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Moon Child  作者: かゆき
第四章 星に願いを
23/89

4

 十二神が建てたとされる巨塔を臨む街ヤーンスの周辺は、他の塔がそうであるように深い森に覆われている。

 建てられた当初は周辺が森ではなかったらしく、巨塔周辺にはフラグメントラッシュ時代の高層ビルが支柱のように寄り添っていた。

 巨塔は今もって建てられた経緯が不明であり、特殊な磁場を発生させる樹海の存在とともにオカルトマニアの心をとらえて放さない。




「すごいな、朔夜!」



 シンはコートの裾を閃かせながら云った。新雪は彼の足跡でぼこぼこに荒らされている。

 朔夜はシンの通った跡を慎重に選んで進んだ。


 先程まで重たげに空を覆っていた薄墨色の雲は嘘のように消え、雪原は光で覆われていた。目を開けているのもつらいくらいの陽光。手をかざし、目を細めてもそのまぶしさは衰える気配を見せない。

 魚の鱗、はたまたガラスの破片のように鋭い光を照射する雪原は、じりじりと皮膚を焼いた。

 

 雪焼けを心配するようなたちではないが、額から溢れ出る汗はどうにかして欲しいものだと思う。ふとシンのほうを見ると、彼は汗一つかかずに雪で遊んでいる。

 汗を掻きにくい体質らしいシンが少しばかり羨ましかった。


 歓声をあげながらシンは雪原の上をくるくると回る。

 

 それにどういう意味があるのかは分からなかったが、無邪気にはしゃぐその姿を見ても別段苛つくことはなかった。こんなに至近距離にいても感情が浮き立たないなんて、慣れとは恐ろしいものだと思う。


 手を広げて何回転かしたのち、疲れてしまったのかシンは雪原に倒れ込んだ。毛皮の帽子が頭からこぼれ落ちる。朔夜はいかにも高級そうなその被り物を手にとってはたいた。細い毛についた結晶がぱらぱらと落ちていく。仰向けに寝転んだシンの上にそれを乗せると彼はうっすらと微笑んだ。



「悪いな」



 雪原に広がる、淡いブルーのコートにはいくつもの雪片が付着している。朔夜は空を仰ぐ少年を見下ろし、腰に手を当てた。



「相変わらず女々しい恰好」



「惚れた?」



 視線だけをこちらに寄越し、シンは口の端をあげた。



「戯言も大概にしろよ」



 ふっと嘆息してシンの隣に座す。ひやりとした感覚が妙に気持ちが良かった。

 ぐるりと首を回すと遠くの方にヤーンスの街並みが見える。アルフレッド・ヤーンス記念館となっている温室とその周囲に息衝く大樹の森を中心に円形に広がる街の形がここからは見渡せた。


 入り組んだ隘路(あいろ)と高い壁が周りを囲む家々から成っているヤーンスの交通機関の要は空飛ぶ乗り物だ。様々な種のエアビークルが街の上空を飛び交っているのが見える。それはまるで胡椒の粉のようで、傍観しているだけで鼻がむずついた。


 まだ家族が生きていたころ、朔夜はこの野原によく遊びに来ていた。

 それはピクニックがてらということもあったし、覚えてはいないものの友人の誰かとともに来たこともあったような気がする。

 今でこそ森の近辺はすべて立ち入り禁止にされているが、数年前まではその制限がなかったので、好奇心旺盛な観光客が入ってしまい何度も捜索隊が編成されたことがあったらしい。

 観光地であることが災いして、森にいたるまでの道が整備されていることが事件を多くした要因だとも云われている。

 幸か不幸か、子供の足で歩くには距離があるため、独りでやってきたことはない。



 朔夜は雪原の上に手をつき、体を反らした。


 見あげる空は青く、とても明るい。



「――あのさ、何であんたおれに構うわけ?」



 その言葉は随分と自然に口から出てきた。確かにそれは前から訊きたかったことではあったが、何もこの場で云おうと決めていたわけではない。ただ、何となく口をついて出てきたのだ。


