第十六話「朝帰り」
「――これくらいでご希望には添えただろうか?」
少女との出逢いを回想しながら語り終えるてセトの様子をうかがう。
すると、彼女はちょっとした冒険譚でも聞いたように、目を輝かせながらパチパチと小さな手を打ち合わせて拍手をしている。
「ありがとうございます……実は、その……最近友達が、お世話してる子供たちから尊敬する人の話を聞いたって自慢してて、ちょっと……うらやましくて……それで、こんなに――」
私は何も言っていないのに、言い訳するように外の話を聞きたがっていた事情を説明しはじめた。
どうやら、少し恥ずかしかったのだろう。
照れたように頬を朱が差している。
だが、その満足そうな表情を見ていると、頭を必死で回転させながら語った甲斐もあるという物だ。
――しかし、随分となつかれてしまったものだ。
私は、少女の隣にちょこんと座り、前足を使って顔を洗いながら考えた。
落ち着いた後のセトは、静かそうな外見に似合わず、色々な話を聞きたがる。
恐らく、今まで話すことが出来なかった弱音や不安を思わぬところで吐き出したこと。
さらに、暴力を振るわれ緊張した後に、急に安堵したことも大きいのだと思われた。
……何となく、物知らずないたいけな少女につけ込んでいるような気がし、少し良心が痛むが、本来であればそんな謂われはないはずだと自分を納得させた。
気がつけば随分と時間が経っている。
ちょっとした夜の散歩が、随分と大事になったものであった。
――結局、彼女が暴力を振るわれていた理由が分からなかったのが気がかりだが、少しでもこの会話が、この少女の助けになっていれば幸いと言うものだ。
「――さて、もう随分と夜も遅い。そろそろ戻った方が良いのではないか?」
遠回しに提案という形でやんわりと寝所に戻ることを勧める。
――途端に、セトの表情が暗いものとなった。
そういえば、あの暴力娘がユーニラミア教会の人間だというのは聞いていたが、現在何処で生活しているのか聞いていなかった。
もしや、セトが帰る先に例の犯人が待ち構えているという可能性もあるのだろうか?
そう考え、心配になった私は、セトの顔を覗き込みながら様子をうかがってみる。
目を閉じたままのセトは、やはり表情を暗くしたままで、よく見てみれば浅くその眉間には困ったようなシワが寄っている。
「――ユウさんっ……あの、やっぱり……もう、会えないでしょうか……?」
沈鬱な表情だったセトが、勇気を振り絞るようにぎゅっと服の裾を握り締めながらそう聞いてきた。
――ここに来て、その質問か……
今この場面で目の前の少女がそんな事を聞く意味を考えた。
――無理をすれば、可能。
――だが、もう一度会おうとすると、私の正体がばれてしまうリスクも増加してしまう。
……正直、現在の自分の状況を鑑みれば、その要求を受けるのは難しい所だった。
「……難しいな。――なにか、あるのか?」
だが、セトの様子を見ていると、何か悩み事があるようなのは明らかだ。
ひょっとすると、それは先ほどの一連の暴力に関するものかも知れない。
もし、これが、気弱そうな彼女が求めている精一杯の助けを求める声だったとすれば、それを無碍にする訳にはいかない。
今日偶然行き会っただけの相手ではあるが、『袖すり合うは多生の縁』
……一度、袖をすり合ってしまった以上、少女を突き放すというのは許せなかった。
だから、せめて『なぜそう聞いたのか』だけでも聞いてやりたいという思いから、『なにかあるか?』と私は口にする。
「その……実は、五日後にミアヴェルデがあるんです。それを出来れば一緒に見に行って頂きたくて……」
……『ミアヴェルデ』……また、私が聞いたことの無い言葉だ。
一体――それは何なのか?
