プロローグ[挿絵あり]
小さな頃、私は世界の中心だった。
みんなからは期待されていたし、二言目には『優秀な子』と言われていた。
私も、そんな期待に応えたくて、必死で勉強だってしたし、修行もしたし、みんなの模範になれるように頑張った。
オフスとして派遣された町でも、最初は子供だと舐められてたけど、治安維持や災害救助に努めて、認めて貰った。
ラクス=ヴェネラの門下になってからも、誰よりも努力してきた自信がある。
努力した分、みんな私の事を認めてくれた。
『最年少ヴェニシエスの誕生になる』
そんな話題もちらほら聞こえてきた頃だった。
お師匠様からも、善く勤めればいずれ……と内々に言われていた。
――でも、そんな毎日を揺るがした事件があった。
今からおよそ十年前――
クロエ=ヴェネラがヴェニシエスを指名したのだ。
その日は、朝から妙に寒い風が吹いていた。
朝のお勤めの後に、お師匠様に何か暖かい物をと思い、炊事場でティジュを淹れている時だった。
バタバタと忙しなく走る足音が、お師匠様の部屋に向かって行くのが聞こえた。
――どうしたのかな?
そう思って、足音の出所を確かめてみると、最近教会に勤め始めた幼いリオンが必死な顔で走って行くのが見えた。
――アコにもなっていないのに、私達を飛ばして勝手にお師匠様の所に行くなんて。
規律を守らないそのリオンに、ちょっと叱ってやらないとと思い、慌てて炊事場を後にした。
もちろん、お師匠様の分のティジュを持ってだ。
お師匠様の部屋の前についた時、部屋の扉が半開きになっていた。
どうやら、慌てて飛び込んで閉め忘れたようだ。
はぁ……
おもわず、口から大きなため息が漏れ出た。
――これはかなりきつい『お叱り』をする事になりそうだ。
呆れながら私が半開きの扉をノックする。
しかし、中から返答がなかった。
――おかしいな?
お師匠様はこの時間部屋にいるはずなんだけど……
不審に思った私は、無礼は承知で半開きの扉扉の隙間から中を覗き込んだ。
すると、予想に反して、室内では難しい顔をしたお師匠様が何かを読みふけっていた。
先ほど見かけたリオンは真っ青な顔をして、室内で立ち尽くしている。
あの子――何かやらかしたのかしら?
その姿は、ちょうどなにか大きな失敗をやらかした子が、相談している時のように見えた。
ああ、もう!
教会に来るなりなにしたのよッ!
時々あるのだ。
失敗をした幼いリオンが、勝手も分からずヴェネラに真っ先に報告に行ってしまう。
報告を受けたヴェネラは立場上その子を罰さなくてはいけなくなる。
そうなれば、その子に待っているのは厳重な処分だ。
『なにかあった際は直属の位階上位者に報告すること』という規定は決して嫌がらせで創られている訳ではなく、そんなときに守るための物でもあるのだ。
私達に報告さえしてくれれば、勿論思いっきり叱りつけるが、そんな悪い事にはならないようにしてあげるのに――ッ!
だが、すでに済んでしまったことは仕様が無い。
――もし、あの子が何か失敗して怒られようとしているのなら、あの子の処罰を軽くして貰うようにするのは私達の役目だ。。
「失礼します」
『なんで先にお師匠様の所に先に行っちゃったの』と内心困り果てながら、お師匠様の部屋へと入っていく。
ヴェネラは、私が室内に入ってくるのを見て、ようやく顔を紙片から上げた。
ちらりと見えた書式は手紙のようだった。
一体どこの誰からの手紙だろう?
「あら? フィディア。良いところに来たわ。報告ありがとう。貴方は席を外してくださる?」
私の姿を認めたお師匠様が、室内に居たリオンに退室を促した。
リオンは、その言葉に無言でコクコクと頷くと、私の方を見て、慌てた様子で部屋から駆けだしていった。
――本当に、一体何をしたのよ!
