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上の方はそうでもなかったけど、地下へ行くほどジメジメしてきて不気味な感じだった。
先頭を春ちゃんが他に結界や変な術式、陣がないか確認しながら進んでいく。軽く後ろを振り向くと、花ちゃんが私の服の帯を掴んできょろきょろしながら不安そうに付いてくる。和君は一番最後をこわばった顔で階段を一歩一歩確実に降りてくる。「殿はまかせろ」って言っていたけど、何と戦う気なんだか。私としては何も出てこないことを祈るばかりなのに、初めから出る前提は辞めて欲しい。それに、そんな言葉は和君のお父さん位に格好良くなってから言って欲しい。
夜中、しかも地下へと降りているのに階段は薄ぼんやりと見えている。別に光っている訳でもない、術の気配も感じない。いや、私じゃ感じられないだけか。
春ちゃんはお父さんとお母さんに毎日稽古をつけてもらっているっていってたけど、私はままごと位なんだと思ってた。私みたいに将来、橘家の当主になって結界を維持しなければならないからって、厳しい訓練じゃないと思ってた。
こんなこと言いたくないけど、春ちゃんは異常だ。
橘家の、それもおそらく上位の結界が見える事。私を皆の所まで担いできた闘技の力。春ちゃんは何でもない事のようにやっているけれど、耳も尻尾も生えそろわない年であそこまで力が使えるのはおかしい。
お父さんに初めて春ちゃんを紹介してもらったとき、見たことない髪の色で綺麗だなって思っただけだったけど、上位の霊孤は髪や目などに特徴がでるって後で聞いて気になっていた。
春ちゃんのお父さんは青みがかった銀に近い綺麗な色で天孤。
春ちゃんのお母さんは赤みがかった銀に近い綺麗な色で空孤。
春ちゃんは両親に似ているけれど、透きとおる様な銀色に薄い紫がまじってもっと綺麗だと思う。
春ちゃんに聞きたいな。困った所もあるけど、春ちゃんのこと好きだし、春ちゃんの口から教えて欲しいな。
他の事を考えなら降りていくと、もう少しで一番下まで着くようだった。
春ちゃんの脚が止まる。あと数歩で到着するというところで、私達を振り返った。でも振り返った春ちゃんの目は私達を見ていなかった。綺麗な目を見開きとても驚いていた。
「いよっ」
後ろから聞こえた軽い声に、背筋に寒気が走った。
後ろ? だって今まで私達が降りてきたときには何もないし誰も居なかった。ゆっくりと後ろを向くと、同じように振り向こうとしている花ちゃんと和君の横顔が見えた。二人とも唇が震えながら狼狽えていた。多分私も声がうまくでないから震えてるんだと思う。
「そんなに怖がられると傷つくんだけどなー」
なにこれ? そう、なにこれだった。蹴鞠くらいのまん丸な体に、縄のように細い手足がついた何か。なにこれ。
「「「「……」」」」
「おーいおーい? 聞こえてるかい?」
まん丸物体は細い両腕を左右に大きく振ってこちらに問いかけてくる。まん丸には同じく丸いくりっとした目と落書きのように歪んだ変な口がついていた。変なっていうのは、喋っているのに一切動かないから。
「えと、何か御用?」
自分でも驚くような間抜けな言葉が出た。緊張のなかこんなのが現れたら平気なんかでいられない。「よっと」というかけ声と共に変なものは下に降りていった。
「階段なんかで話してたら危ないからさー、こっちおいでよ。饅頭くらいならだすぞー」
変なのからお饅頭を渡された私達は、食べずに弄びながらどう反応したら良いかわからなくて、地面に座りながら呆けている感じだった。隣の和君は本当に呆けているみたいで、目の前の変なのを見ていた。
一番下には小さな小さなお社があった。お供え物を置くのがやっと位の小さなお社。そのお社の上に行儀悪く腰掛けて饅頭をさっきから何個も頬張る訳の分からない何か。動かない口にお饅頭を持って行くとお饅頭が消え、幻だったと言われても違和感を感じないんじゃないかって思った。
「あなた、誰ですか」
花ちゃんが勇気を出して質問してくれた。私も質問しようと何度も思ったけど、ちょっと気持ちが追いつかなかった。変なまん丸は音だけは汚いゲップをし、お社の上に立ってふんぞり返った。罰当たりな。
