第二十二話「消えたい」
「いっやー、ごめんねー! 子供っぽくって!」
しばらくして、顔を上げたフィックは、泣いてしまった恥ずかしさからから、誤魔化すようにふにゃりと戯けた表情を浮かべた。
先ほど、幼げに涙を流す姿を見たばかりの私には、どうにもその表情が、やはり仮面のように感じられてならなかった。
いつも通り、明るい能天気な表情だが、実情は、歳を重ねた末に身につけた能面の一つなのかもしれない。
「……いや、こちらこそ、すまなかった。つらい話をさせた」
「ううん。大丈夫だよ。こっちこそ、話の途中にごめん」
だからこそ、決して認めてはくれないと思いつつも、お互いに手短に謝罪の言葉を口にした。
殊更に明るい声は『最後に見た姿は、お互いになかったことにする』そう告げているような気がした。
「ああ、そうそう、それで、くろみゃーちゃんが起きたら渡そうと思ってた物がいくつかあるんだ」
フィックは思い出したようにそう告げると、魔方陣を展開させた。
――収納魔法。
見慣れた術式だ。
なにを取り出すつもりだろうか?
薄っすらとした光とともに、目の前のテーブルの上にいくつかの物品が並べられた。
「ほんとーはラリカちゃんに渡すべきなんだろうけど、今はちょーっと渡すのはまずそうだし、くろみゃーちゃんに渡しとくよ」
「ああ……それは別に構わないが……これは?」
テーブルの上で、ちょうど真ん中から分かれるように、左右に少し距離を開けて二つずつ小物が並んでいる。
右側には片手に収まる程度の小瓶が一つ。それから文箱のような大きさの木箱が一つ。
左側には小さな袋が一つと、封緘された一通の手紙――
「こっち側は、今朝、町の大店の店主が直接教会に来て、置いていった分。ラリカちゃんから依頼されてた物らしいよ」
右側を指しながら、フィックがそういった。
ああ、確かにラリカがリクリスに贈る物を用意したと言っていたな。
色々と騒ぎがあって、結局受け取れていなかったはずだ。
「それからこっちは――リクリスちゃんの遺品なんだ。――ごめん。手紙の方は見てないけど、箱の方は開けて中を確認してる。――たぶん、ラリカちゃんへの贈り物だと思う」
『遺品』という言葉が、胸をきゅっと締め付けた。
――そうか、これが、あの日買いに行った、ラリカへの贈り物か。
脳裏に浮かぶのは、あの日、ラリカに何を送れば良いかと相談してきた少女の、普段見せない茶目っ気を含んだ笑顔だ。
もし、もしもあの時、私が一緒に行っていれば、また違った結果に――
――いや、だめだ。この仮定に意味は無い。
いくら後悔したところで、もはやあの子が帰ってくる事は無いのだ。
だが、これで都合、手元に二人の少女が贈り合う予定だった物品がそろったことになる。
「渡すかどうかは、くろみゃーちゃんに任せるよ」
「嫌な役を――いや、これは確かに私の役目だな」
渡すか、ラリカの精神的な負担を慮って、処分するのか。
その判断は任せる。
そう告げる言葉に、思わず『嫌な役をさせる』と文句の一つも言いたくなるが、確かに自分が追わねばならない責務だろうと思い直した。
というより、ラリカに見せるにせよ、見せないにせよ他の人間には任せたくないといったほうが確かか。
『任された』と静かに告げると、フィックは神妙な顔で一つ頷き、部屋から退出しようとする。
そして、扉に手を掛けたまま、何かを思い出したかのように立ち止まると、振り返ってこちらを向いた。
「――それから、こっちはサファビから伝えるよう言われた事なんだけど……」
さして重要ではない事のように、あくまで事務的な声音で、フィックは話し出した。
頭だけ傾げこちらを振り返るフィックが、少し思案するように口元を噤めた。
「なんだ?」
「王都で渡される予定だった神器だけど、結局、聖国から渡される事になったらしいよ」
「――ああ、そんな話だったな」
そうだ。そもそも、私達が王都に来たのは、神器の受け取りのためだった。
なにやら神器の盗難騒ぎがあったと目の前で笑っている女から聞いたではないか。
その影響か。いかにもお役所仕事のように、たらい回しにされるらしい。
しかし、まさしく、今の私達にとっては『どうでも良いこと』だ。
「受け取りの日取りについては、サファビが気を利かせてくれたから、かなーり融通は利くはずだよ。――『受け取らない』って選択肢もあるから」
「――助かる」
ラリカの状況を慮ってくれたのだろう。
とてもではないが、別の国へ飛べるような状況では無い今、ありがたい申し出だった。
ひょっとすると、ラリカの立場を考え、政治的な意味を含むかもしれない事柄を、放り投げても良いと言ってくれているのだ。
「――私達、こんな事くらいしか出来ないからね」
これは、自分たちからの贖罪だというように、自虐的にフィックはつぶやいた。
「――ラリカちゃんのこと、お願い」
「――ああ」
今度こそ、パタンと言う軽い音共に、フィックは部屋を出て行った。
***
魔法を使いながら、なるべく痛む体を動かさないように、ラリカの眠る寝室に向かって静かにゆっくりと移動していく。
扉を開けると、薄暗がりの部屋の中、ラリカが眠っていた。
ベッドの上へと上り、ラリカの枕元へと近づいていく。
規則正しい寝息を立てているが、どうやら少しうなされているようだ。
先ほどから苦しげに、歯を食いしばり、眉間にしわが寄っている。
すっと前足をのばして、ラリカの額に載せると、少しだけ、ラリカの表情が和らいだように見えた。
