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永遠に葬れ  作者: 灰神楽
9/15

ACT.07 まどろむ夜空たち


「……何やってんだ、お前」



「ん? クロスワード。暇潰しに」



『ローズロイヤル』事務室では珍しく“指導者(リーダー)”である青年がペンを片手にソファへ座っていた。



「…暇なら少しは手伝え」


「それはオレの仕事じゃない」



にこりと微笑み即答する青年に、零はため息をつく。



―――こいつには何を言っても無駄なのだ。何処までも我が道を行く指導者なのだから。

それで納得出来る自分に腹が立つが。



不意に、ペンの落ちる音。

反射的に零が音のした方を見やると、祈響が銀糸から覗く赤の眼を押さえ僅か顔をしかめていた。



「……どうした」


「…いや、何でもない。少し寝不足なもんでな」


ここ数日ろくに寝てないんだ、と笑う祈響は床からペンを拾い上げるとソファから立ち上がる。


「シャワー浴びてくる」



それだけを副長に告げると銀糸を揺らし、祈響は扉を閉めた。


その音を背後に、ペンを走らせたまま零が呟く。


「…………馬鹿が」





規則正しくノックされる音に、零は書類にペンを走らせたまま短く応じる。



扉が開き、相手の姿を確認すると、一旦手を止めた。


「…由良か」



〔書類、持ってきたんだけど。入って大丈夫?〕



「あぁ」



少女の華奢な腕に抱えられていた書類を受け取り、零はペンを置く。



「…何か飲むか? 由良」


由良は僅か頷いた。



〔ホットミルクがいいな〕


「分かった」



零が応じると同時に事務室の扉が再び開かれ、その奥から銀色がふわりと揺れた。



「……あぁ、来てたのか。由良」



銀糸を無造作にかきあげ、赤の眼に薄く笑みを浮かべると、青年は愛用のソファに座る。

彼を仰ぎ、由良が不安げに紙面に言葉を紡いだ。



〔祈響。顔色、悪い〕



「それは元からだろ?」



死体から“生まれた”屍なんだから、と笑う青年に、そうじゃない、と由良は首を振った。

俯く少女を見やると、祈響はその髪を優しく撫で、



「…大丈夫だ。何も、心配することはない」



大丈夫だから、と笑んで、青年は傍らの副長に同じく笑んだ。



「零、オレにもコーヒー」


程無くして、湯気を伴う飲み物が三つ、机上に置かれた。

コーヒーを口に運んだ祈響がふと思い出したように零を仰ぐ。


「…腹が減ったな。コーヒーついでに何か食いたい。パスタ的な」



「……オレに作れと」



「なんだ、分かってるじゃないか。そうだな、和風が良い」



頼んだ、とそう言うや否や、“来客”を告げる鐘が響く。



「……どうやら、昼食はお預けのようだ」



やれやれ、と祈響は肩をすくめ、ソファから立ち上がる。



「政府といい客人といい…最近の奴等はせっかちだな。少しは気楽に構えれば良いものを」



青年は踵を返すと、零を背後に応接室へと向かった。












応接室。



その扉が開く音に、弾かれるように顔を上げる“依頼人”である女性。

彼女にフ、と笑みかけ、青年は言う。


「ようこそ我が『ローズロイヤル』へ。零、紅茶」



そう傍らの副長に告げると、自身は依頼人と相向かいのソファに座り、優雅に足を組んだ。



程無くして依頼人の前に紅茶が置かれ、それを確認すると、青年が口火を切る。


「…さて、客人。入団希望…と言う訳では無いんだろう? オレ達に依頼があると聞いているが」



相違ないか、と問われて、依頼人は僅か俯く。

そのままかき消えてしまいそうな声音で、呟くように彼女は言った。


「あの、取り合って頂けないのは分かって――」


