人茸
人茸。
ある地方の山の中にだけ自生すると言われている菌類の子実体、
つまりはキノコの一種。
人体に似た形をしていて、成長すると人と見分けがつかなくなるほど。
食用にすると非常に美味で、まるで食肉のような味がすると言われている。
基本的に無害だが、アルコールなどと一緒に摂取すると、
中毒症状を引き起こすことがあるので注意が必要である。
キノコのような体臭がする。
いつの頃からか、私は他人からそのように言われてきた。
幼くして両親と死に別れ、知人の家で育てられた私は、
その体臭のせいで嫌な思いもたくさんしてきた。
しかし、苦学して進学した先の学校で出会った恋人は、
そんな私の体臭を、好きだと言ってくれた。
それから、私と恋人は清い交際を続けて、
学校を卒業した今春、恋人の両親へ挨拶をするため、
恋人の実家へ行くことになった。
恋人の実家は、地方の山深い村にあった。
都会から特急列車やバスをいくつも乗り継いで、行くだけでも一苦労。
やっとたどり着いた先では、恋人の両親が笑顔で出迎えてくれた。
初めて目にする恋人の両親は、穏やかで人が良さそうで、
お互いにすぐに打ち解けて、挨拶も滞りなく済ませることができた。
「遠いところからお越しでお疲れでしょう。
今夜はうちに泊まっていかれるといい。」
「お互いに家族になるんですから、遠慮はいりませんよ。」
「よろしいのですか?
では、お言葉に甘えて、お世話になります。」
そうして私は、恋人とともに、恋人の実家に泊まらせてもらうことになった。
その日の太陽が西に傾き、日が暮れ始めるまでもう間もなくという頃。
恋人の実家に泊まることになった私は、
恋人と恋人の両親、つまりは義父母と共に、
村の裏山へと足を踏み入れていた。
義父母の話によれば、
この村の裏山では、美味しい山菜やキノコが採れるのだという。
「この村にきたら、山菜とキノコは食べていってもらわないと。」
「他には何もない村ですけれど、山菜とキノコは美味しいんですよ。」
義父母のそんな勧めもあって私たちは、
村の裏山へ山菜とキノコを採りにやってきたのだった。
鬱蒼と木々が生い茂る裏山を進むことしばらく、
八百屋で見かけたことがあるような山菜が、
山の地面に生えているのが目につくようになった。
「あの山菜は食べられますよ。採っていきましょう。」
義父にそう言われて、私は屈んで地面に生えている山菜に手を伸ばす。
山菜に疎い私は、義父母の指示の下で、せっせと山菜を採っていった。
持ち込んだ籠いっぱいに山菜を採った私たちは、
日が暮れる前までに家へ帰るべく、裏山を下っていった。
すると道中で、他の村人らしい人影がちらほらと目についた。
その人たちも山菜採りに来たらしく、地面にしゃがんだりしている。
軽く挨拶をして通り過ぎようとすると、ふとどこからか良い匂いが漂ってきた。
匂いが漂ってくる方を見ると、村人らしい老人たちが何かに齧りついていた。
よく見るとそれは、人の腕や足の形をしているのだった。
「う、うわっ!
あの人たち、人を食べてる!人間の腕や足を!」
私が腰を抜かして慌てていると、義父母が破顔して説明してくれた。
「あっはっは。
あれは人じゃありません。キノコですよ。
人茸といって、この辺りにだけ自生するキノコなんです。」
「外の人が初めて見たら、驚かれるのも無理はないですねぇ。
何せ見かけは人の体そっくりですから。」
笑顔で口元を手で抑えながら、恋人も説明してくれた。
「うふふ、ごめんなさいね。
人茸は滅多に採れないから、説明はいらないと思ったの。
外見は人の体そっくりだけど、食べるととても美味しいのよ。」
するとそんな騒ぎを聞きつけて、
人茸を食べていた老人たちがこちらへやってきた。
「おや、そちらは外の方ですね。
お騒がせして申し訳ない。
ご説明の通り、これは人茸というキノコの一種です。
見た目はまるで人の体のようでしょう。
成長すると、人と見分けがつかなくなるほどなんですよ。
キノコは胞子を飛ばして他の個体と交配するんですが、
その交配する菌類との相性のせいか、
人茸はこの地域でしか自生していないと言われています。
とても貴重なものなので、外部への持ち出しは基本的に禁止。
文化保存の観点から、
採れた人茸はその場で食べる場合のみ許可されているという、
知る人ぞ知る美食の食材なんです。
・・・どうです?あなたもお一つ。」
そう言って老人は、手にしていた人茸をこちらへ差し出した。
山芋のように大きなそれは、どう見ても人の腕にしか見えない。
肌は産毛が生えていて皮のようで、切り口はザクロのように真っ赤。
私が恐る恐る恋人と義父母の顔を見ると、
三人とも少し困ったような顔をしている。
おすすめはしないが、しかし積極的に止めるつもりもないといったところか。
私は意を決して、差し出された人の腕のようなものに齧りついた。
すると、まるで獣の肉のような癖のある味が口いっぱいに広がった。
「・・・美味しい!
