第六十一話 第三王女、項花娘
場所を移し、先生の家の地下キッチンで爺さんの話を聞くことになった。
ちなみに爺さんの名前は魯瑾というらしい。三国志の呉の魯粛と諸葛瑾の魯と瑾を合わせた字だ。日本読みすると『ろきん』である。まあ、面倒くさいから爺さんと呼ぶけれど。
先生が煙草に火を付けながら話を促す。
「それで爺さん。こんな辺境の土地まで来たってことは、それなりの用事があって来たんだろう?」
爺さんは頷いた。
「うむ、その通りじゃ。姫、どうか大都にお戻りくだされ」
……またいきなりだな。
いや、ある意味では予想通りでもある。
しかしファラウェイはというと、
「いやネ」
「そんな、姫!?」
ぷいっと顔を背けるファラウェイに、縋るように泣きつく爺さん。
身内の前だとファラウェイはあんな子供っぽい仕草を見せるんだな。ちょっと新鮮だ。
「おい、ニャンニャン。話くらい聞いてやったらどうだ? この爺さんが自らこんなところまで来るってことは、それなりに大変な事態ってことだろう?」
「おお、さすがアル殿! その通り、話を聞いてくだされ、姫!」
先生が介入したことで、ようやくファラウェイは顔を頷かせた。どうやらファラウェイも身内には素直になりにくいようだ。
「実は今、大都では大変なことが起きているのです」
爺さんは語り出した。
その話の内容は俺が以前、オキクから聞いたものと同じような内容だった。いや、より具体的な続きと言うべきか。
曰く、第一王子の意思にそぐわない者が次々と粛清されているらしい。
ファラウェイが出奔したことで一時期は収まっていたようだが、ここにきて粛清が再開されたようだ。
しかも表立っては批判されるので、裏で粛々と行われているとか。
その様子を聞いてファラウェイは顔を顰めていた。自分の予想が甘かったと悔いているのかもしれない。
「話はこれで終わりではござらん。第一王子の項譚幽様は税率を大幅に上げ、軍備を拡張し始めております。帝国に戦争を仕掛けるつもりなのではないかともっぱらの噂です」
……なんだって?
帝国といったら俺のいた国だ。あそこには俺の妹や友人がいる。
ファラウェイの国と俺のいた国が戦争をする? そんなバカな……!
しかし、帝国と中華大国は別に同盟を結んでいるわけではない。人間同士で争うより、魔族や亜人族に対抗すべきだろうという暗黙の了解があるだけだ。また、その暗黙の了解は過去の歴史で幾度も破られている。
「第一王女のリン様は、第一王子タンヨウ様の愚挙を食い止めようと精一杯立ち回っておられますが、何せ王位継承権を自ら手離した御身……現在の第一王子の勢力を食い止めるには力及ばず……」
「父上は? 父上はどうしているネ? あの人ならば……」
「姫様の御父上君……項大然様は元々帝国への侵攻の野心があったお方。税率を大幅に上げたりする性急なタンヨウ様に眉を顰めてはいるものの、基本的には好きにやらせるおつもりのようです」
「………」
「大然様がそのようなお方であることは姫もご存知のはず。あの方は王位継承権争いを推奨しておられるのです。最も優秀な子に王位を譲りたいというご意志に沿って動いておられます。ですので、帝国侵攻に一定の成果を期待できることを示せば、第一王子タンヨウ様を止めることはしないでしょう」
そこで一旦言葉を切ると、息を吸って再び爺さんは喋り出す。
「民は大きな増税に苦しみ、第一王子タンヨウ様の圧政に怯える者は多くおります。姫様、この暴挙を止められるのは、もはやあなた様しかおらぬのです」
爺さんはファラウェイを真っ直ぐと見つめ、
「それに……やはりわしがここに来たのは間違いではなかった。姫様、第一王子が実権を握る限り、あなた様の命は常に脅かされ続けます。わしには何より、それが耐えられぬのです!」
……なるほど。つまり先程までのはファラウェイを説得するための建前であり、本音はファラウェイを守るには第一王子に対抗するしかないと考えているわけか。