その子のただならぬ様子に、心の中で静かに毒づいた。
「お師匠様。何か――ありましたか?」
「ええ……少し」
お師匠様が、普段にない様子で悩むように言葉を発する。
さっきから、嫌な予感がずっとしている。
「あの子が――なにか、不始末でも?」
リオンが出て行った扉を見つめながらが、単刀直入に問い掛けると、お師匠様は少し不思議そうな顔をした後、納得したように笑った。
「? ――ああ、あの子はこの手紙を届けてくれただけよ」
てっきり、あのリオンの様子に、なにかやらかしたと決めつけていた私は、その言葉に拍子抜けした。
「――そうでしたか……良かった。てっきり、あの子が何かしたのかと思いました」
「ふふ……貴方は本当に優しい子ですね」
お師匠様が、優しい笑みを浮かべながら、私の事をお褒めくださった。
他の誰から褒められるより、お師匠様から褒められる時が、一番嬉しかった。
「いえっ! そんな……お師匠様の名に恥じないように努力をしなくてはなりませんから」
「……そう……そうね。ありがとう」
「滅相もありません!」
「でも……だから、私は貴女に謝らないといけないわ」
だから、お師匠様が続けた言葉に、私は首を傾げてしまった。
何をお師匠様が私に謝る事などあるのだろうか?
「貴女をヴェニシエスにするというお話があったでしょう?」
「はい」
お師匠様の言葉に、とっさに顔が引き攣って締まったのがわかった。
嫌な汗が額を流れ落ちていく。
――まさか、私をヴェニシエスにするのを取りやめるという話だろうか?
「もっと早く動くべきだったわ」
私の疑念を肯定するように、お師匠様が後悔したようにそういった。
――歴史上、ヴェネラの意向に関わらず、聖国上部の指名でヴェニシエスが決まったことがある。
お師匠様の言葉に、教会史で習った内容がよぎった。
私以外に指名がかかったのだろうか?
「さっき、手紙が来たの」
「――は、はい」
声が震えるのが分かった。なるほど。先ほど来たのは教会からの手紙だったか。
――ヴェニシエスの任命のための。
「クロエ――リベスの町のクロエ=ヴェネラが新たなヴェニシエスを指名したわ」
だが、続く言葉は、私の予想とは違う言葉だった。
「……クロエ=ヴェネラがですか?」
クロエ=ヴェネラといえば、近代の魔法学の発展に寄与した有名人だ。
その功績を讃えて、教会の長い歴史の中でただ一人、新たにヴェネラを賜った偉人だ。
たった一人でヴェネラを背負っていた、歳の近いお師匠様とは競い合い、仲が良かったと聞いている。
教会から無茶な申し入れをされ、ヴェニシエスの選定に苦労されているとは聞いていたが、どうやら無事に選定が終わったようだ。
「それは……大層めでたいことではありませんかっ! なにか祝いの手配が必要ですね」
「……ええ、そうね。このことはめでたいことよ。でもね――」
私が、必要な事務上の手続きを思い浮かべていると、お師匠様は私を諫めるように右手を挙げ、言葉を続けた。
「――選ばれた子が問題なの。これを、読んで貰えるかしら?」
そういって、お師匠様は先ほどまで目を通していた紙片を差し出した。
恐る恐る、お師匠様の机に近づき、紙片を受け取る。
やはり、それは手紙のようだった。
それも――クロエ=ヴェネラがお師匠様に宛てた極めて私的な手紙のようだ。
教会への愚痴など、私が目を通して良いのか悩むような内容がつらつらと書かれている。
――しかし、読み進めるにつれ、無意識に手が震えた。
その手紙の最後にその文言はあった。
『私、クロエ=ヴェネラは、以上の功績を持って、新たにヴェニシエスを指名する事と決定した。新たなヴェニシエスの名はラリカ。年齢――四歳』
それは、『最年少ヴェニシエス』が誕生した知らせだった。
――そして、それから私は『ラリカ=ヴェニシエスじゃないほう』と呼ばれるようになった。