第十四話「中間搾取の実態」
――隣でもぞもぞと何かが動く気配で目が覚めた。
「ん……」
どうやら、リクリスが目を覚ましたようだ。
閉じた視界の外側から、少しかすれた息づかいが聞こえる。
目を開けると、目の前では少しウェーブのかかった長い黒髪がベッドのシーツの上に広がっていた。
リクリスが状態を起こすに従って、つややかな黒い大河がベッドの上を流れると自然な動きで持ち上がっていく。
――確かに、はじめに出会ったときよりも本当に綺麗な黒に染まったものだ。
ラリカが声を掛けたときは、ここまで深い付き合いになるとは予想だにしていなかったが、ラリカに良い友が出来て本当に良かった。
「起きたか?」
小声でそっとささやきかけると、少し寝乱れて露出している肩がびくりと震えた。
「――ッツ!」
声にならない悲鳴が、リクリスの口から漏れた。
どうやら、私が起きているとは思っていなかったらしい。
「く、くろみゃーさん……起きてらしたんですね……」
「いや、私も今起きたところだ。驚かせたようだな。すまない」
「い、いえ……ちょっとびっくりして……」
リクリスはそう言うと、自分の服装のだらしなさに気がついたのか、パタパタと服装を整え始めた。
「そう慌てなくてもいい。ラリカもまだ眠っているようだからな」
身を起こしながら、リクリスとは反対側に眠るラリカの方を眺めてみれば、ラリカはまだぐっすりと深い眠りの底にあるようで、ほんのりと薄紅のさした頬を枕に押しつけるように瞳を閉じている。
「くろみゃーさんが居るじゃ無いですか」
「私か? ――ふむ。ミルマル相手にあまり気を遣う必要は無いが……確かに、あまり若い娘がだらしない格好をしているのも確かによろしくないな。――どれ、少し湯浴みでもして、身支度を整えると良い」
「あ……そうだった……あ、あの、私ちょっと出てきます!」
昨日、だらしなく眠りについてしまったことを思い出したのだろう。
リクリスが、さっと顔を羞恥に染めると、ベッドから立ち上がり、部屋を飛び出していった。
しきりに眠っているラリカの方を見ていたところを見ると、ラリカの横で湯浴みもせずに眠ってしまっていたことが恥ずかしかったのかもしれない。
――まったく。
音を立てないようにしてはいたが、随分慌てて部屋を飛び出していったため、閉まりきっていなかった 扉を閉めるため、私はベッドから飛び降りると、ラリカを残した寝室を後にした。
***
「さっきはすみません……」
申し訳なさそうな言葉と共に、リクリスが戻ってきたのは、それから三十分ほどしてからの事だった。
朝の眠気を感じさせない、さっぱりとした様子だった。
ちょうど私は寝室と隣り合った部屋のテーブルで、皆が食べられるように簡単な食事の用意をしているところだった。
まあ、食事の準備と言っても、魔法でしまい込んでいる食糧から、食べられそうなものをテーブルに並べただけなのだが……
「気にするな。年頃の娘なのだから、身なりを気にするのは良いことだ」
「ありがとうございます……」
それっきり、リクリスとの会話が途切れてしまう。
――ふむ。私の方は、いつも割と気さくにリクリスと話しているつもりなのだが、どうもリクリスの方はまだ完全に私に馴染めていないように感じる。
考えてもみれば、リクリスと二人きりで話をする機会というのは、今までもあまりなかった。
ラリカが寝静まった後に、少し会話をしたくらいだろうか。
「……とりあえず、座ったらどうだ?」
「あ、はい! ありがとうございます」
椅子を魔法を使って引いて、テーブルに着くことを進めると、まだ入り口付近でこちらを伺っていたリクリスが、こちらに近づいてきて椅子に腰掛けた。
それっきり、また、沈黙が流れ始める。
リクリスが、ちらっちらっと、こちらを伺いながら、私が視線を向けると慌てたように視線を手元に向ける仕草を繰り返している。
どうやら、よほど私と二人っきりで見つめられているとい状況が気まずいらしい。
果たして、どんな会話をするべきだろうか……?
