第一話「いってきます」
――思えば、前回この広場の石畳を踏んだ時は、随分と弾む気持ちと希望を持って歩き出したのだったな……
ヨルテ族による聖国への転送を受けるため、広場の入り組んだ造りの石畳をぼうと眺めながら、そんなことを考えていた。
周囲にはラリカやフィック以外にも、多数の転送待ちの人々が寄り集まっており、ざわざわとした誰のものとも分からない声と、人いきれでむっとしている。
やはり、聖国に向かうということで、宗教的な目的の人物が多いのだろうか?
所々で、自分の所属する宗派の物らしい祈りを捧げている者や、フィックのように宗教上の儀礼に倣っているらしき服装の者も居る。
――だが、総じて言えるのは、それらの人々の目には光があり、希望に満ちているように見えるということだ。
その姿は、ちょうど私達が王都にたどり着いたばかりの頃に持っていた輝きであり、辛い経験を経た中なんとか進もうとしている今は抱きづらいものだった。
その落差に、そして、此処があの子と出会った場所であるという事実に、『もし、ここにあの子が居れば……』という叶えようもない願望が浮かんでしまう。
――そう。きっと、この場にリクリスが居れば、聖国への旅も『新たな冒険』とばかりに、前向きで希望に満ちた旅路だったはずなのだ。
ラリカは本当に大丈夫なのだろうか?
自身の後ろ向きな考えに引きずられ、先日までの死人のようだった少女の姿がちらつき、不安になってラリカの顔を覗き込んだ。
だが、覗き込んだ先、ラリカの表情には思いのほか悲しみの色が見受けられなかった。
代わりに、彼女は印象的な赤の瞳に力を込めて力強く行き交う人々のを見つめている。
決して、賑やかに盛り上がるような雰囲気ではない。
ただ、その凜々しく引き結ばれた唇と眼差しに。
ぴんと背筋を伸ばし杖を握るその拳に。
――静かに、しかし、熱い感情を感じて、ざわりと胸の中が震えた気がした。
そして、その姿は、先ほど教会で涙していたとは思えないほど精悍なものだったが、時々視界の端に両親と笑いながら話す子供の姿などが映ったとき、僅かにその瞳を揺らしている。
「ああ、ヒラリスさん。またお世話になります――その後はいかがですか?」
ざわざわと揺らぐ心に戸惑いながら、ラリカの姿を見つめていると、広場の端が輝き、王都にやってきたらしき集団が転移してきた。
先頭に立っていたのは、私達を王都に連れてきたヨルテ族の女性二人である。
二人の姿に気がついたラリカは、ほんの少し表情を和らげて話しかけた。
「ふふっ……ふふふっ……聞きたい?」
「ラリカ=ヴェニシエス。その話題は止めておいた方が……」
話しかけられたヨルテ族の女性は、今までとは少し違っているラリカの様子には気がつかなかったようで、にんまりとした嫌らしい三日月のような笑みを浮かべると、艶やかに聞き返した。
ヨルテ族の少女の方が、草臥れ果てた顔をして両手をくっつけるようにして杖を握り締めている。
そういえば確か、以前あったとき、このヒラリスという女性は、婚約をしたと聞いたが、どうやらこの様子では夫婦仲は良好のようだ。
大方、少女の方は毎日のように惚気話に付き合わされて疲れていると言ったところだろう。
言ってしまえば新婚夫婦。
本人からすれば、そんなつもりはなくとも、周りからすれば五月蠅く感じるほどに、ついつい語らってしまうというのも分からないでもない話だ。
「――上手くいっているようですね。ええ。是非、今度ゆっくりと聞かせてください」
ラリカも、後ろに控える少女の様子に、なんとなく危険を察したのか、やんわりと長話を回避する方向に話を持って行った。
「薬も……大丈夫そうですね」
ラリカが、ヒラリスの顔から首筋に掛けてじっくりと見つめながら、頷いた。
