その壁画の聖女マーリス様は美しいプラチナブロンドに、穏やかな目元はアッシュグレー色の瞳で目鼻立ちは控えめだが、それが絵であるにも関わらず清らかで温かみのあるお姿をしている。
また、聖マーリス教の聖典には、聖女マーリス様の暮らしぶりについて、慎ましい生活を好み、身につけられていた装束も決して華美ではなく簡素なものが多かったと書かれていた。
それに対して、目の前で微笑むマーリス様は、鮮やかなピンクブロンドの御髪を縦ロールに巻き、上がり気味目尻に燃えるようなルビー色の瞳、目鼻立ちははっきりと端正なお顔立ちをされていて、お化粧は控え目であるにもかかわらず非常に華やかで見目麗しい方である。
総じて印象としては、聖女マーリス様とは正反対の貴族然とした、言ってしまえばきつめという感じであった。
(もしかして、容姿や雰囲気が御変わりになったのかしら?)
また、御召しのドレスも、滑らかで鮮やかな赤色のシルク生地が使われ、ウエストラインからふわりと広がった長いスカート、繊細なレースと金の刺繍が随所にあしらわれたとても華やかなものだ。
それに合わせるように美しく煌びやかに輝く宝飾品を多数身につけられている。
それら全ての要素が着用者の威厳を引き立てる様に意匠されていて、それはまるで、ご自身が支配者階級の存在であることを誇示されているように見えた。
(変わったって、そんな訳ないわ、いくら何でも、違いすぎるでしょ・・・、この方は聖女マーリス様ではないわ。)
「ふふっ、どうかなさいましたの?驚いたお顔をしたかと思えば、急にそんなに難しいお顔をして。」
私の表情にマーリス様はほんの少し口角を上げて笑みを深くする。
(とにかく、今は。)
私は気持ちを切り替える。
この方が勇者様と共にリーゼ・ナハトを倒した聖女マーリス様であるかどうかは一旦置いておいて、ここに来たのは当面の食料問題を解決するため、きゅきゅに案内してもらったのである。
そして、私の最終目標はこの場所から早く出て元居た場所に戻り、自由を謳歌することなのだ。
突然の事で驚きはしたが、幸運にも私の求めていたであろう方、しかもここを統べると仰る女神様に出会うことが出来た。
であるのならば、この場所について、さらにはここから出て行く方法について、きっと明確な答えを持っているはずである。
それに、マーリス様の周りには護衛や侍女の姿は見えないけれど、身につけられている物から相当に高貴な方であることに違いない。
取り計らってもらう為、今はほんの少しでも、取り入る余地を得ておく必要があるのだ。
であれば、今は冒険者としてではなく、高位貴族の令嬢として礼節を尽くすべきだろう、いつまでも黙ったままでじろじろ憶測をめぐらせるのは不敬以外の何物でもない。
私はあごを引いて背筋を伸ばす。気持ち目を伏せて片足を後ろに引きスカートを軽く摘まんで膝を深く折った。
今、一番に私がしなければならない事、それは。
「ご挨拶が遅れました。お初にお目にかかります。私はル・バニア皇国、セルグート公爵が娘、アルスリンデと申します。先触れ、許可もなく、この場に伺った非礼をお許しーー。」
最上級の礼を執った。
しかし。
「ーーはい、ストップ。」
マーリス様は私のそれを途中で制す。私が気持ち顔を上げてマーリス様の様子を窺うと、マーリス様は言葉を続けた。
「あなたのことは存じ上げておりますわ、ル・バニア皇国の公爵令嬢、アルスリンデ。挨拶はそれくらいで、楽にしてくださって結構よ。それから、アポイントがなかったことも咎めませんわ。」
そして、にっこりと笑い。
「だって、あなたをここに呼んだのは私なのですから。」
それを聞いた私は礼の姿勢のままピクリと肩を震わせる。
「っ!!・・・。」
(ここに、呼んだ!?)
その瞬間、書庫室での出来事から今までのことが、脳裏によみがえり、ぐるぐると走馬灯のように頭の中を駆け巡ってゆく。
(ということは、あの書庫室でのことはこのマーリス様の仕業ということ!?どうしてあんなことを!?ここは一体どこなのよ!?)
