07 魔法の世界。
翌日も、気持ち良く起床。
朝食の時間に間に合って、家族揃ってとることが出来た。
今日はコーンフレークだ。私はサクサク感が好きなので、牛乳を少しだけ器に注いで食べた。サクサクと音を鳴らしながら。
「カリー。パパは今日から仕事に行かなくちゃいけない」
「あ、いってらっしゃい。……どんな仕事?」
「魔法の世界の政府機関に属している。パパは魔法生物の保護や規制管理部部長を務めているんだ」
父アラリックは、胸を張って見せた。
部長。偉い人なんだ、と理解した。
流石は、大家族の大黒柱だ。
「すごい。じゃあ魔法生物に詳しいの?」
「当然だ」
父は鼻を高くした。
「魔法生物について、色々聞きたいな」
「あーそれなら、レーティーに聞くといい。レーティーが教える科目は魔法生物学だからな」
「そうだったの?」
私が父とは反対側のテーブルについてコーヒーを啜るレーティーを見ると、彼は微笑んだ。変わらず、美しい顔だ。
「先生が出る幕じゃない。あとでオレの部屋に来い、カリー。魔法の世界の常識を教えてやるよ。兄としてな」
私の向かい側の席で朝食をとる兄テオドリックが、口を開いた。
ニヤリ、と笑う顔は、ちょっとかっこいいと思う。モテるのもわかる。
魔法学校で学年一位の成績のテオドリックに教わるのか。
「いい案だ」
父は賛成する。
母も「いい子ね」とテオドリックの頭にキスをした。
兄として接してくれることに喜ぼう。
「その前にバルコニーを見ない? カリー」
「あ、うん! じゃあテオ、あとで部屋に行くね」
「ああ」
短く返事をして、テオドリックは階段を上がっていった。
「じゃあパパは仕事に行ってくる。カリー」
「いってらっしゃい」
父がいってきますのキスを、頬にしてくれる。
それから、母と軽くキスをした。
「いってらっしゃーい」と、シオリックとリオリックも笑顔で見送る。
荷物を持って、父は仕事に出かけていった。
流しに空になった器を運ぶと、すぐにレーティーが洗ってくれる。
ありがとう、と伝えて、私は母についていく。
バルコニーは、螺旋階段の後ろのドアの向こうにある。
ドアをくぐると、薔薇の庭園があった。赤い花びらの薔薇が、上からも垂れ下がっている。白いロッキングチェアが一つ置いてあって、ここで座って読書でもしたら世界観にどっぷり浸れそうだと思った。私の場合は、読書よりスケッチがしたいかな。
真ん中には短いテーブルがあって、そこには花切り用のハサミや鉢植え、それに試験管立てがある。試験管やフラスコもあって、きっとここで魔法の薬やローズオイルを作るのだろうと思った。
鉢植えの中には、白い薔薇が咲いている。
いばらが垂れ下がった僅かな空間から、空を見上げれば青く晴れていた。
そして、そのバルコニーは薔薇の花の香りで満ちている。まさに飽和している。そう表現することがぴったりに思えた。
「素敵なバルコニー」
「ありがとう」
母は照れた笑みを溢す。
「今度スケッチをしてもいい?」
「もちろんよ、いつでもどうぞ」
「うん、わかった」
薔薇のバルコニーのスケッチをする許可はもらえた。
私は手が届く赤い薔薇に触れて、匂いを吸い込んだ。
うっとりするくらい芳醇。
「薔薇の香りは、美肌にもいいのよ」
なんて言いながら、私を後ろから抱き締めて頬すりをしてきた。
母の頬は、しっとりすべすべだ。
「お兄さん達がモテる秘訣かな」
「かもしれないわね」
母と一緒に、クスリと笑った。
両親のルックス譲りもあるけれど、きっと母のローズオイルで磨きをかけているに違いない。そう言えば、肯定したので、兄達もローズオイルを使っているようだ。
「お兄ちゃん達にも言っているけど、恋人が出来たら真っ先に連絡してちょうだいね」
「お母さん、まだ十歳だよ」
「歳は関係ないわ。出会ってすぐにビビッとくるかもしれないわよ、お互いにね。私とアラリックも、ホスワノイート学校で出会ったんだから」
「そうだったの?」
本当の両親の馴れ初め。
聞いていたかったけれど、ドアを開いてレーティーが私を呼んだ。
「カトリーナ。そろそろ、テオドリックの部屋に行こう」
「そうね。あんまり待たせない方がいいわね」
母も送り出すように背を押す。
