第十三話「術式研究会②」
「さあッ! ようやく! ついにッ! ――待ちに待った研究ですよッ? ……ああ……昨日は本当にもったいないことをしたものです……」
本日の飲み会らしき集まりは、途中でシェントがフィックに服を脱がされ掛けるというハプニングがあったりとぐだぐだではあったものの、上首尾に終わった。
少し疲れは見せているものの、帰り着いたラリカも上機嫌だ。
そんなラリカは、満面の笑みを浮かべると、リクリスの両肩に手を置き、本日の研究を急かし始めたのだった。
おそらく、今日の皆の話を聞いて、研究意欲に火がついたというところか。
ある意味、単純と言えば単純な少女だ。
リクリスは、ラリカのテンションの高さに少し引いているようにも見えたが、微笑みを浮かべると、『はいっ!』と元気よく返事を返したのだった。
――まったく、若いだけあって気力も体力も充実しているようでうらやましいことだ。
そんな事を思っていると、胴体をがしっとラリカに力強く捕まれた。
――ああ、分かっていたさ。
「くろみゃー! 今日はお前には大役があるのですからね! しっかり私達が作る術式を見ておくのですよっ!?」
「……お、お願いします!」
ラリカが当然のように、私に瞳の力を使って魔法のデバッグを行う事を要求すると、リクリスもまだ戸惑った様子ではあるが、ガッツポーズをするように胸の前に揃えた両手にぐっと力を込めてこちらを見つめている。
――結局二日も手をつけられなかったからなぁ……
一昨日から、度々ラリカから期待の視線を向けられていることには気がついていた。
たぶん、今日あたり手伝わされるんだろうなとは思っていたのだ。
まあ、最大の理由を無くしたとはいえ、私自身、魔法というものには未だ興味がある。
頑張って、二人の期待に応えられるようにしようではないか。
そうして、私達の長い夜が始まった――
***
「それではリクリス……起動してみてください!」
「はい――ッ!」
室内に、静かに声が響いていた。
徹夜明け独特の静かな熱量が部屋を包み込み、耳に蓋をかぶせられたように、じんじんと脈打つ鼓動を受けた反響音が響いている。
今、室内にいる者たちは皆、確かな手応えと興奮を感じているようだった。
リクリスが、朱のさした頬をぎゅっと固めて、唇を引き結ぶと目を閉じた。
両手をテーブルの上に突き出し、手のひらを天に向けると、ぴくりと瞼がかすかに震えた。
震えが伝染していくように、右手の人差し指も微かにぴくりと動くと、リクリスの体内の魔力が胎動を始め、術式が起動した。
部屋の空気が絡みつくような粘度と重量感をもって、リクリスからは普段感じることのない圧力に似た気配が漂い始める。
幾重にも重なり合った力を持った羅列が虚空に描き出されると、それらは意思を得たかのように絡み合い、並びあい、複雑さを加速度的に増してゆく。
空中に、魔方陣が描き出された。
何重にも積み重ねられた魔方陣は、一つとして無駄という物がなく、一つ一つの記述が確実に効力を発揮するべく互いに作用し合っている。
がちゃりと、長年動きを止めていた時計が、再び時を刻み始めたような重さを伴いながら、術式が見たことの無い挙動を見せた。
――成功……だッ!
室内にいる誰よりも早く、試みの成功を確信した私は、内心静かに喝采をあげた。
どくどくと不可思議な安定感を持って、リクリスの体内から魔力が術式に供給されて、魔方陣が輝きを増していく。
やがて、中空に小さな光が灯ると、ぽつぽつとその数を増やしていく。
その数を無数に増やした、オレンジに輝く蛍火のような明かりは、室内に散らばると、天体を描き出すように天井付近へと柔らかな光を拡散させていった。
その様子をみて、横で机に寄りかかるように身を乗り出していたラリカが、緊張からか軽く握っていた手を、歓喜にぎゅっと握り直すのが見えた。
室内の空気が揺れ動くのを感じたのか、少しずつリクリスが閉じていた瞼を開いていく。
まずは片目から。
あくまでおそるおそる、確かめるようにゆっくりとだ。
そうして、ある時点まで目を開いたとき、リクリスがぐわっと大きく目を見開いた!
捧げていた両手を下ろし、テーブルの上にのせると、椅子を蹴立てて立ち上がった!
