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Moon Child  作者: かゆき
第四章 星に願いを
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12

 暗澹の五百年後期の天才建築家、アルフレッド・ヤーンスの最高傑作と呼ばれるその街は、記念公園を中心に渦巻状のメインストリートが走る優美な都市構造をしている。

 しかしそれは都市を上から見下ろしたアングルのみに限定されるもので、実際の街はそう単純なものではない。エネルギーラインと加熱器を地下に内蔵した石張りの道はメインストリートから分岐した小路を多数持ち、蜘蛛の巣のように住宅街に張り巡らされている。その複雑さは、郊外のヤーンス民から第二の樹海と云われているほどだった。

 故にヤーンスではエアビークルが一般的な交通手段として用いられている。



 シンは朔夜に頼まれた品物を買いに、ヤーンスの街を歩いていた。


 先程からやたらと見られているような気がする。


 シンは隠し持った銃を持つ手に力を入れると、周囲に視線を巡らせた。


 兄の関係者や筋者であればクライン家が通すはずがない。気のせいか。


 朔夜から押しつけられた帽子をかぶり直し、転送してもらった地図を開きながら目的地を確認する。



 十二神の塔周辺の磁場が影響してか、ヤーンスでは測位システムがあまり役に立たないらしい。そのため昔ながらの平面もしくは立体図を見ながら移動するようだった。


 しかし奇妙なことに、到着予定時刻を大幅に過ぎているにも関わらず、目的地までの距離がまるで縮まらない。



「おかしい」



 ひとりごちて上を見ると、(あま)色の空に沢山のエアビークルが浮かんでいた。

 それはまるで海中を泳ぐ魚の群れのようで、運転免許を持っていないシンにはとても気持ちがよさそうに見えた。

 溜息をつき、再び端末に視線を落とす。


 目的地は確実にこの辺りなのだが、細い道の周辺を囲むようにそびえる高い塀のせいでどこもかしこも同じに見える。


 どこかで見たようなカーブを曲がり、うろうろしているとすぐそばで声がした。

 聞き覚えのある声に顔をあげると、そこには一昨日会ったばかりの朔夜の幼馴染みの姿があった。



「朔夜の彼氏じゃん、何やってんの?」



 ヒイロ・セイヴ・ネカーは不審なほどニコニコしながらこちらに近ついてきた。



「彼氏じゃない」



 憮然として返すと、ネカーは全く人好きのしない軽薄な笑みを浮かべながら云った。



「じゃ、彼女?」



「違う」



 それ以外の関係は思いつかないのか、ネカーは分からないというふうな顔をした。



「友人だ」



 胸を張って云い切ったシンにネカーはしばし沈黙したのち、糸が切れたように突然げらげらと笑い出した。



「何がおかしい」



 あまりにも不躾にネカーが笑うので詰め寄ると、それを見て彼はさらに笑った。それで著しく気分を害されたシンは会釈もそこそこに、足早にその場を離れた。



「待ってよ」



 舗道を歩くシンの背後からまたもや声がかかった。無視しているとその声の主が脇に現れ、悪い悪いと謝ってきた。



 この男のお調子者加減があいつの癇に障るんだろう。



 シンはなんとなく朔夜の心情を理解した。ネカーは見るからに朔夜の嫌いそうなタイプである。

 ナーサリーにはこういう人種が多かったから、シンにとって不得手なタイプではなかったが、良い印象はない。


 しかしここは朔夜の故郷だ。友人としてはあまりいざこざを起こすわけにはいかない。


 シンは自分の思った友人という言葉に陶酔しながらぴたりと足を止めた。



「ああ、よかったぁ。怒ったのかと思ってびびった」



