中
騎士領主が治める土地は、帝国の端も端、知名度底辺な辺境の地だ。
だが、いかな辺境と言えど、そこは不毛の荒野ではなく、それなりの地力があり、領内の幾つかの山脈には、金属や石炭などの宝も眠っている。
――ただ、領地を盛り立てるための、人材技術知識資金伝手等がないないづくしであるだけで。
『――道具からやり直せっ!!』
「道具からっ?!」
地獄の門番を彷彿させる形相で一喝してきた亡霊に、ディーノの主君が困惑しきった声を上げる。
――大小様々な大きさの金槌に砥石に鑢、炉はもちろん、鞴や金床に焼入れ用の水槽等々――。
白鼠色の髪が目立つ主君は、鍛冶道具があちこちに並べられた、薄暗い室内を見回す。
そして、置かれた鍛冶道具の数々に、目的までの遠い道のりを思い浮かべたらしく、まだ幼い紫黒の瞳が、愕然と見開かれた。
……一応、この場は、騎士領主の御膝元で一番設備が整っていると、鍛冶師組合の長から胸を張って保証された工房である。
亡霊に駄目出しされた、工房の主は涙目になっているが、まあ、所詮はど田舎一番だ。
炉と技巧を司る神を奉じた南国の、かつての筆頭鍛冶師の目に敵わなくとも、仕方があるまい。
『手前の得物を手前で作らんで、なにが鍛冶師だ』
「いやそれ、あんたの国の常識でしょうが」
我慢ならないとばかりに吐き捨てる、おぼろな姿の偉丈夫に、ディーノは呆れかえる。
かつて帝国と戦い果てた南国は、優れた武器を制作するために、鍛冶師が戦士の業まで磨くような、妙な方向に気合の入ったお国柄だった。
今は作り手が失われた、南国の武具がその強靭さを謳われ、各国の武人が挙って欲した事実に、ディーノも異論はない。
……異論はないが、目の前の亡霊を含め、彼の地の鍛冶師は変人だと思う。
ぎろりと、南国の長から、死してなお激烈な眼光をいただくも、ディーノはどこ吹く風で、愛用の煙管を咥えた。
ディーノは、死霊の王の直臣である。
主君を介し、死と再生を司る神の恩寵を受けた、亡国の姫君の密偵が、生前の無念に縛られただけの亡霊に、どうこうされるわけがない。
「あの、道具を作るのに必要なものは、何ですか?」
幼い主君の、死せる南国の王への質問に、ディーノはお気に入りの煙管を吹き出しそうになった。
「――まさか道具から作る気なんですか、若君っ?!」
「義父上たちと、土地と建物を相談してからね」
幼い死霊の王は、工房から作る気満々だ。
「だって、墓標の手入れをするんだよ。
――弔いは、いい加減にするものじゃないから」
幼いながらに生真面目な主君は、いたって真顔で断言する。
稚さが抜けない紫黒の瞳には、思わず姿勢を正させる威厳さえ宿っていた。
故国を亡びに追いやった老帝の孫皇子とは言え、まだ幼い主君の、皇族本来の務めへの誠実さを、ディーノは好ましく感じていた。
が、目の前の少年に対する好き嫌いとは別の、大問題があるわけで。
「……若君、金がありません」
「あ」
ディーノが指摘する無情な現実に、幼い死霊の王は顔色を変える。
残念ながら、勅令一枚で騎士領主に婿入りした皇子様には、自由に使える財産がない。
もっと言えば、辺境領自体に金がない。
騎士領主が治める土地には、豊かな自然や鉱山資源はあるのだが、帝都からは遠すぎ、領内は悪路だらけで、交通の便がダメダメだ。
更に、ここ数年の辺境への移住者は、当の領主を筆頭に、小国侵攻時に心身を損ねた兵士やその縁者の割合が多く、帝都以外でも評判がイマイチなのである。
ガラクタの掃き溜め、という揶揄に、ディーノも思うところがないわけではないが、風評を気にする大資本の商家が辺境に寄ってこないのは、実際痛い。
