2話 皇国の才女2ーかくれんぼ、隠れた先にはー
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朝晩が随分涼しく、過ごしやすい季節になってきました。
「故国の才女は存在自体がチートでした」2話になります。
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
セレスティアとかくれんぼをする事になったアルスリンデが隠れる場所に選んだ書庫室は、公爵家の公文書の一部や買い集めた書籍を保管している場所だった。
書庫室は入ってすぐが書見台などが置いてあるちょっとしたホール、その奥が書架が立ち並ぶ書架スペースとなっていて、部屋の壁は一面がぐるりと書架になっていた。
公爵家は皇国で出版される書籍のほとんどをここに集め保管していたので、最初は一室に過ぎなかったこの書庫室は蔵書が増えて書架に収まりきらなくなるたびに隣接する部屋を吸収し、幾度となく拡張が行われた。
その結果、今の書架スペースは書架棚が迷路のように立ち並ぶ、歪なレイアウトになっていた。
また、本を保管するためこの部屋には窓はなく、照明はホール真上の天井に吊られているこじんまりとしたシャンデリアがあるだけだったので、室内はいつも夕闇のように暗く、本を探すために魔力ランタンが備え付けられている。
アルスリンデは室内に入ると鼻で大きく息を吸い、紙やインクの入り混じった書庫特有の匂いでここに来るまでに昂ぶった心を落ち着かせた。
隠れた魔物を探しに来た聖女様と護衛の女勇者様に見つかるまでここで本を読むことにしたのだ。
吸った空気をゆっくりと吐き出した後、ホール中央にある書見台に向かい、仕舞われている魔力ランタンの持ち手を掴み上げて、顔の前で掲げるとランタンに魔力を流し込む。
アルスリンデの魔力が手から持ち手を伝い流し込まれたランタンは、ガラスケースに覆われた大人の親指ほどの大きさの発光体が、流し込まれた魔力に反応しオレンジ色の光を放ち始め、アルスリンデのビスクドールのような白く整った顔と吸い込まれそうな碧眼を薄暗い室内に浮かび上がらせた。
アルスリンデは光を放つランタンを持って壁際まで向かうと、反対の手で壁一面に収められた本に手を触れ白く細い指を本に這わせながら、書架伝いに部屋の奥へと歩いてゆく。
そして書庫室の丁度中ほどまで来たあたりで急にぴたりと立ち止まると、そこで触れていた本に指をかけおもむろに1冊抜きとり、そのままギュッと抱きしめるように胸元で抱え込み再び歩き出した。
奥に向かうにつれて闇を増してゆく書庫室に手に持ったランタンの光を頼りに奥へ奥へと進む。
やがて、書架と書架が入り組んだ迷路の最奥に到着すると、アルスリンデはギッシリと本が詰まった書架を背にして座り込み、傍らにランタンを置いて先ほど抜き取った本を読み始めた。
暗闇の中、オレンジ色の光を放つランタンに照らされた一角はアルスリンデがページをめくる音以外は聞こえない。
伸びる影は揺らぐことなく、アルスリンデが本を読む姿をくっきりと書架に映し出していた。
読み始めた本は、最近発行された魔力や魔法について様々なテーマの論文をまとめた『魔法論文集』の最新書だった。
この論文集は正式な学術書に掲載するには必要な条件を満たしていないものを集めたもので、掲載されている論文の傾向としては、一部を除きテーマの多くが最近の皇国の時事を反映させたもので占められていた。
最近発表される論文で最も多い論文テーマは魔石以外から魔力を取り出す方法についてである。
このテーマが多い理由として、皇国は特殊な魔石から取り出した魔力を主要なインフラや国民生活の動力源としていたが、魔石から一日に取り出せる魔力の量には限りがあった。
今まではその魔力で十分に賄えていたが、より安価な魔道具が多数開発され、平民層にまで魔道具が普及したことにより消費される魔力量が増加し、特に人口の多い都市部の魔力不足が問題となっていた。