「俺は里神様の眷属で晴風っていうんだ。微妙に偉いんだぞ」
微妙に偉い微妙な自己紹介は放っておいて、この変なの改め晴風は里神様の眷属って言った。里神様に眷属がいるなんて初めて聞いたけど、見るからにおかしな晴風はそうなのかなと思わせる存在感はあった。
「ねえ、君たちは何しに来たの? 此処に来たって里神様に会えるわけじゃないよ」
「そうなの?」
「そそ、里神様は普段天上の世界にいるから」
また何処から出したか分からないお饅頭を宙に放って行儀悪く食べている晴風。私の言葉に素直に答えてくれることから、勝手に入ってきた私達になにか含みがあるんじゃないと思うけど。
「俺たち、郁と郁のお姉ちゃんに会いに来たんだ」
此処が里の中心にある広場の地下じゃなければ感じ方は違うと思うけど、見た目がまん丸の晴風が首を傾げるように体を左右に振っている姿は少し怖かった。
「もしかして花嫁のことかな。そういや今回の花嫁は後から弟が来てたね」
私や花ちゃん、和君は郁君の事だと確信して思わず体を前のめりに起こしかけた。
「さっき後ろにある扉から二人は天上の世界へいったよー。こっちから扉は開けられないから、ちょっと遅かったねー」
まるで残念でもないような言い方で晴風が後ろを振り向くと、その先には壁に埋め込まれた鳥居に守られるように扉が鎮座していた。
「この頃さー、色んな神様が霊孤のお嫁さんを欲しがって大変だって里神さまが嘆いてるんだよね。おしとやかで美人が多くて能力も強い、人気があるみたいだねー。君たちみたいなやんちゃな狐もいるみたいだけど」
やんちゃな所は否定できないけど、私達が思っていた事と事実は違ったみたい。郁君ともう会えなくなったみたいだけど、あっちでお姉ちゃんと新しくできるお兄ちゃんと仲良く暮らせることを祈ろう。
和君も花ちゃんもぎこちないけれど少し笑みがこぼれている。春ちゃんは……郁君と会えないことが納得出来ないのか、ずっと俯いたままだ。郁君に会いたくてここまで我が儘言って来たのだから、仕方がないよね。
「そろそろ夜が明けるからさ、子供は帰った帰った。あ、その饅頭はあげるけど昨日の昼のお供え物だから早く食べなよ。お腹壊しても知らないよ」
お社から飛び降り、細い縄のような手を追い払うように私達へ向かって振ってきた。夜が明けると聞いて、私達が家族に黙って出てきたことを思い出した。春ちゃんは私が迎えに行った時の状況から無断だろうし、多分他の二人も顔が強ばったからそうだと思う
階段を上がりきって広場まで戻ると空が白み始めていた。広場の中からは外の様子がはっきりと見えるけれど、私じゃやっぱり結界は見えなかった。ちょうど大人達も交代の時間なのか近くには見えない。私達は急いで広場から離れた。
「神様って本当にいたんだな」
「正しくは眷属って言ってたけど、あの姿見ちゃうと信じちゃうよね」
外へ出て開放されたからか、いつもの笑顔を浮かべて和君と花ちゃんが並んで先頭を歩いて行く。私はまだ納得してなそうな春ちゃんを少しあきれた気持ちで見ながら一緒に歩いている。困った子だけど、そこが可愛いって春ちゃんのお父さんとお母さんが言っている意味が少し分かるかな。
和君がやっとお饅頭をもらったことを思い出し、私達も忘れてた事に気付いて笑いながら食べようとした時。
「食べちゃ駄目!」
一瞬背筋が伸びたんじゃないかって位、私達は驚いて春ちゃんを見た。視界の隅で早起きして軒先の掃除をしているおじさんも吃驚してこっちを見ていた。
「あ、その、何か変な匂いがするから。多分腐り始めてるよ」
春ちゃんの言葉にお饅頭の匂いを和君が何度も嗅いでいるけど、腐ってるかよく分からず首を捻っている。花ちゃんはお饅頭を二つに割って中を見ているけど、別に変なところはない。私も見たり嗅いだりしてみたけど、全く分からない。
私達が首を捻っている隙に春ちゃんが全員の饅頭を奪い取って、それぞれを明後日の方向へ投げてしまった。どんな力で投げたのか、一瞬で見えなくなったお饅頭を眺めていた私と花ちゃんの手を取り「和君も来て」と、春ちゃんが駆けだした。