これ、生のキノコですよね?
生なのに、まるで焼き肉のような肉汁が広がってくる。」
「そうでしょう。
一度食べたら忘れられなくなりますよ。」
老人が言う通り、私は差し出された人茸を意地汚く頬張ったのだった。
それから私たちは恋人の実家へ戻ると、
裏山で採れた山菜とキノコで夕食を作った。
炊き込みご飯、天ぷら、お浸し、煮物、などなど。
義父母の言う通り、裏山で採れた山菜やキノコの料理は美味だった。
都会で目にする山菜というと、しなびて苦い草というイメージがある。
しかし、この村の裏山で採れた山菜は全くの別物で、
活き活きとして瑞々しく、甘みすら感じられるほどだった。
私は山菜とキノコの夕食に舌鼓を打ち、食後は風呂をいただき、
義父の晩酌の付き合いにと慣れない酒に口をつけ、
旅の疲れもあって、布団の中に入るなり早々に眠りについたのだった。
人々がすっかり寝静まった深夜。
私は腹に猛烈な違和感を覚えて目を覚ました。
最初は、山菜にでもあたったのかと思ったが、そうではない。
腹の違和感の正体、それは空腹。
夕食はしっかり摂ったはずなのに、猛烈な空腹感に襲われていた。
「なんだ?この腹の感覚は。
とてつもなく腹が減っている。
今すぐ何か食べないと、餓死してしまいそうだ。」
せめて朝食まで我慢したいところだったが、
沸き上がる空腹感は激しく、とても朝食まで待てそうもない。
諦めて布団から体を起こして周囲を見渡す。
月明かりに浮かび上がるのは、恋人の実家のあてがわれた部屋。
見知った自分の部屋とは違って、菓子や缶詰の類は見当たらない。
仕方がなく、食べ物を拝借するために台所へ向かった。
寝静まっているであろう恋人と義父母を起こさないように、
抜き足差し足で不慣れな家の中を歩いて行く。
すると、廊下の先に人の気配。
玄関の明かりが点いていて、そこで誰かが話をしているようだ。
思わず身を潜めて話の内容に耳を澄ませた。
「・・・ですから、うちには人茸はありません。
何かの間違いじゃないですか。」
聞こえてきたのは、義父の声。
どうやら、こんな深夜に来客があったようだ。
来客は複数人のようで、聞き慣れない男たちの声が聞こえた。
「嘘をつくな。
日中、お前の家に人茸を持ち込むところを見た奴らがいるんだ。
立派に育った、それは大きな人茸だったと調べはついてるんだ。」
「お前、隠さずに出した方がいいぞ。
俺たちは腹が減って仕方がないんだ。
おっと、普通の食い物じゃ駄目だ。
人茸だ。
あれの味を知ったら、忘れられなくなってな。」
男たちの話を聞いて、義父が渋い声で応える。
「あんたたち、もしかして人茸を酒と一緒に食べたんだろう。
人茸は酒と一緒に食べたら駄目なんだ。
中毒でおかしくなってしまう。
悪いことは言わないから、救急車を呼んだほうがいい。
もっとも、キノコの毒に薬は効かないらしいがね。」
「そんな話は聞いてない、人茸はどこだ!
寄越さないって言うなら、力付くで手に入れるまでだ。」
「止めろ!離せ!・・・うわっ!」
話をする声が荒くなって、もみ合う物音が加わる。
そうしていると、ドサッと何か重いものが倒れる音がした。
目を細めて廊下の先を見ると、義父の体が床に倒れ込んでいた。
玄関の薄暗い明かりが照らす義父の体は、
頭がパックリと割れて真っ赤な中身が覗いていた。
忌々しそうに男が声を荒らげる。
「ちっ、こいつ、頭が割れやがった。」
「運の悪いやつだ。
こうなったら仕方がない。
無理にでも人茸を頂くぞ。」
すると、間の悪いことに、物音で目を覚ましたらしい義母が、
寝間着に薄物を羽織った姿で玄関に現れた。
「あなた、どうかされたんですか。」
義父からの返事は無い。
かわりに、土足のまま玄関から上がり込んだ男たちが、
義母の顔を見るなり、殴りつけようと襲いかかった。
だが、何かに足を引っかけたのか、転びそうになって立ち止まる。
下を見ると、玄関の床に倒れていた義父が、
頭を血濡れで真っ赤にして、暴漢の足に齧りついていた。
「逃げろ!