「……写本の仕事は上手くいっているのか?」
考えた末に出てきたのは、なにか不器用な父親が娘に学校の様子でも聞いているような言葉だった。
「えっ……あ、はい!」
突然の質問に、リクリスも慌てたように返事を返した。
「そうか……リクリスが写本を初めて四日ほどか。随分と打ち解けているようでなによりだ」
「はいっ! みなさん、優しい方達ばかりですッ!」
そういうリクリスは、どこか普段と違って、心からの感謝している事が分かるようなはっきりとした断言だった。
感謝の言葉をきちんと大きな声で言えるというのは、よい子の証だ。
「――良い返事だ」
ふっと私は微笑みながら、優しい視線でリクリスを見つめると、自信をもって断言したのが今更ながらに恥ずかしくなったのか、リクリスは口をパクパクと開けては閉じてを繰り返している。
「リクリスがいた村は、どんなところだったのだ?」
「――私が居た村……ですか?」
「そうだ」
リクリスが少し落ち着くのを見計らって、少し切り口を変えた、新たな質問をしてみる。
旅人に会ったときは、その旅人の故郷を聞くというのが、会話のきっかけにはちょうど良い。
たまにとびっきりの地雷が埋まっていることがあるが、かつて海外旅行での鉄板ネタだ。
案の定、リクリスは、先ほどまでのピンと張り詰めたような沈黙とは違った、少し優しい空気を漂わせ始めた。
「――そうですね……あまり、裕福な村ではなかったです」
まだ、旅に出てそれほど日はたっていないはずだが、どこか懐かしそうに、リクリスが語り始めた。
「岩場の多い土地でしたから、農作物もあまり採れなかったです。家畜も、あまり……村の収入のほとんどは筆耕のお仕事でまかなっていました」
「ハイクミア教徒の多い土地だったか?」
「はい。そうなんです。だから、頭のいい人だって多いんですよ?」
「そうか」
珍しく、自慢するように目をつぶるリクリスの口元は、少し微笑んでいて、村のことが大好きなのだろうなと感じる。
「今回、王都の学校に来ることが出来るようになったのも、村の人たちがお金を出し合ってくれたからですから」
「みんな、リクリスに期待していたのだろうさ」
「――はじめは、本当に学校に行くか、とっても悩んだんです」
「そうなのか?」
「はい……私なんかで良いのかな?って。本当に、王都でやっていけるのかなって……実際、王都に出てきても、結局寮には入れなかったり……」
リクリスの顔には、葛藤だろうか?
随分と暗い表情が貼り付けられている。
常に自信なさげな表情の中に、少し怯えのようなものが見え隠れした。
確かに、新たなこと、新たな環境に挑戦していくときはどうしても不安や後悔への恐怖がつきまとってくるものだ。
幼い子供にとって、一身に期待を背負って、一人遠く旅に出るというのは大変なプレッシャーだろう。
どうも、この世界に来てからというもの、周りに妙な具合に真面目な子供が多すぎるな。
もう少し気楽に考えると良いのだが……
「旅に出るのに、不安は付き物というものだ。――だが、リクリスは結局王都に出てくる事に決めたのだろう? なにか、切っ掛けでもあったのか?」
少しでも、子供の不安を取り除き、前を向いて進めるように。
少しでも、人生を良いものと出来るように。
僅か二十年ほどの人生で、最後の最後は後悔に終わったが、多少なりとも歳を重ねたものとして、口を開いた。
「切っ掛け……はありません……でも、どうしても王都で叶えたい夢……があったんです」
「夢……?」
「はい。夢……、です。もう、半分叶っちゃいましたけど……」
そういって、リクリスが視線をラリカが眠る寝室に向けた。
そういえば、初めて会ったときに、そんな事を言っていたな。
確か――
「『立派になって、一目でいいから会いたい人がいるんです』だったか……?」
「はいっ! 立派になって、いつか、憧れだったラリカ=ヴェニシエスにお会いしたいと思ってました。……思ってたよりずっと早く『ラリカさん』に会っちゃいましたけど」
バツが悪そうに、照れた顔をしながらリクリスが寂しそうに、でも嬉しそうに笑う。
