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Moon Child  作者: かゆき
第七章 不滅の青
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9

 先に行けと云われて、部屋に入ったのはよかったものの、どうにも気になって自室に戻れなかった。気になるということが、野次馬根性という言葉と繋がって幾度となく腹を立て戻りかけたが、そのたびに見えない力に押し戻され、結果共用部をうろうろする羽目になった。


 シンが戻ってきたのはそんな折で、何故いまだに共用部にいるのか、その理由を考えていなかった朔夜は、とっさの云い訳も思い浮かばず固まっていた。けれども必要以上にうろたえる朔夜にシンは何も云わなかった。

 憔悴しきったように項垂れて、自分の部屋に戻ろうとする。その様子はあまりにもいつもと違っていて、つい数分前までの面影もなかった。


 だからだろうか。


 朔夜は自分の前を通りすぎ、よろよろと廊下を歩くシンの腕をつかんでいた。



「……っ」



 驚いたようにこちらを向くその姿が脳裏に挿入されたが、実際に振り返ったシンはそんな表情をしていなかった。



「シン?」



 腕をつかまれながらこちらを見るルームメイトの表情は今にも泣きそうだった。

 どきりとして慌てて手を離すと、シンは素早く手を引っ込めて、朔夜を見、さらに顔を歪めた。



「シ……」



「悪い」



 言下にシンは身をひるがえした。

 止める暇もなかった。


 シンはそのまま逃げるように自室に駆け込み、視界から見えなくなった。



「何なんだ?」



 シンの去ったあとを呆然として見、朔夜は目をしばたたかせた。


 手にはまだ腕をつかんだときの感覚が残っているというのに、本物はここにはいない。

 朔夜は曖昧なその感覚に困惑し、再び掌に視線を落とした。


 目にはまだ残像が残っていて、泣きそうだった表情の一瞬を捉えている。



「アル…カ……?」



 原因を作り出したと思われる青年の名を呟くように口にした朔夜は、そこで既視感にも似た感覚を覚えた。

 絶対に知っているという確信じみた感覚を信じて記憶を手繰ると、案外早く思い出した。



―――ああ、一番上のルーカス兄上の養子なんだ。次男で実子のサイラスは父親に似て愚鈍だが、そいつは凄く頭が良い。四歳しか違わないのに、もうアスガードの大学院も卒業していて、今は中央に配属されている



 その話をしたのは確かヤーンスの帰省したときのことだ。


 朔夜は眉根を寄せ、呟いた。



「……甥?」



 洗面台の前の鏡には自分ひとりの姿が映し出されている。


 朔夜はシンの温もりが消えつつある掌をきゅっと握りこんだ。



 ◇



 闇が訪れる寸前の黄昏で時を止めるその街は、耳が痛くなるほどの静寂に守られている。


 街として完璧な形を守りながら、海の底に沈んだ遺跡のように何の音もしない。物の影に溜まった闇や、青い靄に包まれた家々、公園に置かれたままの遊具など、街は生活臭にあふれていて、生きているものがいないことなど(にわか)には信じられない。


 けれども時が経つにつれ、街が死んでいることが明らかになっていくのだ。

 怖くて怖くて、けれどもいくら大声を出そうが、誰一人として姿を現さない街。


 それは東雲(しののめ)の微光が射す前の早朝に一人で外に出たときの感覚と似ている。普段は人が忙しなく闊歩する場所が無人になったときの虚しさ。爽快であるにもかかわらず、寂しくて、不安にあふれている。



 ナーサリーに入学する以前のひきこもり時代、朔夜はこの場所に何の疑問も抱いていなかった。目をつむると、この場所が広がっていて、ゆえが笑って待っていた。


 今考えると不思議だが、そのころは本当に寸分も疑念を抱いていなかった。夜の次に朝が、夕暮れの次に再び夜が訪れて一日が終わるのと同じくらい当たり前のことだったからだ。けれど今、その少女はいない。

 街はそのままで憎たらしいほど変わらないというのに、ゆえの存在だけがぽっかり空いているのだ。



 やはりシンの云うとおり、無意識が作りあげた幻の空間なのだろうか。



 云われて見れば確かにヤーンスと似たドーム型の建物が並んでいる。けれど似てはいるものの、決して同じではなく、雰囲気だけが似た別物だというのはすぐに分かる。この街はヤーンスのように渦巻き状をしているわけでもなく、中心部にあるのも巨大な塔であってアルフレッド・ヤーンス記念館ではない。


 証拠がない以上、朔夜には肯定も否定も出来なかったが、無意識とはとても思えなかった。

 無意識下で作り上げている映像にしてはあまりにも鮮明だ。これをわずか十歳の自分が創ったとはとても思えない。



 朔夜はいつもゆえと話をしていた公園に向かい、花を見せると約束したブランコに腰かけた。

 ちょうど半年前には隣にゆえがいて、たわいもない話をしながら毎日を過ごしていた。


 家族がいなくなってからというもの、誰もいない家を見るのが嫌で、睡眠薬を飲んでは眠ってばかりいた自分にひとりではないことを教えてくれた少女ゆえ。

 彼女の存在があるがために家族の死が色褪せなくとも、朔夜はここにいることを望んだ。



「……?」



 朔夜はブランコを揺らしながら、ふと思い立った疑問に首を傾げた。


 普通ならば家族の死を忘れたくて、世界を作り上げるのではないだろうか。


 嫌なことやショックな出来事は心に強く残るが、それがあまりにも酷いとストレスから体を守るために人は記憶自体を忘れてしまう。親友サーヴァインの存在を忘却していたのがそのいい例だ。



 親友がいなくなったことの方が家族の死よりもショックだったのだろうか。



 一瞬そんな思いが脳裏をよぎったが、さすがに家族の死の方が比べものにならないくらいショックが大きい。



 では、何故?



 金属が(きし)む音がして、箱型のブランコが揺れた。


 背が低いために地面に着かない足が、漆黒の影となって下に溜まっている。

 誰もいない公園。広いスペースが震えるような緊張感をともなって、朔夜の上に覆い被さってきた。


 朔夜はきゅっと目をつむり、手摺()りにつかまった。



―――ひとりで大丈夫なの?



 キイキイと軋む金属音をバックに、振り返る母親の姿が浮かび上がる。

 暗い玄関だった。その日は雨が降りそうな天気だったのだから、暗いのは当然なのだが、実家はシステムコンピュータに管理されているので、暗いことなどということは本来ありえなかった。


 時間が経つごとに鮮明さが失われていく記憶に、朔夜はますます寂しいような気分になる。



―――ちゃんと薬を飲むんだぞ



 母の背に手を乗せて出て行く父。家族を見た最後の光景。


 朔夜はその記憶に酷い違和感を覚えた。顔を曇らせてもう一度、思い起こしてみる。

 けれど、いくら思い出したところで体の中に蔓延する違和感は消えなかった。



「何…だ……?」



 朔夜は両手で顔を覆った。


 ドクンドクンと心臓が一定の速さで鼓動を打ち鳴らしている。速くもなく遅くもない通常速度の心拍。



 何か大切なことを忘れている気がした。

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