ヒーロー・ツー(ルパン三世のアニメを見ながら、ふと思ったこと2)
ルパン三世と峰不二子との、純愛物語について。
ルパン三世のこと。
ファイブが、出色の出来だと思っていたけど、昨日たまたまユーチューブで、そのファイブのPVを見たんだけど、そのラストで、だれにいっているのかもわからないセリフだが、こういうのを言っていた。
『オレがお前を守るのは、そういうオレが、好きだから、さ。』
あいやー、これでしょ?
いちばん、ダンディーなセリフって。
それこそ、ダンディーの中のダンディー。
ナルシズムの極致を、自己アピールすること。
そして、でも、ほんとうは違うんだよ。
ただ単に、その相手のために自分を犠牲にしているだけなんだよ。
でも、その相手の気持ちに負担をかけないように自分のためだって言うんだ。
ハードボイルド、ってへんてこりんなダンディズムがこの世界に流行った時代があって、そこから発展したはずのルパン三世の、通常のハードボイルドでは決して漏らしてはいけないセリフ。
それを言ってしまったら、あとは愛を証明するには、死ぬしかない、っていうくらいのセリフだろ?
それを、言っちゃって。
そのあと、どうなった?
ファイブを絶賛したのは、過去のことだが、まだ、一年以内のこと。
ルパンと、峰不二子の愛は、プラトニックだと、思う、って。
ていうか、それを明らかにしたのが、そのルパン三世ファイブだったんだと思う。
プラトニックだから、性を拒絶するし、プラトニックだから、決して手練手管は使わない。お互いに、使わない。
だから、その愛は、二人の中にだけあるほんとうの性を超越した愛なのだ。
ルパン三世というアニメが、いつまでも視聴されている理由は、数多く数えられるだろうが、いわゆる盟友である次元や、ややこしいライバルとしての石川五右衛門や、親友と認めてしまえって言いたくなる銭形警部の存在は、それをなくしては、ルパンはルパンたりえないほどの重さを持って存在している。
翻って、峰不二子という存在はどうか?
ストーリーを引っ掻き回すには、うってつけのキャラクターだが、じっさいに、彼女がそこに『いなければならない』ひつぜんせは、あまり見出せない、というのは、私のうがった見方だろうか?
ただのお色気要員として、存在しておることが多いとか思ってしまうのだが。
でも、ルパンは、平気で嘘をつくけど、その種類によっては嘘が大嫌いだったりする。峰不二子を好きだと広言してるのは、本気の好きだと思っていいと思う。
峰不二子も、ルパンの目の届かないところでなら、ルパンが好きって公言しているみたいな描写がなされている。
だから、二人は、好き同士なのだ。
峰不二子の、人生でたった一度の、全てを賭けた恋(ファーストのプーンとの恋)を、知りながら、ということは、この人生において今後その相手より好かれることはないと知りながら(そう、ルパンが思い込んでいるという話であって、不二子はもうすでに、ルパンを最愛の人として見ていると思うけど)その後も峰不二子のことを、「フッジコ、チャーン」と追い回すルパンは、明らかに純愛を峰不二子に捧げているし、峰不二子のほうは、それこそそんなルパンの純愛を理解したうえで、純愛を注ぎ返し、それ故に、絶対に、男女の関係になろうとはしない、なれば、ルパンの愛をけがしててしまうことになるからと考えて、絶対に自分からは好きとは言ってはいけない関係性を作り上げようと懸命になっている。
そして、やはり、男は、ダンディズム。
ルパンは、おのが欲望を(おそらく)死ぬまで耐え抜くのだろうけれども、女である峰不二子のほうは、もう、死ぬかもしれないと自分で思ってしまったときに、あらゆる虚飾を剥ぎ取って、ほんとうに自分が愛しているのは、ルパン三世なのだとルパンに告げてしまう(飛行機から抱き合いながら、落下するシーン)。
ルパンは、それを聞かなかったふりをして、死なずに助かったあとも全てを元どおりに進めようとする。
最近とあるローン会社のテレビCMで、『そこに、愛は、あるんか?』という問いかけがひっきりなしに画面から行われているが、まさしく、ルパン三世の峰不二子への想いのなかには、『そこには、愛しか、なかった』といってしまって、なにひとつ間違いではない本物の愛があったと思うのだ。
その関係は、ふたりがふたりとも、ほかの異性と関係を持つことがあっても、おそらくは、決して崩れない、繋がりだと思うのだ。
そして、その繋がりこそが、ふたりの不滅の純愛だと思うのですが、雲の上のモンキーパンチ先生、いかがでしょうか?