第二十一話「罪を犯すモノ」
――溶けた鉄が纏わり付くような、熱と痛みに目が覚めた。
「くッ……ハァハァハァ……ぐっ!」
空気を求めるように口を開き、深く吸い込もうとする度走る痛みに、喘ぎながら苦しく息を吸い込み、目を開ける。
――焦点の合わない視界の中、こちらを見つめる紅い瞳が見えた。
「ラリ……カ……」
「――違うよ。ラリカちゃんじゃない」
靄がかかったように動かない頭の中で、紅い瞳をした人影が返事を返した。
その声は、このところ聞きなじんだものだ。
そう、この声はフィックの――
「――フィーッ!? いったいどうなったのだっ!? ――ッ!」
「落ち着いて。ちゃぁんと事件は解決したから」
「――ラリカは、ラリカは無事なのかッ!?」
徐々に明確になる思考が、意識を失う直前の記憶を呼び覚ましていく。
そう、確か私が魔法を放った後、瓦礫の辺りに誰かが立っていて――
焦燥からフィックに向かって叫び、身を起こそうとすると、全身の痛みが強くなり再び息が詰まった。
だが、そんな、自分の体の痛みなぞ大した問題では無い。
――今、思考が出来るということは、私は生きているのだから。
自分の痛みは無視し、ラリカの安否を問いかける。
少しずつ回復してくる視界の中、フィックが見せる顔色は暗く優れない。
――まさか
「――ああ、ごめん。大丈夫だよ。くろみゃーちゃんが頑張ってくれたから、ラリカちゃんに大した怪我は無いよ。毒だって無事に解毒できたし、変な事もされてない。それは、私が保証する」
私が、その姿に『最悪』の事態を考えていると、慌てたようにフィックは言葉を続けた。
――良かった。
どうやら、ラリカは無事のようだ。
だが、この持って回った言い回しはなんだ?
「ただ――、やっぱり……リクリスちゃんの事が、相当心に来てるみたいなんだ。体じゃ無くって、心に」
私の疑念に応えるように、フィックは、どこか申し訳なさそうにそう言った。
頭を垂らし、膝の辺りの布地をぎゅっと握り締めている姿は、自分の無力さを嘆いているようだ。
「心……」
「そう。心。なにか、シェントさんから言われたみたいで、ずっと、『私のせいです』っていって、ふさぎ込んじゃってて……今だって、本当はずっとくろみゃーちゃんについてようとするから、私の魔法を使って、隣の部屋で無理矢理眠らせてるんだ」
『隣の部屋』というフィックの言葉に、初めて周囲を確認した。
すると、周囲は見慣れた間取りの部屋で、つい先日口にした果物達がテーブルの上に乗っている。
――どうやら、私は自室のソファに寝かされているらしかった。
ラリカは隣の寝室で眠っているのだろう。
「……ひとまず、『無事』ではあるのだな?」
「うん。体はもうすっかり。体だけで言えば、くろみゃーちゃんの方が、よーっぽど重傷だよ? ホント、ラリカちゃんの解毒薬を被って無かったら、死ぬところだったんだからね?」
確認の言葉に、フィックは躊躇いながらも力強く頷いた。
――解毒剤とは何のことだろうか?
フィックの言葉に引っかかる物があり、思案する。
あの時のラリカは動けなくなっていて、私を治療することなど……
しかし、『被った』という言葉に思い当たる物があった。
そういえば確かに、ラリカが寝かされていた聖餐台にぶつかった時、上から降り注いできた液体があった。
――あれが解毒剤かッ!
