第三十六話 最後の日
あの後、俺はスカイフィールドの馬車に姉さんを収容し、馬車をパトリオト領へと走らせながら馬車の中で姉さんを治療した。
俺は回復の魔術も使えるので、他の誰かに任せるより俺自身が治療した方が確実だと思ったのだ。
この世界は魔術が大きく発展してはいるが、回復の魔術はあまり性能が良くない。それは回復の魔術だけが発展していないというわけではなく、あくまでこの世界における魔術の構造において、魔術で人体を回復させるには限界があるというだけ。
だから前世のテレビゲームのように、回復魔法一つ唱えれば瀕死の人を一瞬で回復というわけにはいかない。あくまで世界の理の中での回復ということになる。
ちなみに他の魔術と原理は同じで、回復の魔術も人体の構造や回復の原理を知っていなければならない。
だから前世の知識がある俺は恐らくこの世界にいる一般の者たちに比べたら、体内の構造についても多少の知識はある方だと思う。ただ、それはあくまで多少であり、専門的な医学の知識があるわけではない。
だから俺の回復魔法の精度はこの世界において、本格的に人体の構造について勉強している者よりも落ちる。
それでも、姉さんの全身の火傷を治すくらいの力はあった。
まずはオキクに魔力を借りてある程度の火傷を治し、その後は【流体魔道】でゆっくりと姉さんの体を癒していっている。【流体魔道】では魔力の枯渇こそ心配ないものの、やはり精度は劣るから先にオキクの魔力を借りたわけだ。
今は外傷はほぼ消えたので、後は【流体魔道】による回復の魔術でゆっくりと姉さんの体調を整えていっているところ。
熱も引いたし、もう心配はいらない。俺は回復の魔術を使い続けながらもホッと息を吐いた。
その後、パトリオトの屋敷に着くまで姉さんが目を覚ますことはなかった。
だから俺は出迎えてくれたパトリオトの領主である姉さんの父親――現パトリオト伯爵にメラン公爵家での出来事を話したのだが、彼は顔を青ざめさせて俺に非難の目を向けてきた。
姉さんが肝の小さい男と評していただけあって、パトリオト伯爵は自分の家の取り潰しをやたら心配していたようだが、俺が叔父のクウラに掛け合って絶対にパトリオト家には迷惑がかからないようにすると約束したら、ようやく落ち着いてくれた。
途中、チェリーが出て来てくれたことでようやく俺は姉さんを預けることが出来て、さらにはパトリオト伯爵を宥めに入ってくれたので、俺は安心してスカイフィールドへと戻ることが叶った。後はチェリーに任せておけば大丈夫だろう。あいつはいざとなったら頼りになる奴だから。
ただ、これからが大変である。
馬車を精一杯飛ばし、メラン公爵邸からパトリオト領を経由して、二日後の夜中にようやくスカイフィールド領に戻った俺だったが、叔父のクウラへ事のあらましを説明しなければならないことを考えると今から胃が痛い。
数日前から所用で屋敷を出ていた叔父のクウラだが、どうやら既に屋敷に帰っているようだ。
……いいのか悪いのか分からないが、どうやら早急に説明は出来そうである。
ただ、現在の時刻は夜中なので明日にするべきかどうするか悩んでいると、玄関で待っていたメイド長にこう言われた。
「ご主人様がお待ちです。今すぐ執務室へいらしてください」
……どうやら既に耳に入っているらしい。どんな地獄耳だよ、あの叔父……。
俺は重い足を執務室へと向けるしかなかった。
いざ執務室の前に辿り着くと、大きく深呼吸をしてからドアをノックする。
「エイビーです。叔父上、入ってよろしいですか?」
「さっさと入れ」
その声は心なしかいつもに輪をかけて冷たく感じた。
「失礼します」
一声かけて部屋の中に入ると、叔父は机の上で手を組んでこちらをじっと見つめている。皮肉なことに、それは初めて叔父が俺の顔をまともに見た瞬間だった。
「私はあの時、何と言ったか覚えているか?」
「え?」
「『このまま何事も面倒を起こさなければ成人するまでは面倒を見てやる』。私はそう言ったはずだ。そうだな?」
「……言いました」
「覚えていてくれて幸いだ。それだけが私にとって何よりの僥倖。さっそくだが明日の早朝、この屋敷を出て行け。そして二度とスカイフィールドの性を名乗るな。いいな?」
「……はい。分かりました」
俺はため息を吐くしかなかった。こうなる可能性もあるだろうと覚悟はしていたが、いざ面と向かって宣告されると中々に辛い。