この問題は魔力によって発展してきた皇国にとっては大問題で、今後も増え続ける魔力需要に対して魔力不足を補う方法の模索が急務となっていたのだ。
もし魔石の魔力に頼らない方法、そこまで行かずとも補助となる魔力供給の方法が見つかれば、発見者には多大な名誉と富が転がり込む事になるのは間違いなく、研究者はこぞってこの問題に取り組んだのだった。
では、この論文集ではどういったものが掲載されているのかというと、例えば、
・水を沸騰させた湯気
・風で回した風車の力
・太陽の光
など、他にも様々なやり方で魔力を取り出す方法についての論文が掲載されていた。
しかし、どの方法も魔力の生成は行えているものの、発生することのできる魔力量が極端に少ない事や、かかったコストに見合わないなど、長期的に見て問題を解決できる方法ではないと判断されたため、この論文集に掲載されていた。
この論文集にとどまらず、今までかなりの数の手法が考案されているが、未だに有用な方法は発見されておらず問題の解決までには試行錯誤が必要であった。
また、この論文集にはそれ以外にもいくつか異なるテーマの論文が掲載されていて、今アルスリンデが読んでいるのは、時間逆行に関する魔法というものだった。
これは過去に戻ることのできる魔法でどんなものかというと、この魔法を使用すると、魔法士の意識が望んだ過去の時間に戻る事ができる。
しかし、問題は過去に戻る事ができるのは意識だけで、実体がないため戻ったところで何も干渉できないという事だ。
その解決策として、論文では過去に戻った意識をその時代に生きている人物の身体に憑依させることで、その時代に干渉する事ができるようになる。というものだった。
ここまで来ると魔法ではなく『オカルト』の域である。
他にもいくつかその他に分類されるテーマについて書かれている論文があったが、この論文集に掲載されている論文の中には、ごく稀にこのような魔法としては懐疑的なものもあった。
しかし、今まで講師に言われるがまま勧められた学術書だけを読んできたアルスリンデにとって、初めて読んだこの『論文集』は新鮮でどのテーマもとても興味深い内容だった。
読んでいるうちに「見方を変えればとか」「別の分野に応用ができるのではないか」と考えるようになっていたのだ。
アルスリンデはかくれんぼ中であることも忘れしばらく夢中で読み進めた。
しばらく夢中で読み進めていたアルスリンデだったが異変が起こる。
一瞬、足先から頭のてっぺんまでざわざわとした感覚が駆けめぐっていったのだ。
その感覚はまるで無数の手で身体を撫でられているようなそんな感覚であり、今まで経験したこともない不快感だった。
感じた不快感に自分を抱きしめるように二の腕をさすっていたアルスリンデは、周囲に魔法が使われたような魔力の残滓は感じられなかったものの、読むのを止めて周囲に向けてある魔法を放つ。
アルスリンデの使用した魔法は探信魔法と呼ばれる魔法で、冒険者や軍の斥候隊が周囲の状況を探る際によく使われる魔法士ならば誰でも使える初級魔法である。
仕組みは練った魔力を周囲に放出し、放出した魔力が人や物にぶつかると反射して跳ね返ってくる性質を利用して、それを読み取ることで周囲の状況を知ることができる、というものだ。
この魔法は魔力を練って放出するだけなので、魔法自体の難易度は高くない。
それよりも魔力出力のコントロールが重要で、コントロールが上手いか下手かによって読み取れる範囲や正確さなどの性能に大きな差が出る魔法だった。
そのため魔力出力のコントロール練習には最適で、魔法士初心者の練習用として使われたりすることもあった。
この魔法の難点は反射して跳ね返ってくる魔力を読み取ることから、書庫室のような狭くて複雑な場所を調べるには不向きであり、複雑な地形を正確に読み取るには繊細な魔力出力のコントロール技術とそれを読み取るためのセンスが要求された。
アルスリンデは皇国内では右に出る者がいないほどの魔力コントロール技術と魔力を読み取るセンスを持っていたため、ここの書庫室のような特に複雑に書架が入り組んだ場所でも正確に周囲の状況を読み取る事が可能だった。
