7 魔女
しばらくして、庭に現れたディアスを見て、ルーナは仰天する。
「どうしたの、その格好」
ぽかぽかと温かい春の日差しの中、彼は襟元まで隠すフィールドジャケットをかっちりと着こみ、さらに厚地のスカーフを撒いて口もとを覆っている。
まるで厳しい戦場へでも向かうような装備である。
思わず駆け寄ろうとしたルーナを、彼は右手を挙げて制してくる。
「ストップ。そこから動かないで」
「なぜ?」
「俺に近づかないで。そこで話して」
(そんなにわたくしが嫌いなの?)
ずきずき痛む胸を抑え、ルーナは大きく深呼吸する。
(ううん、まだ諦めないわ)
心を落ち着けて、なるべく穏やかに話し出した。
「昨日はお疲れ様でした。遅くまで大変だったわね」
「……ああ」
「なにか変わったことでもあったのではないかって心配だったの」
ディアスは熱でもあるのか、目もとをうっすらと赤く染めてルーナを見つめてくる。端から下をスカーフで隠しているから表情はよくわからないが。
「疲れていない?」
「大丈夫だ」
「もしかして怪我をしていたり?」
「してないよ」
「なにか……嫌なことでもあった?」
「――」
(あったのかしら)
無言こそが肯定に感じられた。
(わたくしと婚約破棄をしたいと強く願うようななにか?)
ぐっとお腹に力をこめて、核心を尋ねる。
「王太子殿下やそのほかの皆様の手前、わたくしみたいな未熟者が婚約者では、恥ずかしいと気づいたとか?」
「え!?」
ディアスは頓狂な声を上げる。
どうやら、ルーナの予想は的外れらしい。
「じゃあ……、昨日の参加者の中に、とても素敵なご婦人がいらした……とか?」
その女性に一目で心を奪われて、ルーナのことがどうでもよくなったのかもしれない。
自分で言っていて、喉の奥がぎゅっと締められるような苦しさを覚える。
だが、ディアスは大きくかぶりを振った。
「とんでもない!! あれは恐ろしい魔女だった!」
「魔女?」
「っ!」
彼はしまったとばかりスカーフの上から口を押さえる。
(よく……わからないけれど、女性となにかあったのね)
ルーナは少ない情報の中から推測する。
思わず『魔女』と呼んでしまうような女性だ。きっと危ういほど大人びた魅力にあふれた人なのだろう。
真面目なディアスが『恐ろしい』と感じるほど積極的に彼に迫ったのかもしれない。それで――想像するのも嫌だが――優しいディアスは彼女を拒み切れず、過ちを犯してしまったのではないか。
(だから、わたくしと婚約破棄を?)
ディアスは誠実な人だ。たとえ過ちだったとしても、情けをかけた女性を見捨てることなどできないだろう。
(そういうことだったの)
突然の婚約破棄の理由がわかった。
急に嫌われた、というよりよほど納得できる。
だが、はいそうですかと引き下がれるはずはない。
ルーナはぎゅっとドレスを握り、肩をわなわなと震わせた。
(わたくしだってディアスのことが好きなのに)
こみ上げてくる感情が止められない。
その『魔女』がルーナからディアスを奪ったように、ルーナも彼女から彼を奪い返したい。
そんな強い欲求に身を焦がすのは、初めてだった。
「……だめよ、認めない」
「ルーナ?」
「だって、その人よりもずっとずっと、わたくしのほうがディアスを好きだもの!!」
羞恥も外聞もかなぐり捨てて、ルーナはディアスの胸に飛び込んだ。




