13
「えっ……、サーヴァインについて?」
亜麻色の髪をさらりと揺らし、ミカはシンの前に紅茶を置いた。
透明な茶褐色の液体の表面に波紋が現れ、カップの縁に当たっては砕ける。
「ありがとう」
少し恐縮したように会釈すると、ミカはこぼれるような笑みを顔にぱあっと咲かせた。
「やだぁ、ほんとに可愛い」
「やめろよ、ミカ。シンはな、おれたちみたいな一般庶民が想像も出来ないほどいいところの坊ちゃんなんだぜ。小動物を相手にするような態度取って、あとで不敬だって云われたら困るだろ」
「そんなことはない」
ムッとしたような顔をしたシンに、ネカーはカラカラと笑った。
「生真面目だなぁ。冗談だよ、冗談――それよりシンが聞きたいのはサーヴァインのことなんだってさ。ミカ、なんか知ってることあれば話してやれよ。俺はあいつとそんなに喋ったことねぇから、あんま知らないし」
「そうよねぇ。あんたと望はいっつも朔夜ほったらかしで遊んでたものね」
「だからぁ、それは誤解だって云ってんじゃん。朔夜、俺に懐かねぇんだもん。側に寄るとイヤ~な顔されっし、だったら近寄らない方がいいっしょ。あいつの側にいかなかったのは、俺なりの配慮なわけ」
「――それでね、サーヴァインのことなんだけど」
「ミカぁ、無視すんなよ」
「あたしも少ししか知らないのよ。ごめんね」
「おい、こら」
「うるさい外野!」
ミカは叱責とともにネカーの足を蹴りつけた。
大丈夫だろうか、とおろおろするシンにミカは平気よ、と華々しいほどの笑顔を見せ、話を続けた。
「朔夜の隣に空き家があるでしょ。あたしが十歳くらいだったと思うから、朔夜が六歳の時ね。季節はいつだったか覚えてないけど、そこにお母さんと一緒に越してきたの。朔夜といつ仲良くなったのかは知らない。でもあいつってあんまり人に懐かないでしょ。だからサーヴァインが朔夜と一緒にいるのを見たときは、正直悔しかったな。こっちはずっと一緒にいたっていうのに懐かれもしないで、突然やってきた子に隣席をあけわたさなきゃならなかったんだもの」
こんなこと云ったっていうのは朔夜には内緒よ、とミカは唇に人差し指を当てた。
「ミカは朔夜のことが好きなんだな」
変な意味じゃないぞ、と慌ててつけ加えるとミカはふふっと笑った。
「もちろんよ。あの子、口下手で無愛想だけど、何か放っておけなくて。口では色々云ってるけど、あの馬鹿だって同じなのよ」
ミカは自分に殴られてから、負け犬のようにすごすごと去って行ったネカーの小さな後ろ姿をちらりと見て笑った。
「シンだってそうでしょ」
頷くと、ミカはもう一度優しく微笑んだ。
亜麻色の髪から薄く花の香りがした。
「それはそうと、どうしてサーヴァインのこと知ってるの? 朔夜から訊いたの?」
「アルバムを」
「アルバム見たのか?」
「ああ、驚くようなことなのか?」
頓狂な声をあげた青年をいぶかしんで見る。
「すげぇな、あれ絶対誰にも見せなかったんだぞ。てっきり捨てたのかと思ってたけど、まだあったんだな」
力説するネカーを前に、むずむずとした感覚がこみあげてくるのを感じる。
シンは歪みそうになる口元の笑みを抑えるのに苦労した。
「可愛かったでしょ、朔夜。昔は望と見分けがつかなかったのよ」
「え?」
「あ、それは見なかった? じゃあ、マリアさん撮ってなかったのかな。朔夜と望ってね、性格も似てたの。初めて会ったときはなんていうのかな、この世界に二人っきりみたいな感じで、いっつも一緒にいてね」
「そうそう、見てる世界も違うみてーな勢いだったよな。朔夜の喘息が酷くなるまでだったけどさ」
「喘息」
時折飲んでいる薬は喘息のものだったらしい。シンは休憩室での一件を思い出して顔を曇らせた。
「喘息なら簡単に治ると思うんだが、治療しなかったのか?」
「してたと思うけど治らなかったのよ。朔夜の家、おじさんもお医者さんだから色々と治療してもらってたとは思うんだけど……」
「おじさん?」
「そう、マリアさん……朔夜たちのお母さんの弟さんで……――そういえばナーサリーで会ったりしないの? アスラおじさんは確か宇宙軍の軍医だった気がしたけど」
「いやいや軍医だからって必ずしも会えるわけじゃねえだろ」
「おじさんが朔夜を引き取ったんだし会いに行ったりしたのかなって思ったのよ、いちいちうるさいわね」
ミカはネカーを睨めつけると、シンに向き直った。
「それで喘息なんだけど今は大丈夫なの? 昔はホントに酷くってね、学校にも通えないくらいだったの。だから望一人で行ってて……。やっぱりあそこが分岐点だよね、今考えると。生活サイクルが違うし、交友関係にも差が出てくるでしょ。性格がどんどん違ってきちゃって」
「でもさ、あのころあいつらゲームみたいのやってたよな」
「ああ、やってたやってた」
「ゲーム?」
「そ、入れ替えゲーム。互いになりきって行動するの。大概朔夜の咳でばれちゃうんだけどね。でもほら二人とも同じ顔でしょ? しかもお互いのことホントによく分かってるから咳とかするまで誰もわかんないのよ」
「そうなのか」
「サーヴァインはわかってたみたいだけどね。朔夜に一番近い人だったし」
では何故あいつは覚えていないんだ。