 シンはネカーの存在を黙殺した。地図に視線を落とし、再び黙って歩き始める。



 一刻も早く役目を果たさなければならない。

 こんなところで道草を食っているわけにはいかないのだ。



「どっか行くの?」



「野暮用だ。話す義務はない」



「ここ?」



 シンの腕を覗き込みながらネカーは云った。視線の先には端末から浮かびあがるホログラムがある。慌てて隠すとネカーはにっと笑い、親指で後方をさした。



「行きすぎ行きすぎ、そこなら二つ前の角、曲がったとこ」



「……」



 買い物一つ満足にこなせないのかと長嘆する朔夜の冷たい視線が、脳裏にまざまざと思い浮かぶ。



「教えてくれて助かった。じゃあ行くな」



 溜息を漏らし、シンは(きびす)を返した。



「やっぱ、君って面白いね」



 ネカーは嬉しそうに云って、さらについてきた。これ以上何の用事があるんだ。シンは重々しく嘆息すると、勢いよく振り返った。



「まだ何か用か」



 シンは睨んだつもりだったが、ネカーはそういう変化に疎いのか、それともわざと気付かぬふりをしているのか、その視線にも動じなかった。おちゃらけた表情はそのままに、ニカっと笑う。



「案内はいらないですかね? お客さん。ネカーヤーンス観光、初回特典につき、今ならタダ」



「タダ?」



「マジ、マジ」



 ネカーは身長の低いシンと目線を合わせるためにわざわざ背を丸めた。

 シンはその熱心な誘いかけにちょっとだけ苦笑した。


 ホームセンターはネカーが云った通り、二つ前の角を曲がったところにひっそりとあった。

 てっきり朔夜に連れて行ってもらった食料品店のような規模のものを想像していたシンは、その規模の小ささに少々がっかりした。


 案内役を気取るネカーいわく、天才建築家が建てた当時の様子が窺えるヤーンス中心街は、美観が損なわれるという理由で建造物の増設等が禁止されているということだった。新たな建物を普請する場合は郊外に建てるほかなく、そのためヤーンスでは内側と外側の建築様式が大分異なっているらしい。


 シンは話を聞きながら間抜けな感声をあげた。



「君さあ、買い物ってしたことないだろ」



 ネカーのあとについていくことを決めた自分の選択は間違ってはいなかったようだ。

 上機嫌で歩いていたシンは案内人から突然そう云われて、目をぱしぱしとしばたたかせた。



「失敬な、そのくらいある」



「ふぅん?」



 信じていないような声音だ。



「朔夜と昨日食料品店に行った」



 得意げに云うと、ネカーは会計を済ませた品物を手渡しながら肩をすくめた。



「それだけ?」



 訊かれて言葉につまる。

 ネカーはその反応を見てカラカラと笑った。



「君、マジでうける」



 笑うなよ、と顔をひそめるとネカーは狐のような目を細めた。狡猾そうな瞳も、やわらぐと随分印象が変わる。ネカーはにっこりと笑ってシンの前に手を差し出した。



「君のこと、すげー気にいった。俺のこと、ヒイロって呼んで。君は」



「シンだ」



 お調子者という感は否めないが、悪い人間ではないらしい。シンはくすりと忍び笑いを漏らし、手を伸ばした。


 行きと違い、ネカーに案内を受けた帰り道はとてもスムーズだった。あんなに迷っていたのが馬鹿馬鹿しくなるほどその道程は簡単で、嫌でも自分の方向音痴さ加減を思い知らされる。シンは脇を歩くネカーをちらりと一瞥して溜息をついた。


 頭一つ分ほど違いがあるこの青年は、朔夜の幼馴染みだという。

 それにしては随分と性格に隔たりがあるような気がしてならないが、幼き日の友情というものは得てしてそういうものだ。他人という異質なるものをその無邪気な精神で簡単に受け入れてしまう。


