04 庭仕事。
「主従関係?」
聞き慣れないそれに、私は目を瞬く。
「私の主になってほしい」
「……それを結んだら……どうなるの?」
私には、よくわからない。
だから教えてほしい。
「君が危険な状況になった時、呼べば私を召喚出来る」
「危険な状況になるの?」
「もしもの時だ」
クッと口の端を上げるレーティー。
「常に君に付き従う。三百歳の吸血鬼を従えるのは、そうないチャンスだ」
レーティーは、三百歳の吸血鬼なのね。
「それに使い魔というものが、魔法使いには必要。私をどうかカトリーナの使い魔にしてほしい」
魔法使いには、使い魔が必要。
魔法使いになるのだと初めて言われて、心が踊った。
私に付き従うと言っているし、私にデメリットはなさそう。
「わかった。レーティーと主従関係を結ぶわ」
イエスの返事をすると、レーティーは目が眩みそうなほどの美しい笑みを浮かべた。美しい人の笑みって眩しいのね。とても嬉しそう。
「では、右手を出して」
「オレが立ち会おう」
「わっ! テオ……!」
「驚かせたか?」
後ろから声がしたから、驚いて震え上がる。
テオドリックだ。
ダークブラウンの棒を、手にしている。
「それは……魔法の杖?」
「そうだ」
ニッと笑って、テオドリックは答えてくれた。
魔法の杖なのか。興奮してきてしまうが、夜中なので堪える。
「カトリーナ」
レーティーに呼ばれて、私は顔を戻す。
レーティーは、白い棒を右手に持っていた。
「手を」
「うん」
右手を差し出して、握手をする。
やっぱり、男らしく大きな手。そんな手に、白い棒の先端が当てられた。
背凭れ側から腕を伸ばして、テオドリックもダークブラウンの棒の先を私に当てる。
「主従の結び」
ほんのりと繋いだ手が光った。
むずむずすると思えば、肌に何か走っている。
アルファベットではない文字のような模様の羅列が、私とレーティーの手をぐるぐると回った。
「我が身、我が命、我が心を捧げる。そして、我が名を捧げる」
レーティーが唱えるように誓いを立てると、胸を当てて見せる。
自分を指しているように見えたし、テオドリックも促すように首を動かした。
「レーティー」
私は彼の名を口にしてみた。
ギュッと軽く締め付けられた気がする。
ほんのりとあった光は、肌に溶けるように消えた。
「これで私は君のものだ」
レーティーは、また微笑んだ。
「よかったな。使い魔が白蛇の吸血鬼なんて、学校で一躍有名になる」
魔法の杖を離したテオドリックは、私の頭をごしっと撫で付けた。
「学校? 私、魔法使いの学校に通うの?」
「ああ、魔法の寄宿学校だ。夏が終われば、カリーも行くんだ」
魔法の寄宿学校! 魔法を学ぶのか!
魔法使いになれる!
私は内心大喜びした。
「学校では、レーティー先生と呼ぶんだぞ」
そう言い残して、テオドリックは階段を上がっていく。
私はそれを見送ってから、レーティーに顔を戻した。
「先生?」
「ああ。教師をやっている」
「……」
それでは一躍有名になるのも無理ない。
私は教師を使い魔に従えた新入生となるのだ。
「えっと、よろしくお願いします……レーティー先生」
私はとんでもないことをしてしまった気がしてしまい、緊張に襲われた。
私には身に余る光栄ってやつではないだろうか。
「普段はただのレーティーでいい。私は君のものだ」
「……じゃあ、レーティー」
美しい微笑みが、緊張を和らいでくれる。
レーティーはコーヒーテーブルに置いたカップを取ると、キッチンへ片付けた。
「おいで。カトリーナ。もう眠るんだ」
「うん」
「朝になったら、私を召喚する魔法を教えてあげよう」
手招きする手を取れば、階段を上がって屋根裏部屋まで送ってくれる。
手を離す時、私の手の甲に口付けを落とす。紳士的な行為。
私が初めて覚える魔法は、使い魔の召喚というわけか。
それは楽しみだ。
「ありがとう、おやすみなさい。レーティー」
「おやすみ、カトリーナ」
私は梯子を登って、ベッドに潜り込む。
ココアのおかげか、すぐ眠りに落ちた。
ひんやりしたシーツを撫でて、瞼を開ける。
心地の良い目覚めに、息を深く吐いた。
三角で低い天井に、クスリと笑ってしまう。
起き上がって、髪を整える。
