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「大丈夫か?」
「あまり……」
「部屋についたら酔い止めくらいある。あと少し力をふりしぼれ」
朔夜は文句の一つも云いたかったが、そんな元気はなくなっていた。力なく頷き、シンのあとについていく。
「ここからが本邸だ。驚いて腰、抜かすなよ」
「は?」
言下に目の前が白く光った。
フラッシュのようなその強い光に、朔夜は思わず目をつむる。
痛みを一瞬感じたが、それもすぐに消え失せ、やがて視界も戻ってきた。
「何だよ、今の……っ」
視力が戻るなり、朔夜はシンに食ってかかった。酔った挙句、一言の断りもなく突然光を浴びせるなんて酷すぎる。
朔夜はさらにたたみかけようと口を開いたが、それが言葉になることはなかった。
「……?」
口を開いたまま、朔夜は呆然とあたりを見回した。
そこは先程までのミラーハウスではなかった。
そればかりか、これまで通ったどの空間でもない。
外と同じくらいの光が満ちるそこは、はじめに通されたホールと同じくらい天井が高く、そしてそこ以上に物がない空間だった。
ただその物のなさは大して目につかなかった。何しろ眼前にはとてつもなく巨大な木々が林立していたのだから。
「何だよ、ここ……」
「おれの家の玄関だ」
シンは何でもないことのように云うと、早く来いと朔夜の腕を引っ張った。
「何で……あんたの家って植物園?」
「いいや」
シンは朔夜をつれて、森のように木々が立ち並ぶそこに歩いていった。
一瞬、森の向こうに家があるのかと思ったがそんなことはなく、木々が生えているのはガラスの向こうだった。
ステルス機能でも兼ね備えているのかと思うほど、透明度の高いガラスの向こうに広がる世界は、昔見た環境映像の原始林と似ていて、ホログラフィーと見紛うばかりだった。
苔むした太い樹林の根には緑に染まった石が絡まっていて、その合間から湧き水だろうか。細い水流が見える。
「それ、映像じゃないからな」
考えていることを見透かしたようにシンは付け加えた。
「暗澹の五百年よりもずっと昔の、オリジナルDNAのメタセコイアの森だ」
朔夜は酔いも忘れてガラスにへばりついた。
「オリジナルって、まさかマーカーなし?」
「当たり前だろ。マーカーつきだったら第九エリアや地上にも生えているだろ。第九エリアのは全ての植物の祖だから珍しいには珍しいが、転写許可がおりれば個人でも所有可能だしな。エントランスにこんなスペース作ってこれ見よがしに展示してあるんだから、来客の度肝を抜くものに決まっているだろ」
「金持ちの考えることって……」
「次行くぞ。朔夜」
シンに手招きされて歩いていくと、そこにはエレベーターがあった。
植物園を見ていたせいで気がつかなかったのだが、ガラスで覆われていない方の壁面は奇妙な形のデザインだった。重心が支えきれなくなって壁に立てかけた迫持を表現したのか、それとも土を這う木々の根に見立てたのか、真相は定かではないが、そんなものを想起させるような斜めに傾いたアーチが一定の間隔で立っている。
エレベーターはそんなアーチの合間にあった。
「結構数あるだろ。でもこれはさっき話した個別認証とリンクしていて、決まったエレベーターしか動かない仕組みになってるんだ。おれは他のエレベーターに乗ったことはないが、少なくとも自分用のものは降りられる階数も固定されている」
「何で? だって、あんたの家だろ? 何で自由に動けないんだよ」
蜂の巣を彷彿させるエレベーターの群れを一瞥し、朔夜は眉根を寄せた。
「やっぱり普通じゃないよな。だけどナーサリーに行くまではこれがおれの日常だったんだ」
シンは照合を済ませて昇降機の口を閉じると、疲れたような微笑を浮かべて嘆息した。
朔夜は心臓がちりっと痛みを発するのを感じた。
脳裏に、懐から取り出した銀色の銃をこちらに見せるシンの姿が浮かぶ。
―――特級だぞ
シンはそれを何でもないことのように云っていたので、大して気にしていなかったが、こうして家を見せられると、あのときの言葉が今更ながらに重みを増す。