 アルバムを見る限り、朔夜は小さいときから人見知りが激しかったようだった。撮影をしている母親にさえ脅えた顔を向け、縮こまる小さな子供。


 癇が強過ぎるのだ、とシンは思った。


 実際、朔夜は外界のものを感じる肌が少し鋭敏過ぎる。悪く云えば神経過敏の癇癪持ちなのだ。他人の一言一句にぴりぴりし、感情を波立たせる。


 シンもそういう感情に駆られたことは少なからずある。しかし朔夜のそれは一般人の比ではないのだ。時折爆発するような一過性のものならまだいい。けれど彼は心の中に絶えず怒りを(はら)んでいて、いつも何かに憤っているのだ。まるで激情で身を覆っていないと自分の心が保てないというように。


 しかしそんな感情的で人嫌いの少年にも幼いころには友人と呼べるような存在がいたことを知った。



―――サーヴァイン・ルパスク



 アルバムを見た朔夜が口にしたのは確かそんな名だったと思う。隠匿されていた映像の中に映っていた子供の名前。


 シンは綺麗な顔立ちの子供だと思った。朔夜もなかなかに整った顔立ちをしているが、そのサーヴァインなる子供は整ったではなく、本当に綺麗な面差しをしていた。一度見たら忘れられないようなそんな印象深い顔立ち。しかし朔夜は彼のことを覚えていなかった。名前を云ったときだって思い出したというのではなく、誰だかわからないけれど口をついて出た、という感が強かった。朔夜は本当に覚えていないようだった。


 精神性の記憶障害かもしれないとシンは思った。感受性豊かな幼少期にショッキングな事件を体験したりすると防衛本能が働き、その記憶を忘れてしまうのだという。たった四年前に家族の死を体験しているのだから記憶障害が起きても不思議ではない。


 シンはきゅっと唇を噛み締めた。


 彼のことを訊くべきか、否か。


 朔夜の失われた記憶の一部を持つ少年、サーヴァイン・ルパスクの端麗な面持ちを思い出しながら心の中であれこれ悩んだ。


 すでにジェセルからは家族でもないのに踏み込みすぎていると注意を受けているくらいなのだ。今の状態が常軌を逸していることくらいは判断がつく。

 踏み込んだ結果、朔夜の心の傷をえぐることになるかもしれないと思うと、すぐには判断できなかった。


 一歩一歩着実に近づく如月邸を見つめながら思案に暮れていたシンの脳裏に、唐突に不機嫌そうな顔をした朔夜が浮かんだ。



―――見てもいい。あんたが嫌じゃないんなら



 その言葉に後押しされるように、シンは顔をあげた。


 あとは野となれ山となれ、だ。



「ヒイロ」



 呼ばれてネカーは嬉しそうに振り返った。立たせた黒っぽい金髪が毛先だけそよりと揺れる。



「サーヴァイン・ルパスクを知っているか?」



「昔少しだけ遊んだことがあるけど?」



「教えて欲しいことがある」



 あと数メートルで如月家に着くという歩道で二人は立ち止まった。人が三人も並べばいっぱいという小道のど真ん中で話し込むのは通行人の邪魔になる。シンは両手で荷物を抱え込みながら道の脇に寄り、今は空き家らしい住宅の壁に身をもたせかけた。



「うーん、あいつ、二年くらいっきゃあ、ここにいなかったからなぁ…教えるも何も……。――そういやミカならなにか知ってるかもな。女は詮索好きっていうくらいだし。何ならウチ寄ってく? 今ならいると思うし」



「だが、これを……」



 反応溶解型の高分子で出来た袋に目を落としながら、シンは困ったように眉根を寄せた。



「少しぐらいいいじゃん。俺んとこ、朔夜ん家から五分くらいの距離だし」



「そんなに近かったのか?」



 眉をくっと上にあげたシンにネカーは笑いながら答えた。



「じゃなきゃ、年、六歳も離れてるのに幼馴染みって云わないでしょう。それに寄らなきゃ損ですよ」



 ぱちぱちと目をしばたたかせるシンの顔をネカーは再び覗き込んできた。



「本当に訊きたいのは朔夜のことなんだろ?」



 ただのお調子者だと思っていたのに案外鋭い洞察力の持ち主だ。


 ゆるい勾配になっている小路を歩いていくネカーの後姿を見ながら、シンは軽く肩をすくめた。



 ◇



 ネカーの家は両親とも働いていて昼間は家に誰もいないのだという。高い塀で囲まれた扉の向こうには朔夜の家よりも広い庭があって、培養室を兼ね備えた育成所があった。ネカーは昼間大学で作物や野菜の勉強をしていて、家に帰ってからは自宅のそこで品種改良の研究をしているらしい。



