第八話「神にささげる歌」 [挿絵あり]
町の中での用事が終わったのだろうか。
今私たちは街の外にある丘に来ていた。
丘の上で一本の木の下にラリカ嬢が腰掛けたので、私は肩の上から飛び降りて隣に寄り添う。
落ち着いて周りを見回してみれば、高い視点からの景色は見晴らしよく、街を一望出来た。
こうしてみると、町の大きさとしてはおよそ 90~120ha ほどだろうか。小都市といっても良いほどの大きさがある。町は周囲を取り囲むように、石造りの立派な壁に覆われていた。その横には、石畳で整備された広場のような場所があり。そこも飛び地のように壁で覆われている。
それらを取り囲むように、畝が作られた畑があり。小麦だろうか? 穀倉地帯も広がっている。間には、点々とまばらに小屋が建てられていた。
街を挟んで反対側に見えるのは、鬱蒼とした森だ――おそらくあそこで、私はラリカ嬢に拾われたのだろう。
「さて、ちょっと私は魔法の練習をしますから、くろみゃーは近寄ってはいけませんよ?」
そういって、ラリカ嬢は目をつぶり、持っていた杖をいかにも魔法使い然とした様子で捧げ持つ。
――そういえば、ラリカ嬢の魔法を見るのはこれが初だったか……
そう考え何の気なしに雪華に与えられた瞳の力を起動する。
すぐに、目の前に魔法陣が展開された。
合わせて術式が展開されていく。
――小さな火を起こすための第二世代下級魔法の術式だ。
ラリカ嬢の魔力量を考えれば、簡単に発動する事が出来るだろう。
そう考えてのんびりと眺めていたのだが……
――なにやら様子がおかしい事に気がついた。
術式に、ラリカ嬢が魔力を流し込むにつれて。
ボロボロと砂で出来た城が崩れゆくように、術式が崩壊し始めたのだ。
やがて、魔法陣も、弱く明滅して、消え去ってゆく――
……なんだっ……これはっ!
少なくとも、自分の知識にある限り。こんな風に『術式が崩れていく』という現象はあり得ないはずだった。
そもそも、術式は、簡単に魔法を発動するために使われる命令文だ。
手順通りに魔力を注げば自動で発動するはずのものだ。
――それが崩れ落ちる等、ありえない。
「やはり、今日も発動できませんか……困りましたね」
魔法が発動しないのを確認し、肩を落としこちらに近付いてきたラリカ嬢が私の頭を撫で、そう言って寂しげに笑った。
そのままその後も小一時間ばかり。ラリカ嬢は魔法を発動しようと、何度も何度も魔法陣と術式を展開していく。
そのどれもがいざ魔力を注ぎ込む段になると、ぼろぼろと崩れていく。発動を試みる度、きらきらと輝く金色の粒子がラリカ嬢に流れ込んでいくのだが、一切魔法は発動してくれない。
やがて、諦めたように溜息をつくと、ラリカ嬢は杖を置き、近くに生えている大樹の木陰に腰掛けると、カバンを開けて先程買ったノルンを取り出した。
「さて、少し遅くなりましたが、お昼ごはんにしましょう」
巨大なパンの四分の一ほどを切り取ると、私の方に渡してくれる。
「さ、お前も落ち着いて食べるのですよ」
正直、私は食事どころではなく、先程の様子が気になって仕方がなかった。
もし、これがラリカ嬢だけの問題でなければ。これはすでに何度か行使を試みた私の術式も、致命的な問題がある可能性があるということだ。
「――おや? お腹がすいていませんか? ひょっとして、今日は連れまわしてしまったから疲れたのでしょうか?」
そういって心配そうにラリカ嬢が顔を近づけてきて見つめてくる。
――いかん。要らぬ心配をかけてしまった。
慌てて、ノルンに口をつけて食べ始める。
「そういえば、そのままノルンを食べるのは初めてでしたね。『ミルマルはなんでも食べる』と思っていましたが……ちゃんと警戒もするのですね」
どうやら、なんとなく納得してくれたようだ。
勢いよくノルンを食べる私を笑いながら、ラリカ嬢も頬張り食べ始めた。食事を取れたことが嬉しいのか、幸せそうにノルンを食べるラリカには、見ているこっちが癒されそうだ。
「しかし、相場が下がるまで二カ月ですか……困りましたね」
遠くを眺めながら、そんな事をつぶやいている。どうやらこのご主人は、癒しオーラを漂わせながらもまたお金儲けの事を考えているらしい。
「――うん。やっぱりブロスさんの作るノルンは格別ですね。他の御店より断然香ばしいです。噂によると、一度真っ黒になるまで焼いて外側を削り落しているらしいですが……さすが私が見込んだだけはあります」
ラリカ嬢はうんうんと納得するように頷きながら、何事か言い聞かせるように食べている。
――言われてみれば、非常に香ばしく、随分とおいしいパンだった。幾分か野趣を感じさせる風味の中に、熱を加えられたことで絶妙な風合いとして調和している。
……だが、結構な移動をしているにもかかわらず、成長期の子供がパンだけというのはいかがなものだろうか。食糧事情の不確かな世界では仕方のないことなのかもしれないが、ラリカ嬢の食生活が心配だ。
しばらく、黙々とノルンを食べていたラリカ嬢は、ごそごそと腰の袋をまさぐると、木の実を取り出して食べ始めた。
……確か、マルスの実とか言っただろうか?
