03 白蛇の吸血鬼。
なんて言えばいいのだろうか。
きっと目を輝かせて、笑みで固まってしまった私の言葉を待っているに違いない。
でも、言葉が全然浮かばなかった。
魔法が実在するなんて。本当の家族が魔法使いだなんて。
なんて言ったらいいの?
すると白い何かが落ちてきた。
それは多分、白い蛇だと思う。
螺旋階段にいるテオドリックが肩に乗せていた大きな白い蛇が、私の目の前に飛び込んできたのだ。それに驚いていると、掻き回されたみたいな煙がぶわんっと巻き起こった。
その煙がなくなったかと思えば、白い蛇は男の人に姿を変えたのだ。
現れたのは、私が今まで会ってきた人の中で、一番美しいであろう男の人だ。
白いワイシャツと黒のズボンというシンプルな格好が、モデルか何かに見えてしまうほど美しい。
短い髪は白。肌も病的な白。白い睫毛に縁取られたアーモンド型の瞳は、赤色でキャッツアイ。スッとした形の鼻。シュッとした顎。笑みを浮かべた形のいい唇が開くと、私をこう呼んだ。
「カトリーナ」
その声はベルベットのようになめらかで、魅力的なものだった。
ぽけーっと放心してしまいそうになったけれど、私はなんとか「はい」と返事をする。
「やっと会えて、嬉しい……」
スラリと長くて男らしく太い綺麗な指が、ゆっくりと私の手を取った。
そのまま掬い上げたかと思えば、私の手の甲に口付けを落とす。
「……待ち焦がれていた」
「……」
私は頭を傾けた。
こんなにも美しい人が、私を待っていたなんて。
待たせた私はどう詫びればいいのだろうか。
「うわっ! 家で人の姿になったの、いつぶり?」
「偽のカリーの前では絶対蛇の姿だったよな?」
驚きの声を上げた兄二人を振り返って見れば、リオリックもシオリックもドアを押さえていた。
「もしかして、私が逃げないようにドアを塞いでるの?」
美しい男の人に手を持たれたまま、私は質問をする。
図星らしく、兄二人は目を背けた。
「だって! どんな反応するか、わからないじゃん? 一応逃げられないようにしておこうって話し合って決めたんだよ! まぁオレは信じてたけどね!」
なんて、シオリックが白状して言う。
話し合って決めたのか。それもそうだ。
魔法なんておとぎ話だと思っていた世界で生きてきた子どもだもの。
驚きのあまり、逃げ出すかもしれない。
宙を漂うクラッカーは、まだ紙吹雪を出している。
「えっと、初めまして。カリーです」
とりあえず、誰だかわからないから、挨拶をしようと私は名乗った。
「私はレーティー。白蛇に姿を変える吸血鬼だ」
「えっ、吸血鬼?」
まだまだ驚かせてくれる。
魅惑に微笑む彼は、吸血鬼。
「ちょっと、待って。整理させて。えっと」
私はパニックになりそうな頭を押さえようとしたけれど、彼が手を離してくれなかった。
「簡単だよ。うちは魔法使い一家!」
「彼は居候の吸血鬼!」
後ろから、兄二人が言ってくる。
「魔法使いに、吸血鬼……夢を見てるみたい……」
「夢ではない」
はぁーっと息を溢すと、すかさず吸血鬼だという彼が教えてくれた。
「偽のカリーはここが嫌だって言うんだぜ? 信じられるか?」
多分シオリックが私の頭の上に顎を置く。
「偽とか言うんじゃありません! カリーはカリーよ!」
叱りつけるのは、母。偽物だとか本物だとか、区別をしたくないみたい。
十年も育ててきたのだ。偽物だって言いたくないだろう。
私も、“違う家族”と言うことにしている。
「私は素敵だと思う。でも、えっと、もう一人のカリーは……こんな世界を知って、普通の世界で生きていけるの?」
魔法が実在している世界と、きっと多くの人間が魔法が実在していないと思っている普通の世界。
私達は家庭だけではなく、世界までも交代したのだ。
まだ子ども。私と違って、話してしまいそう。
私は話してはいけないこともあると学んだから、他の子どもとは違うと自覚している。
「大丈夫、もう一人のカリーは記憶を消したから!」
頭の上でシオリックが、ケタケタと笑う。
「記憶を消す?」
物騒なことを聞いてしまった気がする。
「魔法に関して消した方が、もう一人のカリーのためだろう?」
シオリックを咎めるような視線を送り、父が歩み寄ってもう片方の手を取った。
「家を案内しよう」