そして、そのままじっと見つめていると、ラリカの瞼が、ぴくぴくと動き、ゆっくりと開かれていく。
――起こしてしまったようだ。
うっすらと目を開いたラリカは、額に手を乗せる私の姿を視認すると、普段に比べて血の気が薄く紫色になった唇を震わせ、口を開いた。
「――くろ、みゃぁ?」
「――ああ。おはよう。ラリカ」
「――ッ! くろみゃー!」
ようやく、夢うつつで私を認識したらしきラリカは、上体を跳ね起こして私を抱きしめた。
力強く抱きしめられることで、全身の傷口が圧迫されひどく痛む。
だが、そこはぐっと堪えてなんとか表面上に出さないように意思の力で押さえ込む。
「くろみゃー……ッ! 良かった……良かった……」
「――心配を掛けた」
「――ッ! 無事だった、なら、良いですッ……良いのですッ……ごめんなさい。――ごめんなさい。くろみゃー」
「なぜ、ラリカが謝る必要があるのだ?」
なぜか唐突に謝り出すラリカに、痛みを堪えながらなるべく優しく聞こえるように努めて問いかける。
「どこか、痛むところはありませんか? 怪我はもう大丈夫ですか?」
だが、ラリカは私の問いかけに答えずに、なおも私の事を心配するように何度も何度も私の具合を確認してきた。
――これは相当にまずい状況かもしれない。
起きて言葉を発するラリカを見て、肉体的にはラリカが無事であるという実感を得て、安心すると同時、冷静になった頭で思案する。
苦しそうに顔を歪め、涙を浮かべながら私を見つめてくるラリカには、『余裕』と呼べるものが全くなかった。
恐らく、心配が先に立って、私の言葉に耳を傾ける余裕さえないらしい。
――仕方が無い。
四肢をがっしりとしがまえられている中、唯一自由に動かせる頭部を動かし、ラリカの顔に近づけた。
そのまま、ラリカの頬に赤い色をした舌先を伸ばし――舐めた。
びくりと、驚いたようにラリカが動きを止めた。
「――落ち着け。ラリカ。私は大丈夫だ」
ラリカが、一瞬動きを止めるタイミングを見計らって私はもう一度話しかけた。
大丈夫だと。居なくなったりしないと。
努めて真剣な声で語りかけると、ようやく私の言葉が頭の中に染み渡ったのだろう。
「くろみゃー……」
ラリカが少しだけ平静さを取り戻した声で、私の名前を呼んだ。
「――それより、ラリカの方こそ大丈夫だったか?」
私はそんなラリカを刺激することのないよう、やさしく包み込むように問い掛ける。
「はい……」
「そうか……あの時、横たわる君を見た時は、もう駄目かと思った」
「……私は、目を覚ましたとき、貴方が傷だらけで眠っているのを見て、消えたくなりました」
私が偽らざる内心を吐き出すと、ラリカがその時の気持ちを思いだしてしまったのか、再び顔を歪ませた。
『消えたくなりました』か。
なるほど。それは、雪華からの隔絶を告げられた私が考えた事と同じ言葉だ。
だから、その気持ちは良く理解できた。
しかし、それは同時に、やはりどこかラリカらしくない言葉に感じられた。
どこか、彼女としての考え方にズレがあるように感じるのだ。
であるならば、やはり随分と弱っている証左だろう。
「――『消えたい』などというものではない。――何があった?」
「私の……せいだったのです。今回の事件は、私のせいだったのです――ッ!」
表情を暗くし、強く歯を食いしばったラリカが噛みしめる口元の間から滲ませるように声を発する。
その声は、自省と言うには強すぎる、自分自身を責め立てる悔恨に満ちていた。
「くろみゃーが傷ついたのもッ! ――リクリスが殺されたのもッ!」
「馬鹿な事を言うな。ラリカ。君の責任の訳がないだろう!?」
何かを否定するように、必死に左右に首を振り乱しラリカが叫んだ。
――なぜそうまで自らを責めるのかは分からない。
ただ、どう考えてもおかしい事を口走るラリカに、少し口調が荒くなった。
「――いいえ。私の責任です。責任、だったのです。」
今度はだらりと力を失ったようにラリカは脱力すると、ぽつりと私の言葉を否定した。
その弱々しい言葉は、先ほど以上に私の胸にするりと差し込まれた。
「シェント=ビストが言っていたのですよ。リクリスの髪が、衝動が抑えられないほど美しい黒だったと。そして――私の言葉が背中を押してくれたとッ!」
再び、何か――いや、自分自身を否定するように首を振ったラリカは、神に告解するように涙を流した。
引き攣れ、縮れた嗚咽が、のどを焼き、言葉を引き詰まらせながら、魂からわき出た呪詛を口にする。
「私がリクリスにティルスを渡したから――あの時、あの事件の日、私がシェント=ビストにあんなことを言ったから――ッ!」
「それはっ――違うッ!」
「いいえッ! 違いませんッ!」
あまりのラリカの迫力に、少し気圧されながら私は反論するが、ラリカの中でこのことは確定事項となっているようだ。
――私の言葉では否定することが出来ない。
そんな諦観が頭をよぎった。
事件の犯人から、直接告げられた言葉。
これを否定できるとしたら、それは事件の当事者でなければ不可能だ。
――だが、事件の当事者は、被害者も、そして加害者もすでにこの世にいない。
つまり、それは否定できる人間が存在しないことを意味する。
――ならば、そうであるなら、あとは次善の策として、月日が傷を癒やしてくれるのを待つしか無い。
月日というのは、想いを強める増幅材であり、心に対する唯一の治療薬でもあるのだから。
そう、だから私は、この場で無理に否定する事はせず、ただ、ラリカが泣くに任せることにした。
やはり、私は無力だ。







