第五十六話 花(ファ)姉妹
先生の元で世話になり始めてから、早一ヶ月が経とうとしていた。
この一ヶ月、早朝にファラウェイに拳法を学び、それ以外はほぼ書庫に籠って錬金術のなんたるかを独学で学んでいる。
しかしさすが先生だ。書庫においてある本は無駄なものが一切なく、疑問に思ったことはいずれかの本を読めばすぐに解決できるようになっていた。
きっとそれこそが先生が錬金術を学んだ軌跡なのだろうと思う。俺はそれを辿らせてもらっているだけに過ぎない。
おかげで知識だけはかなり充実してきている。もうすぐ先生の出した期日。もう少しだけ頑張ろう。
そして――
拳法の方も短い時間だが、ファラウェイに学ぶことでコツを掴めてきている。
こちらもさすがファラウェイとしか言いようがない。
ファラウェイはどちらかと言えば天才タイプだ。感覚で物事をこなすタイプであり、あまり口で教えようとはせず、見て、やらせて学ばせようとしていた。
――だからこそ俺と相性が良かった。
何故なら俺の【流体魔道】は見て覚えることに特化しているから。
特にファラウェイの【八卦掌】は体内に魔力を巡らせ、それを扱うことに重点を置いており、その点でも【流体魔道】と相性が抜群である。
しかも、それをファラウェイは感覚で何となく理解しているのだろう、積極的に視やすくしてくれる。
だから『さすがファラウェイ』なのである。
おかげで短い時間とはいえ、八卦掌の何たるかが分かってきた。
今も彼女と、『拳法だけを使った模擬戦』をしているところなのだが、最初の頃はすぐに倒されていたにも関わらず、ある程度の時間は打ち合えるようになってきている。
とは言い条、まだ拳法だけでは彼女に一発も当てたことはないのだが……。
「ヤッ!」
「うわっ!」
ファラウェイの掌から出された魔力の発勁によって、俺は吹き飛ばされ、大河の側にある広い土手で盛大に転がった。
もちろん手加減してくれているので、体へのダメージはそこまでない。
俺はすぐに立ち上がると、
「く……やっぱりまだまだ勝てる気はしないな」
ファラウェイは歩いて近付いてきて、タオルを渡してくれる。
「焦る必要はないヨ。エイビーは驚くべき速度で八卦掌をものにしていているネ」
俺は礼を言いながらタオルを受け取ると、上着を脱いで上半身裸になり、汗を拭いた。
その様子を見てファラウェイが顔を赤らめる。
「? どうした、ファラウェイ?」
「い、いや、なんでもないネ」
? 俺の裸なんて風呂の時に見慣れているだろうに、変な子だな。
俺たちは揃って木陰に入り、一時の涼を得る。
大河に流れる川のうねりが、柔らかな風を運んでくれていた。
小鳥たちが木の枝で歌を囀るようにして鳴いている。
今はこんな時間も愛おしい。
朝日も大分上がってきた。やがてすぐに俺はまた書庫に籠ることになる。
それが分かっているのだろう、ファラウェイが名残惜しそうな感じで言ってくる。
「早朝に拳法、それから夜までずっと書庫に籠り、夜中は魔術の勉強……エイビーは頑張り過ぎアル」
……夜中にこっそり魔術の勉強をしていること、バレていたのか……。
基本は瞑想して魔力を練っているだけだが、やはりずっと習慣としてやって来たことだけに、それをやめることに抵抗があった。
まあ、一種の癖のようなものだ。
つまり今の俺はほとんど寝ていない。
咎めるわけでもなく、止めるわけでもなく、ファラウェイは聞いてくる。
「……きつくないアルか?」
その顔はとても心配そう。
――それでも俺が頑張っているのを知っているから、努力の邪魔をしたくないから、これ以上のことは言えない――その気持ちがありありと伝わってくる。
俺はその気持ちを嬉しく思いながらも、堂々と胸を張ってこのように答えた。
「全然きつくなんてないよ。むしろ俺は今、楽しくて仕方がないんだ」
「た、楽しい、アルか?」
俺の答えが予想外だったのか、ファラウェイが驚いたような表情をしていた。
――前世の俺は何の努力をすることもなく、何を得ることもなく死んだ。
そんな俺が今、色々と学んで、様々なことを得ていっている。それが楽しくて仕方がない。
朝日がこんなにも綺麗だなんてことすら初めて知った。
俺は二度目の生を経て、初めて「生きている」のだ。
ふと、視線を戻すと、ファラウェイがじっと俺の顔を見つめていた。
その顔は、その目は、何やら熱を帯びているように見える。
俺が見つめ返していることに気付いているのか怪しいほどに、ぼうっとしていた。
俺は心配になって声を掛ける。
「? ファラウェイ? どうかした?」
呼びかけると、彼女はハッとしたように我に返る。
「な、なんでもないネ」
「でも、顔が赤いよ? 様子も変だし」
「ほ、ホントになんでもないヨ? ただ、あらためて良さが分かただけというか……アル……」
どういうことだ?