ただ、叔父の言うことも分からないではない。今回の件だが、誰かが罰を受けないとメラン公爵の面目が保たれない。もし俺が何も責任を取らなかったら、恐らくストロベリー姉さんの立場が悪くなってしまう。
少なくても、彼女の父親であるパトリオト伯爵は何かしら彼女にとってよくないアクションをしかねない。
だったら俺が追放されることで丸く収まるなら、それに越したことはない。ただ単に追放されるのが数年早まっただけと思えばよいのだから。
しかし、そうなったからには言っておかねばならないことがいくつかある。
「叔父上。パトリオト家のことですが、今回のことは俺の独断であり――」
「分かっている。後は私が全て上手くやる」
……こういう時だけは本当に頼りになる。俺は全身の力が抜けたように笑うしかなかった。
『もう何も言うな』――叔父の目がそう語っていた。もはやお前の言葉など聞く価値さえもない――その想いがひしひしと伝わってくる。
……だったら、何も言わなくていいか。悔しいがそういうところだけは信頼出来てしまうから。
自分を家から追い出す憎い相手には違いないが、彼のことを凄い人だと認めてしまっているのだ。
――ならば、後のことはいずれここに戻って来てから言えばいい。
俺はそう決めると背中を向けた。
「これまでお世話になりました」
「………」
叔父は何も言わなかった。
俺は一抹の寂しさを感じながら執務室を出た。
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執務室を出て自分の部屋へと戻ると、そこではオキクが珍しく心配そうな顔で待っていた。
「何か言われましたか?」
さすがオキク。どうにも隠すことは出来そうにない。
「……明日の早朝、この屋敷を出ていくことになった。今後、二度と俺はスカイフィールドの名を名乗ることは出来ない」
「!! そ、そんな……!!」
初めて、そう、生まれてから初めてオキクが愕然とした表情をしたところを見た。
「しかし、坊ちゃまはご立派でした! 坊ちゃまは何も悪くありません!」
「オキク、いいんだ」
「でも……でも!」
「いいんだ」
先程も言ったが、誰かが罰を受けないとメラン公爵の面目が保たれない。
あれだけ脅したので、もうあのロリコン公爵の目が姉さんに向くことはないとは思うが、万が一ということもある。
それにメラン公爵が何もしなくても、公爵がないがしろにされたという事実が残るのは帝国にとってよろしくはない。そうした時どこに目が向けられるのか? それは我がスカイフィールド家と姉さんのパトリオト家だ。
そしてどちらの方が立場的に弱いかといったら、名高いクウラという男がいるスカイフィールド家よりも、姉さんのパトリオト家だろう。
どこかに責任を追及しようとなった場合、一番危ういのは姉さんのパトリオト家。
だから張本人の俺に目に見える程分かり易い罰が下されれば、この件はこれで終わる。
俺への罰は必要なものなのだ。
それを全て説明すると、オキクは背中を向けて震えていた。
「……なんで坊ちゃまが全部の責任を負わなければならないのですか……!」
これまで親代わりとなって俺のことを育ててくれたオキク――俺が唯一罪悪感があるとすれば、それは彼女に対してだ。信頼し、ここまで育ててくれたのに、それを裏切ってしまった。
「……ごめん、オキク」
「……坊ちゃまはご立派すぎます……。わたしの自慢の坊ちゃまです。ですが、こんなのはあんまりです……」
背中を向けられているので、その顔がどのような表情をしているのかは分からない。でも、多分……。
俺はオキクを安心させるように、優しく声を掛ける。
「大丈夫だよ、オキク。俺はどの道いずれこの家を出ようと思ってたんだ」
「え?」
「それに、俺はもう一度この家に戻ってくるつもりだ」
何かを拭き取る仕草を見せた後、ようやくオキクはこちらを向く。
「あの、坊ちゃま? それはどういう……」
「家を出るのは、世界を知るため……。そして家に戻って来るのは、ルナを叔父の手から守るためだ」
「!? 坊ちゃま、それは……!」
オキクは驚いた顔をしていた。何故なら『ルナが叔父の子を産むために連れてこられた』という話は、俺が赤ん坊の時にしかされていないことだから。
だからどうして俺がそのことを知っているのか不思議に思い驚いたのだろう。
でもまさか、一歳の時に実は既に言葉を理解していたなんて言えない……。
どうやって説明したものか迷っていると、ふとオキクの表情が緩んでこう言った。