―――特に一番上のルーカス兄上とは仲が悪いどころの騒ぎじゃない。あいつはライザーの名前がなかったら今頃殺人未遂容疑で六回は逮捕されている。上二人の兄もあいつに殺されかけたんだ
その言葉を聞いたとき、朔夜は自分自身のことで精一杯でそれどころではなかった。
だからシンの言葉云々というよりも、彼を襲った事件の数々が自分のせいではなかったということの方にばかり気を取られていた。
ゆえにかけられた疑惑を払拭した言葉としかとらえていなかった。
朔夜はちりちりと痛む胸元に手を当てた。
服越しではあったが、皮膚に食い込んだ爪が痛い。
その痛みに耐えるように顔を歪ませ、朔夜はシンのあとについて昇降筒を降りた。
「ここがおれの部屋の玄関? みたいなものだ」
二人が降りたフロアにはまたしても何もなかった。
白と銀とわずかな黒で構成された空間。本当はその他の色もあったのかもしれないが、そのときの朔夜にはそう見えた。
天井から注ぐ光が色を一層鮮やかにし、視界をおかしくさせる。こんなところにずっと立っていたら、方向感覚がなくなって眩暈でも起こすこと必至だ。
目をしばたたかせ、まなじりをいじる朔夜を見て、シンはちょっと微笑った。
「そしてここから先が正真正銘のおれの部屋だ」
シンは指し示した扉に手を当てた。
ここまで来るのに何度もやっていたというのに、またしても生体紋照合をするらしい。やりすぎだとは思うが、そうでもいなければ身の安全が保障出来ないのだろう。
ドアは軽い開扉音を立てて開いた。
広いのか、それとも意外に狭いのかと、様々な想像を巡らせていた朔夜だったが、目の前に広がっていた光景はそのどれにも当てはまらなかった。
何故ならそこにあったのは部屋ですらなかったからだ。
「部屋?」
足元に敷かれた芝生を見て、朔夜は思わず呟いた。
「部屋だ」
うなずくシンに、朔夜は眉根を寄せてもう一度前を見た。
「部屋?」
混乱したように首を回す朔夜を尻目に、シンはすたすたと歩きはじめた。
慌てて追いかけると、後ろの方で音がした。
ふりかえると、ドアが閉まったところで、白いドーム状の壁が目に入った。
わざと機械的な部分を見せて造られたそれは、ここが紛れもなく室内であることを告げている。
けれども少し視線を下にやると、青々とした芝生が広がっていて、視界の端には太い焦茶の幹が見える。
そして振り返ると、そこに広がっているのは見事な風景式庭園。
「部屋?」
再び呟き、朔夜はもう随分と先に行ってしまったシンを追いかけた。
さくさくと音を立てる芝の上には、木漏れ日が光っていて、ゆるくさやぐ木々に合わせて忙しなく揺動する。遠くの方では水声らしき音も聞こえ、川が側にあることが知れた。
風が吹き、光が注ぎ、川が流れる。
部屋とは到底思えない部屋に、朔夜は混乱した様子で歩いた。
第九エリアも傾向としては同じだが、あそこは国家の一大プロジェクトのすえ築きあげられたもので、この空間は一般人の私室なのだ。
朔夜はシンのあとに続きながら、あたりを眺め回した。
「?」
いくらか歩いたところで、朔夜は突然何かの気配を感じて振り向いた。
そこにはこんもりと茂った藪があり、頭上から降り注ぐ光がその周辺に散らばっていた。
何かいる。
朔夜は背を見せないようにしてじりじりと後退しながら、ルームメイトの名を呼んだ。
「シン。おい、シン!」
「何だ? うるさいやつだな」
シンはこの上なく迷惑そうな顔をして振り返った。
「何か、いる」
「何か?」
眉根を寄せて朔夜を見、シンは背中越しから覗き込んだ。
「何もいないぞ」
「そこの茂みだって。絶対何かいた」
はいはい、と気のない返事をして、シンは朔夜が見たと証言するそこに近寄った。
そして何もないとシンが云おうとしたそのとき、茂みが大きくなった。
その影はたちまちシンを押し倒し、その上に馬乗りになる。
「シ……」
『雲母!』
叫ぼうとした朔夜の口を塞ぐようにシンが声をあげた。呆然とする朔夜の前で、シンは嬉しそうに笑い、自分の上に乗った大きな白い物体を抱き締める。
『雲母、元気にしてたか?!』
キラ?
