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Moon Child  作者: かゆき
第三章 熒惑(けいこく)の証
19/89

3

「適当に選んだんだが、これでよかったか?」



 部屋に入ってすぐ、シンは部屋に備えてある機械の口から飲み物を選び、朔夜の元にそれを運んできた。

 シンの問いかけに頷きつつ、朔夜はぐるりと部屋を見回す。


 怪光事件からニ週間あまりもの時が経っているせいか、部屋はあの日のように荒れてはいなかった。しかしあれが夢ではないという証拠に、床にはガラスが割れた際についたらしい傷がいくつも見られた。


 朔夜の部屋もそうなのだが、客を招待するために作られたわけではないナーサリーの寮部屋には、向かい合って座るような椅子も机もない。


 暗澹中の建造物のため、地上では一般的な、床の一部を変化させて家具を作り出すということも出来ない。そのため、ベッドに取りつけてあるスライド式の机を出してその上に容器を置き、それを前にしながら隣り合わせで話すことになった。



「何か飲むか?」



 室温が低く設定されているのかシンの部屋は非常に寒かった。

 加えて先程恐怖体験したせいか朔夜は温もりを欲していた。

 ついでに甘いともっと良いと思ったが、そんなこと口が裂けても云えるはずがない。


 色々と考えたすえ、朔夜の口から出てきたのは「別に……」という言葉だけだった。


 朔夜は己の言葉の足りなさを呪った。



「じゃあとりあえずこれな」



 だがシンは返答を聞いても特に気に留める様子もなく、朔夜に向かってボール状の容器を投げてよこした。


 温かい。しかもココアだった。


 どうせ渡すなら最初から訊くなという思いが込みあげてくるのを抑え、朔夜は心の中で素直に感謝した。

 球体の容器からは湯気こそ出てはこなかったが、手を温めるには充分だ。


 熱伝導シールを見て温度を確認したのちにすすった球体の中身は少し苦めのココアで、甘党の朔夜にはかなりつらかった。


 砂糖とクリームを増量にしたかったと思いながら我慢して飲み込む。

 味はともかくとしても、乾いた咽喉(のど)に水分が染み渡る感覚は心地よかった。ふと視界の端に映るシンに焦点を当てると、彼は容器を持ったまま、何云う気配もなく黙ってうつむいている。



 緊張しているのだろうか。



 朔夜は、シンの膝に置かれた手が持っている容器ごと震えているのを見て、少しだけ罪悪感を覚えた。

 云いたくなければそれはそれで構わないという思いが強くなる。


 そもそも朔夜はそうまでしてシンの秘密を暴きたいとは思っていなかった。


 本当はただ礼を云うだけの会話だったはずが、どんどん違う流れになりあとに引けなくなり、気がついたらこうなっていたというだけの話なのだ。


 震えるほど真剣に悩まれると、かえって困る。


 しかし無理やりこういう状況を作りあげてしまった朔夜としては今更撤回することも出来ず、黙っているほかなかった。



「あのさ……」



 熱伝導シールが赤から青に変わり、すっかり冷えてしまったことを伝えるころ、シンが口を開いた。


 その押し殺したような声に朔夜は事の重大さを感じ取り、最早引き返しが利かなくなったことを悟った。



「おれ……」



 それまで膝の上に落とされていた視線があがり、琥珀色の大きな目が朔夜の姿を映し込む。



「おれ、火星人(マーズレイス)なんだ」



 それは十二神の生まれ変わりなんだ、と告白されたくらいありえないことで、朔夜は固まるのと同時に自身の耳を疑った。



「は?」



 ひどく間の抜けた声が口から出ていく。

 しかし朔夜は自分が何を云ったのかも、そればかりか口を開いたことすら自覚がなかった。


 シンの云った、火星人(マーズレイス)という禁忌の単語が耳についてそれどころではなかったのだ。



「そうだよな、信じられないよな……」



「……そうじゃなくて…」



 自嘲するように笑んで見せたシンに朔夜は遮るように云った。


 明るいはずの室内が何故か暗く感じられる。朔夜はまたしても自分が何を云いたいのかが分からなくなって混乱した。



「そうじゃなくて……」



「朔」



 同じ言葉をくりかえして黙りこくった朔夜にシンはもういいからとでも云うように首を振った。


 再び部屋に沈黙の(とばり)が落ちる。

 その空気は演習で体験したどんな高重力よりも重く、朔夜はその空気に押し潰されそうになりながらも何か一言でも云おうと口を開いた。

 しかし真っ白になった頭では満足に考えがまとまらず、声にならない。頭の芯がぼおっとしていて自分の手や足にすら現実感がなかった。体が宙に浮いているような曖昧な感覚。現実感を思い出さなくてはと、朔夜は感覚のない手に力を入れた。