吸血鬼のレーティーは、私の手を母に渡す。
両親の案内が始まると、クラッカー達が床に落ちた。どこからともなく現れたホウキとちりとりが、紙吹雪とともに片付けてしまう。これもまた浮いていた。
ホウキに気を取られながら、両親に手を引かれて歩く。
最初に案内されたのは、ダイニングルーム。大きな木造のテーブルがどーんとあった。上にはマフィンやパンが飾るように置いてある。七人分の椅子があって、吸血鬼のレーティーは家族の一員だと理解した。
「ここで皆と食事をする。朝七時が朝食の時間、昼は十二時、夜は七時」
父が告げる。顔を見れば、どこか誇らしげだった。
「そこがキッチン。冷蔵庫はいろんなものがあるから、迂闊に飲まないようにしてね」
ダイニングルームのそばにあるキッチンを、母が指を差す。
それから、隣の白い冷蔵庫の注意事項を言う。
「魔法の薬とかね」
後ろでリオリックが付け加える。
「得意って……魔法の薬作りが得意って話だったんだ」
母を見ると、ちょっと照れているように頬を押さえた。
「少しね」と謙遜する。
「後ろはリビングルームだ」
両親と一緒に振り返れば、シオリックとリオリックがソファーに飛び込むところだった。
液晶テレビがあって、それを囲むようにソファーや肘掛け椅子がある。
一つの肘掛け椅子の上には、誰もいないのに毛糸を編んでいる棒針が動いていた。冬に向けて、編んでくれているのだろうか。微笑ましい。魔法で編まれた毛糸のセーターがもらえるのかな。
「ちょっと散らかっててごめんなさいね」
「そんなことない」
温かみがある感じがして、私は好きだ。
お手製のタオルケットが、あちらこちらにあっていい。
「末っ子はこの席な」
シオリックが隅っこの肘掛け椅子を指差した。
「意地悪言わないの。どこ座ってもいいのよ」
母は好きなところに座ってもいいのだと、柔和な表情で私を見る。
「いいの、末っ子だもの」
私は楽しいことのように声を弾ませた。
一人っ子だったから、それは特権のようにも思える。
朗らかな笑みで母が、私の肩を撫でた。
それから、階段に向かう。すれ違いに降りたテオドリックが、ポンと私の頭に手を置いてリビングに行く。優しい手付きだった。なんだかテオドリックに、やっと温かく迎えられた気がする。
反対側には、トイレとバスルーム。白くて大きなバスタブとシャワーのあるスペースには、カーテン付き。バスルームは一つなのね。
二階へ、行く。
「私とパパの寝室は、ここよ。何かあったら、ここに来ていいわ」
私を心配してのことだろう。
そこまで子どもじゃないから、大丈夫なんだけれども。
見せてもらった寝室は、二人分のスペースと言った感じで、広々とした空間に大きなベッドが置かれていた。
「パパの書斎だ」
向かい側のドアを開けたのは、父だ。
本棚が壁一面にある部屋の書斎机の上では、ひとりでに羽根ペンが紙の上で踊っている。それをまじまじと見つめていれば、上の方から声がした。
「三階に早く来いよ!」
「カリー!」
兄達が、先に登ったようだ。
「急かさないの」
母はそう言いつつも私の背を押して、階段を上らせた。
三階には、三つのドアがある。
左から綺麗に緑色に塗装されたドアが一つ、少し剥がれたドアが二つ。
「左から、テオの部屋、リオの部屋、シオの部屋」
父が順番に指差すと、ドアが開いた。
テオドリックの部屋は、きちんと整頓されているみたい。深緑のカーテンが見えた。
リオリックとシオリックの部屋のベッドの上には、脱ぎ捨てられた寝間着がある。ちらりと見えただけだけど、シオリックの机の上はゴミや本が山積みになっていた。だらしないのね。
「……カリーの」
そこで疑問が出る。言い直そう。
「私の部屋は……?」
どこだろう。
もう一人のカリーが使っていた部屋は、私がこれから使う部屋はどこなんだろうか。
父を見れば、パチンと指を鳴らした。
すると天井から、梯子が降ってきたのだ。
「末っ子は屋根裏部屋!」
「屋根裏部屋っ!?」
私はまた声を弾ませた。
待って。私。落ち着くのよ。
屋根裏部屋と聞いて、秘密基地みたいだと思ったけれど、想像と違うかもしれない。でも期待が膨らんでしまって、母達に目を向ける。
温かい眼差しで私を見ている両親は、行っていいよと頷いてくれた。