――ならば、私は、ラリカを助けに言ったつもりが、ラリカに助けられていたらしい。
「そうか。だが、これくらいはたいしたことは無い。ラリカの方がよほど心配だ」
「大したことないって……本当に危なかったんだよ……? はぁ…… ――顔、見に行こうか?」
私の言葉に、呆れたようにフィックはため息をつくと、眠るラリカの様子を見に行くかと提案した。
手をこちらに伸ばしながら言っている所を見ると、私をラリカの所まで連れて行ってくれるようだ。
「頼む」
「りょーかい」
意思に反して動いてくれない体に情けないもどかしさを覚えながら頼むと、フィックは私が寝かされている布ごと持ち上げ、優しく包み、抱き上げた。
なるべく揺れないように優しく抱き上げてくれているようだが、それでも伝わる僅かな振動が、ドクドクと全身に焼きごてを当てるような痛みをもたらしている。
「まだ、もう少し寝かしてあげたいから、静かに、ね? ようやく眠ってくれたところなんだ」
「ああ」
ゆっくりと、寝室に入っていくと、薄暗い部屋の中央に、眠っているラリカの姿が見えた。
仰向けに寝かされたラリカの目の周りは、真っ赤に泣き腫らして赤くなっている。
だが、確かに見る限り大きな怪我の類いは見当たらない。
僅かに聞こえる寝息も、規則正しく力強い。
――どうやら、本当に無事のようだ。
「……ふぅ」
知らずに詰めてしまっていた息が、口から出てきた。
「……どう? 安心した?」
小声で、フィックが問いかけてくる。
ラリカを起こさないように、身振りで示すように大きく頷いた。
できれば、早く起きているラリカと話をしたいところだが、まだ眠りについたところだというなら、もう少し寝かせた方が良いだろう。
後ろ髪を引かれながら、フィックに抱えられた私は元いた部屋へと戻っていった。
***
「それじゃあ、ラリカちゃんが起きてくる前に、今回の事件について話そっか?」
「……頼む」
「うん……それじゃあ、まずはここからかな」
戻ってくると、ラリカの眠る部屋をちらりと視線をやったフィックが、内緒話をするように少し早口でそう切り出した。
やはりシェントが事件を起こしたという事が受け止め切れていないのか、どこか苦しそうに見えた。
「『ハイクミアの吸血鬼』って呼ばれていた一連の事件、この犯人はやっぱりシェントさんだったんだ……」
「――そうか」
私の中では、もう『当然のこと』と認識していた事だったが、フィックは自分自身に言い聞かせるように、そういった。
「それで、シェントさんがなんでこんな事件を起こしたか。これは、シェントさんが居ない今では想像するしかないけど――これについて、シェントさんの手記が見つかってる」
そういったフィックの手には、どこから取りだしたのか、一冊の本が収められていた。
どこかで見覚えがあるような……?
考え、そして思い出した。
ラリカと共に事件の夜、シェントが祈りを捧げていたときに例の仕込み杖と共に祭壇に置かれていたものだ。
「シェントさんの遺体は、溶けて固着した瓦礫に埋もれて、服の一部しか確認出来なかったけど、この手記だけは本堂に残されてたから見つけられたんだ……それで、この手記によると、シェントさんが今回の事件を起こした目的は……その……やっぱり、倒錯的な性衝動によるもの……だったんだ」
この上なく、言いづらそうに、フィックは言葉を途切れさせながらそう告げる。
「シェントさんは、被害に遭った子たちから血を抜いて、代わりにほんの少し、だけ自分の血を被害者に注ぐことで、その子と『一緒になる』『一緒になれる』って思い込んでたみたいなんだ。シェントさんの部屋から、被害に遭った娘達の血を魔法で圧縮結晶化したと思われる結晶体が見つかってる。――全員、名前の書かれたラベルがついてたから、たぶん間違いない……んだと思う」
……なんだそれは?
フィックが言う言葉の意味は分かる。
だが、何を言っているのかが分からない。
血を抜いて、自分の血を注入すれば、一緒になる?
抜いた血は結晶にして保管していた?
――異常
それ以外の言葉が思いつかなかった。
――そんな、そんな巫山戯た、気持ち悪い、愚かな男の身勝手な理由でリクリスは死んだのか?
「――なぜ、ハイクミア教徒ばかり?」
せめて、せめてそこに何らかの理由があって欲しいという無意味な願望が、勝手に口を開かせていた。
「うん……それも、理由はなかったみたいなんだ。――正確にいうと、理由は『髪の色が黒かったから』ってことになるのかな? だから、『ハイクミアの吸血鬼』って私達は呼んでいたけど、本当は、『黒髪の女の子』なら対象になり得たんだ」
「――なんだ、それは」
呆然――本当に呆然となった。
精神異常者の行動原理など、分からないし、分かりたくもないが、それでも、怒りにすら達することの出来ない、やるせなさだけが体を支配していた。
「――手記によると、シェントさんの中には、いつも一人の女の子が居たみたいなんだ」
呆ける私を見て、手記の表紙を軽く撫でながら、フィックが言葉を続けた。
「シェントさんは、小さな頃友達が居たんだって。『夜を集めたような黒い髪で、珍しい緑の瞳の女の子』親友で、何をするにもずぅっと一緒。そんな子だったらしいよ」
フィックの言葉に、なぜかひやりとした刃物が肋骨の間に差し込まれたような、どきりとした感覚に陥った。
――なぜ?