私はレーティーも一緒に行くことが決定していることに、少々驚く。
そんな私の肩に、レーティーは白蛇の姿に変身して乗った。ふわっと舞い上がった髪を母は直してくれてから、離れていく。
螺旋階段を上って、三階のテオドリックの部屋を訪ねた。
左のドアをノックすれば、開かれる。
真っ先に、ベッドの上に腰をかけたテオドリックの姿を目にした。
テオドリックがドアを開けたわけではないみたい。
じゃあ誰が? とドアの後ろを確認したけれど、誰もいなかった。
テオドリックが持っている杖を振れば、机と向き合った椅子を私の前に移動させる。なるほど、魔法で物を動かしたのね。
白蛇を肩に乗せたまま、私はその椅子に腰をかけた。
パタン。魔法の杖に従って、ドアが閉じられた。
「普通の人間の前では、魔法を使ってはいけない。それはもう誰かから聞いたよな?」
「うん」
「正しくは、普通の人間に魔法を使ってはいけない、だ。魔法の世界でそういう法律がある」
魔法の法律か。
私は理解出来ていると示すために頷いた。
「カリーがいた世界にも、法律があっただろう? 表向きには隠された世界が、オレ達の魔法の世界だ。俗に、人間界と魔法界と呼ばれている」
「ノーマジックワールドと、ウィザーディングワールド……」
「そう。人間界の一部は魔法界の存在を知っている者もいる、仕事上な。例えば、大統領。魔法界の首相と繋がっているんだ。警察機関のお偉いさんもな、魔法界の犯罪者が逃亡したりしたら動いてくれる。世界が区切られていても、協力関係にあるんだ」
「へぇー、すごいね」
私は一つ頷いてから、隙間があったので質問する。
「魔法界にも犯罪者っているんだ?」
「ああ、殺人犯だっている」
「……魔法で?」
ちょっと聞きたくはないけれど、顔を歪めつつ尋ねた。
テオドリックは頷く。
「人の命を奪う魔法があるんだね……」
「ああ、禁忌の魔法だ。それも授業で教わることになるが、四年生になってからだ。でも存在するってことは、一年生でも習う」
気を引き締めなくちゃいけない。
「ホスワノイート学校では、そういう魔法の社会の勉強をしつつ、魔法を習うんだね?」
「そうだ。さっき話していた魔法生物学、魔法歴史学、魔法薬学、魔法呪文学、主にこの分野な」
立ち上がったテオドリックが、机の上の本を手渡してくれた。
どっしりと重くて分厚い本に、そのタイトルが書かれている。
歴史と呪文の本が、圧倒的に分厚い。
「あと魔法飛行学もある」
「魔法飛行? ほうきで飛ぶの?」
私は身を乗り出した。
「そう、ほうきでも飛ぶし、傘でも飛べる」
「傘!」
「様々な飛行方法があるから、それを学ぶんだ」
テオドリックが笑う。私の反応がおかしいみたいだ。
いやだって、傘で飛ぶなんて、楽しそうだもの。
「でも、感情が高ぶると魔法を使っちゃうんでしょう? セイディが、功績だって言ってた」
「子どもの頃は制御が効かずに、魔法を起こす現象が現れる。自慢する時に、功績って言う。だいたい五歳すぎてから、大抵の子どもが怒りなどで起こすそうだ。魔力の暴走ってところだろう」
功績というより、子どもの癇癪みたい。
「テオの功績は、どんなの?」
「オレか? 五歳の時、シオに当時お気に入りだった蛇のぬいぐるみを取られて、泣いた」
「え? テオが? シオに?」
「そうらしい、覚えてないがな。大泣きして、家中の窓を割った」
笑い話でいいらしく、テオドリックも私も笑った。
長男のテオドリックが、三男のシオリックに泣かされちゃうなんて。
「カリーは全くないんだよな? あればもっと早く、魔法界が保護して会えたのにな……」
「そう、なの……ごめん」
「なんでお前が謝るんだ。平穏な生活が出来たんならいいことだろ?」
私は笑みをなくして、頬杖をついた。
「そうね、平穏な生活が出来たなら、幸せだと思わなくちゃ」
普通の暮らしが出来たのだ。人間界としての幸せな生活。
「違うのか?」
テオドリックは、私を覗き込む。
そこでぶわりと煙が巻き起こる。レーティーがまた変身をしたのだ。
テオドリックのベッドの横に立つと私の許可を求めるように見つめてきた。
いいよ、と首を縦に振る。レーティーが言いたいみたい。
だから人の姿になったんだよね?
