4 女神
翌日、王太子の主催する狩りが郊外の森で行われた。
ディアスは、開始早々に立派な牡鹿を仕留めた。
長年の初恋を成就させたばかりで、向かうところ敵なしといった風情である。
だが、主催者であり主君の王太子より目立つわけにはいかない。今日はこれ以上の活動を自粛しようと思った。
静かな水辺で休憩しようと森の泉へ向かうと……、先客がいるのに気づいた。
(え? は!?)
全裸の女性だった。
彼女は透き通るような白い上体をピンク色の長いウェーブの髪で隠し、緑色の水に腰まで浸かっている。
(怖!)
ディアスは全身に冷や水を浴びたような心地がした。
だって、こんな森に美女がいて、堂々と水浴びをしているなんて、絶対におかしい。
魔女の類としか思えない。
即座に回れ右して逃げ出そうとした。
が、鋭い女声に止められる。
「お待ちなさい!」
「っ」
「お前、見たわね」
「すみませんでした。でも大丈夫、すぐ忘れます。全然興味がないので」
「な、なんですって!?」
ざばっと水をかき分ける音がした。
まさか全裸の女性は陸に上がったのだろうか。
とんでもない事態に混乱していれば、ひたひたとした足音が近づいてくる。
(やばい、逃げろ、俺……!)
「逃がさない」
とたん、脚が棒のように動かなくなった。
(本当に魔女だ)
「いいえ、わたしは魔女ではなく女神」
女性は心の声に堂々と答え、とうとうディアスの目前に立ちはだかった。
「女神フレーズ。愛と性の守護神よ」
生まれたままの真っ白い肢体を堂々とさらす様は、たしかに絵画に描かれる古代の女神のようだった。
(いや、だが、そう言われても……)
ディアスは困惑し果てて視線をさまよわせた。
正面で、フレーズと名乗った女神は柳眉を吊り上げる。
「お前、ものすごく失礼だわ。なぜわたしを見ないの?」
「すみませんが、服を着てもらえませんか?」
「しかもさっき、『怖!』って言ったわね」
「すみません」
「たいていの男はわたしを一目見たら欲しくなるのよ。なのに、『全然興味がない』ですって!?」
厄介な神に捕まってしまったようだ。
ディアスは一生懸命視線を合わせないようにしながら答える。
「俺は婚約者にしか興味がないんです。すみませんが、もう帰らせてください」
「ぐぬぬ……すました顔して。許さないわ」
フレーズは髪と同じ色をした長い爪をディアスの胸もとへ突きつけてきた。
「その余裕ぶった態度、跡形もなく崩してやる」
「な、なにをするっ」
「むらむらの呪い!!」
女神が叫んだ瞬間、ピンク色の光が胸を貫き、全身へ広がっていく。
呪いをかけるだなんて、やはり女神ではなく魔女ではないか。
「おーほほほ! 大好きな婚約者にむらむらして嫌われちゃいなさいっ」
悪役然とした高笑いまで残して、フレーズは全裸のまま空へと飛び立っていった。