「おかげさまでとっても役立ってるわ~」
「……くれぐれも、使いすぎないでくださいね……?」
「ほ、ほらっ! 先輩、仕事の時間ですよ!」
――二人の会話に、なぜかほんのりと顔を赤くした少女が、ヒラリスの腕を引っ張っていく。
どうやら定刻――ようやく王都に向かう転送の時間になったようだ。
「――お集まりの皆様方。この度、皆様の聖国への道中をお供させていただくヨルテ族のヒラリスと申します。それでは――」
二人は広場の中央付近に立って、杖をコンコンと打ち付けて広場に居る者たちの注意を集めると、周囲の人々によく通る声で呼びかけた。
私達も、二人の近くへと近づき集団の中へと紛れ込む。
我々が動いたことで、ラリカの正体に気がついたらしき人物が、慌てた様子で拳を石畳に打ち付けているが、大きな混乱もないようだ。
全員がそろったことを確認したヨルテ族の二人が紫檀のような色をした杖を打ち鳴らし、淡く金色の粒子を散らした魔方陣が展開され、転移の魔法が発動した。
――本当に、なんとも複雑怪奇な魔法だ。
金色の記述を読み取りながら、私は再び感嘆を覚えていた。
やはり、この世界で多少なりとも経験を積んだ今となっても、この魔法を読み解くことは難しい。
むしろ、『この世界の常識的な術式』を見て、知ったことで、よりその異質さが際だって見えた。
――いったい、どこの変人奇人の偏執狂がこんな術式を考えたのやら……
そんなこと考えている間に、一瞬で周囲の光景が切り替わり、空気に微かに潮の香りを感じた。
どうやら、聖国への転移は無事に完了したらしい。
なんとなく、ラリカの方を見上げると、彼女は変わった景色と香りに、僅かに動揺したような表情を浮かべている。
だが、すぐに自分を落ち着かせるように、ぎゅっと目をつぶった。
一秒、二秒、そのままの姿勢で黙祷を捧げるように佇んでいたが、やがて目を開き、『誰も居ない』後ろをくるりと振り返った。
誰かに聞かせるでもなく、彼女の口元が微かに動いた。
「――いってきます」
淡い風にのって聞こえたのは、ラリカのそんな小さな声だった。
***
「……ラーリカちゃんってば、ヨルテ族とも交流があるんだねー」
ヨルテ族の二人組は転移を終えると、ラリカに挨拶がてら二言三言話しかけると、次の集団の元へと向かい離れていった。
フィックはそんな親しげな様子に感心したように笑った。
正体がばれた今となっては段々と取り繕うつもりもなくなって来たのだろう。
私達だけしか居ないときの話し方は、砕けた口調と真面目な口調が入り交じった不可思議なしゃべりになってきている。
「ええ。リベスの町で、商人ギルドの世話役もしていましたから、ヨルテ族の皆さんとは懇意にしていたのですよ。今の族長のイルダルテさんが歳の近かったこともあって、よくして貰っていました」
ラリカも、そんなフィックの言葉遣いを特に気にする事無く応えている。
「はぁ~さっすが、ラリカちゃん。この聖国にもヴェニシエスの子がいるけど、やー、ラリカちゃんと比較されちゃ、かわいそうだね」
「何を言うのです。私は魔法も使えませんし、ポンコツも良いところです。フィディア=ヴェニシエスは、とても優秀な魔法使いだと聞いていますよ? 規範も重視されて、いつも模範になるような立派な方だと。ヴェニシエスとしてはよっぽど私なんかよりしっかりしています」
フィックが茶化すように首を振りながら、大仰な仕草で感心してみせると、ラリカは心外だとでもいうように、そんな彼女の事を静かに窘めた。
ヴェネラが二人いるということは、ヴェニシエスがラリカ以外にもいるというのも、言われてみれば当たり前の話だ。
だが、この世界に来てから聞くのはラリカの話ばかりで、どうにももう一人のヴェニシエスというのは聞く機会が無かったからだろう。
