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Moon Child  作者: かゆき
第十章 月の子
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4

 リュケイオンのドームは外側部分が半壊していた。

 嘴打(はしう)ちによってひび割れた卵に酷似したその様子にシンはたじろいだ。

 真っ暗な空間にそびえるその光景は異様ですらある。


 かたわらのエステバンも同じことを思ったらしく、何だか気味が悪いな、というつぶやきがレシーバーから伝わってきた。


 小さくうなずいて、ルオウに続いて中に入る。



「ここが……リュケイオン……?」



「リュケイオンという名は総称だ。街の名前というわけではない」



 ルオウは主任教官でありながら、同時に惑星史の担任をしているだけあって、こんな場所でも教師らしさを捨てない。授業の続きのような台詞を口にしながら、道をずんずんと突き進む。


 暗澹の建造物には詳しいのか、まだ専門家くらいしか立ち入ったことのない街の中でも、その足取りは確かなものだった。



 けれどそれからいくら経っても、街らしさを感じるものは現れなかった。



 威力を変更したレーザー銃で照らし出されるのはひび割れて亀裂も入ったコンクリートばかりで、それ以外のものは見えない。


 本当に街なのだろうかと、シンは混乱したが、ここではルオウの知識をあてにするしかない。


 あまりに暗く、またライトの光が弱すぎて数メートル先までしか見えないため、端末でいちいち方位を確認しないと、本当に真っ直ぐ進んでいるかどうかもわからなかった。


 ヘルメットの視界設定を変えるとその不安からは開放されたが、暗視カメラ越しに見ているような映像を見る限り、そこに街らしさは感じられない。


 ここは工場跡地か何かなのではないかと思っていると、レシーバーから前を見てみろとの指示があった。


 明度設定をやや低めにし、云われたとおり前方を照らしてみる。



「あ……っ」



 シンは思わず、声を上げた。


 暗黒に染まった空間を引き裂いて現れたそこには、歩道らしき影が浮かんでいた。


 更に近付いて照らしてみると、もっと奥の方には民家のような建物も見える。



「海底に街があったら、こんな感じだろうな。光、当てないと見えない……」



 エステバンの微かなつぶやきがレシーバーから聞こえた。


 心中に何か迫り来るようなものを感じながらシンは、ライトを建物にかざした。黄色の光と漆黒の闇が交錯する。


 そこに浮かび上がった民家は、半壊していたドームとは違い、驚くほど保存状態が良かった。


 マジックミラーになっている窓からは、中の様子を窺い知ることは叶わなかったが、庭先に漂う遊具がかつてそこに幼い子供がいたという事実をつきつけてきた。


 否応なしに想像させられ、シンは顔を背けた。



 数百年前にはまだ人が住んでいた場所。いつか地球に戻ることを夢見て、日々の生活を送っていた場所。


 暗澹の五百年の中期に原因不明の病によって絶滅したということは授業では聞いて知っていた。けれど情報と実物とではまるで重さが違う。


 今回の研修旅行でも暗澹の五百年に由来した建物を見て回ったが、どれもが軍事施設であったりしたので、こんな生々しくはなかった。


 道路と異なり、ほとんど傷もついていない民家は、そのどれもが生活臭を漂わせており、ある家など、窓が半開きになっていた。


 そこから見えた光景は、神隠しにあったとしか思えない状態で、この暗闇が消えて明るくなりさえすれば階上から普通に人が降りてきそうな気配すらあった。


 痛々しい情景の連続に、シンは最早ライトをかざす力さえなくなっていた。


 電気ショックを与えられたあとのような痛烈な痺れが体中に蔓延していて、上手く前に進めない。


 ヘルメットの上から頭を押さえ、シンはのろのろとルオウのあとに従って歩いた。


  ルオウやエステバンが何か会話をしているようだったが、何を云っているのか聞き取ることが出来ない。


 そのままルオウの足元だけを照らして浮遊していたシンだったが、エステバンが照らしたある民家の壁を見たとき、酷い既視感を覚えた。



 何だ?



