ACT.11 序曲
「―――由良?」
呼ばれて、少女は我に返る。
「どうした? 上の空だったが」
“指導者”である青年の言葉に、由良は紙面にペンを走らせた。
〔ごめんなさい。大丈夫〕
何でもない、と紡ぐと青年はそうか、と笑む。
「…それじゃあ、話を戻そうか。零」
続きを頼む、と促されて、零は淡々と書類を読み上げる。
「『先日、闇黒隔離西区に拠点を置く『マリゴールド』が同じく東区を治める『雪月花』に宣戦布告。両の指導者並びに組織が既に臨戦体制に入る――』」
その続きを引き継ぐように青年は告げる。
「これについては先程言った通り手出しは無用だ。低能な挑発に乗るようなお前らではないと思うが、自分の立場を考えることを忘れるな。―――以上。何か異論の有る奴は居るか」
左右異色の双眸で一通り団員達を見渡した後、各自解散、と良く通る美声で指導者は微笑した。
団員達が去った後。
ひとつため息をついて、祈響は事務室のソファに腰掛ける。
コーヒー、と副長に命じると自身は上着を脱ぎ捨てた。
「まったく…いつかに結んだ“平和条約”は何処に行ったのやら」
「……それは今の指導者達が結んだものでは無いだろう」
この世界が造り出されてまもなくのことではなかったか、と零がコーヒーを片手に告げる。
「…あぁ、そうだっけ。まぁ、あの二人が指導者になってから常に飽和状態だったしな」
今更それが弾けようとそう驚きはしないけど、と祈響はコーヒーを受け取ると微笑した。
「……」
「…“何を呑気に”…とでも思っているか? 零。だが奴等が殺気立ってるのにこちらまで殺気立ってどうする。ただでさえ血の気の多い同胞達が手に負えなくなるぞ?」
「…解っている」
零が憮然として呟き応じる。傍らに居た由良が紙面にペンを走らせた。
〔でも、本当に戦争が始まったらどうするの?〕
既に両組織がその手前の状態。
戦争が始まれば中立と言えども『ローズロイヤル』に少なからず影響が出るだろう、と。
問われて、祈響は微笑した。
「始まらないよ。特に東雲はこんなところで無駄な戦争はしないだろうさ」
「……その根拠は」
「勘。もしくは――」
青年は脚を組み直し、唇に笑みを浮かべる。
「“神の御告げ”…かな」
なんてな、と笑う青年を前に副長が馬鹿馬鹿しい、と呟いたと同時に、傍らの電話が鳴り出した。
祈響がそれを取り、短く返答する。
ふ、とその美貌から笑みが消えた。
赤の眼を鈍く煌めかせながら祈響は無言で受話器を耳に当てている。
程無くして、「分かった」と一言発した後、祈響は受話器を置いた。
〔どうかしたの?〕
「そのようだ」
銀糸を揺らして脱ぎ捨てた上着を片手に立ち上がると指導者が言う。
「……依頼完遂の連絡を受けていた同胞達が――全員殺された」
「戦闘で殺された訳ではないと言うことか」
「あぁ。依頼ではほぼ無傷だったと連絡を受けていた。事が起こったのはその後だ」
おそらく奇襲か何かを帰路で受けたのだろう、と祈響は唇に冷笑を浮かべたまま、言う。
「…とにかく、同胞達が殺された事に変わりはない。行くぞ、零」
〔私も〕
上着を翻す指導者に由良は紡ぐ。応じるように、祈響は告げた。
「いや、由良とライカは待機だ。…現状は恐らくお前達がまともに見られるものじゃない」
〔分かった。気をつけてね〕
「あぁ。じゃあ、頼んだぞ」
パタン、と事務室の扉が閉められた。
*
「……ある程度は予想していたが…まさかここまでとは」
乾き、黒く変色した赤き華に触れ、祈響は呟く。
「どうだ、零」
銀糸を揺らし、祈響は振り返った。
「急所をピンポイントで刺されたのが5人、原型を留めていないのが8人」
「手口がふたつに別れているところをみると二人以上か」
「おそらくな」
「得物は?」
「小型の刃物と大型の鉈のようなものだろう」
「…いや、多分前者は合ってるが後者は違う」
祈響は告げる。
「鉈じゃない。斧だ」
「斧?」