私のことはいいから!
あの子たちを連れて、早く!」
そう言われた義母が、即座に状況を理解して家の奥へ踵を返す。
足を掴まれた男がそれを追いかけようと、義父の体を蹴って引き剥がそうとする。
その横からは、わらわらと四~五人の男たちが、
鉈などを手に土足で家の中へ上がり込んできたところだった。
「こいつ!離せ!」
「あいつは俺がやる!他の奴らは家の奥を探せ!」
「早くしよう。
俺、もう腹が減って我慢できないぜ。」
義父を今すぐ助けに行きたいが、これではもう手遅れなのは明らかだ。
今、私が決死の覚悟で姿を現しても、誰も助けることはできない。
私は心の中で謝罪しつつ、なるべく静かに家の奥へ取って返した。
私が恋人の寝室の扉を開けると、
異常事態を察知した恋人と鉢合わせになった。
恋人が泣きそうな顔で言う。
「何!?何があったの?」
「誰か知らない連中が来て、玄関でお義父さんが襲われた。
詳しい説明は後だ、早く逃げよう。」
「嫌よ!お父さんとお母さんはどうなるの。」
「お義母さんは私が探してくるから、早く!」
するとそこに、息を切らせた義母が駆け込んできた。
「あなたたち!
その引き戸の窓から庭に出て、軒下から地下室に入りなさい。
こんなこともあるかと思って、昔から用意だけはしてあったの。
あそこなら、知らない人たちには見つからないでしょうから。」
「お母さん!お父さんは?」
「人茸の中毒になった人たちが来て襲われたの。
あの人のところへはわたしが行きます。
誰も行かなければ、あの人たちはすぐにでもここへ来てしまう。
だから、あなたたちだけでも逃げて。
若い人たちを巻き添えにはできないから。」
義母と目が合う。
その瞳には、娘を頼みます、と書いてあるようだった。
相手は武器を持った複数の男たち、義父はもう助かりそうもない。
この状況で私ができることは、残念ながら限られている。
私はぐずる恋人の手を引いて、窓から裸足のままで庭へ飛び出た。
薄暗い月明かりの下、地面に四つん這いになって家の軒下を覗き込む。
すると、軒下に生えた雑草の間の地面に、
床下収納庫の扉のようなものを見つけた。
這うように軒下に体を突っ込んで、金属の扉の取手を引っ張る。
どうやら鍵はかかっていないようだ。
その頃には、家の中を行き交う荒々しい足音がすぐそこまで近付いていた。
「こっちだ!早く!」
私が腕を引っ張ると、恋人は呆然とだが素直に応じてくれた。
軒下の扉を開けて私と恋人が体を滑り込ませる。
中は地下室になっているようで、
音の響き具合からそこそこの広さはあるようだ。
しかし、扉を締めると中は真っ暗で何も確認することはできなくなった。
そのすぐ直後、頭上の家の中を荒々しい足音がやってきた。
「おい!他に誰かいるのか?」
「畜生、あの二人の他には誰もいないぞ。
聞いた話では、もっと人がいるはずだが。」
「窓が開けっ放しだ、ここから逃げられたんじゃないのか。」
「まだどこかに隠れてるのかもしれん。
探してみよう。」
そうして私と恋人は、真っ暗な地下室の中で、
夜通し家探しする男たちの気配に体を震わせていたのだった。
暗闇の中、身を震わせている時間は永遠にも感じられた。
しかし、外から小鳥のさえずりが聞こえるようになった頃、
ようやく頭上の物音は去っていった。
地下室の存在には気がつかれずに済んだだろうか。
念のために十分に時間をおいて、軒下の地下室の扉を開けた。
まず私が一人で外に出て状況を確認する。
家の中は滅茶苦茶に荒らされていた。
古くもきれいに整えられていた恋人の家は、今は土足の足跡だらけ。
押入れどころかタンスの引き出し一つ一つまで中を検められていた。
玄関にたどり着いて、思わず口元を抑える。
そこでは義父が絶命していた。
ただの死体ではない。
腹を割かれ、肉を奪われ、まるで野犬に食い散らかされた後のようだった。
考えたくないことだが、どうやら押し入った暴漢たちは、
義父のことを人茸だと思い込んで手にかけたらしい。
それは義母も同様で、台所で見つかった義母の死体は、
包丁を使ってまるで食材のようにさばかれていた。
「なんてこった。
こんな光景を恋人には見せられない。
家の中には入らないように言わなければ。」
襲いかかる吐き気と、ほんの少しの別の衝動を必死で抑える。
他に家の中に人の気配は無い。