初めて出会った時に差し出してくれたドングリに似た木の実だ。
どうやら、ノルン以外の食事もきちんと用意していたらしい。
「くろみゃーも食べますか?」
見上げる私の視線に気が付いたラリカ嬢が、木の実を差し出してくれた。
話を聞く限りは、ミルマルは何を食べても大丈夫だとは思われるが、猫のようなこの体に木の実というのは、本当に食べても大丈夫なのか常識という壁が邪魔をする。
「マルスの実に毒はありませんし、非常に精がつくんですよ。食べるとよいです。……それとも、おなかいっぱいですか?」
少し悲しそうなラリカに誘われ、おずおずと、ラリカの手のひらに乗せられた木の実を口に含む。
――ッツ! これはっ!
乾燥した木の実のはずなのに、随分と柔らかい。
じゅわりと果汁のような甘い味が口内に広がる。
――なんだこれは? 木の実というより、どっちらかというと、フルーツのような感覚だ。
ドライフルーツようだが味はリンゴとバナナをたして割ったような……ひさびさの甘味に、ついつい夢中になってもぐもぐと食べていると、くすくすと上品にラリカ嬢が笑った。
「……気に入ったのですか? 甘いものが好きとはかわいらしいですね」
見た目と違う味わいに衝撃は受けたが、このマルスの実というのは確かにに非常においしかった。
「――そうだっ、くろみゃーっ! ……せっかく見晴らしの良いところに来たのですから、ちょっと私の特技を見せてあげましょう……っ!」
そういって、ごそごそと胸元から 10cmほどの白っぽい色をした細長い物体を取り出した。穴があいているところを見ると、笛の一種だろうか?
「これは、父の故郷の言葉で『神にささげる歌』という意味の『フィムス』と名付けられた楽器です。イルストゥーの骨でできているのですよ」
どこか自慢げにそんな事を言いながら、ラリカ嬢はいそいそとフィムスに口をつける。
すっと息を吸いラリカ嬢が目をつぶった。
――初めの一音が吹き鳴らされた時、世界が変わった。
それは、とても美しい音色だった。
昔、南米の山岳民族のもとへ訪れたときに、似たような楽器の演奏を聞いた事がある。
確か、あの時は鷲か何かの骨を使っていると言っていたはずだ。その時も、非常に美しい音色のする楽器だと思ったことを覚えている。村で名手と言われる人物しか吹きこなすことができないと言っていた。
だが、今耳を擽る音色は――その時に聞いた音色よりも、ずっと心が揺さぶってくる。
――ひょっとすると、それは日本とは違う世界に来てしまった感傷なのかもしれない。
しかし、吹き手が情感たっぷりに吹きあげることが、もっと深いところ、魂まで揺さぶってきている気がするのだ。
一体、ラリカ嬢は何を、どんな事を思って吹いているのだろうか。
どこか、物悲しい震えを持った音色は、目の前に広がる森を超え、遠く広がる山脈を越え、豊かな情景を目の前に広げていく。
――水のせせらぎ
――木擦れの音
――吹きすさぶ風の音
まるで、空を飛ぶ事が出来ない人間が、空に憧れるように。
檻に囚われた鳥たちが外の世界を見つめ、囀るように。
憧憬が込められ音色は、たっぷりと歌い上げられていく。
ラリカの澄み渡った水晶のような演奏に聴き惚れていると――いつしか最後の一音がゆっくり溶けて消えた。
――余韻と言えばよいのか。
意識が羽ばたき、消え去るように、ふわふわとした感じがする。
「ふふ、どうですか? 結構、評判が良いのですよ。街のお祭りでは引く手数多です」
そういって、ラリカ嬢はぱっちりとした目を開けて、照れくさそうに。でも、ちょっとだけ悪戯っぽく不敵な笑みを浮かべていた。
人語を話せず、拍手の一つも贈れぬこの身が恨めしい。
思いつく限りの賛辞を持ってほめたたえたい。
いっそ、翻訳魔法でも使って賛辞を贈ろうかと思ったが。流石にそれはまずいと思いとどまる。
