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第八十六話 仲間たち

 ルナと一頻り再会を喜び合った後、俺は三つの領地の境目となる見晴らしの丘へと足を運んでいた。

 そう、昔いつもストロベリー姉さんに稽古を付けてもらっていたあの場所だ。


「……ここも変わらないな」


 視界いっぱいに広がる緑が風にそよいでいる。

 木も草も花も、何もかもがあの頃のまま。

 別に何か約束があったわけではない。何となくここに来てしまった。

 歩を進め、姉さんがお気に入りだった場所へと向かって行く。

 やがて頂上付近に出た時、そこには先客がいた。


 ――桃色の髪の、小柄な女性。


 彼女は真紅の鎧に身を包み、自分の背丈の倍はある戟を一心不乱に振っている。

 その姿を見て、俺はつい、「ああ……」と漏らしていた。

 以前と寸分変わらぬ、見事な戟捌き。

 いや、以前よりもさらに鋭さが増している。

 だが、背丈だけは全く変わっていない。相変わらず十二歳くらいにしか見えない、そのちんちくりんな容姿に、つい頬が緩んでしまう。


「姉さん……」


 その呟きが聞こえたのか知らないが、ふと、彼女の動きがぴたりと止まる。

 そして、ゆっくりと……そう、ゆっくりとこちらへと振り向いた。

 つぶらな瞳が俺を捉える。

 その瞳が見開かれていく。

 彼女の唇は、このように紡いでいた。


「エイビー……か?」


 俺は一歩前に踏み出す。


「姉さん……」


 やがて、どちらともなく駆け寄っていた。


「エイビー!」

「姉さん!」


 まるで互いを求めるようにして、どんどん近付いていく。


「エイビー!」

「姉さん!」

「エイビー! こんっの、バカタレがぁっ!!」

「ごっはぁっ!?」


 抱き合おうと思った瞬間、思いっきり腹を殴られた。

 勢いよく吹っ飛び、ズシャーッ、と、盛大に地面を滑って行く。

 ようやく止まった時、俺はあまりの痛みに起き上がることが出来なかった。

 それどころか、びくん、びくん、と大きく体が痙攣している。……ヤバくない、これ?

 そんな俺に対し、姉さんは容赦なく叫んでくる。


「今頃になってのこのこ帰ってきおって! このわしがどれだけ心配したと思っておる!?」


 いや、あの……出来れば今の俺を心配して欲しいんだけど? あまりの痛みに目の前が真っ白だよ……。クロと戦った時でもここまでのダメージは負わなかったと思う。


「このわしが、どれだけ……!」


 姉さんの声が震えている。

 それだけで彼女がどれだけ俺のことを心配してくれていたのかよく分かった。

 でもね、姉さん。俺の方は声が震えるどころか声を出すことすら出来ないんだ。主にあなたの一撃のせいで。

 頑張って顔を上げると、姉さんはこちらから背を向けていた。


 ――だが、その背中は小刻みに揺れている。


 姉さん……。

 ルナの時と同じように、心の中に罪悪感が溢れてくる。

 俺はかつて、彼女のためと思って家を出た。

 だが、今の姉さんを見ていると、それが正しかったのかどうか分からなくなってくる。

 姉さんの背中からは、この三年、どれだけの想いを抱え続けていたのか測りかねるほど、ずっと震えていた。

 俺は謝りたかった。俺の勝手で苦しませてごめん、と。

 しかし、そんなことを言ったらきっともっと怒られるのではないかと思う。姉さんはそういう人だから……。

 それに、どの道、謝ることは出来なさそうだった。思いのほか姉さんの一撃が重すぎて、意識を保てそうにないんですが……。

 姉さん……頼むからもう少し手加減や自重というものを覚えよう?

 三年越しに俺はそのことをつくづく痛感し、意識を手離した。



 ***************************************



 目を開けると、空の青色が目に飛び込んでくる。

 一体どれくらいの時間、気絶していたのだろうか?

 そんなことをぼうっとした頭で考えながら身を起こそうとするが、


「う……」


 腹の激痛が響いてそのまま再び地面に頭を下ろしてしまう。

 しかし、その地面が異常に柔らかく感じた。

 何だろうと思っていると、頭上からひょこっと姉さんの顔が現れる。


「もう少しそのままでおれ」


 そこでようやく俺はどういう状況にいるのか気付く。

 どうやら俺は姉さんに膝枕されているらしい。

 頭の裏に感じる柔らかさと温かさに、ほっと胸が安らぐのを感じる。

 同時に俺は懐かしく思っていた。

 膝枕されるのは、あの時以来だったからだ。


 ――そう、初めて姉さんと出会った時だ。


 あの時は姉さんのテストに合格する為に、無茶して意識を手離したんだっけ?

