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Moon Child  作者: かゆき
第九章 神の都
74/89

8

「あんた、髪長かったんだ」



 ティアラを強制的に部屋から排除し、清々した様子で戻ってきたシンを朔夜は頬杖をつきながら迎えた。



「何、むすっとした顔してるんだよ」



 掃除終了とばかりにパンパンと手を叩きながらやってきたシンは、当然のように向かいの席に座り、朔夜の顔を覗き込んだ。


 目を(すが)めて見返していると、シンはにやにやと笑いだした。



「ははぁん、さてはお前、おれの美しさに目を奪われたな」



「奪われるか!」



 勢いづいて返したまでは良かったが、なおも笑みを浮かべるシンを見てすぐに自己嫌悪に浸った。


 重々しく息を吐き、おぼつかない手つきで紅茶を注ごうとするシンの手からポットを奪い取る。



「――あんた、前にアルバムなんてないって云ってたよな」



 部屋の中に心地のよい音が響く。ポットは保温状態にあったらしく、細い口からもうもうと湯気が上がっている。


 シンはうっとりしたような表情で、(すみれ)色の紅茶がカップの中に注がれる様をじっと見つめた。



「ないとは云っていない。それに朔夜が見たのはアルバムじゃなくて、ただの録画だ。単発でいくつかあるだけのものをアルバムとは云えないだろう?」



 シンは糖分の類を入れていないのに中身を掻き混ぜていたスプーンを朔夜の方に向けた。


 勢いあまって水滴がいくつか飛び散り、ガラステーブルに白い(けむ)が散る。


 朔夜は、わずかな時間で熱を失ったテーブルの上の水滴を見、それから自分のカップに視線を落とした。


 薄青の水面は天井からの光が反射して白銀に染まっている。波のように揺らめく中身を見下ろしながら、朔夜はポツリと呟いた。



「あんた、何で髪切ったの?」



 飲めもしないのにカップを口元に持っていき、盛んに息を吹きかけていたシンは、その問いかけにふっと顔を上げた。


 そして、ああと呟き、今ではすっかり短くなった散切りの髪に触れた。



「軍人になるのに、長い髪は必要ないだろ。遊びじゃないって、父上に云われたからな。そうじゃないって、覚悟を見せたかったんだ」



「どうして」



 朔夜の言葉にシンは首を傾げた。



「何でそんなに軍人になりたかったの?」



 はっきりなりたいと云えるものなど自分にはない。



 やりたいことが見つかったと云ったサイトの姿を思い起こし、朔夜は憂鬱な気分になるのを感じた。



「前にも云っただろ。おれは火星人(マーズレイス)だ。半分でも。だからずっと不安だったんだ」



「不安?」



「地球では異端だろ。どこに行っても火星人(マーズレイス)は敵だ」



 シンは大きく息を吐き、両手で包み込んでいたカップをソーサーに戻した。



「ここ」



 シンはガラス壁の前まで来ると、ゆっくりした動作で目の前の壁に手を触れた。



「シン?」



 不審に声をあげると、シンはそっと微笑み、それから真っ直ぐ前を見た。



「……ナーサリーに行くまで、この場所がおれの世界の中心だった」



 朔夜にはシンが云っている意味が分からなかった。


 首をかしげると、シンは体を反転させて、ガラス壁にもたれた。



「外は危ないからって、出してもらえなかったんだ」



「――全く?」



「片手で数えるくらいはある」



「片手……」



 朔夜は己の手を見下ろした。それに重なるようにして、色眼鏡をかけた少年が浮かんだ。



―――外に出るのも許されない子だったから、ずっと友達が欲しかったんだ



 そのときは何のことだか分からなかったが、今ようやく理解出来た。

 まさに言葉通りの意味にかける言葉も浮かばず、朔夜は居心地悪そうに立ちつくした。



「理由はあるんだ」



 急に押し黙った朔夜に、シンは苦笑に近い表情を浮かべた。



「理由?」



「家から出してもらえなかった理由。はっきりとした記憶はないが、七歳か八歳くらいのときに誘拐されかかった。おれは何事もなかったがアルカは……この間会っただろ、おれの甥な。あいつが重傷を負った。それ以来外に出るのも規制がかかった、というわけだ」



 他人事のように自分の過去を語り、シンはテーブルに戻っていった。


 もう湯気も立っていないストレートティーを口に含み、軽く屈んでテーブルの下で寝そべっているキラの首を掻く。


 気持ちよさそうに目を細めるキラを微笑みながら見下ろし、シンはそのままの姿勢で朔夜を呼んだ。



「朔夜」



 庭から視線を外し、椅子から降りてしゃがむシンを見る。



「キラの姿って変わってると思わないか?」



「え? ああ……。云われてみればそうかな…」



 シンに大人しく撫ぜられているキラを見て、朔夜は今は安全だろうと近付いた。

 シンはやってきた朔夜を見あげて、ふっと微笑み、首筋を撫ぜていた手を背に移動させた。雪のように白い毛が指の下で柔らかく(くしけず)られていく。



「キラはDNA改変種なんだ」



「改変? 生体を使った動物実験は禁止だろ? あんたの家ってそんな野蛮なことしてんの?」



「殺人未遂犯を匿っているような家だぞ。常識は通用しない。おれもそのことについては云ったが、はぐらかされた。しかもDNA改変種はキラだけじゃない。スピネルもコスモクロアも……、ここにいる友達はみんなそうだ」