私は、そんな『もう一人のヴェニシエス』という存在に、どうにも表現しづらい違和感があった。
しかし、ラリカはフィディア=ヴェニシエスという時に、憧れにも似た色を浮かべながら、とても楽しそうにその名前を呼んでいる。
まあ、その様子を見るに、立派な人物であることには違いないようだった。
「いやー。でも、やっぱりさ、……ほら? ラリカちゃんって派手だし」
そんなラリカの様子を見ながら、苦笑を浮かべたフィックが両手を大きく振って派手さを表現して見せた。
ラリカは、フィックの言葉に不思議そうに首を傾げている。
「派手……ですか?」
「そそ。ラリカちゃんっはさー、あのクロエ=ヴェネラのヴェニシエスって事もあって、なーんか『こんなことをやってるんだ!』って私達にもちゃーんと伝わってくるんだ。だけど、どーしても、ほら? やっぱり、ヴェニシエスって本来は地味だよね? だから、どうしてもラリカちゃんの印象が強くなっちゃうんだよ」
「そうですか……私がしている事は、別にヴェニシエスである必要が無いことばかりなので、フィディア=ヴェニシエスの事は尊敬しているのですが……『ヴェニシエスとしての在り方』を色々と参考にさせていただきたいものです」
ラリカが、少し目をつぶって、思いを馳せるようにつぶやいている。
――無意識なのだろう。その右手の指先は左手の指輪に触れていた。
――ひょっとすると、ラリカは迷っているのかもしれない。
今回の事件では、ラリカは自分の無力さを突きつけられるような形になった。
だからこそ、『もう一人のヴェニシエス』をよく知ることで、何らかの指針を得たい。
そんなことを考えているのかもしれない。
「だいじょーぶ。だいじょーぶ。ラリカちゃんは、十分に『ヴェニシエス』だから」
そんなラリカの姿を見たフィックは、何を思ったのか太鼓判を押すように自分の胸を力強く叩きながら保証した。
「なんともまぁ……信用ならない太鼓判だな……」
「うわっ! くろみゃーちゃんひっどいよー」
呆れたように私が言葉を発すると、フィックは唇をとがらせた。
フィックは、ラリカの方を向き、チンコロする輩のように嫌らしく、情けない表情を浮かべて口を開いた。
「ねっ!? ラリカ=ヴェニシエスご覧になりました? くろみゃーちゃんったら、私に対するアタリが、なんだかすっごく厳しぃんですよー? なんとか言っちゃってくっださいよー」
「――ま、まぁ、フィックさんの評価が信頼に値するかどうかはともかくとして、そう言って頂けるのは嬉しいです」
ラリカは、そんな私達の姿を見て、言葉を濁しながらほんの少しだけ淡い笑みを浮かべるのだった。
「そんなー……あ~。もう信用のない私はさっさと入関手続きでもしてきますよー……」
そんなラリカの姿に、安堵した表情を浮かべ、ため息をついたフィックが、ふてくされたように、城門に向かって歩いて行く。
どうやら、入国に関する手続きはフィックがすべて対応してくれるようだ。
王都に来たときは、随分と長い行列に並んだ物だが、フィックによると今回は列に並ぶ必要は無いようになっているらしい。
長蛇の列が出来ている入国用の受付とは別に設けられた、小さな門に向かって歩いて行く。
そこに居る兵士に話しかけると、その兵士は慌てた様子で一旦城門内へ飛び戻り上官らしき人物を連れて戻って来た。
フィックは書状を取り出し、兵士達に見せると、彼らはラリカが王都に入ったときを再現するように、アメジストのような鉱石を取り出して、書状にかざした。
そして、鉱石が力強く明滅する。
「ようこそ。おいでくださいました。ラリカ=ヴェニシエス。フィック=リス」
言葉と共に、私達は至極丁寧な対応で、城門の中へ、ひいては聖国の中へと案内されたのだった。