――なにより。なんとなく、今の感情を言葉に表すというのは、ひどく無粋な試みのような気がする。
だからせめて私は――
「にゃーあっ!!」
この思いが伝わればよいと、精一杯の感情を込めた一言を返すのだった。
***
私が嬉しそうにしていたのは無事に伝わったのか、しばらくラリカ嬢の演奏会は続いた。
「どうやら、元気が出たようでよかったですね。私の魔法が失敗して落ち込んでいるのが伝わったのか、お前まで元気が無くなっていたようだから良かったです」
そういって、私の鼻先に指先をつんつんと優しくなでるように突いてきた。どうやら、先程までの演奏は、私の事を気遣ってくれてのものらしい。
「お前の元気も出たようですし、日も暮れます。そろそろ町に帰りましょうか」
そういって、軽く服についた汚れを払うと、ラリカ嬢は私を再び肩に乗せ歩き出した。
町へと戻った頃には、そろそろ山の稜線へと日が落ちようとしていた。
随分と遅くなってしまったようだが、大通りに沿うように設置された例の光を放つ鉱物が、街灯としての役目をはたして、極端な暗さは存在しない。
「ブロスさんのところで、ノルンを受け取ったら帰りましょうね」
そういいながら、ラリカ嬢は楽しげに鼻歌を歌いながら夜の道を歩いていき、ノルンを受け取ると帰路についた。
***
その日の夜も、私はラリカ嬢と同じベッドに入った。
常であれば、ラリカ嬢は私を毛布の中で抱き枕のように抱きかかえると、すぐに寝息を立て始め、私はその様子をしばらく眺めて眠っていた。
だが、その日は少し様子が違った。
いつまで経っても寝入る様子がなく、なにやら深刻そうな顔をしてベッドの中で考え込んでいる。
――なにかあったのだろうか?
心配になって、彼女の胸にぐりぐりと頭を押し付けてみる。
「ああ、くろみゃー起きていたのですね。私が眠らないと眠れませんか?」
そういって、寝付きの悪い子供をあやすように、私の毛並みをゆっくり優しく撫で始めた。
しっとりと甘い時間が流れていく。
私をなでるラリカ嬢の表情は丁度月明かりの影になるように窺い知ることができない。
「……実はね、くろみゃー。お前の御主人はもうあまり――長くはないのですよ」
――ゆったりとした時間の中、あまりに唐突な告白に、理解が追いつかず、鼓動だけが早まっていくのを感じた。
「お前の御主人はね、後二週間ほどしか生きられないみたいですよ?」
「どうもね、私は昔から体質的に、魔力を貯めてしまうようで」
「だから、そのうち魔力を体に貯めておけなくなって、死んじゃうそうですよ? それが、ちょうどあと二週間位」
ラリカ嬢は、ぽつぽつと、私に言い聞かせるように、その実自分に言い聞かせるようにじっくりと語り続ける。
「今日、ブロスさんとバイドイの話をしたときに、伝えようかと思ったけど、流石に言いだせなかったね」
「……お店のみんなにも、きっと迷惑を掛けてしまいますね」
「本当なら、魔法を使えばすぐに解決するはずなんですが、どうしてか分からないけど、私は魔法を上手く発動できないで。本当。肩書だけが大きなポンコツ娘ですね」
「……毎日、練習してるんだけどなぁ」
「だから、お前を拾ったのも、実は私が死んだ後に何か残したいなあなんて下心があったんだよ?」
「くろみゃー。お前は、お前は、ちゃんと私を覚えててくださいね。ここまでしてやって、三日で忘れたりしたら、恨みますよ」
じんわりと、ラリカ嬢の声が湿りを帯びていく。
「きっと……私の恨みはこわいですよー……?」
涙を堪えるように声が震えている。
「ひぐっ……はぁ……死にたくないなぁ……」
ラリカ嬢は、私を痛いくらいに強く抱きしめると、肩を震わせながら泣き続けた。
私はなにもする事が出来ず、ただただ細い少女腕の中で、じっと見つめることしか――できなかった。