 両手の間に包み込むようにして持っていた空の容器がべこんと音を立ててへこむ。


 その音は思わずすくみあがってしまうほどに大きく、シンはびくりとしたように顔をあげた。


 一瞬目と目が合ったが、朔夜はどう対応していいかわからずに視線を逸らしてしまった。


 罪悪感がたちまち込みあげてきて、胸の奥がきりりと痛む。シンはそれを見て少し困ったように眉根を寄せると、仕方がないとでもいうふうに微かに笑った。



「悪い」



 微笑みの裏に見える静かな絶望。

 その仕草を見るなり、朔夜の心臓は紐で締めたようにきゅっと萎縮した。先程の胸の痛みとは比較にならない苦しみ。急にしづらくなった呼吸を元に戻そうと朔夜は二、三度空咳をした。



「朔、大丈夫か?」



 一度倒れたことがあるせいか、シンは過剰なまでにそれに反応した。

 うつむきざまに胸を押さえる朔夜を下から覗き込むふうにして見上げる。心の底から心配する目。


 朔夜は前と同じだと思った。


 休憩室で熱に浮かされながら聞いた声、枝が落ちてきたときに大丈夫かと訊いてきた表情。その優しさが生来のものなのか演技なのか、朔夜には見分けがつかなかったが、向けられる表情は以前と同じだった。思い出しながら同時にむかつきを覚える心情もいつもと同じだ。



 ああ、そうか。



 朔夜の中で何かが嵌まった。


 腑に落ちたというのはこんな感触だろうかと思いながら立ちあがり、空の容器を捨てに部屋の中を移動する。


 目の前の人間はは何も変わっていない。告白を聞いて変わったのは自分の見方だけだ。


 朔夜は自らに云い聞かせるように反芻し、容器を持つ手に力を入れた。音を立ててひしゃげた容器をダストシュートに放る。容器は咆哮を発する深淵の向こうに飲み込まれ、消えた。そのあとを見送り、朔夜は意を決したように振り返った。


 シンはベッドに腰かけた姿勢のまま、立ちあがる前と同じようにうつむいていた。朔夜は痛々しげなその様子にきりっと唇を噛みしめると、黙ってずんずんと歩み寄り先程まで自分がいた場所にもう一度座った。


 体温でぬるくなったベッドは寸前まで他人が使っていた椅子に座ったかのように気持ちが悪い。顔をしかめて座る位置を微妙にずらし、隣で驚きを隠せずにいる少年に目をやった。



「……本当?」



 朔夜の言葉を聞いてシンはますます目をまるくした。その視線に何となく居心地の悪さを感じながら、もう一度口を開く。



「本当なの? 火星人(マーズレイス)って」



 その単語を口にするのは、ひどく罪が重いことのように感じられた。ぐっと詰まりながらも云い切ると、少しの間を置いてシンは頷いた。

 空気が微かにやわらいで酸素の通りが急によくなる。窒息しそうなほどの息苦しさが感じられなくなった空間に、朔夜はほっと肩を撫でおろした。

 ついさっきまで真っ白だった脳も少しずつ霧が晴れてくる。それと同時にそれまでは浮かびもしなかった疑問が首をもたげた。



「じゃあ、親は?」



 脳裏に浮かんだ言葉を考えもせずに声に出したあとで朔夜はしまったと思った。



 これではたぎる好奇心に打ち勝つことが出来ずに質問をする、野次馬根性丸出しの人間のようではないか。



 しかも相手が火星人(マーズレイス)であることを認めて、さらには受け入れてしまったかのような発言だ。


 朔夜は、シンが自分のことを好奇心すら抑えられない、思ってもいないことを軽々しく口にする男だと考えているに違いないと勝手に解釈して気分を悪くした。


 シンは話の途中で突然口をつぐんだ朔夜を見て、ちょっと戸惑ったふうだった。ローブの襟元をきゅっと握ったあと、いまだ口をつけてもいない容器を指先でいじくる。しばらくそんな落ち着きのない様を見せたのち、シンはおもむろに顔をあげた。



「――母が…そうなんだ」



「シャナ・ローランが?」



 これ以上他人の領域に入るのは危険だと心のどこかで警報が鳴っていたが、朔夜はそれを無視した。


 どろりとした情動がつんとした痛みとともに胸の奥に引き下がっていく。

 その感情は忘れてはならないものとして記憶されていたはずだったが、今の朔夜にはとても遠く感じられた。

 だからだろうか。いつもなら話すことすらはばられるシンに対し、朔夜は重荷を感じながらも会話を交わすことが出来た。



火星人(マーズレイス)が絶滅したのって暗澹中の話じゃないの?」



「知ってる。だがおれもよくは知らないんだ。おれが知っているのは自分が火星人(マーズレイス)の血が入った人間だってことだけだから。――父もそれ以上は教えてくれなかったし」