 朔夜はキラ以外の動物の姿はまだ見ていなかった。

 DNA改変種というのだからそのどれもが現実にはありえない様相をしているのだろうか。そんなことを考える。



「ただ何のために造られたのかわからない。観賞用だったのかもしれないし、何かの実験用だったのかもしれない」



 シンの手が止まり、キラはそれまで閉じていた瞼を開いた。金色の目が窺うようにかたわらの少年に注がれる。シンは何でもないというように微笑んで見せると、キラの背を一撫でし、再び椅子に座りなおした朔夜を見あげた。



「おれも同じだ」



 ポットから紅茶を注いでいた朔夜はその言葉にぴたりと手を止めた。


 冗談かと思いシンの表情を見てみるが、床の上に座り込んだ少年の顔にからかいの色は見出せない。



「同じって……。さすがに動物と火星人(マーズレイス)は違うだろ。そりゃあ、あんたの話聞いてると、一般人とは生態がかけ離れてそうだけど……」



 硬い表情を崩さないシンに気圧されたのか、意図せずして早口になってしまった。



 動揺していると思われただろうかとシンを盗み見るが、彼の視線は絨毯のように寝そべるキラに注がれたまま動かなかった。



 毛皮を丁寧に撫ぜながら考えるように黙り込み、やがて思い出したように顔を上げた。



「なあ、朔夜。どうして火星人(マーズレイス)が遺伝子改変された人間なのか知ってるか?」



「何だよ。急に」



 陰鬱とも陽気とも思えぬ淡々とした口調でつぶやくシンに朔夜は眉根を寄せた。


 入れたばかりの紅茶を口の中に注ぎ、足元に座る少年を見下ろす。


 てっきり思いついた言葉を口にしているとばかり思っていた朔夜だったが、意外に真面目なシンの表情を見て、たじろいだ。



「知らない」



 何となくシンの顔を見られず顔を背け、カップの中を覗いていると、シンがまた口を開いた。



「火星に移住した人間たちが人手不足を解消するために造ったのが火星人(マーズレイス)なんだ。本物の火星人(マーズレイス)、つまり今の土星人(サタンレイス)たちはアストゥリアンと呼んでいたらしい。火星人(マーズレイス)の製作者の名がラスター・アストゥリアスだったからだと記録が残っている。マシンはコストもかかるし、材料の金属も足りなかったらしいから、それならその残りわずかな金属を使って工場を建てて、人造人間を造る方がましだと土星人(サタンレイス)たちは考えた。アルデラート・ライザーによってキーを解除されたDNAは昔よりもはるかに扱いが簡単だったらしいからな。外見は人と同じだから手を使った細かい作業にも向いているし、条例で定められたようないかにもなマシンを造るよりは楽だったらしい」



 シンは独語するように云って、口元を歪めた。



「そういう理由で造られたアストゥリアンは外観上は人と同じだった。身体機能は別種に分類されるぐらい異なるが、そんなことは外見だけでは判断出来ない。だから一般人と区別するためにアストゥリアンは目を赤く、髪を白くっていう規定が出来たんだ」



―――そうそう。禁色(きんじき)って云ってさ、例えば目は赤、髪は白が駄目。別々なら良いんだろうけど、セットは絶対駄目。理由がまた阿呆らしいんだよ。火星人(マーズレイス)の見た目がそうだったからなんだってさ



