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Moon Child  作者: かゆき
第九章 神の都
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 千年以上前、地球全土に蔓延したOSVは七億以上もの人間を死に至らしめ、生き残った人々をも宇宙へと追いやった。

 それから数百年、地球に敷かれたバイオハザードは解禁され、人々は懐かしい地上へと降り立った。


 のちに暗澹の五百年と呼ばれた長きその期間、地球では大地を踏むことが出来ない人々の代わりに多くのマシンが様々なケアを行っていた。


 はじめは着の身着のままで宇宙へ出てきた人々のための生活用品取得やOSV除染の作業。そして時が流れる間にそれは、世界遺産の保護や、老朽化した街の管理に変わった。


 けれども多数のロボットを降ろしたにもかかわらず、建造物の老朽化を食い止めることは出来なかった。これでは帰還したとしても住む場所がないと、事態を重く見た当時のコロニー政府は、莫大な費用を投じて新たな街の建設に取りかかった。


 それが、今でいう新造百都市であり、星都(せいと)と呼ばれる地球の首都もそうして出来たものの一つだった。



 星都(せいと)アスガード。



 その名は、北欧神話における神々の住まう地から取られている。



 アースグループ初代総帥アルデラート・ライザーの生誕跡地に建てられているという理由から、神格化を図っていると当初はひどく批判されたが、社名にはれっきとしたいわれがあるため、その批判はすぐに下火になった。



「いわれ?」



「アルデラート・ライザーとその妻サスキアの頭文字が由縁だと云われている。会社を創設した二代目(ロートシルト)が、両親がいなければ今この会社はなかったっていう意味でつけたんだと」



「で、実際は?」



 シャトル発着場で借りた浮遊車は、亀の甲羅を背負ったエイのような形をしている。


 透き通った甲羅の部分から眼下を見下ろしながら、朔夜はつぶやくように訊いた。



「実際?」



 シンは足と手を組んだ状態のまま、こちらに一瞥を投げた。



「神格化を図ったのか、ってこと」



「していないとは云い難いな」



 シンは自分の家のことを他人事のように云い放って、大仰に足を組みなおした。


 深みのある茄子紺のスリーピースに白のリバーシブルマントを重ねた恰好のシンは、普段の制服姿とはまるで異なる雰囲気を放っている。


 その格好と姿勢に、何故か朔夜は理不尽な苛立ちを感じた。



「当時すでに他の追随を許さないくらい巨大になってたんだ。そういう(おご)りがあったとしても不思議じゃない。批判も揉み消したのかもしれないしな。そういえば、どうしてアスガードっていうか知ってるか?」



「あんた、さっき自分で云ってただろ」



「発音の問題だ。由来が北欧神話なら素直にアースガルドと呼ばせればいいのに、何故アスガードにしたか」



「さあ」



 そんなこと今まで考えたこともない。

 朔夜は肩をすくめた。



「当初の予定ではアースガルドになる予定だった。フラグメントの時代かは不明だが、アルデラート・ライザーは改変できないよう鍵がかけられていた人のDNAのキーを外してプロテインデザインを確立した。だから神の分野に立ち入り、神のごとき振る舞いをする、傲慢なるアースグループという意味を込めて、アースガルドが第一候補にあがったんだ。アルデラート・ライザーの生誕跡地に建てたんだからそう考えるのも無理はない。だから今でもアースガルドと呼ぶ人間は多いし、うちの本社のあだなはバルハラだ。それがアスガードになったのは、当時の政府高官にライザーの血族がいたせいらしい。得票数が多かったアースガルドの読みを無理やり変えさせたんだと」