俺が首を捻っていると、ファラウェイは慌てた感じで話題を変えてくる。
「や、やや、それにしても、エイビーの強さの秘密が分かてきたネ」
その様子があからさま過ぎて思わず笑いそうになったが、俺は敢えてそれに乗ってやる。
「俺の強さの秘密?」
というか、俺はまだまだなのだが……。
しかし、ファラウェイは言ってくる。
「今、エイビーが目の前でやていることよ」
「え?」
「才能に胡坐をかくわけでもなく、ただ、ひたむきに、ひたむきに……」
ファラウェイは、じっくり言葉を噛みしめるようにして言った。
俺は頬をぽりぽり掻くしかない。
ファラウェイは話はお終いと言わんばかりに、木の下でごろりと横になった。
何やら自分一人、満足げな顔をしている。
取りあえず、俺も彼女の隣で横になった。
その瞬間、ふと、ファラウェイの甘いレモンのような香りが漂ってくる。
もしかしたら、彼女の方も俺の匂いを感じ取っているのかも知れない。
……汗臭くなかったらいいな……。そんなことを思いながら、俺はしばらくそうして横になっていた。
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引き続き修行をやるというファラウェイを置いて、俺は研究所の方へと足を向ける。
町に入り、裏通りを進んだところで後ろに気配を感じた。
「オキクか」
「はっ」
その気配を感じたのは三日ぶりだ。
実は彼女にはある調査を頼んであり、情報を集めさせるため、他の町に行ってもらっていたのである。
「それでオキク。何か分かったかい?」
「今のところ、確定的なことは何も……」
「そうか」
「しかし、面白い情報を得ました」
「……なに?」
面白い情報 オキクがそんな風に言うことに、とても興味が注がれる。
「その面白い情報とは?」
そう訊くと、彼女はまるで詠うようにして言った。
「『中華大国に二つの秘宝あり。一つは玉璽。もう一つは花姉妹』」
「……なんだい、それ?」
「現在、この国で流行っている詩です」
「その詩がどうかしたのか?」
「玉璽のことは当然ご存知だと思いますが、もう一つの花姉妹のことはご存知ですか?」
「……いや、初耳だけど……」
「ここで言う花姉妹とは、現在の中華大国王家の第一王女、項花玲と、第三王女の項花娘の姉妹のことになります。このお二人の才気を讃えて、先程のような詩が流行っているのです」
「それで?」
「中華大国王室は隠しているようですが、その妹君の方……項花娘が行方不明になっているという噂があります」
「……なに?」
「さらにはその妹君は、今年で御年十二になられる女子とのこと」
今年で十二歳の女子……?
そこで俺はピンとくる。
「ま、まさか……」
「先程も申しました通り、確証は何もありません。しかし、あの若さであの才気……ご推測の可能性は高いかと」
実は俺は、オキクにファラウェイの素性を探らせていた。
何故ならあの時……暗殺者に襲われた時、彼女はあの暗殺者たちは自分のことを狙ってきた可能性があると述べた。
だとしたら、俺は彼女を守りたかった。
――だが、どうして狙われているのか? その動機とは?
それが分からなければ話にならない。
だからオキクに調べさせていた。
ファラウェイは多分、名前を偽っている。というかほぼそれは間違いない。
加えてその出自も明らかではない。
そして今の情報――
だが、その推測が当たっていたとしたら、あの暗殺者たちは……。
………。
「オキク。引き続き調べを進めてくれるか? 今度は中華大国王室の内部について、もっと詳しく」
「はっ」
オキクの気配が再び消える。
どうやら今の話、思った以上に根が深そうだ……。
俺は今しがた来た道を振り返る。あの土手ではファラウェイがまだ拳法の修練をしているのだろう。
………。
確かに、今の俺は錬金術を学ばねばならない。
だが――彼女のことも守ってみせる。
そうだ、あんないい子を死なせてたまるか。
今のように近くにいる時は俺が守る。必ず、守る。
……しかし、近くにいられない時は? 俺がスカイフィールドに戻った後は……?
………。
――錬金術だ。
彼女を常時守れるような、そんなアイテムを作ろう。
そう決心し、俺は再び研究所の方へと足を向けた。
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