 随分前にサイトから聞いた言葉が思い出される。シンの額の紋章を初めて見たのちのことだ。



「でもあんたの目……」



「これはコンタクトだ」



「コンタクト……」



 シンはふっと笑い、それから見ていろと云った。



「見てって何を――」



 訊こうとした朔夜の前で何か硬いものが割れるような音がした。


 ビシッというその音にびくりとして見下ろすと、朔夜の目の前のテーブルに亀裂が入っている。



「な……」



 数センチしか離れていないそこに深々と入った傷を見て、朔夜は口を開閉した。



 テーブルは決して薄くない。その厚さは十センチはあろうかという代物だ。


 本物のガラス製だとしても結構な強度に違いはなく、そんなものを一瞬で割ったとすれば相当な威力だと推察出来た。



 パクパクと口を開け閉めしながら、足元にいる少年にどういうことかと訊こうと見下ろした朔夜はそこで止まった。


 こちらを見あげるシンの額にあの紋章が現れていたのだ。



「あんた……っ、額っ」



「そんなに騒がなくても分かっている」



 シンは睨めつけるように朔夜を見、おもむろに前髪を掻き上げた。


 以前見えたときよりもかなり薄かったが、それでも細い筋が白い肌に浮かび上がっている。



「ちょ……っ」



 焦ったようにきょろきょろ見回す朔夜に、シンは溜息混じりに誰もいないと付け加えた。


 朔夜の大声にキラが迷惑そうな顔をして起き上がる。

 鋭い目が一瞬こちらを向き、朔夜は思わず(とう)に背を当てた。


 けれども飛びかかってくるような気配はなく、キラはつまらないものを見たとでもいうように視線を逸らすと、長い尾を一振りして出て行った。



「前にも話しただろ。体内温度が上昇すると、これが浮かび上がるんだ。力を使ってもなる。それよりここ見ろよ」



 シンは気付かない朔夜にじれったそうに目を指した。



「あっ」



 指摘された箇所を見て、朔夜は思わず声をあげ、さらにまじまじと見てしまった。


 シンの双眸は、本人やサイトが云ったとおりに赤く染まっている。

 血のように、とまではいかないが、琥珀色だった虹彩は少なからず赤くなっていた。



「な、赤だろ。今のは大した力じゃないから、そんなに綺麗には出ないが」



「大したって……」



 得意げにも聞こえるその言葉に、そこは自慢する箇所ではないだろうと心中で反論した。


 シンはキラが去っていってしまったので手持ち無沙汰になったように立ち上がった。


 前髪を垂らしているおかげで紋章は大して見えないのだが、それでもその存在が分かってしまうと自然とそっちの方に視線が行ってしまって、意識せずにはいられない。


 充血しているのとはまた少し違う赤い目と髪の間から見え隠れする紋章。

 嫌でも火星人(マーズレイス)を意識してしまい、朔夜は何となく息苦しくなってきた。


 眼前に座ったシンの顔もきちんと見られずにうつむいていると、シンはテーブルの上のカップに口をつけた。


 まだ残っていたのかと視界の端に映るその行動に驚いていると、シンは突如として口を開いた。



「アルセイス・アストゥリアス・ローラン」



「何?」



 突発的なその言葉に(いぶか)しんで顔をあげると、シンはまたじょじょに色が薄らいできた目を細めて云った。



「母がくれたおれの名前だ」



 青い夢を切り裂いて侵蝕してきた赤い砂漠。

 その中に佇んでいたシンそっくりの美女の姿を思い起こし、朔夜は顔を曇らせた。



「アルセイス?」



火星(アレス)を封じた名だ」



 シンは軽く頷いてから溜息を吐くようにして告げた。



―――事件後大分あとまで火星由来の名前をつけるのも駄目だったらしいぜ?



「でも火星由来の名前って……」



「今はかつてほどうるさくない。事件当初は火星由来の文字がスペルに入っているだけでも登録出来なかったらしいからな」



 シンはまたもや溜息を吐き、最早完全に冷めているだろうカップの中身を掻き混ぜながらぽつりと云った。



「アストゥリアスは創造者ラスター・アストゥリアスの名から。おれの場合は便宜的にローランになってはいるが、本来はその火星人(マーズレイス)が創造された都市の名だ。正式にはこれに主人の氏がついたりしていたらしいが、途中からそんなものはいなくなったからな。簡略化されてこうなった」



 かちゃかちゃと音がする。

 

 シンは肩肘をテーブルにつきながらスプーンをソーサーに戻し、額を指した。



「これは火星人(アストゥリアン)の証だ。所有者を表すのと同時に主人がいる都市までの地図となっている」



「何でそんなことわかんの?」



「夢の中で得た知識だ」



 シンは肩をすくめた。



「外にも自由に出られない。何をするにも制約がある。おれにとって地球(ここ)は居心地のいい場所じゃない」



「……」



「もちろん火星が居心地のいい場所とはとても思えないがな。いつかおれもローランに行きたい」



「あんた……」



 云いかけで黙った朔夜に、シンはまた元の琥珀色に戻った目を向けた。



「だから、そのためには軍人になるしかないんだ。ようは逃げだな」



 明るく云い切り、最後にシンは長嘆した。


 覚悟を決めるような意思を秘めた横顔を見て、朔夜は嫌な予感がした。



「――朔夜、父上がお前に会いたいと云っている」



 シンはカップの底に残っていた紅茶を飲み干し、ソーサーに戻した。



「それで、夕食に呼ばれているんだ。今ならまだ断れるがどうする?」



「……さすがに挨拶しないのはまずいと思うんだけど……」



「――そんなに楽しい食事会にはならないと思う。それでも行きたいか?」



「あんたがそんな奥歯に物が挟まったような云い方をするときは大抵良くないことのような気がするけど、とりあえず行くよ」



「そうか……」



 シンはほっとしたような、気が進まないような曖昧な表情をした。



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