「噂だろ」



「それが噂ではないんだな。内輪の人間が撮った映像が一族のライブラリ深層にあるんだが、それによると得票数一位はアースガルドだった」



「本当なら闇深すぎだろ。というより、そんなの部外者に話していいのかよ」



「朔夜はいいんだ。もっとレベルの高い秘密を知っているし、もはやうちの一族みたいなものだからな」



「……まるで笑えない。やめろ」



「まあ、そういうわけで会社ではいちいち反応する連中がいるらしいから、一応中ではアースガルドではなく、アスガードまたはセントラルと云っておけ」



 口角をあげるシンに、何故か微笑む両親の姿が重なった。



―――朔夜



 またか。



 朔夜は唇をかみしめて自動再生される映像に抗おうとしたが、その努力もむなしく実家の様子が頭の中を流れていく。


 テーブルに並べられたティータイム用の菓子と熱い紅茶。

 談笑する両親と、ソファで寝転がってテレビを見る弟。今はもうない休日の風景を思い出し、朔夜は息が詰まるのを感じた。


 服の咽喉(のど)元をつかみ、こらえていると、今度は唐突に弟の姿が頭に浮かんだ。


 怒ったふうな表情をする彼に重なるようにして、あの日の転落が脳裏を過ぎる。


 落ちる瞬間の驚愕と絶望。

 体全体に一気に浸透した感覚に、朔夜は思わず体を抱き締め、うつむいたまま吐き気を堪えた。



「大丈夫か」



 朔夜の異変にいち早く気付き、シンが不安げな顔をした。



「へい…き……」



 朔夜は胸元を押さえて荒く息をした。


 他人が味わった感覚を自分のことのように感じてしまう能力、それがレセプターテレパスなのだという。

 またの名を過敏性共感症というこの能力のことを朔夜は二週間前、望の記憶が戻った直後にシンから聞いた。


 テレパシストと呼ばれる特殊能力者の中でも特に使い手がいないのだというこの能力の特徴は、他人との強い共鳴を基本とする同調現象や意識の入れ替えなのだという。


 能力者には一卵性双生児が多く、それ故入れ替えは超能力の類ではなく、人格転移やクローン固体間でよく見られる共鳴(レゾナンス)だというのが通説だったが、その中でも説明のつかない現象があり、その力を持つ者をレセプターテレパシストと呼ぶのだという。


 過敏性共感症なる病気まがいの別称は、かつて超能力の存在がまだ認められていなかったころ、被験者が精神科にかかる例が多かったことからそのときの病名がいまだ使用されているらしい。


 シンからその説明を聞いたとき、朔夜は少しほっとした。

 彼の云うとおり入れ替えが行われたのだとすれば、望は痛みも怖れも感じなかったに違いないからだ。


 見上げているだけで首が痛くなるほどの高所から落ちた望。

 弟が感じるはずだった苦痛が、自分の能力でどうにか出来たかもしれない。そのことだけが朔夜にとっての救いだった。



「朔夜」



 心配そうな声で呼ばれて顔を上げると、そこには声同様不安にまみれた表情をしたシンがいた。


 ぼんやりしていたのを見て、どうかしてしまったのではないかと思ったらしい。

 本当に大丈夫なのかと訊いてきた。



「平気だって」



「でもお前顔色悪いぞ。まだ記憶が戻ってから二週間しか経ってないんだから寮で安静にしていた方が」



「いいって」



「でも……」



 伸ばされた手を邪険に払い、朔夜はシンを睨んだ。



「あんたもしつこいなっ。受け入れろってあんたが云ったんだろ。受け入れていけばフラッシュバックも悪夢もそのうち治まっていくって。おれは早くこの状態から抜け出したいんだよ!」



 朔夜は云いながら頭を抱えた。



「おれの前で望が何度も落ちる。頭が割れて、どろどろの血が流れてるんだ。呼んでも立ち止まってくれない。おれが云ったから、……あいつ、取りに行こうとしてるんだ。手を伸ばしても届かない。すぐに取ってくるから下で待っててって云うんだ」