今、何時だろう。
時計を持ってこなかった。部屋には置いていない。
まぁいいか。
私はベッドから出ると、床に置かれたトランクケースに歩み寄って、ペタンとお尻をついた。トランクを開けて、お気に入りの服を取り出す。白のインナーとチェック柄のワンピース。ライトブラウン色。それに着替えた。
ブラシを取り出して、髪をとかしたら、右サイドに三つ編みを作る。
手鏡で確認して、バッチリ。お気に入りの髪型だ。
屋根裏部屋を降りると、シオリックが自分の部屋から出てきた。クリンと赤みがかった茶髪に寝癖がついている。
「おはよう、お寝坊さん」
「あ、おはよう、今何時?」
「ブランチの時間」
もうそんな時間か。
「レーティーが寝かせてやれって言うから、起きるの待ってた。パンケーキがあるよ」
「うん、眠れなくて」
「母さんに睡眠薬もらえばよかったのに」
「お手製の?」
「そう、お手製の」
そんな会話をしながら、一緒に螺旋階段を降りていく。
「あら、カリー。おはよう」
洗濯物のカゴを抱えた母が振り返る。
「おはよう、お母さん」
「おはよう、お寝坊さん」
「おはよう、お父さん」
新聞を読んでいた父が、椅子から立ち上がった。
私の手を取り、両手で握り締める。
「おめでとう。カリー。使い魔が手に入れられて……親である私達は鼻が高いぞ。……だがな、だからこそ、立ち会いたかった」
「それは謝っただろう。アラリック」
レーティーの声。後ろに立っていた。
「カリーはまだ新参者なんだ、魔法の世界の新参者」
「いいじゃない、あなた。右も左もわからないからこそ、先生であるレーティーが使い魔になってくれたなら私達も心配要らずだわ」
父は腰に手を当てて説教するように言うけど、母が割って入ってやめさせる。早々にいけないことをしてしまったのかとおろおろする私を、母はバスルームに行かせてくれた。そこで顔を洗って、歯磨きをする。テーブルへとつく。
「ジャムは何が好き? ミックスベリー? オレンジ? マンゴーもあるわよ」
テーブルの上には、パンケーキが出される。それから、ジャムの瓶が並ぶ。いっぱいあると困るけれど、ミックスベリーを選んでそれを食べることにした。
ふわっとしたパンケーキに、甘酸っぱいミックスベリーを乗せて堪能する。
コトン、と昨日のカップが横に置かれた。明るいところで見れば、白縁のLの文字が書いてある。レーティーのマグカップらしい。
「荷ほどきしたら、必要なものを買いに行きましょう」
Lの文字を見つめていれば、母が今日の予定を立てようとした。
私のマグカップを買ってくれるのかな。
でもそこで、玄関のドアが開かれる。
「カリー、起きた? おはよう。庭仕事のお手伝い、ご指名入ったよー」
リオリックが顔を出して、私をスコップで指す。
「庭仕事?」
私は聞き返しながら、フォークを置いた。
「パドックさんが、カリーを指名した?」
「そう」
「なんでまた、カリーを?」
庭仕事。パドックさん。わからない。
会話から察しようとはしたけど、情報が足りなかった。
「あー……オレが話したからさ」
リオリックは、気まずそうに白状をする。
「レーティーが本物の妹の使い魔になったって自慢しちゃって。そしたら、パドックさんってば、“わしがどれほどの魔法使いのタマゴか見定めてやる!”って言い出しちゃって」
眉間に深いシワを作ってしゃくれた顔を見せるリオリックは、真似をしているみたいだ。その様子からして、気難しそうな年寄りだと予想した。
「もう! お喋りね!」と母はむっすりする。
「オレが黙ってても、母さんかシオが喋ったに決まってる!」
責めないでと、リオリックは声を上げた。
「じゃあ……えっと」
残りのパンケーキを、飲み物で流し込む。濃厚なマンゴージュースだ。美味しい。
「そのパドックさんの庭仕事のお手伝いをすればいいんだよね?」
「待って。ここに来て早々に庭仕事の手伝いなんてしなくていいのよ。ゆっくりして」
立ち上がると、母は止めようとした。
「いいじゃないか。近所のパドックさんに、カリーを紹介しよう。遅かれ早かれ、紹介しなくてはいけないじゃないか」
「まだ荷ほどきもしていないのよ? アラリック」