領地運営の根幹である税にしたって、領民の数が辺境に相応しい上に、行き交う人々もまた辺境水準なのだから、言わずもがな。
よく亡霊宰相が歯軋りしているけれども、元手が無ければ何もできず、みんなのお姫様に、姫君らしい生活を送ってもらえる日は、遥か彼方だ。
世の中金で、だから、大して金にならない死者の弔いなど、帝国では軽視されて久しい。
死と再生を司る神に仕える帝国の皇族は、葬儀や鎮魂における最高位の祭司であるが、今や、死者へ敬意を払う皇族などほとんどいない。
遠目でさえ悍ましかった帝都は、非業や無念に倒れた無数の亡霊や、皇族に命を奪われ傀儡にされた、幾多の死霊が徘徊している、絢爛たる墓場だ。
また、皇族による亡霊収集も公然と行われており、南国の王を縛る斧槍は、皇子の誰かに献上されるために、ディーノの目の前で運ばれていたものであった。
「……ええと、みんなに珍しい薬草を探してもらって、それを採って加工すれば、少しはお金に……」
つまり、死者を弔うため、まず小遣い稼ぎから始めようとしている、目の前の死霊の王は、もはや珍獣と大差ない。
帝国に恨みを持つ同朋達が、ツンデレ扱いで領民たちにほのぼのと受け入れられたのは、姫君の可愛さ(領主他談)だけでなく、この少年の気質も原因だ。
――気立ての良い少年の眼差しが、常に生温いものであったなら、そりゃあ領民たちも、薄気味悪い亡霊たちをツンデレ小姑軍団と誤認しよう。
困った弟分を見守る気分で、ディーノは煙管から煙を吸い込む。
「身の丈を考えましょうよ、若君」
「う」
紫煙と一緒に吐き出した、優しさからのディーノの進言に、幼い死霊の王はしゅんとなる。
ディーノの主君があんまりに落ち込むものだから、彼は慰めと労りを兼ね、白鼠色の髪をくしゃりとかき回した。
大体、道具の材料を揃えたところで、問題は解決しない。
思い至らない少年の無知に、ディーノは思わず苦笑いした。
「若君、しょうがないんですよ。
そもそも金があったって、職人の技術は、言葉だけで覚えるもんじゃぁ、ありませんから」
ディーノの台詞に、紫黒の瞳がぱちくりと瞬く。
職人の技は目で盗むと言うが、見本もなく、ろくな指導も望めないのに、職人だけが識別できる微細な感覚まで体得するなど、土台無理な話だ。
口先だけで職人が育成できるなら、辺境は人材不足に悩まされるものか。
「俺と同じならともかく、なにも持てない亡霊から教わるのは、厳しいでしょう」
『同じになればいいだろうが』
突然、主君との会話に割り込んできた声に、ディーノはぎょっとする。
信じられない気持ちで、ディーノが死せる王を見やれば、おぼろな姿の偉丈夫は、奇妙に凪いだ空気を纏っていた。
『儂の墓標を、道具もまともに作れん半端者なぞに、手入れさせるのは業腹だ。
――半端者しかいないなら、鍛えるしかなかろうよ』
「……よろしいの、ですか?」
淡々と告げる偉丈夫を、呆気にとられた主君が見上げる。
ディーノは、斧槍に縛られた亡者の、言葉の意味が分からない。
『儂を弔う気がないのか?』
「ありますっ!!」
低く重い問いに、応えた声は高く、よく通った。
条件反射的に偉丈夫へ返答した主君は、おずおずと続ける。
「――少し、お時間を頂けませんか?
その、準備が必要なので」
『だろうな』
自身を窺う幼い死霊の王に、亡き王は素っ気なく鼻を鳴らした。
そして、亡国の姫君の密偵は、かつての南国の長に、鋭さを秘めた目を向けたのだ。
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