ACT.13 夜想曲
「―――由良が居なくなった?」
簡易ベッドに散らばる銀糸を払いのけ、祈響は赤の眼をす、と細める。
「……誘拐、か」
それがどういった目的を以て行われたのかは分からないが、と祈響は呟いた。
「だがおおよその見当はつく。仕組んだのは『マリゴールド』だろう?」
「…おそらくな」
「なら話は簡単だ。指導者補佐と引き換えに『マリゴールド』側に加勢しろ、とでも言って来るんだろうさ」
『マリゴールド』が『雪月花』に仕掛けた“革命”。
中立である『ローズロイヤル』はさしずめ盤上のゲームを傍観するギャラリーと言ったところだな、と。
言って、青年は上半身を起こす。
「だがそのギャラリーが手駒に取れさえすれば……そのゲームは間違いなく『マリゴールド』に傾く、という訳だ」
「……どうするつもりだ」
問う副長の言葉に、指導者は双眸を伏せる。
「…中立を破るつもりは無いさ。この戦争……仮に東雲が承諾したとしても『ローズロイヤル』はどちらの組織にも手を貸さない。……絶対な」
「ならばあいつを……由良を、どうするつもりだ」
「…………オレは『全』と『一』、どちらかしか選べないとき、前者を選ぶしか出来ない立場に居る。……それくらい分かってるだろ、零」
開かれた左右異色の瞳が、一筋、揺らいだ。
*
―――白い、壁。
体が、やけに重い。
意識を浮上させ、途切れた記憶をなんとか手繰り寄せる。
部屋に戻って。
いつのまにか眠っていて。
目が覚めたら視界にはライカと雄飛が居て。
それから―――
―――雄飛?
「―――っ」
反射的に無理矢理身を起こすと「わっ」と少年らしき声がする。
「びっくりした…目、覚めたのか、由良」
次第にはっきりしてくる視界。
そこに金色は無く、“生きて”いた頃と変わらない幼馴染の姿。
言葉を紡ごうとして、手元にスケッチブックが無いことに気付く。それを見透かしたように―――ごく自然に、「はい」と相手がそれを差し出した。
「これ?」
軽く頷いてそれを受け取ると、相手が苦笑する。
「……そっか。やっぱり“こっち”の世界でも…声、無くしたまんまなんだな、由良」
今度は刹那躊躇って、由良は首肯する。
沈黙。
それを取り繕うように、少年が言う。
「まだ体ダルイだろ? ゆっくりしてていいから。ここ、オレの自室だし」
言って、雄飛がしまった、という風に口を塞ぐ。苦虫を噛み潰したような表情で。
〔雄飛〕
「……ごめん、お前をここに無理矢理連れてきたことは謝る。でも、これしか手がなかった。お前だけは……」
〔私、だけ? どういうこと?〕
「…あ…何でもないよ、由良が気にすることじゃない」
〔私を人質にするの? 雄飛〕
「……表面上は、そういうことになると思う」
〔無駄だよ、雄飛。祈響は自分の意思は絶対曲げない。私を人質にしても、何もあの人の気持ちは変わらないから〕
「…『ローズロイヤル』指導者の意思は変わらなくても…『マリゴールド』指導者は違う」
〔え?〕
雄飛の言葉に由良が訊き返す。
ふ、と苦笑して、雄飛は続けた。
「……あの人は、『ローズロイヤル』指導者の“背景”を狙ってる。それを手に入れる為なら、たとえ戦争を起こしても…たとえ相手が三大組織であろうと政府であろうと容赦なく狩るよ。あの人に敵う奴なんて居ないんだ」
〔どういうこと?〕
「“革命”に理由なんて要らないんだ。味方以外は『狩人』に狩られる。情けも、容赦も無く。だから……」
だから、と雄飛は呟く。
そして少女を―――抱きしめた。
〔雄飛…?〕
「…お前だけは、あの人の獲物にしたくない。『マリゴールド』に居れば、『狩人』の眼は免れる」
その言葉の意味。
それは。
〔祈響を…『ローズロイヤル』を裏切れってこと…?〕
裏切る。
“指導者”である彼を。
その組織を。
〔出来ないよ。私には、出来ない〕
由良は小さくかぶりを振った。
「あの指導者を信じてるからか? ……あんな、化け物を」
幼馴染の冷えた声音に、由良は体を強張らせる。
〔違う。祈響は〕
「何が違うんだよ。あの銀髪、あの赤い眼……お前だって分かってんだろ? あれは化け物だ……ッ」
強く抱き締められて、由良は言葉を失う。
不意に、雄飛が我に返ったように身を退いた。
「…あ、ごめん。急にこんなところに連れてきて、こんなこと言って…混乱するに決まってるよな」
苦笑して雄飛は「ごめんな」と告げて立ち上がると踵を返した。
「…少し、頭冷やしてくる」
音を立てず閉じられた扉を見つめ、由良はスケッチブックを腕の中に抱いた。
―――どうしたらいいのだろう。
抜け出そうと思えば、今にでも抜け出せる。
けれど。
“存命時代”の記憶が唐突によみがえる。
“最期”の日。
あの“生きた”最後の時。
雄飛は。
自分のせいで死んだ。
あの時の彼の表情は。
今も忘れられなくて。
雄飛を。
彼を。
もう二度と悲しませたくない。
―――私は、どうしたらいいのだろう。
*
『ローズロイヤル』。
その医務室。
「……否が応でも動かないつもりか、祈響」
「……同じ事をお前は何回訊くんだ? 零」