「カトリーナは、人間界にいることに違和感を抱いて、孤独感を味わっていたそうだ」
そう言って、私の頭を優しい手付きで撫でた。
「そうか……。孤独ってやつがわからないから、何も言えないんだが……」
「いいんだよ」
「いや、言わせてくれ。これからは家族がいる。レーティーも、オレ達兄も、お前の味方だからな」
首をさすって気まずそうにしたテオドリックだったけれど、ちゃんと言葉をかけてくれる。
「優しいお兄さんがいて、嬉しい」
私は大丈夫を込めて、微笑んだ。
「学校でも優しくしてね?」
「当たり前だ」
笑みを返してくれたテオドリックだったけれど、すぐに目を泳がせた。
「……その、学校なんだが」
「うん?」
「お前が人間界の家で育ったことは、多分皆に広まっていると思う」
私は目をパチクリさせる。
「え? 皆って学校中?」
「そう、学校中だ。前代未聞のことで、魔法界もニュースに取り上げたんだ」
魔法界の子どもと、人間界の子どもが、取り違えられた。
そんな悲劇がニュースになって知れ渡っているのか。
ちょっと嫌である。私は隠しもせずに、顔をしかめた。
ただでさえ“リック兄弟”の妹だから、目立つとは思っていたけど。
魔法学校で悪目立ちしてしまうのね。
「“オレ達の妹”がいじめられるとは思えないが、何かあったら頼れよ?」
「うん。お兄さん達に守ってもらう」
「私もついている」
忘れないでほしい、と言いたそうなレーティーが私の視界に入ってきた。
わかった。頼りにしている。
「じゃあ魔法生物について、少し教えてやる。常識程度にな」
「はい」
私は重たい本を膝の上に乗せたまま、ピンと背を伸ばした。
「まずは、人間界でも知られている動物だ。猫、ネズミ、フクロウ、カラス、カエル、蛇。通常、新入生の使い魔は、この中から選ばれる。通常はな」
テオドリックは、にやりと笑う。
私もレーティーに目をやった。私の場合は通常じゃない。
その点も目立つこととなるのだろう。
「テオ達の使い魔は何?」
「オレ達はフクロウだ」
「フクロウ? 蛇と相性悪そう……てっきり蛇を飼ってるのかと思った」
「フクロウは大きな蛇を食べたりしない」
テオドリックが、またにやりと笑った。意味深な笑み。
セルペンの名は、蛇から由来していると聞いたから、蛇を飼い慣らしているとばかり思い込んでいたが、違うみたい。
「手紙のやり取りに便利だぞ。普段は放し飼いだ」
「手紙のやり取りかぁ」
私は顔を綻ばせた。フクロウで手紙のやり取り。
「あとドラゴンが存在している」
「本当にっ!?」
声が弾んだ。
「ああ。人間界で架空とされている生物の大半はいると思うぞ」
「例えば? 例えば?」
「妖精、エルフ、ドワーフ、ゴブリン」
「エルフとドワーフとゴブリン!」
「吸血鬼、グール、ゾンビ」
ちょっと待って、と私は手を出して制止してもらう。
「ゾンビはわかるけど、グールって何?」
「吸血鬼のなりそこないってところかな」
「テオドリック……」
黙っていたレーティーが口を開く。それは間違っていると言いたそうな目を向けていた。テオドリックは、反省の色を見せずに肩を竦める。
「吸血鬼は太古に魔法で生み出された種族だ。噛むことで人間を吸血鬼にする、いわば魔法の感染がかつて出来た。今はそんな吸血鬼が限られているが……」
レーティーが、代わりに話し始める。