『見に行く』『ミアヴェルデがある』という言い方から考えれば、なにか催しものの類いかと思われるが……
――まったく、私の事を術式確認道具のように便利使いしてくれるラリカではないが、こういうときに確認できる相手が居るありがたさというのがよく分かる。
少女が当然のように使った所を見ると、この世界に於いては当然の如く使われている言葉なのだろう。
――ならば、ここでその意味を聞くというのは下策。
もしその事で、この少女に妙な勘ぐりをされてしまってはかなわない。
となれば、この願いは、少なくともこの場では断らざる終えないだろう。
「済まないが、ミアヴェルデを一緒に見に行ってやることは出来ん」
「なら……ッ! も、もう少しだけ……お時間を頂けませんか……?」
私が断ると、セトは一瞬絶望したように顔を伏せたが、すぐに顔を上げて縋るようにそういった。
やはり、その切羽詰まったような様子は、どこか危うさを孕んでいる。
その姿は、少なくとも本人にとってはよっぽどの相談事を秘めているとしか思えない。
これは本当にさっきの事件の相談をする決心がついたという所だろうか?
私は、ついに白み始めてしまった空を見上げて黙考する。
この少女の相談事が如何なる類いのものであれ、教会内部の人間にはおいそれと出来ない性質のものなのだろう。
そうでなければ、この怪しげな『ユウ』なる人物にここまで必死に頼み込む理由が思いつかない。
となれば、ここで聞いてやることがこの少女に取っての最善ということになる。
だが……しかし――
考えるうちにも、空の色は少しずつ黒から藍色へと変化している。
……もうすぐ、夜明けだ。
そうなると、いかな物陰とは言え人通りも多くなるに違いない。
そうなっては、このミルマルの姿で話し込んでいる訳にもいかないだろう。
――仕方がない。
この際多少のリスクを負うことは甘んじて受け入れよう。
――今、この場でだらだらと話し続けることも。
――この子を放っておくことも出来ないなら。
そうする他ない。
「明日、今日と同じ時間にこのベンチで待ち合わせなら可能だ。――だが、条件が一つある」
「……条件、ですか……?」
……よし。『明日会う』という事に対する拒否反応は一切無いようだ。
セトの反応を伺いながら、私は目の前の少女の真剣さを感じ取っていた。
だから、私はもう一度会う上で必須となる条件を考えた。
此処で下手を打てば、私の正体を知られるかもしれない。
その『リスク』は私だけでは無く、私の可愛い主人にもかかる可能性があることだ。
なるべく低くしなくてはならない。
そのために、私は苦し紛れに一つだけ条件を付けた。
「私と、ここで話したこと。その事を誰にも知られないようにしてもらおう。明日も必ず一人で、誰にも見つからないように抜け出してきて貰おうか」
もし、セトが誰かを連れてくる。あるいは、誰かに付けられているなどということがあれば、私は姿を現さないようにするつもりだ。
どちらにしろ、セトは他の人間に言いにくい相談をするつもりのようだ。
この位の条件は受け入れてくれるだろう。
「分かりました……お願いします」
――案の定、目論見通り、セトは即決だった。
目を閉じたままの表情で、明らかな安堵に口元を緩めている。
よっぽど思い悩んでいたらしい。
恐らく、今日話している間も楽しそうな表情の下で、ずっと私に相談しても大丈夫かを検討していたのだろう。
妙に外の話を聞きたがったりしていたのも、ひょっとすると私の人となりを推し量っていたのかもしれなかった。
取りあえず、私はそのお眼鏡にはかなったらしい。
「――では、気をつけてな」
私はそれだけ言い残してその場を後にする。
――皆が起き出す前に、早く部屋に戻らなくては。
内心、明け行く空に焦りながら教会の中を走り抜けるのだった。
***
「――くろみゃーっ! こんな時間まで、何処に行っていたのですか!?」
部屋に戻ると、杖を片手に持ち、今にも部屋を飛び出さんとしているラリカが居た。
扉を開けて入ってきた私を見るとなり、安堵の入り交じった声で私に怒鳴った。
いつも、ラリカが起き出す時間よりは随分早い時間のはずだが、どうやら何かの拍子に起き出してきたようだ。