 朔夜は自分が会話の口火を切ったことに驚き、そして狼狽した。どぎまぎしながらもそれを相手に悟られないよう、澄ましたふうにウインドブレーカーについた雪を払う。



「――初めて」



 むくりと上半身を起こすとシンは首を傾けて朔夜を見た。



「初めて会ったときのこと、覚えてるか?」



「――覚えてる」



 トランクに座っていた少年に目を奪われてしまったことも、その少年が実は同室の人間だったことも、そしてそれを知った途端、心の内に広がった嫌悪感も手に取るように覚えている。



「なら、ネームプレートを見て云ったことは?」



 人を試すような視線を向けて、シンは笑った。その表情があまりにもおかしそうだったので、朔夜は馬鹿にされているような気分を味わった。



「覚えてない」



 憮然として返し、ふいっと目を逸らす。シンはそれを見てもう一度にっこりと微笑んだ。



「――朔夜は月の神って云ったんだ」



「は?」



 朔夜はそんなことを云った覚えはなかった。第一、自分の言葉だというそれを聞いてもその意味を理解することが出来ない。しかも微妙に恥ずかしい台詞のような気がした。


 ふとシンの方に目を向けると彼は朔夜が自らの力で思い出すのを待っているのだろうか、何も云わず、先程と同じように微笑んでいる。それを見て、朔夜は悪態をつく気が一気にそがれた。



 ぐっと言葉を飲み、数十メートル先の樹海を見据える。

 もちろん答えはそこに提示されていなかったが、人の顔を窺いながら考えに耽るよりはずっとましだ。


 うっすらと雪を被る樹海の廃墟は照りつける日差しを浴びてきらきらと輝いている。真っ白な平原と林冠をやはり白く染めた森。そこにひっそりと立つ長大な遺跡は、誰かがこの風景を見せるために意図して建てたかのようだった。剥落した壁や内から覗く鋼材さえも絵の一部と化している。



―――朔



 自分の声がどこかで聞こえたが、目に飛び込んできた目映い閃光がそれを覆い隠した。


 目を細めて、額に手をかざす。


 重たげな雪塊が音もなしにビル上部から落下していった。それをぼんやりと見つめながら、朔夜はシンと初めて出会った日へ思いを巡らせた。



 薬を忘れて取りに戻ったときのこと、初めて入った軍事施設、シャトルの発射。

 真っ黒な宇宙空間に広がる巨大な青の塊、球形の人工衛星サテライトA、見たこともないような巨大機械に埋めつくされた格納庫。


 思案している間にも雪は静かに落ちていく。



 朔夜は固く目をつむって、覚えている全てのシーンを回想していった。途中シンのことを考えていると思うと途方もなく苛々したが、もしかしたら離れるチャンスをつかめるかもしれないと無理やり自分を納得させた。


 案内の軍人、サテライト内を移動する循環シャトルの窓から見えた暗いトンネル。厚い金属扉の向こうから現れた第九エリア。


 それまでの灰色がかった無機的な空間からは想像も出来ないくらいに明るく色彩に富んだそこは朔夜の目を奪い、ここが本当に宇宙空間なのかと思案に暮れさせた。


 広大な庭に囲まれたナーサリーの寮。その受付でルオウにやんわりととがめられ、エレベーターに乗って、十八階へ。



 朔夜の脳裏に白と銀で構成された寮内の様子が浮かぶ。朔夜はいつの間にか、登校初日の自分に返っていた。


 そこは天井の光を反射して黄色く光る空間だった。目映い光に当てられたように時折目をこすり、前へ進む。そして現れた少年。


 視界の中で雪が何度目かの落下を見せた。ビルの上から不自然なくらい静かにゆっくりと落ちていくその様は、朔夜の中に何かを芽生えさせた。



―――もうすこしだったのに……



 耳の奥で金属が落ちたような、硬い音がして、次の瞬間、朔夜の脳裏にあの日のシンが現れた。



「――バビロニア神話……」



 何かにとりつかれたように口を開いた朔夜に、シンは帽子をいじくりまわしていた手を止めて顔をあげた。



「思い出したのか?」



 シンが身を乗り出したため、膝に置いてあった帽子は再び雪の上に落下した。

 冬の弱々しい光でも雪は確実に溶け出しているらしく、帽子の毛についたのは(みぞれ)だった。朔夜は毛の部分ごと鷲つかみにしてシンに手渡した。



「確かに云った。でもあんたがおれに関わってくる理由って本当にそれなわけ?」



 問題となったネームプレートは寮部屋の脇に申し訳程度に掲げられている。ともすれば見落としてしまいそうなほど存在感の薄いそれを朔夜が見落とさなかったのは、それを頼りに部屋を探していたからである。