 父と云われて、朔夜はテレビの画面で幾度となく目にしたことがあるヨーウィス・ライザーの強面を思い浮かべた。星防長官という軍事関係の役職にあるせいか、それとも地なのか、七十代前半だという男の顔はいつも怖いくらいに張りつめている。二人が親子の会話を交わしているところなど到底想像出来ず、朔夜は何だか混乱したような気分を味わった。



「よく、出してもらえたね」



 混乱をひきずりながらもようやくそれだけを口にすると、シンはほんの少しだけ表情をやわらげた。

 手にした容器を口元に持っていって中身をすする。管の中を上がっていく水は濃い(うぐいす)色をしていた。



「勿論、反対された」



 机の上に容器をたんと置くと、シンはしれっとした口調で云った。



「だから家出してきたんだ」



「家出……」



「本当、特待生試験に合格出来てよかった。他の士官学校じゃ試験会場まで行く財力がなかったんだ。家出してきたから無一文だし。一般クラスには編入出来ないから落とされないように気をつけないといけない」



「何で……」



 朔夜には何故そこまでして軍隊に入りたかったのかが分からなかった。ナーサリーの特待生に応募したのはシンと似たような理由だったにせよ、朔夜は別に軍隊に入りたいと熱望していたわけではない。

 自分の希望する条件に当てはまったのがちょうど軍隊だったというだけで、労せずして暮らしていける所ならどこでもよかったのだ。


 世界一と云っても過言ではない大金持ちの家に生まれ、外の世界を知らなくとも生きていける恵まれた生活を手放してきてまで軍隊に入りたかったというシンの行動は朔夜の理解の範疇を超えていた。


 シンはそんな朔夜の様子を、首をかしげるふうにしてしばらく見た後、不意に火星が見たいと云った。



「最初の動機は別なんだが、そのあとで火星が見たくなった。宇宙軍に入隊すれば少なくとも一般人よりかは近付くだろ。行って何がしたいっていう訳じゃないが、とにかく行きたいんだ」



「……それって危険思想」



「そうとも云う」



 シンはふふっと微笑うと机の上に置いた容器を手に取って、もう一度口に含んだ。


 朔夜は危険思想と自分が指摘したあたりから、もしかしたら今の会話は盗聴されていたりするんだろうかと心配になったが、のちの会話でシンがないと断言したためにそれ以上探るのはやめた。


 盗聴器があったのなら今頃名指しで呼び出されているはずなので、本当にないと思ったのだ。



 それから二、三、言葉を交わし、どちらからともなく立ちあがった。



「朔」



 部屋を出てすぐ朔夜は呼び止められた。


 振り返ると扉の前に立っているシンと彼の姿を(はす)に映し込む鏡が目に入ってきた。先程の(のぞむ)の幻覚が頭にまざまざとよみがえってくる。



「何?」



 早くこの場から立ち去りたくて、朔夜はシンに用件をさっさと伝えるよう急かした。今この瞬間にも鏡の中にいるもう一人の自分が出てきそうで隣を見ることが出来ない。


 シンは変に怯えた様子の朔夜を首をかしげて見たのち、ちょっとためらったふうにうつむいてから云った。



「ありがとう」



 言下に暖かい空気が一筋、頬を撫ぜた。

 エアーコンディショナーで一定の温度に統一されているはずの空間に何故そんなものが吹いてきたのかは分からないが、その空気は少なからず朔夜の気分をよくさせた。妙な感覚だと思いながら、きびすを返した。



 ◇



―――おれ、火星人(マーズレイス)なんだ



 ベッドの中にもぐりこんでも、しばらくはシンの言葉が耳について、まんじりともしなかった。


 頭部の熱で温められた枕に居心地の悪さを感じて何度も寝返りを打つ。

 枕元の時計は後十三分で午前四時になろうとしていた。今日は徹夜だと思いながら、それでも起きることは出来ずにベッドの中で寝返りを打ち続ける。


 眠れない理由は分かっていた。全てシンの火星人(マーズレイス)発言が原因だ。

 なりゆきとはいえシンの告白を聞いてしまった朔夜は、共犯者も同然で、今後嫌でもシンにかかわっていかなくてはならなくなってしまったのだ。



 やはり聞かずに済ますべきだったのだろうか。



 朔夜は自分の下した決断について悩み続け、結局一睡もしないまま朝を迎えた。

 その日の早朝練習で朔夜は今まで以上にシンの顔が見られなかった。


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