場違いな感覚に自問自答する私を置いて、フィックは言葉を続けていく。
「シェントさんは、その頃おうちの方針で、ずっと女の子の格好をしてたんだって。だから、その子とも、女の子として接してた。そう、これには書かれてる」
フィックが、薄く笑みを浮かべながら、本を見つめている。
だが、私はなぜか――この話を聞いてはいけないような気がしていた。
「――でも、そんな毎日はいつまでも続かなかった。女の子に、自分が本当は男の子だって、ばれちゃったんだ。その女の子は大層怒り狂ったらしいよ。まあ、そうだよね。ずっと、友達だと思ってた女の子が、本当は男の子だったんだから――結果、その女の子とはもう会えなくなった」
『会えなくなった』その一言を聞いたとき、首を後ろから強く絞められたような感触が追いかけてきて、気づいた。
――ああ、そうか。
これは、この話は――
「それで、それからもずっと、シェントさんはその女の子が忘れられなかったんだ。うん。その頃の、シェントさんは随分荒んでいたみたいだね」
――私だ。
まだ、『日本』に居た頃。ずっと、私の中に居たのは雪華だった。
幼い頃にあった『魔法使い』その存在がずっと忘れられずに、いや、そもそも忘れようともせずにいた。
無論、その為に好んで誰かを傷つけようなどとは思わなかったが、ずっと雪華を探すため、私は十年という年月を費やしてきた。その中で、他の人間からは『馬鹿な事』と思われる事だって、していなかったと言えば嘘になる。
……『雪華を探すため』という題目で、他人を事件に巻き込んでしまった事さえあった。
――『妄執』そう、呼ぶのがふさわしいだろう。
だから、つい先頃『理解できない』と考えた輩の行動は、ベクトルが違うだけで、その根底に流れる本質的な部分が、自分と同じだったのではないか?
――そう、気がついた。
――違ったとすれば周りの環境。道を誤りそうになったときに止めてくれる存在が居たかどうか。
……そんな、小さな違いでしか無かった。
「そんなとき、ある転機が訪れたんだ」
「――転機?」
気づきたくなかった、気づいてしまった事実に吐き気を覚えている私は、フィックの言葉を半ば機械的に聞き返していた。
「カミ様――ファナちゃんの声を聞いたんだ」
フィックは何故か泣きそうな顔をして、くしゃりと顔をゆがませると、苦しげな顔をした。
「そのとき、ユルキファナミア様の言葉を聞いたシェントさんは、心の中で渦巻いていた感情が一つの目標になるのを感じたらしいよ――『天啓』そう、シェントさんは書いてあった」
フィックが、顔を伏せた。よく見ると、肩が震えている。
どうやら、慕っていたシェントが、犯罪へと走るまでを思い、苦しんでいるようだ。
その姿は、単なる見た目通りの人間に見えた。
そして、私も一歩間違えば、なにか理由があれば、『そう』なっていたかもしれない。そんな考えが頭をよぎり、ある意味、自分の方が人間として失格なのではないかという恐怖を感じた。
「ファナちゃんだって、絶対、――絶対、そんな事望んでないのに……それなのに……」
『自分が信ずる神はそんなことを望んでいないはずだ』と肩をふるわせるフィックは、間違いなく人として神を信仰しているのだろう。
「――何より、シェントさんは最近『天啓』に疑問を覚えていたみたいなのに、助けてあげられなかった自分が悔しいんだ」
「疑問?」
「ずっと……ずっと、シェントさんだって悩んでたんだ。『本当にこれでいいのか?』『自分は間違ってないのか』って。――リクリスちゃんと会ったときだって、ずっと憧れだった女の子と同じ黒髪と緑の瞳の女の子。この子を手を掛けていいのかって、悩んでたみたいなんだ。わたし、私、そのことに全然気がついてあげられなかった。何年も……何年も、一緒だったのに。私がちゃんと気づいてれば、リクリスちゃんだけでも助けられたかもしれないんだ。シェントさんだって、それ以上罪を重ねなくてすんだかもしれないんだ。ファナちゃんの信徒が、罪を犯すことなんて、無かったはずなんだ」
悔やんでも悔やみきれないとでもいうように、悲痛な声をあげるフィックの言葉を拾い上げると、フィックは歯を食いしばりながら言葉を発した。
「――それにッ!」
フィックは、ヒュッと音を立てながら不規則な息を吸い込むと、ノドをならしながら呪詛のように言葉を続ける。
「はじめは、私に、私に、相談しようとシェントさんだってしてくれてたんだッ! でも、私が魔族かもしれないって、シェントさんが気がついたから……私が、私が魔族なんかじゃなかったら……」
その後のフィックの言葉は、意味をなさない言葉が続き、何を言っているのかは分からなかった。
――ひょっとすると、フィックはシェントになにか特別な感情を抱いていたのではないか?
目の前で嗚咽を漏らす彼女は、やはり見た目通りのか弱い人間の女性にしか見えなかった。