「あぁ、無駄な前置きは結構だ。取り合うか否かは此方が決める事だから」



唇に薄く笑みを浮かべ、言葉を遮る“指導者”。

彼をチラと見つめるように依頼人は僅か顔を上げ、再び唇を開いた。




「――――朝が、来ないんです」



「……朝が来ない?」



珍しく怪訝そうな青年の問いに、「はい」と依頼人は頷く。



「……対処法としては一度眼科に行くことをおすすめするが」



「違うんですッ。私個人では無く…街全体に、朝が来ないんです」



政府に懇願したところで錯覚だと門前払いをされる。だからこの組織に頼むのだ、と依頼人は言う。



「……それで、オレ達に何をして欲しいと?」



「救って頂きたいんです。私達の街を。そして、消えた子供達を」



「子供達?」



依頼人はまたも頷く。



「朝が来なくなった途端、街の子供達がひとり、またひとりと消えて行くようになったんです。消息も分からず、もちろん、帰ってきた子供も居ません。まるで――…」



まるで、と依頼人は続ける。



「――…まるで、ハーメルンの笛吹きに連れ去られてしまったかのように」




“朝の来ない街”に“消えた子供達”。そして“ハーメルンの笛吹き”。


それらの怪奇現象から自分たちの街を救って欲しい、と、依頼人は告げた。



「用件は分かった。だが…生憎“人助け”は趣味じゃ無いんだ」



「…やっぱり、そうですよね。こんな奇妙な現象、誰も相手にしてくれない」



俯き、弱々しい口調で言葉を紡ぐ依頼人に、祈響はちょっと待ってくれ、と告げる。



「何か勘違いしている様だが、オレは人助けをしないと言っただけで何も依頼を拒否した訳じゃない」



「ッそれじゃあ…」



顔を上げる依頼人に、祈響はニ、と笑む。



「良いだろう。その依頼、受けて立とうじゃないか」



「さて、善は急げと言うからな。零、由良とライカを呼んで来い」



「…何故あの狼男まで呼ぶ必要がある」



「良いじゃないか。仕事に早く馴染んでもらうには“習うより慣れろ”だろ?」


違うのか?、と問われて、零は短く舌打ちをすると事務室へと引き返して行く。

その様子を見届けながら、祈響は棚から地図を手に取り、広げる。



「客人、アンタの街の名は?」



「…私達の街に…名はありません。もっとも、昔はあった様ですが…」


銀糸をかきあげ、そうか、と祈響は微笑する。



「成程な…オレも少し出掛けてくるか」



「え?」



「あぁ、アンタはそのままここで茶でも飲んでいてくれて構わない。そう経たないうちにウチの副長が戻ってくると思うから」



「え、あ、あの…っ」



突拍子のない“指導者”の言葉に、依頼人がどういうことだ、と聞く間もなく、青年は地図を棚に戻し、さっさと踵を返して応接室から姿を消す。



「………」



皮肉にも程よい温度になった紅茶を口に運び、依頼人はどうしたものかしら、と小さくため息をついた。


程無くして、応接室の扉が再び開かれた。


けたたましい物音を携えて、だが。



「ッまとわりつくな狼男ッ。おい祈響ッ」



室内に居るで有ろう人物に零がそう声を掛けるも、そこに居たのは依頼人のみ。



「………」



「…ええと、どこかに少し出掛けてくると仰って先程出て行きましたけど」



「……あの馬鹿」



―――依頼人ほったらかして何をしているんだ、あの横暴リーダーは。

それ以前に依頼人に伝言を頼むな。



「…あの、すみません。私何か変なこと言いましたか?」



「……いや、あんたのせいじゃない。いつもの事だ」


言って、零は深くため息をついた。






ギイ、と重い音が響き、良く通る美声が次いで響く。


「―――居るか、(スウ)