「ああ、あの、私、庭仕事行きたい」
父と母が私のことで早速口論してしまう前に、意見を主張する。
「近所付き合いって、あんまりしてこなかったから……」
思い返せば、全然していない。
「私がついている」
私の肩に、レーティーの手が置かれた。
「庭仕事の手伝いを、レーティーが?」
リオリックがおかしそうにくつくつと笑う。
「まぁ、レーティーを付き従えたカリーを呼んでいるし、その方がいいだろうけど」
「吸血鬼でも、陽の光は大丈夫なの?」
私は湧いてきた疑問をそのまま口にして、レーティーを見上げた。
「少し気怠くなるだけだ、問題はない。蛇の姿で君といる。いいだろう? アラリック、サリーナ」
レーティーは私に心配はいらないと言うと、両親に許可を求める。
「使い魔レーティーに任せようじゃないか」
「そうね」
「じゃあ昼は外食に行って買い物をする、でいいだろう?」
「カリーの好きなものを食べましょう」
にこり、と母は笑いかけた。父もそれを見て、満足そうな顔になる。
「夜はチキン!」
忘れていないよな、と言いたげにバスルームから飛び出してきたシオリックが言う。
「シオったら、寝癖が直ってないわよ」と母は歩み寄るとシオリックの寝癖を直そうとした。でもシオリックはその手を嫌がり、バスルームに戻る。
「ほら、カリー。オレが案内するよ」
リオリックが手招きした。
ブオンと煙が掻き乱されると、蛇が私の肩に現れる。白蛇。
驚いた。全然重さを感じないのだ。魔法を使っているのだろうか。
全身を肩に乗せるから、私の首に巻き付くような形。それで家を出た。
「それにしてもずるいなぁー」
リオリックが前を歩きながら、顔だけ振り返る。
「オレもシオも使い魔になってって泣いて頼んだのに、カリーは会ったその日にか」
「そうだったの?」
「カリーが羨ましい」
兄達は断ったのに、なんで私に持ちかけてきたのだろうか。
不思議で、私は肩の蛇と目を合わせる。
白蛇は、何も言わなかった。
「だけど、自慢な妹だ」
ニカッと笑うと、リオリックはとうもろこし畑の向こう側を指差す。
家が見えてきた。一階建ての家みたいだ。
「あそこがパドックさんの家。奥さんが生きてた時に、庭仕事を手伝ってたんだ。パドックさんは言わないけど、奥さんとの思い出に浸れるから、今も頼むんだと思うって母さんが言ってた」
「あー……そうなの……」
奥さんを亡くした人なのか。
庭仕事をしている度に奥さんを思い出せるなら、手伝いたいものだ。
でも私で大丈夫なのだろうか。やっぱり奥さんを知っていそうな、一緒に庭仕事をしていたであろう兄達が適任だと思うのだけれど。
近付くと、前庭があると気付く。花が咲いている花壇と芝生。
白やピンクに赤色の小さな花が咲いている。
それを横切って、リオリックと一緒にポーチに置かれたチェアに座った老人の前まで来た。
「パドックさん、連れてきたよ。本物の妹のカリー」
「初めまして、カリーです」
紹介を受けて、私は精一杯の笑みを見せる。
「……ふん。レーティーを使い魔にしたのは本当らしいな」
大体六十歳くらいの老人・パドックさんはシワのある顔をしかめて、私を睨むように見下ろしてきた。
「はい。新参者ですが、使い魔になってもらいました。素敵な庭ですね、なんていうお花ですか?」
ちょっと怖いな、と思いつつも、私は愛想よく尋ねてみる。
「インパチェンスだ。それも知らんのか」
怒った声をかけられて、私は苦笑いをして俯いてしまう。
花には、あまり詳しくないのだ。
「そう厳しくしないでよ」
リオリックは庇ってくれた。
「ふん。始めるぞ」
パドックさんは手にしていたブラウンの長い杖で、玄関のドアを叩く。
何かを呼び寄せたようで、声が聞こえてきた。
とても小さくて、複数の声。
ドアが開く。犬と言うには小さすぎる。でもネズミと言うには大きい。そんな生き物らしき物体がいた。白や薄茶の毛玉、みたい。でも黒い目がくりくりとしていて、愛らしさを感じた。
「わぁー可愛い」
私は屈んで覗き込んだ。
するとギョッとしたような目をして、毛玉の生き物達はドアの陰に隠れてしまう。驚かせてしまったのだろうか。
「え? カリー、見えるの?」
リオリックを振り返れば、こちらも驚いた表情をしていた。