「思えば、随分な偶然もあったものだな。リクリスの元に偶然ラリカの書いた本が届き、リクリスが偶然研究しようと決意し、偶然、王都でラリカと出会った――いや、リクリスが、ラリカと会いたいと思って決断した事だったのだから、ある意味必然だったのか……しかし、『ラリカさん』……か。そうだな。確かに、あの子はあまり『偉い人』とは感じない子だからな……」
「もう……くろみゃーさん!」
一人納得したように頷く私を、リクリスが笑いながら窘める。
――うむ。先ほどまでの薄暗い雰囲気は、少しは柔らかくなったようだ。
「リクリスも笑っているでは無いか」
「あ……ごめんなさい」
「なに、あの子はまだ眠っているのだ。謝る事は無い」
「……ふふ」
「ああ、でも、そうなんだ。私……」
「どうした?」
からかうように言葉を続けていると、リクリスが、赤らめた顔を両手で覆って、バタバタと椅子の上で足をばたつかせ身悶えしている。
「あ、その、あの、今、『あの』ラリカ=ヴェニシエスと一緒に暮らして――しかも、ベッドまで一緒で……」
「……やれやれ」
せっかくいい話で終わりそうだったのに台無しでは無いか。
ずっと憧れていた人物と出会った事を噛みしめているのだから、そっとしておいてやるとしよう。
まあ、私のように、憧れの人物との出会い方が、最悪なもので無くて良かった。
***
「それから……リクリス」
時々小さく奇声を上げながら悶え続けるリクリスを、冷めた視線で眺め続け、私の視線に気がついたリクリスが、別の意味で頬を染め出したところで口をひらいた。
「は、はいっ!」
どもりながらではあるが、私の真面目な声音に真剣な声でリクリスが返事をする。
「話が戻って、申し訳ないが、一つだけ、言っておきたいことがある」
「……はい」
どんな話をされるのかが、不安なのだろう。
目の前のリクリスのノドが、ゴクリと固い唾を飲み込んだように動くのが見えた。
「――自分で自分に自信を持てる人間は少ない」
「はい……」
普段通りの声――『自信』というものが完全に欠けてしまった声で、リクリスがか細い返事をする。
「だが、リクリスの村の皆は頭のいい人が多いのだろう?」
「はい!」
今度の質問には、確かに自信を持った声が帰ってきた。
よし。良い傾向だ。
「なら、もう少し、村の皆が信じた可能性を信じてみたら良いのではないか?」
「村の皆が信じた可能性……」
「そうだ。村の皆がした判断だ。それは、大切なことだと私は思うぞ?」
「はい……」
なにやら高価な壺を売りつけられそうになり、判断に困っているような声でリクリスが返事をする。
私の言葉は詐欺ではない。事実だというのに、失礼な。
「それに――」
「それに?」
「昨日、ラリカも言っていたが、リクリスはもう十分実績を残している?」
「あ……」
「新たな術式構造の開発……これ以上無いくらいの実績だと思うぞ?」
「でも、それはラリカさんのおかげで――!」
力強く断言する私の言葉に、リクリスがなおも食い下がってくる。
「確かに、ラリカが手伝った。基礎の基礎を考えたのだって、ラリカかもしれない」
「だがな、リクリス。最後の最後までこぎ着けることが出来たのは、紛れもないリクリスの力があったからだぞ? ラリカも言っていたでは無いか? 『クロエ婆でも実現できなかった』と」
ラリカの言葉を引用して、リクリスの説得を試みると、すとんと何かが落ち込んだようにリクリスの表情が変わった。
「クロエ=ヴェネラが実現できなかったこと……」
どうやら、本当に『ヴェネラ』という肩書きは大したものだな。クロエよ。
心中、クロエのとぼけた表情を思い浮かべながら、感謝を述べると、そのままの勢いで、リクリスの説得にかかった。
「そうだ。ヴェネラが実現できなかった事を成したのだ。これは紛れもなく偉業だぞ? 少しは誇れ。誇って、郷の皆にも報告してやるが良い。『私はこんな凄いことをしたのだ』とな。それでこそ、村の者たちが、リクリスを送り出した甲斐があるというものだ――村の皆に、手紙の一つでも書いてやれ」
「――はいッ!」
『送り出した甲斐』という言葉が聞いたのだろう。
いや、ひょっとしたら手紙を出すという具体論を示したのが良かったのかもしれない。
リクリスが、逡巡が感じられていた表情を明るくし、一声大きく返事をした。
「――よし。良い返事だ」
「手紙……そうだ……」
満足げに、私が力強く一つ頷くと、何か連想するものがあったのだろうか?
