09 お泊まり会。
小さなトランクケースを持っていなかったので、母に貸してもらう。
ネイビーと赤のラインが入ったシンプルで可愛いトランクケースに、着替えを詰め込んだ。母自慢のローズオイルの小瓶も入れる。
「カトリーナ。入ってもいいだろうか?」
部屋の下から、レーティーの声。
下着はちゃんとしまったことを確認して、トランクケースを閉じた。
「うん、どうぞ」
梯子を登って入ってきたレーティーは、浮かない顔をしている。
「……本当に行ってしまうのか」
「嫌だな、そんな顔をして。一泊するだけだよ」
「……」
一泊するだけ。そう言って気が付く。
この一週間、なんだかんだで眠るその時まで、レーティーと一緒に過ごしていた。スケッチブックを眺めるレーティーをスケッチして寝落ちてしまったり、ココアを持って来てくれたレーティーと他愛ない話をして眠ってしまったり。
今夜もそうなるのか、レーティーは私の許しをもらってから、ベッドに腰をかけた。
「新しい使い魔が欲しいのかい?」
「ああ、その話なら、パドックさんから持ちかけてきたの。ランを使い魔にしないかって」
隣に腰を下ろして、私は笑って答える。
「使い魔にするのかい?」
「どうかな……私が寄宿学校に行っている間、パドックさんは会えなくなるんでしょう? そしたら寂しく感じるかもしれない。奥さんと思い出もあるだろうし」
良かれと思って、提案してくれたことだろうけど。
「離れて初めて、寂しさに気付くものでしょう?」
「……そうだな」
レーティーは眩しそうに目を細めると、私の髪を撫でた。
よくする表情と仕草だ。
「しかし、ランは恐らく喜ぶと思う」
「そうなの?」
「ああ。元はホスワノイート学校に住み着いていたエンゼルヘアなんだ。また学校に行けて喜ぶだろう」
「そうだったの……」
ホスワノイート学校に住み着いていたエンゼルヘア。
それを聞いて、私よりも結構な歳上なんだろうと、内心驚いた。
「君のことも気に入っている。それを知っているから、パドックも持ちかけたのだろう。それにエンゼルヘアは持ち主に幸運をもたらすという魔法生物だ。使い魔にして損はないはず」
「レーティーは他の使い魔がいてもいいんだ?」
「ふっ……使い魔は私だけがよかった、なんて言ったら幻滅するかい?」
微笑を零してレーティーは、私の手を取るとちゅっと口付けをする。
こんな優美な姿を見て、幻滅する人なんているだろうか。
ぽーっと放心してしまいそうになる私は違う。幻滅しないと、首を横に振った。
「じゃあ賛成なのね? ランを使い魔にすること」
「ああ。学校で私がそばにいられない時は、ランがそばにいると心強いだろう」
「そっか。レーティーは先生だものね」
使い魔として、そばにいられる時間が限られている。
ランなら、四六時中肩に乗っていてもいいだろう。授業中も使い魔を連れてもいいらしい。
「次訪ねる時に、主従関係を結ぼうと思う」
「それがいい」
レーティーは微笑んで、私の頭を撫でる。
「眠るといい。おやすみ、カトリーナ」
「うん。おやすみなさい、レーティー」
いつもの最後の言葉を交わす。
レーティーは優しく私の額の上に口付けを落とす。それから、魔法の杖を取り出した。白い杖から、蛍のような仄かな光が一つ、二つ、三つと飛んでいく。それがぺたりと三角の天井に張り付く。
数え切れなくなったそれが、星に見えてくる。
こうして、レーティーは屋根裏の天井を飾ってくれるようになった。
三日ほど前からだ。魔法の星空を作ってくれる。
私はそれを眺めて、やがて眠りにつくのだった。
そのうち光は消えて、朝には跡形もない。そんな魔法だ。
魔法の杖を買ってもらったら、真っ先に覚えたいと言った。それくらい気に入っている。
ご機嫌に飾られた天井を眺めつつ、ベッドに横たわる。瞼を閉じて、ゆったりと眠りに落ちた。
