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朝食後に始めた片付けは、思いの外時間がかかった。普段はしない分やるときは徹底的にやる、というのが信条らしいシンが必要以上に奮闘したせいだ。
本来ならばヘルパーマシンがやる片付けを、窓拭き、床掃除の域にまで広げ、今は何故か階段の手摺を磨いている。何かの植物を模した太い鉄細工を張り巡らしているせいで、欄干は掃除しにくいことこの上ない。元は農業で生計を立てていた人間のために造られた家であるはずなのに、どうしてこんな虚飾的な作りになっているのか、朔夜には理解出来なかった。
かつて一度だけ行ったネカーの家も機能性重視であるにもかかわらず、やはり同じような意匠の壁があった。グロテスク模様に似て非なるデザインのそれはヤーンスの街のあちこちで見かける。
首をかしげる朔夜にシンは階段の上の方を拭いていた手を止めて腕を組んだ。
「ナーサリーの図書館と同じくらいの年代の建物だからだろう。暗澹の建造物はどれも似たり寄ったりだ」
「後期の建物でも?」
シンは頷くと再び手を動かし始めた。
「建築史を見る限り、そんなに変わったところはなかったぞ。強いて云えば装飾性が増したってことくらいだったと思う。生物の形を模したものが多いのは宇宙空間生活が長期に亘ったせいらしい。地球への望郷の念が込められているというのが一般的な説だ」
「意外と物知りなんだな」
隙間に溜まった埃をクリーナーで吸い取りながら朔夜は云った。意外とは何だと顔をひそめつつ、シンは先を続ける。
「義理の甥がな、そういうことに詳しくて、昔教わったんだ」
シンは欄干をこする手を止め、きらきらとした目を朔夜に向けた。それまでとは明らかに違う、昂揚した目つき。
不審を覚え、朔夜は眉根を寄せた。
「義理?」
「ああ、一番上のルーカス兄上の養子なんだ。次男で実子のサイラスは父親に似て愚鈍だが、そいつは凄く頭が良い。おれと四歳しか違わないのに、もうアスガードの大学院も卒業していて、今は軍の統括軍部に配属されている」
「中央……」
朔夜はその単語を口にして思わず顔をそばめた。
正式名称を中央統括司令部という名のそこはエリートの集まりである。幼いころから神童と云われ、持て囃されてきた人間の群れであるため、その矜持の高さは天下一品。
本部は地上にあるのだが、各部署に指示を下すためにサテライトコロニー内にも支部がある。時折見かけたりもするが、その態度たるや目にあまるものがある。
そいつもどうせ、碌でもない人間に違いない。
朔夜は勝手に決めつけて仕事を再開しようとしたのだが、突然脳裏に浮かんだ青年の言葉がその動きを邪魔した。
―――俺がここにいたことはシン・ゼンには黙っておくように
黒地に銀灰のラインが引かれた中央統括司令部の制服。顔はよく覚えていなかったが、夏期休暇前に寮部屋の前で話しかけてきた青年が身につけていたのはまさにそれだった。名も知らぬ青年に義理立てするつもりはさらさらなかったが、そのことを口にするのは何故かはばかられた。
義理の甥について語るシンは今までになく饒舌で、目は熱っぽく見開かれている。
当初おとなしく聞いていた朔夜だったが、いつまでも終わらない話に次第に苛立ってきた。
知りもしない人間について語られるのはどうにも癪に障る。
「あんた……」
話を打ち切るつもりで睨めつけると、シンははっとして手を止めた。
「あ…悪い…知らない人間の話なんかして……」
シンの口舌は突然目に見えて鈍くなった。恥ずかしそうにうつむきながら手を動かし始める少年を見て、朔夜は眉根を寄せる。
先程まであんなに明るく話していたのが嘘のようだ。
その変化の具合があまりにも顕著なので、朔夜は自分が悪いことをしたような気分になった。
言葉が見つからず、手元にある欄干の鉄細工をいじる。
突如として形成された沈黙の帳は緞帳のような厚さをもって、二人の間を分かった。肌に感じる幕の重さがどうにも不快だ。しかし、他人を受け入れるということは、こういう気まずい空気とも無縁ではいられないということ。今後もこんな嫌な思いをしなくてはならないのかと思うと、体の中に吐き気にも似た感覚が湧き起こった。
むかむかとする心臓部を服の上から押さえながら、作業を続ける。
気まずい沈黙はそののちもしばらく続き、インターホンが鳴ってようやく収拾がついた。
いつもならわずらわしいだけの来客がこの日だけはとても嬉しく感じられた。
「階段はもういいから、部屋に帰ってて」
はっとするシンに言付け、朔夜は階段を下りた。
クリーナーを床に置き、受信機で相手を確認する。
「…ミカ……」
モニターに映し出される少女は快活そうな笑顔を向けて、こちらに手を振っている。