視線を私の後ろ、ラリカの居る寝室の方に向けたリクリスが、ぽつりと独り言をつぶやいた。
「――あ、あの、くろみゃーさん――」
――コンコン
リクリスが、両手をテーブルに着いて身を乗り出し、何かを言いかけたとき、部屋の中にノックの音が響いた。
***
「あ! リクリスちゃん! ちょーど良かった! いやー、朝早くからごめんねー! 昨日リクリスちゃんに渡し忘れちゃっててーこりゃーしまったなーって思って慌てて届けに来たんだよー」
入り口の扉を開けると、そこに立っていたのはフィックだった。
片手にぶら下げた大きな袋を、軽く目線の高さまで持ち上げて示してみせる。
どうやら、リクリスに届け物があったらしい。
興味をそそられた私は、リクリスの隣へと歩いて行く。
「私に……ですか?」
不思議そうな顔をしながらもリクリスは、きっちりと揃えた両手を差し出して袋を受け取る。
「きゃっ……」
受け取った瞬間、両手で受け取ったリクリスが、あまりの重さに袋を取り落としかけた。
「おおっと。大丈夫!? もっとゆっくりと渡したら良かったよ。お、くろみゃーちゃんもおはよー」
リクリスを心配しながらも、歩いてきた私に向かってフィックが元気に手を振っている。
随分と重量のある荷物のようだが、一体何を持ってきたのだろうか?
「こ、これ、なんですか……?」
両手でぶら下げるように袋を持ったリクリスが、苦しそうな表情で、問いかけた。
「いやーリクリスちゃんのお給料、本当は昨日渡そうと思ってたんだけどねーついうっかり渡し忘れちゃってたんだー」
「……え?」
「だからー、リクリスちゃんのお給料。冊数が冊数だけに、渡すのに時間がかかっちゃってごめんねー?」
「……これ? お給料ですか?」
「そうだよー? リクリスちゃん、人一倍働いてくれたから、ちょーっとだけ色はつけてあるからね!」
「ええと……現物支給……ですか?」
「? お金だよー?」
「これ、全部、ですか?」
「そだよ」
「これ……これっ、全部ですかッ!?」
「リクリスちゃんが書き写してくれた四百九十二冊分の料金だよーごめんね。ほんとはページ数で算出した方が良いんだろうけど、ちょっと今回は冊数で計算させてもらったからねー七四〇万カルロ入ってるはずだよ」
「ななひゃっ……!?」
サラッとフィックは流しているが、先ほどから出てくる数字の単位がもう色々おかしい。
……四百九十二冊とは、一体どんな速度でリクリスは写本を行ったというのか。
なんだろう……ハイクミア教徒とやらは、分身の術でも使えるのだろうか?
「あ、あの、フィックさんっ、数字の桁、間違えてないですか?」
「またまたー、やだなー流石にそんな間違いするわけないよ。ちゃーんと、会計も通ってます! まあ、流石に四百九十二冊っていうのは会計も間違いじゃ無いかって、驚いてたけど、現物をドンっておいてあげたら納得したから」
「た、確かに私それくらい書き写したと思いますけど……でも、そうすると、一冊一万五千カルロくらいになっちゃう計算ですよ?」
「そうそう。合ってるよ。いやーリクリスちゃんのおかげで一気に仕事が進んで助かるのなんの……」
「村だと……一冊二千カルロだったんです……けど……」
リクリスの言葉に、フィックが目を剥いて、耳がきんと痛むような沈黙が降りた。
開いている扉向こう、誰かが廊下を走るような音が遠くで響いているのが聞こえた。
「ちなみに、お小遣いは一冊二百カルロでした……」
「リクリスちゃん……」
リクリスの悲しげな声音が、むやみに涙を誘った……
――これが、下請けの悲哀。中抜きの実態という奴か……
つい先頃、村が貧しかったという話を聞いていただけに、なんとも言えない気分になる。
確かに輸送にもコストがかかっているだろうが、それは小売り価格に上乗せされているはずで――
どうやら、この世界でも中間搾取で利益を得ている輩は随分と多いのだろう。原価が十分の一とは恐れ入る。
「とにかく! ウチの出し値は大体一万五千カルロくらいだって覚えておいてくれたらいいからね! そ、それじゃあ、ラリカ=ヴェニシエスにもよろしくね!」
――フィック……逃げたな。
早口でリクリスに申し伝えたフィックが、逃げるように部屋から出て行った。
部屋には、手元の袋を見つめて、なにやら考え込む様子のリクリスが一人……
――なんと、声を掛ければよいか分からない。
「くろみゃーさん……」
「あ、ああ……」
ゆらりと、リクリスが揺れ動きながら、両手をだらりと垂れ下げたまま振り返る。
その表情は、まだ手元に大金があるという現実が受け入れられないのか、呆けている。
「さっきの話の続きなんですけど……」
「さっきの……?」
『さっき』とはいつの話だろうか?
村の話か?
いや、そういえば、フィックが来る前に何か言いかけていた気がする。その件だろうか?
「――ラリカさんの好きなものってなんですか?」







