毒
私は努力した。
この憎悪と嫌悪の目に晒され続ける日々の中、必死にもがき続けた。
誰の反感も買わぬよう極力部屋で大人しく過ごした。
アドリアン様の言う通り、タシェ様の誘いは全て受け入れた。
後から知ったが、アドリアン様の幼馴染である彼女は昔から皇宮によく来ていたそうだ。
皇宮の人間はお二人の気持ちを知っているからこそ、家柄のみで皇太子妃になった私を嫌っていたらしい。
最初から私の味方などいなかったのだ。
公式の場では完璧に皇太子妃としての役目を果たした。
しかし、いくら私が気丈に振る舞っても噂好きの貴族によって既に私がお飾りであることが知れ渡っている。
コルベール家にいた時と打って変わった彼らの嘲笑する目が忘れられない。
家族には嘘を吐いていた。
何度も私を心配するかのような内容の手紙が届いたが、私は幸せだから心配いらないと返事していた。
兄からも直接会って話したいと言われていたが、会ったら私の中の何かが崩れてしまいそうで拒否した。
申し訳なさから私は家族を真っ直ぐ見れなくなってしまった。
陛下は見て見ぬふりだった。
王命を使ってまでした結婚だと言うのに。
責任を感じているのか、いつも申し訳なさそうな顔で私を見る。
しかし、いざ目が合うと顔を逸らされた。
関わりたくなかったのだろう。
皇后様は自分の息子しか眼中にないようだった。
私の存在など、忘れてしまっているのだろうか。
定期的に開催される皇后主催のお茶会はある時から呼ばれなくなった。
代わりにタシェ様が呼ばれるようになったらしい。
私は空気だった。
居てもいなくても変わらない。
そんなちっぽけな存在。
心がどんどん乾いていっていることに気づかない。
いつから私は心から笑えなくなってしまったんだろう。
いっそのこと泣き喚こうか。
失礼なメイド達を叱ろうか。
皇宮を勝手に出て行ってしまおうか。
全て考えなかったわけではなかった。
実行に移してしまおうか直前まで計画したことだってある。
それでも私の心にはいつもアドリアン様がいて。
彼に完全に嫌われてしまう未来が恐ろしくて。
私が耐えるだけで彼の傍にいられるのなら、いくらでも我慢しようと思った。
だから、私は本心を見破られない様に表情を隠すことにした。
人好きのするような笑顔。
何を言われても気にしていないふり。
そんな事を続けていれば、いつの間にか嘘を吐くことが上手くなっていくようで。
誰にも気づかれることは無かった。
私に対して誰も関心を寄せていなかったのも救いだろう。
だが、エトワール卿は何かに気づいている様子だった。
この前―。
「妃殿下。無理をされているんじゃありませんか?」
「そう?」
「嘘を吐かず、本当の事を仰ってください。」
「何もないわ。」
私はいつもの如く笑顔で誤魔化す。
それを見たエトワール卿の顔が私なんかよりもよっぽど苦しそうだった。
「…っイヴ!」
「…エトワール卿。あなたには今の私が無理をしている様に見える?」
「!それは…。いいえ、見えない、から…。だから、心配なのです…。」
幼馴染であるエトワール卿でさえ問題なく見えるようになったとは。
私もこの演技が板についてきたらしい。
彼は本気で私を心配してくれたのだろう。
言葉が崩れて、昔呼んでいた私の愛称が漏れ出るほどに。
だが、彼には悪いが私は止めるつもりはなかった。
これが私にできる最善だと、そう信じて疑っていなかったから。
――
アドリアン様と私が結婚して二年が経った。
「ねえ、アドリアン。ここのケーキすごく美味しいわ!帝都じゃ人気すぎて中々買えないらしいのに…。」
「カレンが以前から食べたいと言っていたでしょう?今日は特別に用意しました。」
「ええ!あんなちょっとの一言覚えてたの?」
「当たり前ですよ。あなたが話した事は全て覚えてますよ。」
「アドリアン…。」
ほほ笑みあう二人。
それを優しい目で見守る使用人たち。
端から見たら、お似合いの恋人同士だ。
「…。」
私の存在が無ければの話だが。
今日の朝いきなりマーサから予定があると言われ何かと思えば。