 そんなことを考えつつも、俺は口を開く。


「姉さん……あのさ、」

「何も言わんでいい」

「え?」

「何も言わんでいい。言わんでいいのじゃ」


 姉さんがそっと俺の髪を撫でてくる。

 その柔らかな手つきに、あまりの心地良さに、胸の内からすぅっと胸のつかえが取れていくのを感じる。


「そっか……」

「そうじゃ。お主は黙って姉に甘えておればよい」

「じゃあ、そうする」

「ああ。じゃが、こんなに甘やかすのは、今日だけじゃからな」


 姉さんは照れくさそうにぷいっと顔を背けてしまう。素直でないのも相変わらずか。

 それからはしばらく、黙って姉さんのなすがままになっていた。

 あまりの心地良さに、今度は別の意味で意識を手離しそうになる。

 それは三年経っても、信頼があることの証だった。

 何も言わなくても、あの頃の……いや、気のせいでなければ、あの頃以上の深い信頼と愛情を感じる。

 三年ぶりの沈黙がこんなに心地良いものだと初めて知った。

 ややあって、姉さんがぼそりと言った言葉に、俺は目を覚ます。


「わしはな、エイビー……決めたのじゃ。わしは、お主に……」

「え?」


 よく聞き取れなかったので聞き返すと、目が合った瞬間、姉さんは目を逸らしてしまう。


「……いや、何でもない」

「そう?」


 何を伝えたかったのだろうか、ねえさんは。

 ただ、続けてこんなことを言ってくる。


「じゃが、次どこかへ行く時は、必ずわしに一声かけよ。分かったな?」


 それに対し、どのように答えたものか迷っていると、姉さんの目が吊り上る。


「わ・か・っ・た・な!?」

「……わ、分かりました」

「ふんっ! それでよい」


 また、ぷいっと顔を逸らされてしまう。

 だが、姉さんから伝わってくるのは慈愛の念だ。

 三年前までずっと一緒にいたからこそ分かる、姉と慕う女性の感情だった。

 結局、そのまままた無言の時が訪れる。

 もちろん、気まずさなどまるでなく、それもまた心地良いものだった。

 しばし、優しい静寂が辺りを包んでいた。


 ――しかしややあって、足音共に懐かしい声が二つ聞こえてくる。


「よお、わりい、わりい。遅れちまって」

「ひ、酷いよ姉さん。僕を置いていくなんて……」


 顔をそちらに向けると、一人の少年と一人の少女が近付いてくる。

 少年の方は赤髪に精悍な顔立ちをしたイケメン。背が高く、体付きもがっちりしていて、背中には死神も恐れて逃げて行きそうなほどの巨大な鎌を担いでいた。

 少女の方はルナに負けないくらいの美貌を兼ね備えた、金髪の美少……年。ツインテールのルナとは違い、髪を背中に下ろしており、前髪は長く、おどおどした感じを受ける。

 ――見間違えるはずもない。二人とも成長しているが、ショットとチェリーの二人だ。

 二人も姉さんの膝に頭を乗せているのが俺だと分かったようで、


「「エイビー!!」」


 二人の声がハモった。

 最初、二人は顔に喜びを浮かべて近寄って来るが、しかし、俺が置かれている状況を見てぴたりと止まる。

 ショットの顔が意地悪そうにニヤリと笑い、チェリーの方は気まずそうに視線を彷徨い始めた。

 そして、ショットが言ってくる。


「ほおお? どうやらお邪魔だったみたいだなぁ」


 その言葉に姉さんの顔がハッとする。


「こ、これはな、違うのじゃ!」

「どこが違うって言うんだよ? 随分と仲がよろしいこって」

「だ、だから違うのじゃ! さっきわしがエイビーの腹に一撃入れてしもうたから、お詫びとしてやっているだけで!」


 姉さんはしどろもどろで説明しようとしているが、俺はそれどころではなかった。


「ね、姉さん……照れ隠しに首を絞めるのやめで……!」


 恐らく無意識なのだろうが、姉さんは俺の首を絞めている。完全に決まっている。


「お、おい、アネキ! せっかく再会できたのに、それじゃすぐにまたエイビーが遠くに旅立っちまうだろうが!?」

「ち、違うのじゃ! 違うのじゃ!」

「ね、姉さん……し、死ぬ……」

「エイビーの顔が真っ青になってるよ!? ね、姉さん、手を放して!? ほ、本当にエイビーが死んじゃうよ!」


 あ、これマジでヤバい。意識が遠のき過ぎて、懐かしいという感覚も、危機感も、どちらもうっすらとしか感じない。それほどに感覚器官が低迷していた。

 ……あの、クロとの戦いよりもよっぽど致命傷なんだけど……。

 そんなことを考えながら、俺は再び意識を手離していた。





ブックマークしていただきありがとうございます。


次は明後日の21時半ころ投稿予定です。


よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言]  モテ男エイビー君はこれくらいの目に遭ってもいいでしょう。  何事もバランスが大事。(?)
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