 Sin Zen。



 アルファベットでそう浮かびあがる名前に何故だか目がいった。その時は同室の少年が天下の一族の出身であるとは思いもせず、興味の対象は主に名前の方だった。シンという名は大して珍しいものではない。しかしS、I、N、と綴る名を持つ人間はひどく珍しいような気がした。



―――あんたの名前、珍しいね。両親が考古学とか、そっちの方やってる人?



 原罪という意味以外ではそれくらいしか思いつかなかった。だから名前の由来がとても気になった。



「――バビロニア神話の月の神の名前と同じ」



 つぶやくように云って、シンは微笑んだ。彼は笑うと幼くなる顔立ちをしていたが、微笑んだときの表情は大人びて見えた。同い年とは思えぬその笑顔に少しどきりとする。



「すごく嬉しかったんだ」



 臆面もなくそんなことを云われ、朔夜は何となく落ち着かない気分になった。


 視線を正面に戻し、おもむろに立ちあがる。

 長い間、座りっぱなしだったので腰部はすっかり冷え切っていた。ざらついた氷がぱらぱらと雪の上に落下する。



「この(つづ)りって変わってるだろ? だから幼いころはよく陰口をたたかれてた」



「陰口って名前で?」



 筋目に溜まった雪片のせいか妙に居心地が悪い。朔夜は大きく伸びをしたのち、服をはたいた。



「ああ、兄上には特に云われた。親殺しって」



「親殺し?」



「おれが人工子宮から取り出された日に母は自殺した。だからだろう。――…まあ、おれは気にしていないけどな。父が親殺しという意味でつけたわけではないことくらい承知している」



 シンは何でもないという風に肩をすくめてみせ、それに、とつけ加えた。



「おれはおばあさまのお気に入りだからな。連中はそれをやっかんでいるんだ」



 あまりにも自信に満ちたその言葉に朔夜は一瞬瞠目してしまった。

 これまでは気がつかなかったが、このシン・ライザーという人物は見かけよりも図太く、さらには相当な自信家らしい。

 図書館の前で怒鳴ったときや、額の紋章を見たとき、記憶にあるシンの表情は全体的に脅えたようなものが多かったから、朔夜は彼のことを勝手に繊細な人間だと思い込んでいた。しかしどうやらそれは間違っていたらしい。

 ここまで家族をこきおろすことが出来るのも地球一の財閥という家庭事情が関係しているとは思う。けれどもその事情がどうであれシンが割と冷淡な一面を持っているのも確かだった。



「――お前、最初に名前のこと、云ったろ?」



 首をあげながら話し続けるのは困難だと判断したのだろうか、シンは溜息交じりに立ちあがった。

 雪原の上を踏みしめる足は見ているほうが落ち着かないほど覚束無く、朔夜は見兼ねて手を差し出した。


 シンはその(ひじ)をつかみながら悪いな、と目を細めた。



「ライザーに注目しない人間ってお前が初めてなんだ。うちの一族は有名だからな。名乗る前から一線を画したような態度を取られる」



「悪かったな、普通じゃなくて」



「何拗ねてるんだ。いいだろ、おれは嬉しかったんだから。――それにその言葉でかなり救われた」



「救う?」



 意外な言葉に朔夜は目をしばたたかせた。



「原罪以外の見方も出来るんだって」



 なんともこそばゆい台詞だ。朔夜は体の中を虫が這いずるような気分を味わった。くすぐったいのか気持ちが悪いのか、どちらかわからない。


 朔夜は自然とゆるみ始めた口元を押さえると、呼吸を整えてシンを見た。これまで無口、無表情な如月朔夜で通してきたのに、こんなシリアスな局面で笑い出すなんて人格を疑われそうだ。しかも何がおかしいのか自分でも理解出来ない。