「さすが坊ちゃまです」
その一言で片付くからオキクは便利だなと思う今日この頃。しかし、もしかしたら、オキクは俺が一歳の時に既に言葉を理解していたことに勘付いているかも知れないと思うとおっかなくもある。
……でも、これも今日で終わりかと思うと寂しさが胸の内から込み上げてきた。
「オキク、今日までありがとう」
俺はそれ以上何も言えなかった。もしこれ以上口を開いたら……。
そう思っていると、オキクは、
「何を勝手にお別れの挨拶などしているのですか?」
「え?」
オキクは跪いて、俺に向かって頭を垂れた。
「このオキク、坊ちゃまの行くところ、どこへでもお供いたします」
「え……!?」
その言葉に俺は心底衝撃を受けていた。
だってそうだろう? 俺はもうスカイフィールドの御曹司ではなくなるのだから。俺はもう坊ちゃまでも何でもないのだ。
「な、何言ってんだよオキク! 君まで巻き込まれることはない」
「巻き込まれるなどとんでもない。わたしは好きで付いていくのです」
「俺はもう君の坊ちゃまでもなんでもないんだぞ!?」
「坊ちゃまはずっとわたしの坊ちゃまです」
オキクは頑なだった。
「わたしは、自分の主人は自分で決めます」
「オ、オキク……」
俺は嬉しかった。だが、同時にこの上なく申し訳なく思ってしまう。
「……こんな俺で本当にいいの?」
「何度も言わせないで下さい。坊ちゃまはずっとわたしの坊ちゃまです。それに坊ちゃまは昔から何も変わっていないではありませんか」
「そ、それはひどいな……。まるで俺が成長していないみたいじゃないか?」
「いいえ、成長しております。でも、大人びている割に手のかかるところは昔から変わりません」
……はあ。本当に敵わないな、オキクには。
「本当の本当にいいの? 大体、さっき俺が主人だみたいな感じで言ってくれたけど、オキクは元々、あの叔父を殺すためにどこからか送られてきた暗殺者なんだろう? そっちの方の主人はいいのかよ?」
「はて? 何の事でしょう?」
こいつは……。ここに至って尚すっとぼけるのか。
まあ、最近は本気で叔父のことを狙っているのか怪しくはなっていたけど。
「何なら今からあの男を殺してきましょうか?」
「……勘弁して下さい」
今死なれてはさすがに困る。ルナが路頭に迷っちゃうから。
と、そこで思い出した。
そうだ、ルナに何て説明しよう……。
まさかこんな急に出て行くことが決まるとは思わなかったから、どのように説明したらいいか何も考えていない……。
「坊ちゃま、もしかしてルナ様にどうやって説明したらいいか悩んでおられますか?」
「……さすがオキク。その通りだよ」
「でしたら、手紙などいかがでしょう?」
「手紙? ……そうか。それがいいかもな」
もし直接説明したら、ルナがどのようなリアクションを起こすか分かりかねる。最悪、自分もついて行くと言いかねない。
俺としても連れていきたいのは山々だったが、しかしそれだけは絶対に出来ない。何故ならルナはこの屋敷の結界で守られている存在だから。
あの叔父があそこまで警戒する相手……。その正体が分からない以上、彼女をこの屋敷から出すわけにはいかない。
ただ、だからこそ俺は彼女のためにあるアイテムを求めていた。そしてそれを手に入れるにはどの道、この屋敷を出なければならない。
「よし。ルナには手紙で説明するとしよう」
「それがよろしいかと」
「他にも姉さんやチェリー、ショットにも手紙を出さないとな」
「はい。そうすべきです」
「みんな、どんな顔するかな……」
「率直に言って、悲しまれるかと」
「……そう思うか?」
「はい。間違いなく」
「そうか……。だったら、凄く申し訳ないな……」
「そうかもしれません。ですが、何度も言いますが坊ちゃまはご立派でした。何も間違ったことはしていません」
「……ありがとう、オキク」
彼女の言葉だけが今の俺にとって救いだった。
そして俺は、朝までかかって皆への手紙を書き続けた。
その手紙が書き終った時、ルナへの一通だけを残して、俺はオキクと共にスカイフィールドの屋敷を出たのだった。
だが――その後、俺が追放されたと聞いたルナが半狂乱に陥り、暴走してあの叔父に手傷を負わせた上、俺の手紙を見つけるまで十日も寝込んだことを知る由もなかった。
評価していただきありがとうございます!!
明日は19時半ころに投稿予定です。
よろしくお願いいたします。