シンが顔を曇らせたのをミカは自分が相手の満足する情報を持っていなかったためと勘違いしたらしい。本当にごめんね、と申し訳なさそうに頭を垂れた。
シンは慌ててそれを否定したが、期待していた話が聞けなかったというのはやはり残念だった。
細かいものでも聞いていれば何か分かるかもしれないともう少しだけ探ってみると、朔夜があの人間不信状態に陥ったのは、サーヴァインが母親の仕事の関係でヤーンスを去ったという出来事が原因だということが分かった。
シンはその話を聞いて何か分かりかけたのだが、きちんとした答えが出る前に今がそんなことをやっている状況でないということに気がついた。
三杯目の紅茶をカップに注ごうとするミカの前で突然立ちあがり、蒼白な顔で端末に記された時間を見る。
「どうしたの?」
如月家の門を出てから二時間以上経過した時間が端末にはあった。
一刻も早く帰らなくてはならない。
心配そうに首をかしげるミカに謝りながら、シンは実は朔夜に買い物を頼まれていたのだということを告げた。
「えーと、それはその……、引き止めちゃってごめんね」
ミカは残念そうな顔をしたのち、テーブルの端でわざとらしく目を逸らすネカーをキッと睨んだ。
「なんであんたは知っていながら連れてくんのよ! せめて用事が終わってからにすればいいでしょ」
「だってさ、シンは朔夜のお気に入りじゃん。ミカだって昨日行ったんだから知ってるだろ。ちょっと、シンの話題を振っただけであの不機嫌さ。しかも俺は締め出し食らってるから中に入れないじゃん。話す機会は今しかないと思ったわけ」
「締め出されたのはあんたが余計なこと云ったからでしょ。あたしはされなかったもの。そんなことよりどうすんのよ、朔夜絶対怒ってるわよ。あんたのわがままのせいでシンが怒鳴られるなんて可哀相じゃない。どうにかしなさいよ」
「構わない、ミカ。怒ってるとは思うけど……多分大丈夫だ」
もう何度も怒鳴られてるし、と心の中でつけ加え、シンは溜息をついた。
「本当に?」
「うん、だからもう行くな。こういうことは早めの方がいい」
シンはたたんだコートを腕にかけると、いそいそと玄関へ向かった。
「――シン」
振り返ると、先程まで笑っていた少女の顔は曇っていた。
「ミカ?」
そのとき、ガラス窓から覗く外の色が変わった。
金色の粒子が壁一面に張られたガラスから注ぎ、光と影の明暗の差を濃くする。窓を背後に立つミカの顔もそれでますます暗くなったが、原因はそれだけではない気がした。
困惑しながら近寄るシンにミカは微笑んでみせた。無理やりとも見えるその笑顔にシンはますます戸惑った。
「これは…マリアさんに口止めされてたことだから云えないけど、望のこと、朔夜が話す気になったら聞いてあげて」
「望?」
シンはミカの突発的な物云いに、いよいよわけが分からなくなった。
何故、朔夜の弟の話が口止めされているんだ? というよりどうしてそういう話になったんだ?
考えても分かるはずなどない。混乱したまま口を開きかけたそのとき、シンは止まった。
「シン?」
ミカは微動だにしない少年に不審を抱き、その顔を覗き込んだ。しかしシンはそれに反応を返すことが出来なかった。
視線をミカの肩越しに固定したまま、身動き一つせず、呆然と立ちつくす。
そこはガラスの壁が一面に広がっていた。アルフレッド・ヤーンスが得意としたガラス壁面。
弱々しい冬場の光を効率良く取り入れられるよう設計された窓は、寒々しい石の床に陽だまりを落としている。まぶしく明るい窓辺。
そこに一人の少女が立っている。ミカに近い年頃だろうか。白々とした光にまぎれているため、詳細はよくわからない。ただ少女は花びらを重ねたようなデザインの丈の短いワンピースを着ていた。
光が周りを包み込んでいるせいか、その全ては白く見えた。ただその瞳だけが異様なまでに青い。悲しみと憎しみが混在したような目。他の部分は曖昧なのにそこだけがいやにはっきりと見えた。
認識した途端、痛いほどの寒気が膚の上を走り、鳥肌が全身を駆け抜けた。
―――返して
ピシッと音を立ててガラスにひびが入る。
「ヒイロ、伏せろ!」
シンはほとんど反射的にミカの体に手を伸ばしていた。目を剥く少女を力いっぱい引き寄せて倒し、持っていたコートをかぶせる。
何も考えられなかった。
ただ手馴れた一連の動作に従って懐にひそめた銃を取り出し、出力形態をバックラーにセットする。なめらかに形態を変化させた銃を腕にはめ、顔の前にかざす。
瞬間、ガラスが派手な音を立てて飛び散った。
―――返してよ!
頭を割らんばかりの叫び声。
脳の奥深くに響き渡るその声は少女の瞳と同じように悲しみで彩られていた。そして激しい憎悪にも。
衝撃波とともにガラスが襲いかかる。
シンはミカを抱きしめたまま腕をかざし続けた。バックラーでは防ぎきれなかった破片が幾度も腕をかすめる。
切れた部分が激痛を発し、支えきれなくなった体が沈んだ。
「シン?」
音が消え、不安げにコートの下から顔をのぞかせた少女は、倒れたシンとその血まみれの腕を見て顔面を蒼白にした。
「シン!!」
ミカの悲鳴がリビング中に響きわたった。