「へぇ、いいな。そういうの」



 木立の影から覗く温室風のドームを見ながらシンは感嘆した。ネカーが首だけを後ろに向けながら「何で?」と訊いてくる。



「おれ、やりたいこととかまだわからないから」



「でもナーサリーに行きたいとは思ったんだろ?」



「ああ、でも将来を見据えた上で行きたいと思ったわけではないんだ。見返してやりたい相手がいたから。きっかけはそれだな。それと外の世界を見たかったから」



「外の世界って?」



 意味が分からないというように眉根を寄せる青年をちろりと見て、シンは顔を言葉につまった。

 フルネームを名乗ろうとしたときも自覚が足りないと朔夜から散々云われたばかりだ。下手なことを云えば朔夜はまた怒り出すに違いない。


 シンは命を狙われたこともあるという話をしたあとの朔夜の慌てぶりを思い出して深く溜息をついた。


 朔夜にとってシンは友達になるならないの問題以前に邪魔な存在でしかないらしい。

 飛び火で死ぬのはごめんこうむるときっぱり云われ、今後一切自らの身上を明かさないこと確約させられた。


 心配して云ってくれているわけではないことは分かっているので、その通りだと思っていても嬉しくない。シンは考えた挙句、曖昧な言葉で逃げることにした。



「おれ、今まで家の外に出たことがなかったんだ。すごく過保護な家で……外は危ないからって出してもらえなかった」



「何それ?! 一度もないわけ?」



「ああ」



「スゲー、今時いるんだそんな人間」



 シンのお茶を濁したような返答にネカーは驚いたように瞠目した。それ以上訊かれなかったので、一応は納得したらしい。



 常緑樹が作り出す木漏れ日は、孟冬を迎えたばかりという季節感が影響してか、夏場のものよりも寒々しく見えた。

 シンは市松模様が揺れる石畳の上を歩きながら、いまだにスゲーと嘆息する青年の後ろをついて家に入った。


 暗澹の五百年によく見られた建築スタイルであるドーム型の建物はヤーンス民家の定番であるらしい。朔夜とネカーの家は規模と外観こそ異なるとはいえ、屋根はどちらも似たような形状のドームだった。



「何やってんの?」



 玄関に入るなり低い声が響きわたった。

 はっとして前を見るとそこには如月家を訪ねてきたあの美少女がいた。

 レースをあしらった淡いブルーのフレアワンピースの上に白のロングカーディガンを合わせたパステルカラーのコーディネートがよく似合っている。


 少女は二人を交互に見ると、いきなりネカーの頬を打擲(ちょうちゃく)した。



「信じられない! こんな子供に手を出すなんてあんた何考えてんの?!」



「ミ…ミカ……誤解だ。俺はただ帰ってきただけだろ。話くらい聞けよ!」



 すがりつく男の手をやや乱暴に振り解くと、少女はシンの方につかつかとやってきた。



「大丈夫? 変なことされなかった? こいつ綺麗な子を見るとすぐに声かけるの」



「ヒイロ……」



 顔を曇らせるシンにネカーは必死に頭を振った。



「誤解だっ」



「こういうことはね日常生活がものを云うの。あんた誤解だって云えるだけの生活送ってる? してないでしょ。だから信じてもらえないのよ」



 自業自得、とつけ加えられてネカーは口をパクパクさせた。羽毛のようにつかみ所のない軽い性格も彼女の前では役に立たないらしい。

 その歴然とした力関係にシンは後ろの方でこっそり笑いを漏らした。

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