 眉根を寄せてどこで見たものだろうかと考えてみる。今朝見た夢だっただろうか、授業で見た映像だろうか、一つ一つ思い返していると、唐突に朔夜の姿が浮かんだ。



―――これ……



 暗い部屋の中で浮かび上がる青白い光。

 端末を操作し戻ってきた朔夜の掌に乗ったチップがまざまざと脳裏に浮かぶ。



 もしかして。



 シンは手の甲に嵌めた端末を操作すると、ヘルメットに朔夜から渡された絵を映した。


 目の前に青を基調とした街の絵が現れる。


 街の中心にそびえる六つの塔と、その中央に位置する更に巨大な塔。


 中心の塔からまるで光が放たれるように、太い線が伸びていて、朔夜いわくそれは道だという。道沿いには矩形(くけい)型の壁があって、その中にいくつかの戸建がある。


 朔夜は描くのが億劫になったらしく、道路の間の扇形(せんけい)はただ荒く塗ってあるだけだった。拡大した絵は線を引っ張った先に描かれている。


 ライトで照らした道沿いの家々は、朔夜が描いたものと酷似していた。



 本当にあった。



 絵が微かに揺れていた。

 自分が震えているのに気がついたのはそれから少しあとで、スーツ越しにも鳥肌が立っているのを感じられる。


 宇宙服の上から片腕をつかみ、ライトアップされたリュケイオンの民家を呆然と見つめる。ヘルメットに映し出された朔夜の絵が異様な存在感を放って目の端に鎮座していた。



「ライザー?」



 速度が落ちたシンをエステバンは不審に思ったらしい。シンの顔を覗き込んできた。



「何でもない。少しぼうっとして」



「むやみに動き回るな。我々はリュケイオンの見学をしているわけじゃない。キサラギを連れ戻そうとしているんだ」



 云い終わるか終わらないかのうちに今度はルオウが現れた。


 険しい顔の主任教官に、周章(しゅうしょう)しながらこうべを垂れると、シンは二人に追いつこうと飛ぶスピードを上げた。



 リュケイオン内の重力はナーサリーの低重力空間よりも重いせいか、ちょっと動きにくい。


 やっとのことで二人に追いついたときには、結構な疲労感が溜まっていた。


 軽く息を乱したシンにエステバンは手を差し伸べてきた。


 つかまれということらしい。


 シンは躊躇(ちゅうちょ)したが、ここでもたもたして遅れれば朔夜を捜すという目的にも支障をきたすかもしれない。

 何しろここは地上ではなく宇宙なのだ。朔夜の酸素ピルの残量も気になる。


 手をつかんだシンにエステバンは満足そうに頷き、そのまま跳び出した。


 そのスピードは意外に速く、早朝練習の長距離で最下位を争っているもののひとりとはとても思えなかった。



「これが月の最後の都か。移住後は結構栄えてたっていうけどな。姉妹都市が十以上あったんだろ」



「他の都市はどうしたんだ?」



「人口増加でコロニーが一時期食糧難になったときがあっただろ。そのとき充分に援助物資が届かなくて、大分餓死者が出たんだと。それで生き残った住民を一カ所に集めて、一括管理方法を取ったらしいよ。まあ、そっちの方が状況もわかりやすいしね」



「援助物資を送る約束までして月に移住させたのに、よく暴動が起きなかったな」



「そりゃああったでしょう。月プラントの生産能力なんてたかが知れてるんだし。授業とかだと途中で通信技術を変えたせいで上手く伝わらなかったとかなってたけど、門前払いでもしてたんじゃないのって俺は思ってるな。だって通信途絶になったら普通使者くらい送るでしょ、お互い。超絶遠くにいるわけじゃないんだし、船だって持ってるんだしさ」