祈響は暗闇にそう声を掛けた。


程無くして別の声音がくすり、と笑んだよう。



「おんやァ。久し振りだねェ、君と逢うのも」



コツ、と靴音が響き、徐々に浮き出てくる赤紫色の長髪。その双眸は帯のような拘束具で覆われている。


その傍らには黒猫。



「やァ、いらっしゃい。“神様のお気に入り”君」



祈響はフ、と微笑して相手に告げた。



「その呼び名はよしてくれないか。あまり好きじゃない」



「おやァ、それは失敬」


対して、男――枢は唇に笑みを浮かべ、言う。


刹那、その指先からキラ、と光る金貨が弾かれた。

ゆっくりと旋回し枢の手の甲に収まった金貨は手のひらに覆われ、煌めきを隠す。


「――Which?」



「……表」



相手の問いに、青年は当然と言わんばかりの口調で応じる。



ゆっくりとした動作で覆っていた手のひらが退けられ、金貨が姿を現す。

枢は軽く息を吐いて、おもむろに椅子の背もたれに重心を傾けた。



「当たりィー。相変わらず良い勘しているねェ。某もビックリさ」



「そういうお前も相変わらずの“ゲーム好き”だな、枢」



相変わらずだな、と互いに微笑して、枢が続ける。


「暇を持て余している某にこうした“ゲーム”は必要不可欠なのさ」



普通に話を聞くのもつまらないだろう? と笑う枢に「それは同感」と祈響は苦笑気味に応じた。


ふと足元にすりよってくる黒猫を抱き上げると、



「…悪いな。今日は零は居ないんだ。これから依頼だから」



青年はそう黒猫に告げると床につかせる。それを“視る”と枢は笑って言った。



「――それじゃあ、話を聞こうか。祈響クン」







「ふむふむ。朝の来ない街にハーメルンの笛吹きねェ…実に良い組み合わせだ」


闇に乗じて音色を奏でる。実に素敵で興味深いね、と。


身軽に机上に身を乗せる黒猫を懐に抱き、枢は笑う。


「おまけにその街には名前が無い、と。恐らく政府の影響だろうねェ」



依頼状ではなく直接依頼人が来たことが良い証拠だ、と枢。



「――とまァ、それくらいは君も分かりきっているだろうけどねェ。しかし資料は当然の如くゼロ。だから某の処に来たんだろう? 君は」



まぁな、と微笑して祈響は応じ、続けた。



「この世界でお前に知らない事は無いんだろ? 門番兼情報屋」


聞いて、枢は「あぁ」と笑う。



「“門番”ねェ…久し振りにその名前を聞いたなァ。もっとも、某はもう退職している身だけどねェ」



“門番”



