本格的なファンタジー
あるエッセイをぼやーっと眺めてた。
その後、そのエッセイの感想欄をぼやーっと眺めてた。
そこに書かれた感想の一つが私の目を引いた。
その感想を書き込んだ人が、現在執筆している小説についてだった。
特にその人がどうこうということはないし、言っている事、その内容を批判したいとかでは全くないし(人の感想欄に自作の事を書くという『行為』はあまり誉められた事とは思わないが、書かれた作者が気にしなければ別に構わないだろう)、その人を特定して欲しいわけでもないので、ざっくりと言ってしまえば
「私は本格的なファンタジーを書いている」
といったようなことだった。
さて。
本格的なファンタジーってなんだろうか? と改めて思った、それだけの話だ。
私はファンタジー作品を多く読んできた訳ではないし、自分の作品を「本格的なファンタジー」と思ってもいないので、正直よくわからない。
もしかしたら私は「本格的なファンタジー」について、そもそも語る土台にすら立っていないのかも知れない。
いや、立ってないのだろう。
だって、ファンタジー作品にそれほど詳しくないから。
『指輪物語』や『エルリックサーガ』、『ロードス島戦記』などは、本格的なファンタジーだと思う人が多そうだな、くらいしかない。
『スレイヤーズ!』や『魔術士オーフェンはぐれ旅』あたりは人によるのか? 結構除外する人もいそうだ。
個人的には「なろう」で言えば、「辺境の老騎士」や「狼は眠らない」を執筆されている支援BIS先生の作品群は、「本格的なファンタジー」だと感じるが、それも人によるのかも知れない。
この「本格的」という言葉は、重厚感のある作品に合う気がする。
「本格的なミステリー」とか。
あまり恋愛小説には使わないかな? と思い、試しに「本格的な恋愛小説」とググってみると、某知恵袋の質問としてしては出てきたが、やはりあまり「本格的な恋愛小説」という言葉は使われないみたいだ。
小説においてその作品が「本格的」かどうかを決めるのは
1.作者(または書籍なら出版社や編集)が「これぞ本格的○○!」と宣言して言い切る。
2.読者が「この作品、本格的だな」と感じる。
の二つということになるのだろうか。
となると、私は自分で「本格的な作品を書いてますor書きました」と宣言するのは無理だ。
そもそも書いてないから、というのはさておき、仮に自分が「本格的○○」書いたぞ! という自負があっても、それが本当に「本格的」と感じるかどうかは読者に委ねたいからだ。
「本格的○○を目指しました、読んだ方にそう感じていただけたら嬉しいです」
くらいは言うかもしれない。
「本格的」が「本格的」であるためにはある程度の歴史というか、ジャンルの成熟が必要だろう、たぶん。
「君も凸蔵流剣術を本格的に学ばないか?」
そんな事は恐らく成立しない。
そもそも凸蔵流剣術(存在しないけど)自体が剣術として本格的ではないからだ。
そのうち「これは本格的な異世界転生だな」などと言われることがあるのだろうか。
その場合死因としてトラックはOK、ベンツはNGとかになったりするのだろうか。
もしかしたら「本格的」というのは「古典的なテンプレ」と言えるのかもしれない。
言うなれば「古き良き」ってことだ。
もちろん「本格的なファンタジーを書いている」人は「古き良きを感じさせつつ、新しい面白さ」を模索しているのかもしれない。
と、ここまで書いて思ったのだが、冒頭に挙げた「辺境の老騎士」や「狼は眠らない」は別に古いと感じないし、やはり違うのかもしれない。
しかしそれは、そもそも「本格的」を目指していない私が考える事でもないのだろう。
私にわかるのは、現在「本格的ファンタジー」と多くの方に評される作品群の中に、ファンタジーというジャンルを切り開いた立役者といえる作品があり、ジャンルの成熟を促したのだろうということ。
そんなジャンルを切り開いた立役者たちの作品を「そのまま継承することを目指す」ことと、「なろうに最適化されたファンタジーとは何か?」と様々な模索すること、その両者に優劣があるのか? ということだ。
これは個人的な意見なので人によっては違うだろうが、「本格的な小説の執筆」を目指すのであれば、「本格的であることが面白さに繋がっている」状態でなければ、あまり意味がないと思う。
もちろん「本格的なファンタジー」を目指して書く人は「本格的であることが面白さに繋がっている」なんていちいち言わなくてもわかるよね? という前提なのかも知れないが。
小説である限り優劣を決めるとしたら、どれだけその作品が、読者に『良い読書体験』を提供できたか否か、だろう。
特に結論って訳ではないが、たぶん私は「本格的な○○書いてます」と言うことはないのだろうな、と思っただけの話です。
まあそもそも今現在、本格的○○を書きたいという欲求もあまりないし(書く能力もないし)、もしかしたら「本格的な物を書いている」という自負無しでは、本格的な物なんて書けないのかもしれない。
そのうち「このざまぁ⋯⋯本格的だな」などという時代が来るのかも知れない。
ないか。
良くわからない話になったのでこの辺で。
では。