副長に渡された書類をめくりながら、祈響は言う。
「中立のウチが相手を触発してどうする。それこそ被害が大きく成りかねない」
見たから判よろしく、と書類を渡し主に戻し、青年は簡易ベッドを降り、傍らの上着を羽織った。
「零、リハビリも兼ねて少しばかり歩いてくる。桜霞にそう言っておいてくれ」
踵を返す指導者に、副長は問う。
「……何処に行くんだ」
その言葉に、祈響はフ、と微笑んで、
「ライカのところ」
祈響は扉を開ける。
そこには「指導者補佐」と記されていた。
もっとも、今はそこに主の姿は無く、ひとりの少年が俯き、佇んでいる。
「ライカ」
祈響は少年の名を呼ぶ。
金色が振り返り、その瞳と青年の視線が交わった。
「―――……」
少年は沈黙したまま。
「…悔しいか?」
そう問う青年の言葉にも答えず、何処か上の空な表情だ。
「あいつを護れなかったことを責めるつもりは無い。お前が今どんな感情を抱いているかを聞きたいだけだ」
金色の瞳が僅かに揺らぐ。
そして。
「―――くや、しい」
聞いて、「そうか」と祈響は微笑する。
「そう思うのなら、いつまでも此処で後悔する必要は無い。あの時、オレに向けた牙を…今度は自分の目的の為に磨けばいいだけのことだ」
「もくてき?」
「あぁ。自分が今何をしたらいいのか、何が出来るのか……他人がどう言おうとそれを決めるのは自分だ。誰の為でもない、自分の目的の為を果たせれば、結果は伴う」
「……ライカでも、できる?」
「出来るさ。お前の“想い”が本物ならな」
「……うん」
楽しみにしてるよ、と“指導者らしく”微笑んで、祈響が踵を返すところで、
「――――――ユラが」
ライカが、告げる。
「……泣いてた」
「……」
「でも抵抗しなかった。最後に、ライカに言おうとしてた。―――“ごめんね”って」
「…………そうか」
ふ、と笑みを唇にだけ浮かべて、祈響は言う。
その赤の眼が、静かに揺らいだ。
*
〔マリーゴールド?〕
「うん。あの人の奥さんが好きだったとかで、中庭にあるんだよ」
綺麗だろ、と雄飛が微笑む。
変わらない笑み。
“光の時代”と。
「“存命時代”のものと全く一緒ってわけには流石にいかなかったらしいけど。でも、こうやって形に残せるのって幸せだよな」
〔…うん〕
由良は頷く。
形に残せる想いほどこの世界で幸福なものは無い。
だから、住人は「形」に残そうとする習性があると聞いたことがあった。
少しでも長く、それを近くで感じていられるように。
少しでも多く、がらんどうな心を満たす為に。
「……由良」
呟くように、花を見つめたままの雄飛が言う。
「もう“生きて”た頃には戻れないけどさ。今ならオレ、この手で由良を護れる。護ってみせるよ」
褐色の瞳が、少女へと向けられる。
「…性急過ぎるのも分かってる。でももう時間が無いんだ、だから」
だから、と。
「――――選んで。『マリゴールド』に来るか、『ローズロイヤル』に留まるか」
言って、少年が苦笑する。
「即答しなくて良いから。そんなすぐに決められないよな」
部屋戻ろうか、と促す相手の後を追い、由良は“呟く”。
「――――」
音にならない“声”。
“光”と共に失くした、声。
やっぱり駄目だな、と苦笑する。
言えない代わりに、藍色の瞳を刹那伏せた。
心の内で、もう一度、そっと呟く。
―――――“ごめんね”。
きっと、また。
私は。
―――――誰かを楯に護られる。
だから。
だから、私は。
*
コツ、と靴音が一段と響く。
祈響は半壊した事務室の扉を開け、微笑する。
「―――戻ってたのか」
ふと言葉を掛ける先。
背後の少女に、そう笑いかける。
「由良」
少女の藍色の髪が揺れ、その瞳が真っ直ぐに青年の背中を見つめる。
そしてその手のひらから。
白く煌く得物が放たれた。
青年の銀髪が一糸、床に落ちる。
けれど青年は振り向かない。
「―――…成程」
得物である“それ”を片手で捉え、祈響は冷笑。
「これがお前の“答え”と言うことか」
〔ごめんなさい〕
「謝られる義理は持ち合わせてないさ。オレが慈悲深い男じゃないことはお前も知ってるだろ?」
刹那の沈黙。
やがて踵を返して駆け出していった少女をほんの僅か一瞥し、祈響は眼を細めた。
『ローズロイヤル』医務室。
無駄の無い動きで書類を片付けている副長を横目で見やり、青年は何処か諦めたように言葉を紡いだ。
「……零、やはりそろそろ本気で気が狂いそうだ」
眉を顰める相手に少女の得物を手渡すと、左右異色の双眸が伏せられる。
それを見た深緑の瞳が僅か見開かれた。
「ッ、お前…ッ」
「あぁ、会ったよ。他ならぬ由良に」
もっとも、もう居ないがな、と呟く指導者に零は言う。
「何故引き留めなかった」
「それがあいつの意思だからだよ」
「……!」
冷えた声音。銀色が赤と黒を覆い隠す。
「…“指導者”であるオレに得物を向けた。その意味はあいつだって十分わかってるだろうさ」
分かっていて、“それ”を行ったのだ、と、祈響は告げる。そして続けた。
「――――……由良は、この組織を抜ける」