しかしここで、取り乱して心の内を吐露するような事はしない。
どのような感情が渦巻いていようとそれを押し殺して、今は凛とした姿勢で振る舞わなければならない。
私は悟られないように、きわめて平静を装うとゆっくりと礼の姿勢を解き、マーリス様をまっすぐに見て、穏やかに微笑んだ。
「お招きいただき、幸甚に、存じます。」
「そう、それはよかった。あなたに会えてうれしいわ。立ち話も失礼でしょうから、こちらへ。ちょうどお茶の準備をしていたところなの。」
マーリス様は終始、友好的と思える表情のまま、ふわりとスカートを翻して少し先に見えるガゼボに向かって歩き出した。
私はその後ろ姿を目を細めて睨みつける。どうにも釈然としない。どういうつもりなのか。
けれど、マーリス様からは敵意のような感情は感じられない、むしろ言葉の通り私を歓迎しているように感じる。
どうあれ、今の私が頼れるのはこのマーリス様だけだ。
私は案内されるがままにマーリス様の後について行くことにした。
しかし、決して油断しないように気を引き締めてである。
(わぁ~♪素敵。)
私は案内されたガゼボの光景に目を輝かせた。
白く丸みを帯びた屋根のついたの可愛らしいガゼボには、そこに合わせたような白いトリポットティーテーブルと椅子が四脚、テーブルの上には、美しいティーセットと様々なお菓子が用意されていた。
並べられたティーセットもさることながらとりわけ私の目を引いたのはお菓子である。
繊細な細工のされた銀色の大皿に並べられたそれは、色とりどりの焼き菓子と、果物やふわふわのクリーム、チョコレートでデコレーションされた一口サイズのケーキが所狭しと並び、まるでお菓子でできた花園のようであった。
マーリス様は空いている一脚に座るように私に促すと、慣れた手つきでお茶の準備を始めた。
私が薦められた席についてその様子を見つめていると、準備の手を止めて心なしか声を弾ませた様子で話しかけてくる。
「ここに人を招くのは本当に久しぶりなの。甘いものはお好きよね。たくさん用意したの、遠慮せず食べて頂戴。ちなみに、私のお気に入りはこの【チョコベ】よ。とっても甘くておいしいの。ぜひ食べてみて。きっと気に入ると思うわ。」
(ちょこべ?初めて聞くお菓子ね。)
マーリス様はお気に入りだという茶色いお菓子を指し示すと、すぐにお茶の準備に戻った。
私は並べられたお菓子に次々と視線を移す。
(あら?こっちのお菓子には何か文字が書いてある。それにこっちのこれはジャムかしら?どれもこれも見たことがないものばかり!どこか私の知らない国で売られているお菓子なのかしら?)
そうして、私がおいしそうな花園に目を奪われていると、目の前には繊細な絵付けのされたソーサーに乗せられ、花のような甘い香りの湯気を放つ美しいティーカップが置かれた。
(とても、いい香り・・・。)
マーリス様はきゅきゅを膝に乗せながら、「さぁ、冷めないうちに召し上がれ。」と言い、美しい座姿勢で私の向かいの席に座った。
私の前には芳しい香りを放つ透き通ったキャラメル色の温かなお茶と、おいしそうなきらきらと輝くお菓子たちが並んでいる。
加えて、このところ水だけで過ごしている身体は飢えに飢え、糖分を欲していた。
私の身体は待っていました!と、ばかりにすぐにお菓子に手を伸ばそうとする。
しかし。
ドクンーー。
私の心臓は突然跳ねた。そして、ある光景が断片的に脳裏によみがえる。
あぁ、またーー。
そして、阻むように、普段は心の奥底で大人しくしているトラウマという鎖がいくつも飛び出し、お菓子に伸びる手にがっちりと絡み付いてそれを止めさせる。
この鎖を振りほどくことは私にはできない。
こうなってしまった私に、できるのは待つことだけだ。
でもそれは、取るに足らないこと。
いつものように、ただ待てばいいだけ、少し待ってさえいればいいだけだ。
そうすれば、誰にも気づかれることなく、何食わぬ顔で人から出されたものを食べることが出来る。
私は膝の上でぎゅっと手を握り、向かいに座るマーリス様の綺麗なルビー色の瞳を見る。
救いの女神に助けを求めていることを悟られないように。軽く微笑んで。
「???」
しかし、マーリス様は私を見ているだけで先にお菓子を食べる気配がない。
むしろ、「どうして早く食べないの?」とでも言っているかのような、あいまいな微笑を浮かべている。マーリス様の行動に私は戸惑った。
「・・・?」
(えっ、どうして?どうして先に食べてくれないの?いつものように。そうしてくれないと・・・)
そうして、私とマーリス様はお互いにあいまいな笑みを抱えたまま、束の間の押し問答をしていた。
マーリス様は私がすぐにお菓子に飛びつくと思っていたのだろう。
なのに、なかなかお菓子に手を付けようとしないものだから、次第に眉をひそめてわからないものを見るような表情をする。
先に口を開いたのはマーリス様だった。
「どうしたの?食べないのかしら?お茶が冷めてしまうわよ?それとも、甘いお菓子は嫌いかしら?」
「いえ、決してそういうことでは・・・。」
マーリス様の厚意に対して、私はあいまいに言葉を濁した。それが礼儀を欠いた態度であることは分かっている。けれど。
(言えないわ、そんなこと。)
なぜなら、それを言うことは「あなたのことを信用していない」と言っているようなもの。
それに言って「なぜ必要か」と理由を聞かれたら困ってしまう。どうしても理由は言いたくない。
そんなことを思っている間にマーリス様の放つ雰囲気が険しくなってゆく、瞳の中の不満の色をが濃くなってゆくのを感じる。
「一体なにかしら?じれったいのね。どうしたの?要らないの?それとも、なにか言いたいことがあるのなら、はっきりと言ったらどうかしら?」
私の煮え切らない態度がマーリス様の機嫌を損ねてしまった。心なしか突き刺すような視線を向けられる。
(この状況は、よくないわ。)
これ以上険悪になってしまうのは避けたい。非は私にあるのだ。
打算的な考えだけれど、ここで不興を買っては目の前の事もこの後の事も、私にとって好ましい結果にならないのは間違いない。
そう考えた私は、意を決してマーリス様に御試食をしてくれるようお願いすることにした。
「・・・お心遣い、幸甚に存じます。しかしながら・・・その・・・、・・・まずは、御試食を、お願いしたく存じます。」
「おしつけ?」
私のお願いにマーリス様はきょとんした顔で首を傾げる。
「おしつけ?って、何のことかしら?」
(えっー、)
私はほんの少しだけ肩を落とした。
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