「しかし……」
それでもファラウェイは悩んでいた。
「何を悩むことがあります!? 皆、姫様のお帰りを待ちわびております! 皆、姫様が心配なのです!」
「それは、分かてるネ。それは、嬉しいヨ? でも……」
ファラウェイは沈んだ顔を見せていた。
……そうか。俺には彼女の考えが分かった。
俺は先生の方を向くと、
「先生、俺は……」
「ああ、分かってる。彼女の力になってやれ」
……この人は。本当にカッコいい。
俺は先生に礼をしてからファラウェイに向き直る。
「ファラウェイ、君は大都に戻るべきだ」
「え?」
「君はこう考えているのだろう? 一度兄から王位継承権を奪った自分が、もう一度兄から王位継承権を奪うことは本当に正しい事なのだろうか、と」
「……エ、エイビー……」
図星か。まあ、優しい彼女らしい考えだ。しかし、
「はっきり言おう。王位継承権争いに正しいも正しくないもない。何故なら王位継承権争いは最も王に相応しい人物を決める儀式だから。それを身内への甘さだけで躊躇うなど愚の骨頂。要は誰が最も国のためになる王になれるか、誰が最も民に愛される王になれるか、だ」
「エ、エイビー……?」
俺は恐らく初めて彼女に対して厳しい側面を見せた。だからファラウェイは狼狽えた表情を見せる。
……仕方ないな。俺は敢えて笑いかけると、
「ファラウェイ。俺も本音を言おう。俺は君がこれ以上危険な目に遭うのが嫌だ。それに君の国と俺のいた国が争うのも耐えられない。ファラウェイ、俺を助けてくれ。俺も一緒に戦うよ。だから……」
俺は精一杯自分の想いを伝えた。
それでもしばらくファラウェイの瞳は揺れていた。
だが、徐々に俺を見るその瞳の揺れが落ち着いていく。
やがて彼女の気持ちが定まった顔――それはいつものファラウェイの顔とは違った。
恐らくそれこそが、中華大国第三王女、項花娘としての顔なのだろう。
「……分かたネ。ワタシ、大都に戻るヨ」
「ああ、ありがとう」
俺とファラウェイは笑い合う。それは互いに今までで一番信頼の籠った笑みだった。
「な、なんと……あの頑なな姫をこうも深く動かすとは……! この小僧は一体……?」
爺さんが驚いた表情をしている。
が、それ以上に俺は先生に申し訳がなかった。
「……先生、すいません」
「へっ、いいんだよ、それで。もしニャンニャンよりも俺の研究を取ってたら、お前をぶっ飛ばしていたところだぜ」
姉さんといい、この人といい、俺はつくづくいい師匠を持ったものだ。
ただ、先生とこのままお別れというのも惜しい。
しかし、その寂寥を吹き飛ばすようにしてファラウェイが口を開く。
「いや、アルも一緒に大都に戻て欲しいネ」
そのセリフに先生の眉が動く。
「……そんなことをしたら、お前……」
「これからタンヨウ兄様と争うのに、兄様の意思に背くもなにもないヨ? それにあの時はワタシに覚悟が足りなくてアルたちを守れなかたが、今度は違うネ。ワタシが皆を守る」
……これが中華大国に二つの秘宝ありと言わしめる第三王女、項花娘の姿か。先程までの迷いが嘘のように、彼女の発言は威厳に満ちている。
……なるほど。彼女を若くして第一王位継承権に推した者たちの気持ちが分かった。彼女はまさしく王の器だ。
とにもかくにも、これで中華大国は大きく動く。俺はそれを間近で見ることになるに違いない。
――何があっても俺はファラウェイを守る。それは同時に彼女を守るためなら手段は択ばないということの裏返しでもある。
それは彼女の身だけではない。彼女の心も守らなければ意味が無い。
――差し当たっては、第一王子をどうするか、だ。
ファラウェイにあんな悲しそうな顔をさせる兄……俺としては許し難いが、だからと言って彼女をこれ以上悲しませるわけにもいかない。
さて……早速策を練り始めるとするか。
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