幼いころから変わらない愛らしい笑顔。弟、望の遊び仲間の一人だったミカ・アナスタシア・ナバロフの姿を見て朔夜は顔をひそめた。
やはり来客は来客だ。いいことはない。
朔夜は玄関へ向かった。
「元気してた? 朔夜」
不機嫌そうな顔で扉を開けた朔夜にもミカは臆することなく笑った。
長かったはずの薄茶色の髪はダッチボブになっていて、冬が厳しいヤーンスでは寒そうだ。唐草模様のラップコートの裾が風に巻かれてひらひら動いている。コートの下から覗く臙脂のレザーブーツを見ながら朔夜は玄関先で幼馴染みの一人と応対した。
「一昨日はネカーで今日はあんたか」
「随分な云いようじゃない、せっかく訪ねてきてあげたのに」
誰も頼んでないと云おうとしたが、ミカはそんなに頭の悪い人間ではない。自分がそう思うのを見越しての発言だろうと、朔夜は黙って聞き流した。
「愚痴なら他に当たってくれない? 痴話喧嘩の愚痴を聞いてる暇はないし、第一今は客が来てる」
ミカは失礼ね、と顔をひそめた。
「あたしの前であいつの話題を振らないでよ。あいつの話なんかしたら、こっちの脳神経まで破壊されそうだわ」
それに、ミカは間を置かずにつけ加えた。
「あたしはそのお客様に用があるのよ」
言下に少女は朔夜を押しのけ、家の中に入っていった。
勝手知ったるといった迷いのない動作で突き進み、リビングに続くドアを開ける。そして二階の廊下を移動していたシンを見つけると、音を立てて駆けあがった。
突然の来訪者にシンは目を見開いて驚き、硬直している。
「やだ、ほんとに可愛い」
動物の子どもを見るときのような声をあげ、ミカはシンに詰め寄った。止まったままのシンの頬を両手で包み込み、息も触れ合うような間近で声をあげる。
「お肌すべすべ~。ね、ね、朔夜とどういう関係なの? 友達? 恋人? あの子本当にむかつくでしょ。愛想もないし、他人のこと嫌いだし、いいとこないと思うのよ。性格が災いして友達も少ないけど、でもいいところも沢山あるのよ。見捨てないでやってね。そうそう知ってる? 実は朔夜に招かれてこの家に入ったのって、君が初めて――」
「ナバロフ」
「あー何? その云い方。さっきみたいにミカって呼べばいいじゃない」
階段を上ってくる朔夜を見下ろし、ミカはむっとしたような顔をした。
「これ以上居座るつもりなら、警察呼ぶぞ」
「あら怖い。恋人との甘い時間を邪魔されたくなかったの?」
「恋人じゃない、こいつは男だ」
「いいのよ、隠さないでも。性癖は人それぞれだわ。たった二つの性に縛られるなんてナンセンスじゃない。今は面倒な手続きが必要だけど昔はいくらだって変えられたのよ」
ミカの後ろでシンがぎょっとしたような顔をするのが見えた。
少女の云ったことを真に受けてのことなのか、それとも面を強張らせた朔夜を見たためなのか、窺うような目で二人を見比べている。
「なーんて、ね。怒った? 朔夜。ほんとはあいつに云われてこれを持ってきただけなの」
そう云って、ミカが差し出したのは自動溶解性のパッケージだった。一見プラスチックのようなその容器には、なにやら食べ物らしきものが詰まっている。
「好きだったでしょ。大根の煮物。あいつ、ああ見えて野菜作りは上手いから結構美味しいと思うよ」
「あいつが作ったのか?」
ネカーが料理をしているところなどどうにも想像出来ず、朔夜は訊いた。
「そんなわけないでしょ、あたしが設定したマシンが作ったの。あいつは料理はおろか、掃除だって出来ないわ。マシンがいそいそとやってくれるものだと思ってるの。野菜の調整だけが生きがいみたいなつまらない男よ」
肩をすくめ、ミカは朔夜に一瞥を投げた。わずかにそばめられた面。意味ありげなその視線に朔夜は眉根を寄せた。一言も交わさずに見つめ合うこと数秒、ミカは諦めたように顔を逸らした。
「――じゃあもう行くわ」
二人で食べてね、と少女はシンにウィンクを送り、入ってきたときと同じようにさっさと去っていった。ネカーの話題を振るなと云ったのは他ならぬミカ自身であるはずなのに、結局会話の大半はその人物の話だった。
首をかしげていると上からシンの声が降ってきた。
「綺麗な人だな、友達?」
二階にいるシンを振り仰ぎ、朔夜はすぐに視線を逸らした。
「弟の方のね」
「ふーん」
階段の柱に片手でつかまり、興味津々といった顔つきでクリーナーを取りに行く朔夜を見下ろす。
不意に絡まった視線にシンは笑って返す。無邪気でありながらも凛とした強さを持つ笑顔だった。
「次は朔夜の部屋だったよな」
独りごちるように云うとシンは先行っていると告げ、視界から姿を消した。
朔夜はしばらく金縛りにでもあったようにその場に立ちつくしていたが、はっと我に返りすぐにそのあとを追った。