「確かに……」



「――よく勉強しているじゃないか」



 二人の話を聞いて、ルオウが口を挿んだ。



「そう思うんなら、次の惑星史、評価良くしてください」



「結果が出ていたならな」



 エステバンを軽くいなし、先に進んだルオウだったが、それからしばらくもしないうちに地上に下りた。


 真っ暗な地面を照らしていたライトにルオウの足が浮かびあがる。


 シンとエステバンは顔を見合わせ、ルオウに(なら)った。



「これ、ランナーか?」



 立ち止まったルオウがライトで照らしていたのは、基地で見たものと同型のスペースランナーだった。



「朔夜が?」



「そうみたいだな。中に入ったか。――他の班は……まだ到着していないようだな。仕方がない、進むか」



 ためいきをついてルオウは所持していたレーザー銃の威力を変更した。



「この先も何があるか、わからない。私の後ろに続け」



「はい」



 真剣なルオウの表情に場が緊迫するのを感じ、シンはごくりと唾を飲んだ。



 朔夜が乗り捨てたと思しきランナーの正面には、周囲の闇よりも更に濃い暗がりが口を開けている。


 どうやらここがドームの入口で、現場から判断するに朔夜はこの中にいるようだった。


 ルオウは小型のサーチライトを四つ飛ばし、ゆっくりとした動作で中に入っていった。



 エントランスホールには特に異常な点はなかった。


 ヘルメット上に表示されたサーモグラフィー、電磁波計、外気組成などにも変化は見られない。



「ここにはいないようだ」



 手招きされて二人はドームの内部に足を踏み入れた。


 レーザー銃のライトはこの深い闇には勝てないのか、ほとんど役に立たなかった。


 どこに何があるかもわからず、時折何かにつまずいては惰性で中空を移動する羽目になる。


 識別信号があるためこの闇の中で迷う心配はなかったが、自分の足さえ判別出来ない状態からは脱却出来ない。


 唯一無二の光はルオウのサーチライトだけだったが、それも照射範囲が狭いという難点があった。



「せめて明かりがついてくれさえすればなあ……」



 レシーバーからエステバンの溜息が聞こえてきた。



 確かにその通りだ。


 三人ですらこのありさまだというのに、朔夜がどうやってこの街の中を移動しているのだろうか。

 いくら慣れ親しんだ街とはいえ、あまりにも視界が暗すぎる。



 シンはレーザー銃をライトにするのをあきらめ、視界明度を最大にした。


 うっかりルオウのライトを見ようものなら相当な激痛が襲ってくるに違いないが、他の手段がないのだからどうしようもない。


 幸いルオウは、エントランスから伸びたやたらと幅のあるエスカレーターを探索していて、その光が直接こちらに向けられることはなさそうだった。


 それでも一応電文を打ち、ライトを向けないように頼んだ。



 シールド越しに見る世界は全てが青い。


 その色は太陽が沈みきったあとの夕暮れとよく似ていて、こののちにやってくる暗夜が脳裏にあふれた。


 東の方から静々と空を染めあげていく闇と、時間が止まってしまったかのように動かない(とき)色の雲。


 薄いブルーの天空と西方(にしかた)に少しだけ残った白い光の筋が何故か寂しく見えて、朔夜の部屋のベランダで泣きそうになった自分を覚えている。


 ヤーンスの朔夜の家で見た、生まれて初めての生の夕暮れ。

 明度を最大にしたシールドから見える光景はそのとき、世界を染めていた青とそっくりだった。



 そういえば、朔夜が地下にメインコンピュータがあると云っていたな。



 ヤーンスの夕暮れから朔夜の絵を再び思い出し、シンは端末を操作した。



 朔夜の『声』が聞こえない以上、『ユエ』が端末であるという仮説を信じて、地下に行った方がいいかもしれない。朔夜は彼女に会いに行ったに違いないのだから。



 今見ている光景と寸分違わない色彩で描かれた絵が目の前に現れた。

 その絵は薄ら寒い気分になるほど似ていた。


 まるで朔夜がここにやってきて、目の前で写生したかのような出来だ。

 中空に浮かぶ調度品の類や瑣末な箇所までは描かれていなかったものの、ホール全体の様子が事細かに描写されている。


 ルオウが見ているエスカレーターやエステバンが立っている場所まで、朔夜の絵を見れば大概のことは分かった。メインコンピュータがあるという空間の位置も。



 シールド越しではその種類までは特定できないが、雑多な物体が扉の前に散乱している。

 それを一つずつどかしながらドアへと向かった。


 ドアは自動式のようだったが、動力源が途絶えた今となってはただの堅い扉である。


 開け方を考えてみたが、穏便な手法では真空中の開扉など出来そうにない。


 超能力を駆使して開けようかとも思ったが、上手くいく可能性は低く、また後々の対処が大変なのであっという間に廃案になった。


 そうして頭に浮かんだ案を一つずつ消去していくと、最後に残ったのは強硬手段のみだった。



 やはりそれしかないか。



 シンは大きく溜息を吐くと、スーツを探ってチップ型の爆弾を取り出した。


 使用する機会など学生である間にはないと思っていたが、こんなにすぐにやってくるとは思わなかった。反省文を書かされることは避けられなかったが背に腹は代えられない。


 シールドの明度を再び下げ、レーザー銃の破壊力を最大にする。

 これをするとエネルギーが一気に減るが、多分ここには撃ち合いをする相手などいないだろう。


 いたとしてもきっとそいつには通常の武器など効かない。


 シンは闇の中に溶けるようにして消えたゆえの姿を思い起こし、口角を上げた。


 そして扉に貼り付けたチップに照準を合わせ、大きく息を吸う。



 外れるなよ。



 心中で強く思い、シンは引き金をひいた。



 白く閃光が闇を突き抜け、刹那ドアが爆発した。



 ◇



 地震?



 触れていた壁が小さく揺れたのを感じ、朔夜は顔を上げた。


 気のせいかとも思ったのだが、手を当てていた壁はまだ微かに揺れている。

 それは本当に微弱な振動だったが、状況を知らせるには充分な現象だった。



 はっとして手を離し、唇を噛み締める。



 シンが来た。


 追っ手が現れればまず間違いなく、この場所から連れ出されるだろう。

 見つかれば最後、逃げ切ることは不可能だ。こちらに出来る手立ては、発見されないようにすることだけ。

 向こうが現れる前に少しでも時間を稼がなければ。



 朔夜は警戒するように背後を振り返ると、慌てて走り出した。


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