この世界に“呼ばれた”者達を最初に出迎える云わば“道標”。



とっくのとうに若手にバトンタッチさ、と口元をほころばせる“情報屋”に「あぁ、そうだっけ」と祈響は言う。



「こう長い間この世界に居ると忘れることも多くてな」



「そうだねェ。少しばかり“長生き”し過ぎているかもしれないねェ。某も、君も」



「―――…かもな」



苦笑する青年に、枢は背後の棚から一冊の書物を手に取り、差し出した。



「これは?」



「その街の資料さァ。お望みのモノとは、限らないけどねェ」



歴史といい、時間といい、流れるモノは残酷だからねェ、とのんびりとした口調で枢は口元を歪ませる。

「そうだな」と相槌を打ちつつ、祈響は受け取った資料を開いた。



――其れは名も無き小さな街。

けれど、“太陽”を何よりも尊び、“神”とまで敬う住人も居た程の活気づいた街である――



「……神、か……」



紅の眼をす、と細め、どこか冷えた声音で祈響は呟く。

しかし、刹那微笑をこぼすと資料を閉じた。



「じゃあ、オレはそろそろ戻るとするよ」



零に説教されるのも退屈だしな、と薄く笑み、青年は立ち上がる。



「もう良いのかィ?」



そう笑う情報屋にフ、と笑んで踵を返し、けれど、刹那立ち止まる。



「―――あぁ、そう言えば、この前の通信機の試作品。なかなか使えたよ」



また今度正式に使いを送るよ、と告げる青年にそれは良かった、と枢は応じる。



「またいつでもおいで―――“神様”に似て非なる“君”」





「遅い」



応接室の扉を開けるなり、副長の冷ややかな声音。

それに苦笑気味に応じ、祈響は言った。



「それは悪かったな、零。向こうで茶でも飲んで来れば良かったか?」



皮肉にそう笑む“指導者”はふと左右異色の瞳を“依頼人”へ向ける。



「必要最小限の情報は得た。そろそろ行こうか」







「―――こちらです」



依頼人は慣れた手つきで門を開け、祈響達を促した。



朝の来ない街。



それは名の通り、夜の闇に抱かれている。



「…随分と厳かだな。壁で隔離されているのか」



街全体を囲むように高く聳え立つ壁に僅か触れ、祈響は問う。

えぇ、と依頼人は応じた。


「壊そうとは思わないのか?」



「思わない…と言ってしまえば嘘になります。しかしこの壁は強力な“磁気”によって作られているんですよ」



壊そうとすれば、“猛毒”が街中に広まってしまいますから、と依頼人は苦笑した。

そしてそのまま続ける。


「もっとも、外の世界に“猛毒”なんて無いのは分かっているんですけどね。街のみんなは昔から外の世界は信じて居ないらしくて」



「――…そうか」



あんたも大変だな、と祈響は微笑する。



「だから街全体を囲むように壁を作った…か。迷信深いな」



零がポツ、と呟き、眼鏡を押し上げた。



「でも私達はそれを信じるしか無いんです。例え……政府に隠された街に住んでいるとしても」





「……知っていたのか」



「えぇ。祖母に幼い頃から教えられてきましたから。…“この街に名は無い。政府がいつからかそれを抹消した。有るのはこの蒼空に輝く《太陽(カミサマ)》だけだ”…と」



祈響の問いに苦笑して応じる依頼人がすみません、と告げる。



「お客様をこんな所で立ち話に付き合わせてしまって…ご案内しますね」



対して、『ローズロイヤル』指導者は僅か微笑する。



「あぁ、頼む」



両脇に構える店々。照明に照らされ、品々が鈍く煌めいていた。

それらを通り過ぎたところで、依頼人がふとこぼした。



「――皮肉、ですよね」



足は止めず、続ける。



「元々太陽を神様と敬い、畏れてきた街に…太陽が来ないなんて」



「……」



「朝が来ないと言うことは、夜が“眠れない”こと。あり得ない事だから…そこには矛盾が生まれる」



「矛盾……か」



青年がそう低く呟いたと同時に、何処からともなくこちらを揶揄する声音が聞こえてきた。




「――見て、あの紅い目。まるで獣の様だわ」


「やだ、気味悪い。あの銀の髪もよ」


「ちょっと、聞こえるわよ。あの方は……」



気味が悪いと口々に囁き合うのは街の女達である。それらの言葉はすべて、青年に向けられていた。


「…あ、の」


依頼人が口を開くや否や、青年が微笑する。


「陰口めいた言葉には慣れているから」


内部の世界しか知らない住人にこの姿はさぞかし異形と映るのだろうな、と祈響はやや自虐的な笑みを浮かべる。



「それはそうと、ひとつアンタに訊きたいんだが」


「なんでしょうか」


「この街は隔離されている様だが…外部の情報が知らされない訳では無いのか?」


「少しは入ってくるようになっていますね。時々、数人が外部へ出掛けることも有るんです」


「アンタのようにか?」


問うと、依頼人が苦笑する。


「私は…少し違うかも知れません。私は――」


私は、と。


刹那、足を止めると依頼人は微笑。


「その資格なんて持って無いんです。だから、有り得ない」


矛盾なんですよ、と依頼人はそう告げた。


「あぁ…それも違うかも知れませんね。矛盾ではなく、“歪み”なのかも」


聞いて、祈響は微笑する。


「それなら、オレ達は皆“歪み”によって“生まれた”と言うべきだろうさ。でも、そうだな…」


祈響は何処か遠くを見つめるように夜空を仰ぐ。


「《有り得ないこと》と《矛盾》が必ずしも結ばれるとは限らないが……“歪み”は誤魔化しようが無い。それを正当化しようとしたところで所詮無理な話だ」


“歪み”は“歪み”でしかないのだから、と。



紅の眼が、自嘲めいた笑みを、浮かべた。







「――小さな家ですが、どうぞお寛ぎください。今、お茶を入れますので」


そう言って、奥へ消える依頼人の後ろ姿を左右異色の瞳で見送り、祈響は椅子に座る。


「あの、紅茶で良かったでしょうか」



「あぁ、構わない」



ありがたく頂くよ、と其れを受け取り祈響が笑む。

それとは対照的に、依頼人が暫しの沈黙を伴い、頭を下げた。



「……先程はすみませんでした。皆、外の世界に疎いもので」



「別にアンタのせいじゃない。謝られる理由も義理も無いさ」



それにしても、と祈響は続ける。


「この街は他人の為に頭を容易に下げる習慣でも有るのか?」



「……少なくとも『他人』では有りません。この街の住人は皆、『家族』です」


青年の手元にある空のカップに気付き、依頼人が立ち上がろうとするのを「もう結構」と断り、祈響は足を組んだ。



「『家族』…ねぇ…」



「えぇ。お互い助け合っていかなければ…私たちはとてもじゃ有りませんが暮らしていけません」



言って、依頼人は微笑む。

「今日はお疲れでしょうからお休みください。大したおもてなしは出来ませんが…上の空き部屋は自由に使って頂いて構いません」



どうぞ、と促されて、祈響達は階段を登った。






「―――都合が良すぎると思わないか?」



煌々と輝く月を仰ぎ、青年が男に問う。



“朝の来ない街”