「あぁ。契約の名残がまだ残ってる。いや、残したと言った方が的確かもしれない」
「…作為的なものか」
「おそらくな」
乾いた華に触れたまま、祈響は言った。
「…成程。これがあいつの言う『革命』か」
「…何?」
「よく『マリゴールド』指導者がぼやいてたんだよ」
「この奇襲は『マリゴールド』の連中が企てた、か」
「正解」
言って、祈響は微笑する。
「臨戦体制であることを良いことに、中立であるウチにまで視野を広げてきたらしいな」
言って、青年はもう一度事切れた同胞達の前で屈み込んだ。
「――“手出しをするな”と言ったのはオレだったな。それを忠実に守ってくれたことに、心から感謝するよ」
忠誠を尽くしてくれたことに感謝する、と。
祈響は刹那眼を伏せ、告げる。
「この地で、ゆっくりと眠ってくれ」
ザァ、と空気が揺れる。
事切れたそれらに、青年が呟く。
「―――お休み」
*
〔十三人も〕
悲しみに顔を歪ませて、由良は眼を伏せた。
「…『マリゴールド』は革命と称して度々こういった事を平気でやってのける。最近は大人しくしていると思っていたんだがな…」
『ローズロイヤル』が『壊し屋』と呼ばれるのと同じく、『マリゴールド』は通称『狩人』と呼ばれる。
連中がその気になればこれくらいの事は造作もなくやってのけるだろう、と祈響は赤の鋭い眼光を携えて言う。
「恐らく連中の革命はまだ終わらない。『狩人』がこの程度で満足する筈がない」
特に『マリゴールド』指導者は、と。
言って、祈響はそうだろう? と零に笑いかける。
「……何故俺に振る」
「あいつのことはオレよりお前の方が良く知ってると思ってな」
「…昔の話だ」
零が冷ややかに応じ、祈響はそうか、と再び笑む。
「まぁとにかく…此方も早急に対応を考えないとな」
〔でも、どうするの?〕
「そうだな…零、とりあえず同胞達にこれまで以上に警戒するよう通達してくれ」
「相手は組織の指導者だ。その程度の意識で状況が変わる訳無いだろう」
「それくらい分かってる。だが此処でこちらから喧嘩をしたらそれこそ売り言葉に買い言葉だ」
だからここは留まるしかないんだよ、と祈響は言う。
「安心しろ。その時になったら鷹も牙を剥く」
*
「…連絡終わったぞ、祈響」
「あぁ…ご苦労様」
青年はふ、と微笑して組んでいた足を組み直す。
「――…なぁ零、今回の革命…何かもっと別の意味があると考えられないか?」
「中立である『ローズロイヤル』が邪魔だ、と言ったのはお前だろう」
「初めはそう思った。だがもしかしたら――」
銀糸が揺れる。
憶測の域を出ないけど、と祈響は告げる。
「――“神”を引きずりだすつもりなのかもしれない」
「幻葬を?」
「仮定の話だけどな。オレの“背景”を連中が調べているとしたら、有り得なくは無いだろう?」
『ローズロイヤル』指導者の背後。
幻葬の存在。
「自分の知らない所で自分のことを探られているのはなんとも不快だが…政府に小言を言われるのも不愉快だしな」
ましてや相手が三大組織のひとつとなれば連中は黙っていないだろうし、と祈響は言う。
「此処は同胞達を信じて様子を見るとしようか」
*
翌日。
「―――止まった?」
怪訝そうな零の言葉に、祈響は告げる。
「あぁ。あれ以降同胞は誰ひとり被害を受けていない」
〔“革命”が終わったってこと?〕
「……いや、その逆だ」
多分“革命”はまだ余興の域だったのだろう、と青年が言うところで。
窓に影が映る。
ふたつ。
光を遮り、影であっても確認できる程の大きな得物。
それが振りかざされ、硝子が割れる。
「…全く…」
ため息まじりに呟き、祈響が唇に薄く笑みを浮かべる。
そして言った。
「“招待状”を出した覚えは無いんだが? ―――『マリゴールド』」
『マリゴールド』と。
呼ばれて、相手が笑う。
後ろで緩くまとめられた色素の薄い長髪。
同じく色の薄い瞳を細めて、それは言った。
「なに、悠々と空を舞う鷹を狩りに来ただけの事だ―――『ローズロイヤル』」