「見えないものなの?」
「オレ達は、魔法を習ってからやっと見えた。普通の人間もよっぽど疲れた時とかに稀に見えるらしいけど、魔法を覚えてない子どもとかには、声が聞こえるのがやっとなんだ」
「じゃあ……妖精か何かなの?」
私は期待でキラキラさせた目を、毛玉の生き物達に注いだ。
「はっはっはっ! エンゼルヘアが見える魔法使いのタマゴか! レーティーの目に狂いはないようだな!」
笑い声を上げたのは、パドックさん。
「エンゼルヘア?」
「知らない? 人間界じゃあ持ち主の願いを叶えるとか。あと日本だとケサランパサランっていう妖怪なんだって!」
おかしいだろう、とリオリックはお腹を抱えた。
知らなかった私は、なんとなくそういう類の生き物だと把握する。
「授業で習うと思うが、エンゼルヘアは魔法生物だ」
「魔法生物……」
「わしと妻の使い魔だ」
優しさを帯びた眼差しで、パドックさんは微笑んだ。
「ちなみに吸血鬼も魔法生物な」
リオリックは付け加える。
なるほど。魔法生物が、使い魔になるのね。
「名前はあるんですか?」
「もちろん。みな人見知りでな、そうだな……おお、こいつがケサ、ラン、パサだ」
重たそうな腰を上げて、パドックさんは順番に持ち上げた。
ケサ。白と薄茶混じりの毛の子。
ラン。全体的に真っ白な毛の子。
パサ。右腰に丸い薄茶の毛の子。
まだ私に人見知りを発揮しているようで、パドックさんの足に隠れてしまう。積み上がっている様子が可愛い。
「もう一人のカリーは、見えるどころか声さえも聞こえていなかった。ありゃ魔法の素質は全くないな。……さて、庭仕事を始めよう。リオリックは帰っていいぞ」
「はいはい」
最初の態度とは打って変わって、パドックさんが笑いかけてくれる。
そんな態度に肩を竦めながら、リオリックは帰っていく。
あまり重さを感じなかったからすっかり忘れていたけれど、まるで私がついていると言うように白蛇が頬ずりしてきた。大丈夫。
「こんにちは。カリーだよ、よろしくね」
とりあえず、エンゼルヘア達に挨拶をしておく。
顔をちょっと出してくれた。にっこり、笑いかける。
「庭仕事って、何をすればいいんですか?」
「今日は水やりだけでいい」
「はい」
なんだ、簡単そうだ。
安心して水道を探そうとすれば、エンゼルヘアがふわりと舞うように浮かび、私の顔を横切る。それを追いかけてみれば、水道があった。蛇口の上をポンポンと跳ねるのは、ケサ。
そばには、緑色のじょうろがある。
これを使えばいいのだろうか。
蛇口を捻り、ドボドボと水を注いだ。
「わしらの庭はちょっとデリケートでな。魔力入りの水でなくては、すぐに枯れてしまう」
「魔力入りって、どうすればいいんですか?」
魔力とは、やっぱり魔法のエネルギーのことだろう。
どうすれば魔力入りの水に出来るのだろうか。
呪文を唱えるとか?
「自分でやってみろ」
ニヤリ、と意地悪そうにパドックさんは言う。
えー。全くわからない。
そこで、煙が巻き起こり、肩がフッと軽くなった。
「いじめてくれるな、パドック」
「使い魔の仕事だ」
後ろにレーティーが現れる。そのままレーティーは、私を後ろから包むように腕を伸ばして、じょうろに触れた。
「大丈夫、簡単だ」
真後ろのレーティーは、微笑む。
「目を閉じて。じょうろの中に、意識を集中させるんだ」
耳元に吹きかけられる魅力的でなめらかな声に従う。
目を閉じる。じょうろの中の水に、意識を向けた。
「そして、傾ければいい」
平行に持っていたじょうろを傾ければいいと言われて、瞼を開いて傾ける。
穴の空いた先から、水が溢れ出す。
その水は、一度宙を浮き上がった。
一雫、一雫が、泳ぐようにぷるるんと庭中に広がっていく。それがゆっくりと落ちていった。キラリと光って雫は地面に沈み、花を艶やかに輝かせる。
幻想的な光景に、笑みが溢れた。
「素敵! レーティー!」
「……ああ、そうだな。カトリーナ」
私は一度レーティーを見上げてから、また雫を注ぎ続ける。
初めての魔法を使ったことに大喜び。
「……やれやれ、相当惚れ込んでいるなぁ」
パドックさんのその言葉は、私の耳には届かなかった。
2019218