外部との隔離をはかり、内部の者を皆『家族』と称する街。

『内部』に異常な程の執着を持つその街に『外部』の者が容易く入れるものだろうか、と。



「……何が言いたい」


「スムーズに進み過ぎてるのさ。この展開も、事態も」


「仕組まれている…とでも?」



かもな、と祈響は苦笑。



「それにこの街の壁」



視線を月から外し、青年は続ける。



「強力な磁気によって造られたと言っていたが…あれは嘘だ」



「……嘘?」



「そう、嘘。その代わりに妙なモノが溢れてたけどな」


お陰で少々気分が悪いよ、と祈響は笑った。



「まぁ、今言えることはひとつ―――」



銀糸が揺れ、紅の眼が煌めく。



「今回の依頼人は…何かを隠してる」



「……言いたくないことのひとつやふたつ有るだろう」



「その事は否定しないが…その『言いたくない』事が他でもないこの街の『真実』だったら?」



「………隠蔽か」



おそらく、と祈響は首肯する。



「しかし、それがこの街の怪奇現象に関係するとなると『言いたくない』で済まされる問題じゃ無い」



紅の眼が冷たく光を放つ。

けれどそれは一瞬で、直ぐにその口元には笑みが浮かんだ。



「ま、夜はまだまだ長いからな。気長に相手を待つとしようか」







時を同じくして、一方。

『ローズロイヤル』指導者とその副長が控える部屋の隣室である。



〔ライカ?〕



ぴくり、と何やら反応を示した少年に、少女は問い掛ける。



〔どうかしたの?〕



すると、ふと金色の瞳が窓を仰いで、


その唇が、静かに開いた。


「―……声」



〔え?〕



「―…違う……音…」



仮にも獣として生活してきたライカにとっては、常人では聞き取れないで有ろう遠くの音も聞こえるのだろう。


そういえば、祈響が「ライカに言葉を教えてみた」と笑っていたっけ、と由良はふと思った。




近付いてくる『音』。


それは少女の耳にも届く程に、大きくなってきていた。



音。



人の声でも、獣の声でも無い。

かといって、物がぶつかり合う音でも無い。



これは。



―――笛の、音だ。



そう認識した後、直ぐ脳裏に浮かぶのはこの街で夜毎子供達をさらうと言う件の人物。



ハーメルンの笛吹きそのものではないか、と由良は隣室の扉を叩いた。


程無くして開けられた室内に既に指導者の姿は無く。


〔祈響は?〕



由良が室内に残っていた零に問うと、彼は深いため息をついた。

その意味が掴み切れず、僅か首を傾げると、零は言う。



「“例の奴”に会いに行った。そこの窓から飛び下りてな」



“朝の来ない街”。


静寂に包まれていたそれは、場にそぐわない軽やかな音色に彩られている。



足音。



笛の音色。



足音。



ひとつふたつ、と。



交互に聞こえるそれに、指導者の青年は銀糸を揺らし、笑う。


「――…頃合いだな」



指に絡めた自身の得物を弄びつつ、重心を預けていた壁から背を離すところで。


足音が、止まった。



「そろそろ」



次いで、笛の音も途切れる。



「出てきては如何ですか」


そうやんわりと促すのは涼やかな声音。中性的な声質である。



「へぇ。上手く隠れていたつもりだったんだけどな」


「ご冗談を。広範囲に向かって“探知”をかけていたでは有りませんか」



「生憎、そういう性分なものでね」


くす、と微笑して、祈響はひとつ靴音を響かせる。

不意に涼やかな声音が「あぁ」と呟いて、



「まだ挨拶をしておりませんでしたね」



得物を懐に入れ、それは慇懃に腰を折る。

素顔は深く被った黒いフードに隠され、見えない。

けれど、その口元が美しい弧を描き、笑む。



「お初お目にかかります。『ローズロイヤル』指導者様」