――これは、随分心配を掛けてしまったかも知れないな
反省しつつ、部屋に入り扉を閉めた。
「――すまない。少し早く目が覚めてしまってな。ぶらぶらと散歩に出ていたのだ」
「――そんなことだろうとは、思いましたけど、起きたらお前がいないので何事かと心配したのですよ?」
ラリカは近寄ってきて私を抱き上げると、脇腹の辺りを抱えてぷらんと目を合わせた。
よく見てみれば、髪の毛も寝起きのままぼさぼさの状態である。
どうやら、起きてみれば私が居ないので、居ても立っても居られず探しに出ようとしたようだ。
……本当に、悪い事をしてしまった。
「本当に……随分、心配を掛けてしまったようだな。昨日は妙に暑かったから、夜風に当たりたかったのだ。すまない。――もし、ラリカが寝ている間に私が居ないようなら、少し散歩に出ているとでも思っておいてくれれば良い。必ず朝には戻ってくる」
ラリカの様子を見ると、出来ればもう勝手に外出しない方が良いのが確かだ。
だが、明日の夜もセトに逢わなくてはいけないという事が確定している以上、出て行かないという訳にはいかない。
ラリカにセトの事を伝えてみようかと思ったが、ラリカの性格からして自分も一緒に来ると言い出しかねない。
それは、他言無用と言った側としては不誠実な気もするし、なによりも、昨日出会ったフィディアの事がある。
今は、ユーニラミア教会の人間が絡むようないざこざに、ラリカを巻き込みたくなかった。
だから、せめて朝には戻ってくると確約することで、少しでも安心して貰いたいところだ。
「――分かりました。でも、本当に気をつけるのですよ? ――何かあってからでは遅いのですから」
そう答えるラリカは、やはりリクリスの事を考えているのだろう。
どこか寂しそうに、見ているこちらの胸が痛くなるような切なげな表情を浮かべながら、ラリカは私の事をぎゅっと抱きしめた。
ラリカは、しばらくそのまま黙祷するように目をつぶっていたが、やがて表情をいつも通りのものに切り替えて微笑んだ。
「――さぁ、くろみゃー、朝ご飯にしましょう。今日は昨日の治療結果を見に行かないといけませんからね。きちんと朝ご飯を食べて、元気いっぱいで皆さんにも元気になって貰いましょう」
そういって、私を床に下ろしたラリカは、わざと弾んだ調子で声を出しながら私に向かってガッツポーズを取って見せた。
「……あまり騒ぎすぎて、病人の迷惑にならないようにしなくてはな」
「――おや、私がそんなことをするはずがないでしょう」
私の皮肉に、ラリカは心外だという風ににやりと笑いながら口を開く。
「どこかのミルマルが、ラネットでも見つけてはしゃぎ回る可能性の方が高いのではありませんか? あ、病院のラネットは退治するのは良いですが、勝手に食べてはいけませんよ? ちゃんとご飯は上げますから、妙な間食は禁止です」
私の放った皮肉に、倍する勢いで皮肉が帰ってきた。
というより、一体私がいつそんな拾い食いのような真似をしたというのか。
ラネットというのが何者かはわからんが、なんとなく嫌みを言われていることだけはよく分かる。
「なるほど。一体君の中で私はどんな印象なのか気になるところだな。前々から思っていたのだが、君は私が妙に食に貪欲なイメージを抱きすぎではないかね?」
ここの所、どうもラリカの中でやたらと私が食いしん坊の卑しん坊だと思われている気がする。
そろそろこの辺りで一言申しておかねば、妙な印象を抱かれかねない。
「おや、お前はミルマルでしょう? ミルマルの印象など決まっていますよ。――どうせ、なんでもかんでも食べる生物でしょう」
「――ほう。私にも、食に対する好悪やこだわり程度はあるのだがね? すくなくとも、適当にその辺りに巣くう生物をばりばりと食べるような趣向は持ち合わせて居ないのだが?」
「――そうなのですか!?」
――まさかの素で驚かれた!?
驚愕したように両目をまん丸に丸めて、聞いてくるラリカの表情はどう見ても演技のようには見えない。
「――ちょっと待て、本当に君の中で私の印象はどうなっているのだッ!?」
そんな調子で朝の部屋の中、ラリカとやかましく話し合っていると、いつの間にかさっきの微妙な雰囲気はどこかに消え去っていた。