どうやらタシェ様が私とアドリアン様を誘って、お茶をしたいとの事。
普段はアドリアン様と二人でお茶しているのにどういう風の吹き回しか。
二年経った今でもタシェ様の行動は読めなかった。
彼女はアドリアン様の妻である私に直接何かしてくる事はなかった。
偶に個人的に誘われ、遊びに行くくらい。
まるで友達のように接してくる。
一見、恋敵にまで優しく接する心の広い方とでも思われているのか。
メイド達はタシェ様のことを「なんてお優しい方なのか。」と評している。
(私からしたら、強かな方にしか見えないけれども。)
私の中のタシェ様は自分では手を下さないけれども、間接的に攻撃してくるタイプのように思えた。
今日のお茶会だってそうだ。
三人でお茶をしたいと言っておきながら、私の事は放置する。
正式な妻である私なんか眼中に入っていないかの如く、アドリアン様との仲の良さを目の前でアピールしてくるのだ。
一体これのどこが「お優しい方」なのか。
理解に苦しむ。
私が何か言ったところでどうにもならない事はわかっているので、せめて心の中だけでも悪態をつかせてほしい。
それに今日を態々狙ったことも気になる。
(本当はアドリアン様と二人でいたかったのに…。)
今日は私たちの結婚記念日だ。
いつもは冷たいアドリアン様だが、この日だけは二人で過ごす時間をつくってくれる。
二年目も同じく過ごせると思って楽しみにしていたのに。
なのになぜ今三人でお茶を嗜んでいるのか。
どう考えてもタシェ様が故意的にやったとしか思えなかった。
でも―。
ちらりとアドリアン様を見る。
(お顔を拝見できただけでも嬉しいわ。)
アドリアン様は確かに変わらず私の事を無視するけれども。
一年目の時に駄目元でアドリアン様に結婚記念日だけは一緒に過ごす時間が欲しいと提案した。
断られると思ったが、彼は文句も言わず皇太子妃としての役目を務めている私を評価してくれ、受け入れてくれた。
誰もが空気のように扱う私を彼は見てくれていた。
それが堪らなく嬉しくて。
彼への好意が無くなることは無かった。
例えタシェ様がこの場に居ようとも。
アドリアン様と過ごせる今日は私にとって良い日だった。
―…この時までは確かにそうだった。
「あれ。イヴェット様、具合悪いですか?さっきから全然お茶が進んでいないようですが。」
「あ、ごめんなさい。少し考え事をしていて。」
「なら良いのですが…。あっイヴェット様もこのお菓子食べたら元気になりますよ!」
タシェ様が差し出してきたのは、有名店のタルト。
先ほどアドリアン様が特別に用意したものだと言っていたものだ。
「ですが、これは。」
「遠慮なさらず!」
タシェ様にさあさあと言われ、仕方なく口へと運ぶ。
アドリアン様からタシェ様への贈り物を私が食べてよいものかと心配になったが、ケーキを口に含んだ瞬間その考えは露散した。
イチゴの香りと甘酸っぱさが口いっぱいに広がってとても美味しい。
さすが有名なだけある。
「!確かに、これは美味しいですわね。」
私のリアクションになぜか得意げな顔をするタシェ様。
これを用意したのはあなたではないでしょ、と呆れた。
私は口に残るケーキの甘さを流すため紅茶を飲む。
―その瞬間。
「…っ!ごほっ!」
急に肺が締め付けられる感覚がして咳き込む。
「イヴェット様!!」
周りが血相変えているが、何が起きたか一瞬わからなかった。
わかるのは私の手がどろりと血で濡れていることだけ。
(なにこれ…。)
理解した時には既に立っていられなくなってその場で倒れこむ。
視界がぼやけていく中で視界の端に奇妙に笑っている人物が目に入った。
(どう、して…。)
何人もの声が傍で聞こえる。
私を必死に呼ぶ声が誰の者なのかわからない。
視界が暗転していく中で、私が最後に思い浮かべたのはやっぱりアドリアン様だった。
彼は今、どんな顔をしているのだろうか。
自分の命の灯が消えようとしている事を悟った私は後悔した。
(一度でもいいから、あなたに好きだと伝えたかったのに。)
一生懸命に生きて来た私の人生はここで幕を閉じてしまった。