跪くそれに肩を竦め、祈響は苦笑する。



「堅苦しいのは嫌いなんだが」



「それは失敬。こういった性分ゆえ」



ゆっくりと元の姿勢に戻ると“それ”は口元だけ歪ませる。

ク、と短く笑い、祈響は口元をほころばせた。



「『壊し屋』を前に、随分と落ち着いているじゃないか、“ハーメルンの笛吹き”とやら」


「そう装っているだけですよ。本当は貴方が恐くて堪らない」



恐いんですよ、と。

そう告げる声音はどこか嘲笑が含まれていて。

祈響はただその美貌に冷笑を浮かべるのみ。



「だったら、その笛でこのオレを溺死させればいい。かの童話の通りにな」




「それは出来ませんよ。貴方の様な方を溺れさせる事など、到底叶いません」


貴方は鼠ではなく空を飛ぶ鷹ですから、と“ハーメルンの笛吹き”は薄く笑み、「けれど」と続ける。



「こんな僕でも…その鷹の羽をもいで、蒼空から堕とすことは可能かもしれませんね」



刹那。



青年の視界に、“ハーメルンの笛吹き”の姿は無く。

けれどそれに動じることはせず、青年はチラ、と血色の瞳を背後に向けたのみ。


「…………」



パタリ、と地に落ちるのは青年の肩から腕を伝う赤だ。

それでもまるで他人事のように表情を変えない青年に、“ハーメルンの笛吹き”は問う。



「痛みを」



青年の肩を刺した刃物にも、赤が染み着くようにまとわりつく。



「……貴方は、感じないのですか」



問われて、青年の唇に笑みが浮かぶ。


そして夜風に良く響く声音が、応じた。


「さぁ? それなりに感じてるつもりだが」



「そうですか」



言って、刃物を再び懐に仕舞ってから、“笛吹き”はどこか憂いを秘めた笑みをこぼす。



「あぁ…そろそろ“時間”ですね。僕は“戻ら”ないと」



聞いて、祈響が僅か笑む。


「そう簡単に鷹の眼から逃れられるとでも?」



「出来ますよ」



出来るのだ、と。


そう言って、“ハーメルンの笛吹き”はフードをより目深に被る。

そして呟くように、囁くように、言った。



「僕は―――」



月が、輝く。



「…何処にも居ない存在ですから」



言って、それは消えた。


風の如く。


まるで元々その場に居なかったかのように。



消えた。



「……何処にも居ない存在…か」



途切れた音色の余韻を聞きながら、祈響は月を仰いだ。

血色の瞳がどこか陰りを映し、細められる。



「…“痛み”なんて、じきに感じなくなる。何も―――感じなくなる」




「リッリーダーさんッ?!どうなさったんですか、その腕ッ」



顔面蒼白になって駆け寄ってくる依頼人に「あぁ、これか」と祈響は他人事のように応じる。



「“ハーメルンの笛吹き”が去り際のキス代わりに寄越してな」



冗談めいた声音で笑う指導者に依頼人は慌てて告げた。



「とッとりあえず、そこの椅子に座ってください。止血しないとッ」



「ん? あぁ、別にいい。上に居るウチの副長にやらせるから」



「でも……」



見ていられない、と目を伏せる依頼人に祈響はふと苦笑して、



「…この躯を女性に晒すには少なからず躊躇いを覚えるんだ。どうせ放って置いても直ぐにどうこうなるものではないしな」



だから心配無い、と笑む青年に依頼人は問う。



「貴方は痛みを感じないのですか?」



「…あの笛吹きにも同じことを訊かれたな。まぁ、そうだな…感じない訳では無いが、“もう慣れた”というのが適切だろうな」



「………」



黙り込む依頼人に祈響は笑んで、ふと壁掛けの時計を見やり、



「起こしてしまって悪かったな。部屋提供、感謝するよ」



そう言うと、祈響は階段を上っていった。


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