私は許可をもらったと思い、梯子をよじ登る。
屋根の形をした低い天井。隅っこに真新しく見える机とベッドとタンス。
床には夏用のカーペットが敷かれている。ちょっとひんやりしていた。
「最高!」
私は精一杯の喜びを示す。
「なんていい子なの」
母が漏らす言葉が聞こえた。
普通の部屋で過ごしていた私には、秘密基地みたいで楽しい気分になる。
梯子を下りて、私は父と母に抱き着いた。
「素敵な家! ありがとう!」
「まぁ! 本当にいい子!」
「おかえり、カリー」
抱き締め返してくれる母は涙ぐみ、父は力一杯締め付ける。
私も涙目になった。
「お腹空いたー。カリーも空いただろ?」
「庭とかバルコニーとかは明日でいいじゃん。腹ペコ」
リオリックがポンポンと頭を優しく叩いてくれると、シオリックが螺旋階段を駆け降りた。
「そうね、夕食にしましょう。すぐ温めるわ」
一緒に一階へ向かえば、キッチンには吸血鬼のレーティーがいる。
大きな鍋に火をかけていて、料理を温めてくれているみたいだ。
私は残った席に座ろうと思ったけれど、察してくれたのか、父が一つの椅子を引いてくれたので、そこに腰を下ろす。
私の左隣には、シオリックとリオリックが並び、向かい側にテオドリックが座る。真ん中の席は大黒柱の父が座る。
母が指揮者のように手を振るうと、棚から順番にお皿が出てきた。
そのお皿は列を作り、吸血鬼のレーティーのそばを漂う。
吸血鬼のレーティーは、そのお皿に盛り付けた。シチューのようだ。
それもコーンの香りがする。美味しそうなそれを一杯吸い込む。
シチューを乗せたお皿が、父から順に目の前に着地する。
顔を綻ばずには、いられなかった。魔法で食事の支度をしてもらったのだもの。
まだ夢を見ているんじゃないか、と疑って頬を摘んだ。
「カリーが何を好きかわからなくて、無難にシチューにしたのだけれど、好きかしら?」
母は一応尋ねては、向かい側に座った。
「コーン入りのシチュー、美味しそう。好き」
私は笑みを返す。
「チキンは好きか? 明日はチキンにしよう」
「本物の妹が来たんだ、盛大に祝おう。七面鳥の丸焼きがいい!」
リオリックとシオリックはチキンが好きみたい。
「チキン、私も好き」
すっかり緊張がほぐれた私は微笑みを溢す。
初めて本物の家族との夕食を始めて気付く。
吸血鬼のレーティーも、席についてシチューを食べている。
吸血鬼って、血を吸う鬼じゃないのか。
疑問になって凝視してしまったら、彼は美しい笑みを寄越してきた。
うわぁ。とても魅力的。
吸血鬼ラブストーリーがブームになっていたから、吸血鬼に関する知識はそこそこある。吸血鬼は異性を惹き付けやすい美しい容姿をしているのは、映画と同じだ。
私は同じものとはいかないけれど笑みを返して、誤魔化し食事を続けた。
そのあとは、一番風呂をいただく。
バスタブに泡が一杯。その泡がシャボン玉になって浮いて、バスルームに満ちた。プクッと、連続で生み出されるシャボン玉を眺めながら、お湯にホッとしながら浸かる。シャボン玉は虹色に輝いていた。
お風呂から上がって身体にタオルを巻いていれば、ドアの向こうから母の声が聞こえてくる。
「入っていいかしら」
「うん」
返事をすれば、瓶を持った母が入ってきた。
「さっき話したローズオイルよ、気にいるといいけど」
「わぁ……いい香り」
差し出される瓶の口から漂う仄かな薔薇の香り。
「気に入った!」
「よかった。これ全身に使えるのよ、うふふ。いいかしら?」
「うん、お願い」
母は私の身体にオイルを塗ってくれる。
こういうスキンシップがしたいと思ったのだろう、と察した。
「これも魔法で作ったの?」
「そうよ、魔法も少しね」
私は掌に垂らしたオイルを髪に塗る。
髪から香る薔薇。気分が良くなる。
「ドライヤーもかけてあげるわ」
「ありがとう」
黒いドライヤーが宙を浮いて、私にそれほど熱くない熱風をかけてきた。
その間に用意してもらった寝間着に着替えると、今度はブラシを持って母が髪を整えてくれる。
美容室に来たみたい。心地いい。
「ありがとう、お母さん」
「っ。いいのよ……カリー」
振り返ってお礼を言うと、涙を込み上がらせた。
そんな母とハグをして、バスルームを出る。