アルスリンデが魔法を放ってほどなくして反射して帰ってきた魔力から頭の中に書庫室の平面図が浮かび上がる。
しかし、頭の中の平面図には人影や魔物などの反応はなく、迷路のように配置された書架が映っているだけだった。
さきほど感じた感覚は何だったのか、と首をかしげるも、ほんの一瞬だったため早く続きが読みたいアルスリンデはそれ以上は気に留めず、意識はすぐに手元の論文集に向かっていった。
そうしてちょうど半分ほど読み終えたくらいのところで、アルスリンデはまた異変を感じた。
しかし、今度は先ほどの様な不快感ではなく、視界が霞んだり目の焦点が思うように合わなくなってきたのだ。
暗いところで長い時間本を読んでいたから目が疲れたのかと判断したアルスリンデは、目尻を押さえたり目を擦ったり頭を振ったりしてごまかしていたが、次第に頭が熱病の時のようにぼーっとして論文の内容がまったく頭に入らなくなってくる。
いよいよ、読書どころではないと判断したアルスリンデは書架を支えにして立ち上がり、ここから出るためランタンを拾い上げて、書架を支えにしてゆっくりと来た道を戻ることにした。
来た時の半分くらいのペースでゆっくりと来た道を戻っていたアルスリンデの身体は次第に症状が悪化してくる。
今では全身を襲う気だるさと遠のく意識で歩くことも難しくなりつつあった。
かろうじて歩けてはいたが、足が重く感じ数歩進むだけで息が上がってしまう状態だ。
手に持っていた論文集とランタンは先ほど転んだ際にどこかに落としてしまった。
すぐに探そうとしたが、その時にはアルスリンデの目はほとんど見えない状態になっていたため探すことができなかった。
視界を奪われたアルスリンデは行くべき方向を探るために何度か探信魔法を放つが、先ほどまでは迷路のように設置された書架の正確な位置までもはっきりと浮かび上がっていた平面図は、無数の点で白く塗りつぶされていてとても自分が部屋のどの位置に居て、向かっている方向が正しいのか判断することは不可能だった。
そんな状況にもアルスリンデは書架を支えにしてゆっくりと、しかし一歩一歩着実に出口に向かって進んでいたが、ついには脚元に力が入らなくなってしまい一歩も歩くことができなくなった。
アルスリンデは崩れ落ち床に手と膝を突く。
公爵令嬢としての矜持が床に身体を付けてしまう事だけは許さなかったが、自分の身体に起こっている異変と自分以外この場に居ないという不安に心が押しつぶされそうになっていた。
いつの間にか頬を伝っていた涙がぽたぽたと床に染みをつくってゆく。
助けを呼ぶため声を出そうにも、サクラ色の口から洩れるのは酸素を求める荒い呼吸音とよくわからない小さなうめき声だけだった。
ここから動くことはおろか、助けを呼ぶこともアルスリンデには不可能だった。
今のアルスリンデにできることは、この場で聖女様と勇者様の助けを待ちながら荒い呼吸を繰り返し意識を保つことくらいだったのだ。
どのくらいそうしていたか、数分か数時間か意識を保つことだけに集中していたアルスリンデにはもう分からなかった。
そして、遂にトドメとばかりに、アルスリンデは頭の中で『ぶちり』と何かが引きちぎられるような感覚を感じた。
身体がふわりと浮き上がる様な感覚とともに徐々に意識が遠のいていく。
これ以上、意識を保つのも不安を押しとどめておくのも限界だった、聖女様も勇者様も助けには来てくれなかったのだ。
魔物を守ってくれていた勇者様をあえて遠ざけたのは、魔物本人なのだからこれについては自業自得ではあるが。
しかして、深い暗闇の中、意識を失い床に倒れ込んでしまった碧眼の才女、アルスリンデ=セルグートが次に目覚めたのは。
それから数年後のことだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回よりアルスリンデの視点でお話が進行していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。