表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Moon Child  作者: かゆき
第五章 夢から醒めた夢
37/89

3

「最近キサラギと仲いいね」



 寮にいたるまでの道程を歩きながら、ぼんやりしていたシンは突然話しかけられて思わず肩をすくめてしまった。

 大丈夫などと心配されて、いよいよ困惑気味に隣を歩くジェセルを見る。



「何?」



「聞いてなかったの?」



「悪い」



 ジェセルが喋っていたことさえ知らず、シンは申し訳なさそうに眉根を寄せた。



「キサラギと仲良くなれてよかったね、って話」



「妬いてるのか?」



「まさか、僕は立場上シンの一番の友人にはなれないからね」



 シンの言葉をやんわり否定しながらジェセルはにこやかに微笑んだ。

 眼鏡が色つきなお陰で、もともと分かりにくいジェセルの本心は更に理解しにくくなっている。



「そんなことは――」



 その言葉は突然差し込んできた太陽の光で最後まで云えなかった。

 目を開けていることすら困難な強い光。シンは思わず口をつぐむと、額に手をかざしながら落日に目をやった。


 太陽はちょうど寮塔の裏手にある山に落ちていくところだった。

 それまで建物の影になっていて直接当たらなかった光が射したのだろう。光さえなければ太陽は、完熟しきったオレンジのような彩をしていた。薄いブルーの雲に(とき)色の影を添え、丹碧(たんぺき)美しい夕映えを作りあげている。

 それらは太陽共々全てホログラムだったが、映像とはいえサテライトのそれは暗澹の五百年に地球へ降りることが叶わなかった人々が作りあげた最も精緻なビジョンだ。存在感もだてではない。


 木々が作る森の奥や丘の向こうなど存在しないはずなのにどうしてもだまされてしまう。寮へと続く石畳がかもす本物の存在感と見分けがつかないのだ。


 シンはよく焼けた鉄のように赤い石畳に落としていた目をジェセルに向け、にこりと微笑んだ。



「だが、ライザーつながりとはいえジェシーにはホントに感謝してる。父上には独りでやっていくって偉そうなことを云って出てきたが、正直不安だったんだ。だからお前が一緒に来てくれてよかった」



 ジェセルは少し驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの柔和な面差しに戻り、たまたまだよ、と微笑む。



「たまたま試験に合格したからね。受かってなかったら行けなかったよ。運がいいのかな。今回も通ったし」



「おれも危なかった。あんなに落ちるとは思わなかったし」



「シンは落ちないよ。だって四位だったじゃない。ヨーウィス様もきっと喜ぶよ」



「そうかな? だといいが。でも四位っていっても、総合だろ? おれはいいのと悪いやつの差がありすぎるからな。追試二つも受けたし」



「でも、受かったでしょ。キサラギに教えながらなんて随分と余裕の追試だったみたいだけど」



「だって、同じ教科もあったんだ。二人でやった方が効率いいってこともあるだろ」



「本当にお気に入りだね」



「うん、あいつはライザーと関係ない初めての友達だからな。賭けにも勝った」



 シンはふふっと笑みをこぼすとジェセルから視線を外し、頭上を覆う桜並木に目をやった。


 入学当初には満開の花を咲かせ、夏場には青々とした葉を茂らせていた桜の木は今や燃え立つような朱に染まっている。

 石張りの道には黄色やオレンジ、赤といった鮮やかな落葉がもうかなりの枚数落ちていて、通路一面に絨毯を敷いたように見えた。


 シンはもうすっかり葉を落として、節くれだった指のようにも見える枝を見あげてわずかに目を細めた。

 幾重にも折り重なったそれらの合間からは空が見える。縁を桃色に染めた彩雲が浮かぶ淡青(みず)色の空。

 それはユートピアを描いた絵画のようで、シンは溜息こそ漏らさなかったもののいつまでも上向いて歩いていた。



「そういえば聞いた? アルカス様が近々研修でこっちの方に来るって噂」



「アルカが?!」



 ジェセルの言葉を最後まで聞かず、シンは叫んだ。

 その大声に、道行くナーサリーの生徒がぎょっとしたように振り返る。シンは慌てて口を塞ぎ、コホンと息を整えて辺りを見回した。そして今度は小声で事の真偽を確かめる。



「それ本当か?」



「うん、まだはっきりした予定じゃないらしいけどね。でも本当にいらしたときはその言葉遣いじゃ駄目だからね。あの方がそういうのにうるさいのは身をもって分かってるでしょ?」



 色眼鏡の奥の目が笑っている。

 シンはその目を逃れるようにうつむくと、自然とあがってくる口角を押さえるために下唇を噛んだ。それでも一旦ゆるんだ表情はすぐには直らず、顔をあげるのにすこしばかり時間を要した。


 どうにかこうにか返事をしたときにはもう随分と時間が経過していたので、ジェセルは何のことだか分からないようだった。



 乗り込んだエレベーターからジェセルが出て行くと、昇降筒の中に一人きりだということが災いしてか、妙な高揚感は加速度的にあがった。自室がある十八階に着く頃には最早顔を覆い隠さなくては歩けないという状態で、シンは辺りを見回しながら自室へ急いだ。