翌日、父の車で送ってもらい、街中にあるセイディの家へ。
街の名前は、サリンベナシティ。その丘に聳える屋敷が、セイディの家だった。
黒い門をくぐれば、広い前庭。手入れが行き届いている感じで、整然とした印象だ。
長年あるような屋敷には、なんだか執事がいそう。そしてシオリック達が「迷いそうな家」と楽しげに言いそうだ。実際、迷いそう。
出迎えてくれたのは、セイディとその母親。
「いらっしゃい」
「ハーイ、カリー!」
「ハーイ、セイディ」
セイディが腕を広げてくれたので、ハグを受けた。
母も、ハグで挨拶をする。
「娘をよろしく頼むよ」
「任せて」
トランクケースを出してくれる父に、セイディの母は笑顔で返す。
「じゃあね、明日迎えに来るわ。良い子でね」
「また明日な、カリー」
「うん、明日ね」
母と父に抱き締められたので、ギュウッと抱き締め返した。
車で去るのを見送ったあと、家に入るように背中を押される。
玄関の扉は、セイディの母が手を振り、開いた。ギィッと軋んだ音を鳴らす重たそうな扉をくぐり、中に入らせてもらう。
「迷いそうなほど、立派なお屋敷ですね」
「そう?」
「そうかしら?」
なんてことないように返すけど、胸を張っているように見えた。
自慢な家なのだろう。歴史が深そうだ。
玄関ホールが、セルペン家に比べたら広すぎる。大きな階段がどーんと真ん中にあって、左右に分かれていた。赤いカーペットが敷かれたそこには、サブリナが座っている。
「カリー、ハーイ」
「ハーイ、サブリナ」
ちょこんと身体の前で手を小さく振るサブリナ。私も手を振り返した。
「左がダイニングルームとキッチン。右がリビングルーム」
「二階の右の部屋が私の部屋。今日泊まるところよ。案内するわ!」
教えてくれるセイディの母に続いて、セイディが私の手を引く。
トランクケースを置きたいし、私はついていくことにした。
サブリナは反対側の手を取ってくれたので、三人仲良く二階に上がる。
右に曲がってすぐある部屋を開く。
その中には、お屋敷にぴったりとも言える天蓋付きベッドがどーんと置かれていた。ピンクのフリルがあしらってあって、まさにお姫様のベッドみたい。
部屋の隅には、楕円形の大きな鏡のドレッサーと机と本棚があった。白いドアとクローゼットもある。
「その辺に置いていいわ」
セイディが言ってくれるので、私はドアの邪魔にならない壁際にトランクケースを置いた。
「こっちがバスルーム」
白いドアを開けて、セイディは見せ付ける。
バスルーム付きの部屋か。いいな。素直に羨ましいと思った。
覗いてみれば、大きなバスタブとシャワー。それに鏡と洗面台のある空間。清潔で綺麗だ。セルペン家のバスルームより、広々としている。
「うわーあ……とても素敵な家だね」
「そうでしょう」
私が零すように言うと、セイディは鼻を高くした。
「くつろいでいいのよ?」
「じゃあ遠慮なく。あ、マシュマロコーンっていうお菓子持ってきたの、よかったら食べて」
サブリナがセイディのベッドに腰をかけていたので、私も隣に座らせてもらう。
知っているようで、遠慮なく二人は小分けしたマシュマロコーンを食べた。
「何をするの?」
お泊まり会は初めての経験だから、何からするのか。問う。
「先ず、今回のお泊まり会の目的を明かすわ!」
「ん? 目的?」
セイディがサブリナの反対側に座って言った言葉に、ちょっと理解が追いつかなかった。
「新参者のカリーが吸血鬼を使い魔にしたなんてずるいから、あたしも吸血鬼を使い魔にするのよ!」
私は目を見開いて、パチクリと瞬く。
「使い魔にするって……他に吸血鬼がいるの? 使い魔って、主人を二人持てないからレーティーじゃないよね」
使い魔になってくれるような吸血鬼を、他に知っているのか。
お泊まり会の目的が吸血鬼を使い魔にすることだと言うなら、嫌な予感がしてしまって、顔をしかめる。