シンが共通語を使っていないせいで、朔夜には固有名詞しか聞き取れなかった。
それでも突然現れた獣とシンが親しい関係にあることだけは分かった。
不審全開な顔をして、朔夜は仰向けのシンとその上に乗る真っ白な動物を交互に見た。
ふわふわした毛の長い尾が忙しなく中空をさまよい、喜びを表している。
『スピネルは? クロアとイネスが? ……うん、うん。わたしは大丈夫だ。元気だぞ』
シンはスーツやマントに葉の欠片や土がつくのも構わず、狼のような顔つきをしたその動物の頬や頸の毛を掻き回した。
その表情は幼い子供のように砕けていて、見たこともないほど嬉しそうだ。
シンの使う言葉も朔夜には理解出来なくて、置いていかれたような虚しさを感じながら、その様子を眺めた。
『何で隠れてたんだよ。え? 様子を窺ってた? みんなが迎えに来てくれないのも、それでか?』
おもむろに身を起こしながらシンは呟き、ちらりと朔夜を見た。
その視線につられるようにして、鋭い双眸がこちらを向く。
ビクリと身を震わせると、シンは平気だよ、と笑った。
『雲母、朔夜はわたしの友人だ』
そして立ち上がり、今度はかたわらに座す、白い獣の毛を撫でた。
「朔夜、彼女はキラ。おれの初めての友人なんだ」
オオカミは朔夜を一瞥すると、興味がないといった様子で視線を逸らし、シンの手に額を擦りつけた。
「彼女? 友人?」
朔夜は完全にこちらを無視するキラを見て、苦々しい顔つきをした。
「ああ。本当は他のみんなも紹介しようと思ったんだが、緊張してるとかで出てこられないらしい」
「らしいって、何? あんた、動物と喋れるの?」
瞬間的に火星人だからそれもありかな、などと思ってしまう自分の受け入れやすさが恐ろしい。
「まぁな。対話とはちょっと違うけど」
「違う……って」
「何となく分かるような気がするっていう程度だ」
シンはもうこの話題はおしまいとでもいうようににこりと微笑うと、きびすを返した。
キラはシンの横にぴったりとくっついてともに歩きはじめる。
これ以上寄るなと云わんばかりに振るう長い尾と、腰まで届きそうなほどの巨躯に阻まれて、それ以上近くに行くことも出来ない。
別に寄り添って歩きたいわけではないのだが、知らない土地で一人離れて歩くことほど不安なこともない。しかもここには何だかよくわからない生き物が沢山いるようなのだ。
五歩も六歩も離れて歩いて、突然襲われても困る。
びくびく怯えながら歩いていると、やがて家のようなものが見えてきた。
あれがそうだな、と思っていると、シンが突然振り返った。
そのまま戻ってきて朔夜の手を取り、やにわに微笑む。
「行くぞ」
「ちょ……っ」
言下に駆け出したシンに引っ張られ、朔夜も走る羽目になった。
前のめりになりながら足を動かす朔夜に、キラは一瞥を投げて寄こしたが、すぐに前を向いて二人を追い抜き、跳ねるようにして先に行ってしまった。
「キラ!」
シンは嬉しそうに笑うと、さらにスピードをあげた。急な加速に体がついていかず、前のめりになる。
「おいっ、もうちょっとゆっくり走――」
悲鳴じみたその声もシンには届かなかった。
朔夜は転びそうになるのを必死に堪えながら、懸命に足を動かした。
けれどもどんなに努力しようが、シンのスピードには明らかについていけない。
それも当然だ。シンは朝練の短距離走、上位三名に常時名を連ねている。最下位で熾烈な争いを繰り広げている朔夜がついていけるはずなどないのだ。
一緒に走ること自体がそもそも間違っている。
シンが自分の部屋だという、どう見ても大豪邸にしか見えない建物に着いたときには、朔夜はかなり疲れ切っていて、息を継ぐのもやっとという状態だった。
「だらしないぞ」
にたにた笑いながら扉中央の照合機に手をかざすシンを、朔夜は睨んだ。
「おれは酔……それにあんたとは…速さが……、ちが……」
云い終わる前に扉が開いた。
意地悪く微笑うシンの視線から逃れるように、部屋に入ろうとした朔夜は、そこに人がいることに気がついてぎょっとした。
「まあ、そんなに汚して」
驚く朔夜に、部屋にいた女性はにっこりと微笑んだ。
柔和なその笑顔は誰かに似ている。一体誰だっただろうかと考えていると、後ろで声があがった。
「ティアラ……」
ふりかえると、そこには感極まった様子で唇を引き結んだシンがいた。
今にも抱きつかんばかりの勢いで目を潤ませるシンに、女は優しく微笑みかけた。
「お帰りなさいませ。姫さま」