 脳裏には心配しないでと云いながらビルの奥に向かう望がいる。

 笑いながら去っていく弟。瞬間その姿は血に染まり、青い夕暮れの中、真っ黒な塊として現れる。

 人としての判別すら叶わない人形のような望。


 朔夜はイメージを払拭するように激しく頭を振り、不安定になった感情をシンにぶつけた。



「あんたにこの気持ちが分かるのかよ! 望はおれのせいで死んだ。おれが死ねなんて云ったから……。――おれのせいなんだ!!」



「朔夜……」



 たしなめるように名前を呼ぶシンを拒絶し、朔夜は感極まったように両手で顔を覆った。

 荒く息を吐き、脳裏に浮かぶ全てのイメージを排除しようと激しくかぶりを振る。


 耐えなくてはならない。

 記憶を戻せと云ったのは他ならぬ自分なのだ。警告までしたシンを咎めることなんて出来ない。


 落ち着けと何度も自分に云い聞かせて深呼吸し、冷静な状態を取り戻そうとする。


 上手くいかないのはこの場所が首都だということが関わっているせいかもしれなかった。

 買い物に行くと云って帰ってこなかった両親が事故死した街。


 けれどここに行きたいと云い出したのは、そもそも朔夜の方からだった。


 色々な資料を漁ってみた結果、自分の身に起きたことを受け入れるということが回復する一番の近道だと知った朔夜は、まず両親の死から受け入れようと考えた。


 そこで用事があって里帰りをするというシンをつかまえて、ついていきたいと云い、一緒に帰省する予定だったジェセルのシャトルチケットをもらってアスガードに行くことになったのだ。


 ジェセルから身を挺して守るんだよと笑顔で脅され、気が引けたのは確かだったが、ここで迷っていては一生事故現場にもいけない。

 その強い信念でここまでやってきたのだが、やはり二週間では早すぎたらしく、フラッシュバックにたびたび襲われていた。



 時間の経過とともに恐怖が少しずつ遠ざかっていくのを感じた。

 凍ったような曖昧な感覚が残る皮膚を撫ぜながらうつむいていると、朔夜は唐突に呼ばれた。


 顔をあげると、シンが窓の外を指差していている。


 何かあるのだろうかと眉根を寄せてかたわらの窓から外を見たが、眼下に広がっているのは、特に何てことはない高層ビルで、わざわざ人を呼び出してまで見せるようなものではない気がした。

 確かにそのビルはとても大きくて、窓からではとても全貌が把握しきれないくらいだったが、どのビルでも近くに行けばそのくらいに見える。アスガードの高層ビル群はそれほどに巨大なのだ。


 朔夜は首を傾げて窓から顔を離し、この微妙な合間を利用してシンに詫びようと考えた。



「おいシン、さっきは……」



 云いかけた朔夜の言葉を微笑んで制し、シンはタクシーに向かって声を上げた。



「高度を上げてくれ。アースグループ本社上空まで。認証システムが及ばない位置が望ましいが、求められた場合でも認証キーは持っているので問題ない」



 了解。人の声と同じなめらかな声がどこからともなく聞こえ、タクシーは指示通りに高度を上げた。



「透過を」



 了解という声が再度車内に響く。言下にタクシーの底や壁、天井が外の景色を映し出した。

 一瞬にして周囲が透明になったような錯覚を覚える。それはまるで中空に浮かんでいるような不思議な感覚だった。


 窓枠すら消えてしまったタクシーの中で、落ち着かない様子であたりを見回す朔夜に、シンは下を指差す。


 反射的にその方を見た朔夜は小さな声をあげた。



「あ……っ」



 そこには先程朔夜が近すぎて大きく見えるだけだと思っていたビルがあった。


 巨大なビルが幾棟も集まって出来たそれは、まるで神が建てた城のようだった。



「これが……」



「バルハラだ」



 自分が云った禁句をわざわざ口にして、シンは自らが生まれた家を見下ろした。

 大木に絡みつく二匹の蛇。中央のビルに刻まれたそれはアースグループの標章だ。



「あのマークには一応意味があるんだ。どんな完璧な技術でも、悪用されれば立派な兵器になりうる。それを危惧して自戒のためにつけた標章らしい。蛇は再生と同時に原罪の象徴だからな、二重の意味を込めてだろう。まあうちは初代がキーを解除してプロテインデザインを提案しているからな。そういう団体にとってはすでに罪しかないわけだが」



 軽口めいて話すシンの表情は口調とは異なり固いものだった。


 憂鬱そうにも見えるその横顔に、そういえばシンの云う用事とは何だろうと、朔夜は首をかしげた。


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