電車に飛び乗ってきた男性
こんな話を聞いたことがあるんですよ。
聞いた相手を、仮にAさんとすると、そのAさんが体験したことを、わたしが聞いた話、ということになるんですね。
それで、そのAさんから何を聞いたか、というとですね。
Aさんは、不思議なことがあって、聞いてくださいよ、なんて話し始めたんですよ。
なんでもAさん、朝の通勤では、電車の中では座っていたいから――まあ、外に乗るなんて人はいないと思いますが、とにかくね――人が少ない先頭車両の一番前のドアから乗って、端っこの席を確保するそうなんですよ。しかも、電車が込まない時間帯を狙うから、ちょっと早起きして、いつもだいたい同じ電車に乗るんですって、各駅停車の。
こういうとき、みなさんも経験があると思うんですが、いつも同じ電車を使っていると、特に朝だと、だいたい同じ人ばかり見かけるようになるでしょ。
一度も話しかけたことがないのに、顔見知りみたいな気分になって、むしろ、急に数日見かけなかったりすると、病気にでもなったんじゃないかとか、変に心配したりして。
そういうこと、あるじゃないですか。
それで、Aさんもその先頭車両の端っこ付近でいつも見かける、顔なじみみたいな人たちっていうのがいるんだけれども、その中の一人が、どうも……変だっていうんですよね。
なんでも、Aさんが乗る駅の、少し先の駅で乗ってくる男性が、どうにも、おかしいと。
この方を仮にBさんとすると、Bさん、見かけるときは毎回、車両とホームの間の隙間、あそこをヒョイと飛び越えるように乗り込んでくるんですって。ええ、わたしも、あの隙間っていうのが、どうにも苦手でして、そのBさんも、そういう方なんじゃないの、なんてAさんに言ったりしました。
ただ、Aさんが言うには、そこがおかしいというワケじゃないの、って。
そのBさん、確かに毎回、飛び乗ってくるのですが、気付いたらいなくなっている、それがおかしいんだ、って言うんですよ。
もちろん、朝早くの電車ですから、座れる席もまだまだたくさんありますから、そのどこかへ行ったんじゃないの、なんて聞きましたよ。
確かに、Aさんだって、そもそもBさんに興味があるわけでもなし、階段がホームの端にある、その駅でBさんが飛び乗ってきては、ホッとしたような表情を浮かべるところまでは、なんとなく確認しちゃうけれども、それからあとはまた、目的の駅に着くまで転寝をしてしまったり、スマホをいじったりと、Bさんをじっと、見張っているわけでもない、と言うのです。
ですから、勘違いなんじゃないの、思い過ごしなんじゃないの、なんてAさんに重ねて訊ねるわけです。
するとAさん、そんなことはないんだ、なんて言うんです。
というのも、Aさん、あるときふと気になって、そのBさんを少し見ていたことがあるんですって。ある日のBさんも、飛び乗ってきて、ひと息ついたら、先頭車両の隅っこのところに、背中を預けて立っていた、って言うんです。
そこでAさんは、興味がなくなって、手元のスマホをいじっていたのですが、途中でまた少し、Bさんのことが気になって、ふと、さっきBさんが背中を預けていた方を見てみた、って言うんですよね。
そしたら、いなくなっていたと言うんです。
そもそも、朝早い電車を選んでいましたから、立っている人は珍しくて、先頭の隅に背中を預けているとはいえ、座らないというのは、そもそも、珍しいことだそうでね。つまり、Bさん以外、周りはみんな座っているものだから、いなくなったとしたら、必ずAさんの前を通って、どこかの座席に行かないといけない、って言うんです。
確かに、それはおかしな話だ、ってわたしも思いまして、Aさんに訊ねたんですよ。
そういうことは、それっきりなのか、って。
そしたらAさん、そんなことが何度もあったから、おかしなこともあるものだと、わたしに話してきたそうなんですよね。
そのとき、ちょっと思いついたことがあって、ゾクッと、背筋を撫でるような感じを覚えましてね。Aさんに訊ねたんですよ。それ、どこの駅、って。
こういうときに、ピンときたことは、たいてい当たってしまいまして。当たらなければ良いのに、なんて思っていても、やっぱり、当たってしまうんですよね。
Bさんが飛び乗ってくる、その駅で以前、ちょうどBさんが乗ってきた辺りで亡くなった方がいたそうなんですよね。どうやら、サラリーマンの男性だそうで、それも朝のことだった、らしいんですよね。通過する特急電車に飛び込んだ、らしいんですよね。
それで、Aさんも怖くなってなってしまって、普段見かけるBさんが、もしかしたら生きていない人なんじゃないかって、どうしようって。
もしかして、自分が死んだことがわかってなくて、何度も何度も自殺を繰り返しているんじゃないかって、言うんですよ。
それを聞いて、わたし、ちょっと、それは違うんじゃないかって、思いまして。というのも、Bさん、飛び乗ってきて、ホッとしたようだったって言っていたじゃないですか。ええ、ですから、自殺をされる方がそんな表情をされるのかどうか、疑問だったわけですよね。
しかも、ドアが開いている車両に乗り込んでくるわけですから。
これが運転手さんの話とかで、自殺者かと思ったら、そうではなかった、という類の話なら、わたしも納得できるんですよね。ところがそうじゃない。
そのBさんは、飛び乗ってくるんだから。
ただ、行動を繰り返す、というAさんの話から、自分が死んだことに気付いていない、というのは、そうかもしれない、なんて思うんですよね。
だとすると、このBさん。飛び乗った、と思っているだけで、実は飛び乗れていなかったんじゃないかって、考えてしまいまして。Bさんが飛び乗ってくる駅で、飛び込んで亡くなってしまわれた方が、本当にBさんだとしたら、ですね。
ひとつ、こういうふうにも考えられるんじゃないかって、思うんですよね。
つまりね。
Bさんは、飛び込んでしまう前に、すでに、おかしくなっていたんじゃないか、ということなんですよね。それで、電車が来ただけで、乗れると思って、飛び乗ろうとしたのが、飛び込みになってしまった。
死ぬ前からおかしくなっていたから、死んだ後も、自分が死んだと気づけないままなんじゃないかって、そう思うんですよね。
そう話したらAさん、なんだか可哀そう、って言って。Bさんは、いつも飛び乗ってきて、ホッとしたような表情を浮かべるでしょう、だから、なにか、とても急いでいたんじゃないかって、言うんですよ。
ああ、そうかもしれないね、なんて今となってはわからないことですが、わたしも、そう思いましたね。
最後にAさん、この話をして、怖くなってしまったのか、今度から電車をズラそうかな、なんて言っていましてね。Aさんのことだから、さらに朝早くの電車にするでしょうから、大変だなあ、なんて思いました。
そんな、飛び乗ってきては、どこかへ消えてしまう、不思議な男性についてのお話でした。
~終~