「そうよ! 使い魔は一人の主人しか持てない! でも知り合いの吸血鬼なんて、レーティー先生くらい! だから、あたしは吸血鬼を召喚するのよ!」
「セイディ、声大きいよ」
サブリナが、しーっと唇に人差し指を当てた。
吸血鬼の召喚。使い魔の召喚は名前を三回呼べば成功すると学んだ私は、首を傾げる。
「名前を知らなくても、召喚出来る魔法があるの?」
「いいえ! 出来ないわ!」
サブリナに注意されても声を上げるセイディは、私に詰め寄った。
「でも知っている吸血鬼の名前があるの! それで呼び出すのよ!」
「勝手に呼び出すってこと?」
「聞こえが悪いけど、そういうことね!」
私は腕を組んで呻く。
「んー。よくないと思う……相手は吸血鬼、歳上なんでしょう? そんな吸血鬼を勝手に呼び出して、しかも使い魔になってって頼むなんて……人柄もわからないのなら危険じゃない?」
レーティーは紳士的でおおらかな性格の吸血鬼。
聞いていないけど、他もそうとは限らないのではないか。
「大丈夫よ。知らないの? 吸血鬼は許可がないと建物に入れないのよ」
「あ、そうだったの?」
「そうなんだから」
人の許可がないと建物に入れない吸血鬼だったのか。
考えてみれば、レーティーがショッピングモールに来なかったのも、この家についてこなかったのも、それのせだったのかも。
「だから、外に呼び出して、いい吸血鬼かどうかを判断して、使い魔になってもらうのよ」
セイディは胸を張る。
んー、やっぱりよくないと思う。
「どこで知った名前なの?」
「昔、両親が話してたのを聞いていたのよ。吸血鬼のルーパー」
「じゃあセイディのお母さんに詳しく聞いてみよう」
「「だめ!!」」
私が立ち上がると、二人は押さえ込んでベッドに押し倒してきた。
「これは親に内緒でやるのよ! 驚かせてやるんだから!」
「絶対にだめだって言われちゃうよ!」
だめだって自覚はあるみたい。
「でも、セイディの両親がいるこの家で、内緒で呼び出せないでしょ?」
「それなら大丈夫よ。あたしのパパは、出張中。ママは買い物に行かせる。そのうちにサクッとやるわよ」
「私は反対なんだけど」
「ちょっと! 協調しなさいよ! それとも自分だけ吸血鬼の使い魔を持った新入生でいたいから、反対なのかしら!?」
ベッドの上に倒れたままの私に、セイディは上から言ってくる。
艶やかなプラチナブロンドが、私の顔周辺に垂れてきた。
「そうじゃないけど……」
「二票と一票で、することは決定しているのよ!」
多数決で決めてしまう。
私は賛成しているサブリナに目を向けた。
「大丈夫だよ、カリー。召喚も相手は拒否出来るものだから、嫌なら来ないよ」
「あ、そうなの……」
それを聞いて考えが変わる。拒否出来る類の召喚なら、やってみるだけやってみよう。セイディはどうしてもやりたいようだし……。
幸い、私がこの家の外に出ることはしなくてもいいみたいだ。それなら、父の言い付けを守れる。
「じゃあ、私も賛成で……」
「決まりね!」
セイディは、私をやっと開放した。満足そうだ。
この子はやりたいようにやらなくちゃ気が済まないのだろうか。
こんなお屋敷に住んでいるわけだし、ワガママになったのも無理ないのかもしれない。自分が他より優位にいないとダメなのかも。
いじめをするほど悪い子ではないが、今後付き合っていくとこんな風に困りそうだ。なんて思った。
セイディはパパンと素早く手を二回叩いて、音を響かせる。
すると本棚から、一冊の本がビュッと飛び出て、セイディの手の中に収まった。
「これに吸血鬼を呼び出す魔法が書いてあるの。簡単なんだから」
鼻歌のようにセイディが言う。
私は覗き込んだ。一言、呪文を唱えるだけではなさそう。
ろうそくと魔法陣を用意しなくてはいけないみたい。