犯人たちはどこかへ行ってしまったらしい。
私は地下室に取って返すと、
恋人にはまだ絶対に外に出ないように言い聞かせて、
それから私一人で家の外へと駆け出した。
そして、目についた公衆電話から警察に通報し助けを乞うたのだった。
それから数日後。
警察の捜査により、事件のおおよその事情が明らかになった。
恋人の家に押し入ったのは、六人の男たち。
いずれもこの村の住人ではなく、
人茸の噂を聞いて外部からやってきた連中ではないかと言われている。
男たちは村の裏山で採った人茸で酒盛りをしてから、
もっと大きな人茸を求めて人里へ下りてきたようだ。
酒がまわっていたのか、あるいは何かの中毒か、
大きく育って人の姿になった人茸は美味だという噂話を鵜呑みにして、
人茸と思われる相手を探して村を徘徊していた。
そこで日中に人茸を食べていた私たちの噂を聞いて、
人茸を隠し持っていると思い込んだらしい。
男たちは深夜になる頃に恋人の家を訪れ、
運悪く応対に出た義父と義母が犠牲になって私と恋人を守ってくれた。
肝心の犯人たちがあの後どうなったかというと、
全員が村の裏山で死体となって発見された。
六人の男たちの死体は凄惨で、まるで飢えた獣たちが共食いでもしたかのように、
お互いの損傷した体を齧り合って絶命していたという。
犯人が全員死亡したことで事件は一応の決着を迎えたが、
両親を一度に失った恋人は焦燥していて、
私がつきっきりで世話をすることになった。
こうして私と恋人は、悲しみの内に家族となったのだった。
それから年月が過ぎ去って。
私と恋人もとい、私と妻の二人は、
都会の部屋を引き払って、今は妻の実家で生活をしていた。
一時期は妻の実家を引き払うことも考えたが、
義父母が遺してくれたものを大事にしたいと、
私と妻の二人の希望が一致して、ここで暮らすことにした。
それから時間を経て、妻の悲しみも徐々に晴れていって、
今、私と妻は、二人の子供たちとの四人で生活している。
平穏を取り戻し、子宝にも恵まれた生活。
しかし、私にはどうしても解せないことがある。
それは何かというと、
私と妻は、ずっと清い関係のままだということ。
結婚前も後も、ただの一度たりとも床を共にしていない。
それにも関わらず、こうして二人も子供が生まれた。
念のためだが、妻に私以外の男がいるなどということは絶対にない。
この村では村人の生活は筒抜けだし、私と妻はほとんど一緒にいるのだから。
遺伝子などによる親子鑑定などという無粋なことはしていないが、
子供たちの顔には私と妻の面影があって、親子であることは疑いようもない。
では、どうして子供は生まれたのか。
そこで、かつて聞いた話を思い出す。
成長した人茸は、人と見分けがつかない。
キノコは胞子を飛ばして他の個体と交配する。
私はキノコのような体臭がするという。
その三つの話を総合すると、ある結論に行き着く。
成長した人茸が人と見分けがつかないというのは、
本人から見てもそうなのではないか?
であるならば、私は・・・。
日当たりのいい縁側に座って、つらつらとそんなことを考えていると、
庭で遊んでいた子供たちが駆け寄って私の膝にしがみついてきた。
「パパー、遊んで。」
「ママも呼んで、四人で遊ぼうよ。」
難しい顔をしていた私は笑顔になって、子供たちを抱き上げた。
「よしよし。
じゃあママも呼んで、四人で日向ぼっこしようか。」
子供二人を抱えて台所にいる妻のところへ向かう。
私が顔を寄せると、子供たちも笑顔で頬を擦り寄せてきた。
すると抱きついてきた子供たちからは、
微かにキノコのような香りが漂っていたのだった。
終わり。
もしも、人そっくりのキノコがあって、
人の腕や足のような外見のキノコが地面からにょきにょき生えていたら。
そんなことを空想してこの物語を書きました。
キノコは食べ物にもなるので、人と食べ物との区別がつかなくなって、
恐ろしい話になってしまいました。
事件の後で、物語の中の私は、
自分が何者なのか、ある可能性に気がついたようでした。
すると、他にもその正体が疑わしくなる人たちが出てきます。
私、恋人、子供たち、恋人の両親、村人たち、犯人の男たち。
誰が何者だったのか、
きっと当人たちにも確証は持てないことでしょう。
お読み頂きありがとうございました。