「ゾンビは墓から這い出てくるアンデッド。グールもアンデッドに分類されるが、ゾンビと違う点は吸血鬼の血を飲んだことで成れ果てたアンデッドということだ」
「吸血鬼の血を飲むと、グールになるの?」
「吸血鬼の血には治癒力を高める効果がある。吸血鬼の血が出回る時代があったんだ。大怪我を治すために、血を飲んだ人間が、のちに息絶えるとグールとなることがある。人間に噛み付き、子どもを食う」
ゾッとして、身震いした。
「知性はゾンビ以下だ、ゾンビは話が通じるだけましだ」
テオドリックが加えて教えてくれる。
「グールは、吸血鬼の命令に従う。特に血を与えた吸血鬼に言葉に従うが、食べるという本能で動く。そんな存在だから、“吸血鬼のなりそこない”なんて言われることもある」
レーティーはそう言うことを嫌みたい。そう感じた。
「ゾンビの方は、墓から出てきては家族に会いに来る存在だ。ちゃんと安らかに眠らせるために魔法を使って埋葬することがあれば、命日に会いに来ては家族と過ごすゾンビがいる。映画みたいに噛まれてもゾンビになったりはしない」
テオドリックのゾンビについて教えてくれて、私はちょっと笑ってしまう。
それは面白そうな光景だ。ゾンビと過ごす家族。でも一度亡くなった人が、会いに来てくれるのは、嬉しいことだと思う。また会えるのだもの。
「幽霊は? いるの?」
私は思い浮かんだ存在について、訊いてみた。
「幽霊もいる。未練や恨みで魂が残ると死んだ姿で、この世に留まることがあるんだ。心霊現象を起こしたりするし、触れれば蜘蛛の巣が絡んだような感触がする」
テオドリックが答えてくれる。
「ドアを開けたり、ちりとりやほうきを動かしているのは……?」
まさか家に幽霊がいるのかと問うと、テオドリックもレーティーも首を横に振った。
「あれは魔法をかけてあるだけだ。初歩的な魔法で、杖でかけたりする」
そう答えながら、テオドリックは杖を振る。
ドアが開いた。
「学校で学ぶ前に覚えておくべき常識はこれくらいか。何か質問はあるか?」
確認してくれるテオドリックが、先生みたいに思える。
だいたい把握出来たはず。私は大丈夫と答えた。
「その本、予習のために読んでいいぞ。それともいらないか?」
「ううん、いる。予習したい」
「そうか」
「読み切れないと思うけど……」
「無理はするな。始めの十数ページくらいでいい」
助言をもらって本を抱えて立ち上がる。
でもレーティーが「私が持とう」と手を出して言うので、持ってもらった。
これも、使い魔のお仕事かな。
「ありがとう、テオ」
「いいよ」
お礼を伝えると、軽く言葉を返して、テオドリックは椅子を自分の手で机の方へ戻した。そしてパタン、とドアが閉じられる。
レーティーと一緒に屋根裏部屋に行けば、私の机の上に本を置いてくれた。
「昨日の続きでスケッチブックを見てもいいだろうか?」
「うん。どうぞ」
まだ見終わっていなかったのか。
よっぽど、じっくり見ているのかな。
別に展示されるほど上手くはないので、そんなに観察するほど見なくてもいいのに。少々、気恥ずかしい。
それとも私が眠ってしまったことに気付いて、気を遣ってくれたのだろうか。
私は机の椅子をレーティーに譲り、ベッドに寛いで座った。枕を背凭れがわりにして、魔法歴史の本を開く。
勉強がてらの読書。レーティーと、まったりした時間を過ごせた。
20190312