「魔法陣は用意してある」
「ろうそくも持ってきたよ」
サブリナが取り出したのは、ろうそくというよりキャンドルだ。アロマキャンドル。匂いを嗅いでみたら、ラベンダーの香りだ。色が薄紫色。
「ラベンダーでもいいの?」
「うん、平気だよ」
アロマキャンドルでも、支障はないみたいだ。
「じゃあ……どうやってセイディのお母さんを買い物に行かせるの?」
他の家の子どもを預かっているのに、買い物に出掛けるとは考えにくいけれど。
セイディはニヤリと不敵笑いをする。
「それは心配ないわ」
自信があるようだ。
私はもう一度、本を見た。
そこに書いてあったのは、処女の血が三人必要と書いてある。
「血まで用意したの……?」
「ここに三人いる。……処女よね?」
「ちょっと!」
疑いの目を向けられて、私は吹き出す。
セイディもサブリナも、ケラケラと笑って転がった。
夕食後にお風呂に入らせてもらったけれど、置かれていたボディーソープもシャンプーも高そう。芳醇な香りがあるし、肌に触れる泡も濃厚ですべすべになる。
魔法のブラシが、背中をこすってくれた。気持ちいい。
ローズオイルを全身に塗ったけれど、セイディのおすすめで渡された乳液を使わせてもらった。身体全身がしっとりした。ミルクの匂いがして、なんだかほっこり。ちょっと舐めたくなった。
寝間着の水色のワンピースを着て、短パンを下に穿く。
寝間着姿で三人揃って、セイディの母に「おやすみなさい」を告げた。
けれど、セイディは「あっ!」と声を上げる。
「牛乳もう飲み終えちゃったよ、お母さん」
「え? そうなの?」
困ったわ、とセイディの母は頬に手を添えた。
「あたし、朝はシリアルじゃないと嫌だからね!」
それが一押ししたみたい。
「わかったわ。すぐ買ってくるから、皆部屋で寝て」
呆気なくセイディの母を買い物に行かせることに成功した。
セイディの母がベッドに入るまで見届けると、車で出掛けていく。
「急ぐわよ!」
窓から見送ったセイディのその合図で、私は電気をつけた。
サブリナもアロマキャンドルを抱える。
「えっと、どこでやるの?」
「玄関ホール!」
魔法陣が書かれた紙を持って、セイディは先導して廊下をパタパタと走った。
「楽しいね」
笑いかけてくるサブリナに、同感だ。
小さな悪いことをやるのは、ちょっと楽しいと覚えてしまった。
幼い共犯者とともに、はしゃぐのはいい。わくわくしてしまう。
階段を駆け下りて、玄関ホールに輪になって座り込む。
紙を広げて、アロマキャンドルを六つ、重石代わりに置いた。
そこにセイディが、キッチンから持ってきたチャッカマンで火をつける。
ラベンダーの香りがちょっと眠気を誘ってきたが、高揚感が勝った。
針で人差し指を刺し、血を出す。順番に、真ん中に置いた白い器にポタリと垂らした。
「手を繋ぐわよ」
しっかり血を拭いて、私達は手を繋いだ。
「順番に繰り返して。ーー汝の名で召喚する。血を啜る者、ルーパー。出でよーー」
「ーー汝の名で召喚する。血を啜る者、ルーパー。出でよーー」
「ーー汝の名で召喚する。血を啜る者、ルーパー。出でよーー」
セイディ、サブリナ、私の順で唱えた。
これでいいのか。私はただ手を繋いで唱えただけだけど。
すると、フッとアロマキャンドルの火が消えた。
背筋に悪寒が走って、背筋がピンと伸びる。
ドンドン。
私が背にする玄関の扉が叩かれた。
吸血鬼のルーパーだと思い、嬉々とした表情でセイディは立ち上がって扉に向かう。
「待って!」
私はセイディが、扉に触れる前に声を上げた。
ドンドン。
ーーダンダンダン。
ドンドンドン!
ーーダンダンダン!
不規則に叩かれる音は、一人や二人のものには思えなかった。
ただならぬ雰囲気を察知した私は、セイディの手を掴んで引き寄せる。
ドンドンドン!
扉は叩き続けられた。
20190420