「あんたがおれに構う理由って……それだけ?」



「当然それだけじゃないが理由の半分以上はそれだ」



 真顔で返すシンに朔夜はとうとうこらえきれなくなって吹き出した。



「笑うな! お前にとって些細なことでもおれにとっては重大なことなんだぞ」



 下からきっと睨みつけ、シンはつかんでいた腕を乱暴に離した。しかし朔夜の笑いは止まらない。決しておかしいわけではないのだが、何故か笑いはおさまらなかった。



「……あんたって、結構単純」



「余計なお世話だ!」



 笑い続ける朔夜にシンは顔を赤らめて叫んだ。

 そして何を思ったのかその場に屈み込み、掌一杯に雪をつかむ。嫌な予感がすると思ったときにはすでに時は遅く、朔夜は顔面で雪の塊を受けていた。


 寸前までけたけたと笑っていたため、口の中にまで雪が詰まっている。それをぺっぺと吐き出し、息を継ぐと間髪入れず第二弾が飛んできた。


 しかしナーサリーでのたゆまぬ努力のおかげか、一打目は不覚を取ったが二発目以降はすんでのところで避けてみせた。けれどもシンの方も諦める様子はない。

 しゃがんだまま、玉を作っては朔夜に向かって投げてくる。



「おい、ライザー」



 朔夜は雪遊びなどでシンと馴れ合うつもりは毛頭なかったので、早々に止めさせようと少年の名を呼んだ。


 それでもシンは止めない。息を継ぐのもままならず、加えて感情のコントロールが出来ていないのが災いしてか、呼吸困難に似た感覚が朔夜を襲った。



「やめろ!」



 全身で呼吸しながら朔夜は叫んだ。



「ライザー!」



 言下にシンは雪玉を投げる手をぴたりと止めた。

 それがあまりに急だったので、朔夜はいぶかしんで顔から手をどけた。ゆるやかに拭く風を受けて淡青色(みずいろ)のコートがはためいているのが見える。



「ライザーって云うの、やめろよ。その呼び片、一族全体を指しているようで嫌なんだ」



 掌の向こうに見える少年はぶすっとした顔をしていた。まなじりが高いせいで眼差しが鋭く見えるシンだったが目が大きいのが影響してか、睨みつけられてもあまり恐くない。溶けかかった雪で濡れたウインドブレーカーに手を当てながら朔夜は嘆息した。



「じゃあ、何でそのままの名前で入ってきたんだよ。呼ばれるのが嫌なら苗字変えてくればよかっただろ。そうしたら特別視なんて絶対にされない」



 今の状態だったら特別待遇受けたいがために名前変えなかったように見えると意地悪く云うと、シンは顔をひそめたのち口元をゆがめた。



「戸籍を改竄するほどの技術がなかったんだ。それにいくら名を隠そうがおれがライザーの人間であることに変わりはない。そんな決まりきったことを訊くな!」



 何様、と云いたくなるような台詞を吐き、シンは歩き出した。


 中天にさしかかった太陽が白銀の(かも)に光を注ぐ。鏡に反射させたように鋭い光を放つ真っ白な空間。

 ごく薄い淡青色(みずいろ)のコートを閃かせ、足取り軽く丘を下る少年の姿はその中に完全に溶け込んでいた。光線の加減で時折、本当に雪原に溶けてしまったかのように見える。



「ライザー」



 朔夜は肩で息をしながらそのあとを追った。シンは振り返りもせずにすたすたと歩く。



「ライザー」



 禁止されたばかりの苗字を連呼するとシンは金色の髪を跳ねあげ、勢いよく朔夜の方を見た。怒ったようなその顔に少しばかりたじろぐ。


 シンは朔夜の表情に満足したように笑った。



「――何て呼べばいいんだよ」



 何となく負けたような気分になって、朔夜はボソリとつぶやいた。

 シンは丘の下にいるにもかかわらず、それが聞こえたらしい。もう一度にっと笑い、朔夜に向かって拳を突き出した。



「無論シン、だ」

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