 甥が来るかもしれないと分かっただけでこんなに動揺するのもどうかと思うが、嬉しいのだから仕方ない。


 シンは廊下をスキップでもするような軽快な足取りで歩いていき、自室には戻らずそのまま朔夜の部屋をノックした。



「朔夜」



 朔夜の部屋のロックシステムにシンはいまだ登録されていない。

 シンの部屋は朔夜と友人関係を築くと心に誓った日から彼を登録してあったので自由に出入り出来るようになっているのだが、普通はそうではないので主がこちらを認めないかぎり中には入れてもらえないのだ。


 シンは友人として認められていないことを歯痒く思いながら、扉を叩いた。



「朔夜!」



 しかし、いくら呼べど返答はない。

 授業が終わってから大分経つというのに、まだ帰ってきていないのだろうか。

 シンは首を傾げて、再びノックした。



「朔夜? いないのか?」



 部屋の中から返事はなかった。用事がまだ終わってないのかもしれない。

 シンは何度か叩いたのち、諦めたように嘆息すると身をひるがえした。



 ◇



 シンが呼ぶ声が外から聞こえて、朔夜は一瞬だけ目を開けた。

 しかしすぐにまた枕に顔を押しつけた。枕の表面に(こご)った熱が気持ち悪かったが、今の朔夜には冷やしたり、裏返したりする気力すらなかった。


 もう何も考えたくない。


 静まり返った部屋の中で時間を刻む時計の音だけが絶え間なく鳴り響いている。規律正しいその音は朔夜の意識を繋げる唯一のもので、その音からすこしでも気を逸らすと途端にあの声が頭の中を支配した。



―――俺は自分があいつより劣っていたとは思えません!



 その声は朔夜に言葉では表せないほどの不安感をもたらした。


 どこか高いところから突き落とされるような、勿論そんな経験はしたことはないが、例えるならばそれが一番近い感覚に思えた。一瞬閃く耐え切れないほどの絶望とその後に訪れる焦燥感。

 

 朔夜は幾度となく叫びたいような気分に襲われ、そのたびに枕を噛んで忍んだ。


 体が破裂しそうなくらい激しい感情が内奥から込み上げ、じっとしていられない。


 朔夜は感情の赴くままに足をばたつかせ、枕を殴った。


 手近に容易く破れてしまうものがあったなら引きちぎってしまっていただろう。激しく息をつき、どうにかして脳うちに巣食うあの忌まわしい言葉を除去しようと、ひたすら体を動かした。


 そんなひきつけのような状態を何度も繰り返していくうちに朔夜は念願通り、何も考えられないほどの疲労を手に入れた。


 荒く息を吐き、気が抜けたような目で枕上のシーツを見つめる。


 窓から差し込む光はいつの間にか赤銅から二藍(ふたあい)に変わっていた。紫の色味がじょじょに強くなり、あとすこし経てばすっかり青に染まるだろう。藍染の液に浸けたような色に染まるシーツを見ながら朔夜はかすかに唇を動かした。



「ゆ…え……」



 か細い声は耳に届く前に空気に溶けてしまいそうだった



「ゆえ……」



 何も考えられないのに、言葉だけが口をついて出ていく。



「ゆえ…会いたい……」



 けはっと咳をし、朔夜は枕元にあった薬ビンの中から錠剤を取り出した。口の中でゼリー状に変わるそれを飲み込み、再び枕にしがみつく。



「ゆえ……」



 カサカサになった唇からは掠れきった声しか漏れなかった。それでも壊れた録音装置のように少女の名を呟き続け、朔夜は知らず知らずのうちに眠りに落ちていた。


 その日も朔夜はあの青の世界に入ることが出来なかった。



 ◇



 ウェーバーが口にした一言はその後も朔夜を悩ませ続けた。

 日に日に他人の言葉が気になるようになり、それによって精神磨耗が激しくなっていく。


 数日の間にすっかり廃人のようになってしまった朔夜を心配し、シンはまとわりついてきたが、当然のことながらそんなもので救われることはなかった。

 そればかりかまたしても聞いてしまった陰口に、朔夜が落とされなかったのはシンと仲がいいからだというものがあって、自然と距離をとるようになっていた。


 他人の云うことなど取るに足らないものだと思っていたかつての自分はどこへ消えてしまったのだろう。昔は人を怖いと思うことなどなかったというのに今は他人の一言一句に踊らされ、怯えている。


 朔夜はシンとともに帰省したあの休暇のあとすっかり打たれ弱くなってしまっている自分に驚愕していた。昔から陰口は叩かれていたはずだが、それにどう対処していたか思い出せない。



 そんなふうに困惑し、思い悩んでいた朔夜にある日呼び出しがかかった。話があるといってきたのは勿論シンである。

 朔夜はその日、ナーサリーを体調不良との理由で休んでいたので無視しようかとも思ったが、それがアルバムについてのことだとわかったので、行かないわけにはいかなかった。


 指定された座標に向かうため、よろよろとエレベーターに乗る。

 けれどもあまりにもぼんやりしていたせいか、降りるべき場所とは違う階に降りてしまった。


 それに気がついたのはエレベーターがいなくなってからだった。

 エントランスだと思っていた場所を歩いているうちに本来なら出口がある所にそれが存在しないことに驚き、慌てて引き返した。


 そして下の階への呼び出しボタンを押し、待つこと数秒。

 朔夜はそこで今最も会いたくない人間に遭ってしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