「さぁ。もう疲れただろ? 荷ほどきは明日にして、もう休むといい」
「うん、そうする」
テーブルについていた父が席を立って、私におやすみのキスをしてきた。
私は頷いて、「じゃあ、おやすみなさい」と伝える。
屋根裏部屋に行くと、私のトランクケースがいつの間にか置いてあった。
荷ほどきは明日。そう言い聞かせて、私は電気を消して、ベッドに潜った。まだホカホカしている身体で、ひんやりするシーツに頬摺りをする。
眠る努力をしようとしたけれど、数時間経っても眠れそうになかった。
私は起き上がって、ベッドから這い出て、一階まで降りる。
ポーッと淡い光が灯っていたからだ。
下に何か動いていることに気付いて見れば、白い蛇。
私の拳よりも太い身体の大蛇に「こんばんわ」と声をかける。
「レーティー、さん? それとも他の蛇だったりするのかな」
蛇違いだったら恥ずかしいと思いながら、確認してみた。
するとまた煙が掻き乱されるように現れて、男の姿になる。
「レーティーでいい。眠れないのかい?」
「うん……初めて魔法を見たあとじゃあ、眠れない」
苦笑いを漏らして、私は肩を上げては竦めた。
「ココアでもどうだ?」
「あ、お願い」
「ソファーに座っていていい」
「ありがとう」
優しげに微笑む吸血鬼に任せて、ソファーに座る。
しーんと静まり返った家。でも外からは、夏の虫の音が聞こえてくる。
キッチンの明かりを見つめて、待っていれば甘い香りのココアを運んできてくれた。
私はもう一度、ありがとうと伝えて受け取る。
「レーティーは……私の知っている吸血鬼と違う」
「どんな吸血鬼を知っているんだい?」
私の隣に腰を落として、背凭れに腕を置くレーティーは優しく微笑んだ。
「普通の食事はしない」
「食事は楽しみの一環だ」
「……吸血行為は、するってこと?」
「ああ。命の糧だ」
ちょっと躊躇いがちに尋ねてみる。失礼じゃないといいけれど。
でもレーティーは気を悪くした様子もなく、微笑みのまま答えてくれた。
「他にも変身出来るの?」
「私は白蛇だけに変身する。杖や薬があれば、他の者にも変身が出来る」
「魔法を使って?」
「そうだ」
私は両手に包んだカップからココアを飲む。甘い。
「どうしてこの家にいるか……聞いてもいい?」
「先代の当主が親しい友人で、厚意で住まわせてくれた。今では家族の一員だ」
「そうなの……」
年齢が聞きたいところだけれど、ここは遠回しにいこう。
「吸血鬼の特質、教えてもらえる?」
「カトリーナのことも教えてくれるなら、喜んで」
私のこと?
笑みのまま、首を傾げた。
「私は……そうね……」
一度考え込んで、ココアを啜る。
話してもいいと思えたから、口を開くことにした。
「私……ずっと、生きている世界に違和感を覚えてたの。家にいても、学校にいても……自分の居場所はないなって、思ってた」
「……孤独だったろう」
視線を落とせば、綺麗な手が伸びて私の髪を撫でる。
「……心を閉ざしていた」
力なく微笑んで、彼の赤い瞳を見つめた。
ルビーレッドの輝きが美しい。
「でもそれとなく他人と接していたよ。違う両親ともそこそこ上手くいっていたし、友だちとも仲良かった。趣味はスケッチ。白い蛇がよく夢に出てくるから、そればかり描いていたの」
ルビーレッドの瞳が、見開いた気がする。
でもすぐに細められた。
「私もカトリーナと言う名の少女の夢をよく見てた」
私は驚いて、目を丸くする。
「本当に?」
「ああ、この赤みがかった髪……覚えている」
「……吸血鬼も眠るのね」
「大きな隈が出来てしまうだろう?」
レーティーは、私を笑わせた。
隈の見えない美しい肌をしている。
「私達、互いの夢を見ていたってこと?」
「夢の中で会っていたんだ」
「……そうだね」
夢で会っていた、と言うのは、とてもロマンチックに思えた。
ココアを飲み干した私を、レーティーは見つめてくる。
「カトリーナ。そう名付けたのは、私だ」
「本当? 名付け親なのね」
私は会えて嬉しいと示すために、握手を求めた。
その手を掴んだレーティーは、少し私を引き寄せる。
「私と主従関係を結んでくれないだろうか? カトリーナ」
ルビーレッドの眼差しを注ぎながら、レーティーは告げた。
20190216