しばらく、室内で瞬く明かり達を、きょろきょろと左右に首を振って見回している。
そのたび、リクリスの長い黒髪が、室内に舞い散る無数の明かりを受けて艶を持った独特の輝きを放っている。
リクリスは、少しだけ顔をうつむかせると、両手の手のひらをぎゅっと体の前で組むと、胸元に押しつけて、大切な物を抱きしめるように、少し体を丸めた。
――ぱっとリクリスが、顔を上げる。
その目は、大粒の滴が溜まっていて、きらきらとした光を放っていた。
「ラリカさん――ッ」
万感の込められたリクリスの呼びかけに、ラリカも勢いよく立ち上がると、リクリスに駈け寄り抱きついた。
「――成功ですっ、成功ですよッ! リクリス――ッ!」
それは、紛れもなく今までこの世に存在しなかった魔法構造が完成した瞬間だった。
間違いなく、ラリカが考え、リクリスが原型を作り出した術式が完成した瞬間だった。
***
「まあ、今のままでは、一般転用は出来ませんが……」
「ですねー……」
「……そうなのか?」
ひとしきり、感動を共有したところで、私達は席に戻って座り直すと、縁側でお茶をすする老人のようにまったりと冷たい水を口にしていた。
落ち着きを取り戻したラリカとリクリスは、満足げな様子ではあったが、まだまだ先の課題に気がついているようで、少し残念そうな様子で話している。
「このままでは、術式がヘヴィーすぎるのですよ。書き込める媒体がありません」
ラリカがまったりとした口調で断言すると、両手で握りしめていたコップをテーブルに置き、冷えた両手でぐりぐりと瞼のコリをほぐしている。
「今、現に使えていたではないか。それではだめなのか?」
私の言葉に、考えの甘さを窘めるようにラリカは人差し指を立てると軽く振った。
そのラリカの仕草を見てリクリスが、ちょっと困った曖昧な笑みを浮かべると、コップを置いて話し出した。
「ラリカさんは、魔道具として作ろうと考えてらっしゃるんですっ……」
「……魔道具?」
「多層構造術式は、一般の人がいろいろな魔法を使えるようにするためのものなんです。でも、さっきラリカさんが仰ったとおり、このままだと、術式が大きすぎて書き込める物が無いんですセレガを使って作るとしても、こんな大きな術式を書き込めるのなんて……」
「付け加えるなら、仮にそんなセレガが合ったとしても、希少すぎてとても一般人の手に出来る物ではありませんし、それなら複数の魔道具を持った方がましです。結局のところ、今のままではリクリスの魔法の腕に頼っている状況なのですよ」
『大体、こんな術式を直接運用できる魔法使いがどれだけいるか……』とラリカが続けると、恐縮したようにリクリスが頭を下げた。
なるほど。今できた術式は、試作品というか、コンセプトモデルに過ぎるというか、要は現実的な運用レベルまでは持ち込めなかったと言うことか。
それにしたって、新しい魔法の可能性を見つけ出しただけ大したものというべきだろう。
その次の段階まで一足飛びに到着しようというのは、いささか性急に過ぎるという物だろう。
問題点については、じっくりこの先時間を掛けて考えていけば良い。
若い二人にとって、まだまだ先は長いのだから。
「なるほど。今日のところは、術式の可能性が見えたということで良いではないか」
「そうですね。一晩の成果と考えれば十分すぎます。後は、ここまでの研究成果をまとめて発表できるようにしないといけませんね。――リクリス。貴女は発表用に論文を書いたことはありますか?」
「ろ、ろろ、ろろろろ、論文ですかっ!?」
リクリスが、たった一言を、これ以上無いほど噛みながら発した。
両手を体の前でクロスさせるように振り回しながら、全身で否定を露わにしている。
「ええ。今回の研究は、リクリスの研究成果ですから、貴女が書くべきです」
「そそ、そんな、私なんかより、ラリカさんが書いた方が絶対に良いですっ! 私、今までメモみたいなのしか書いたことないんですっ!」
「いいえ。これは、『リクリス』が作り上げた物です。だから、貴女で無くてはならないのですよ。書き方が分からないなら、手伝ってあげますから頑張って書きましょう」
「そんな、偉い学者さんみたいな……」
ラリカが強い口調で諭すが、リクリスは変わらず論文を書くということに尻込みしているようだ。
「貴女は、何を言っているのですか……」
ラリカは、呆れた様子で大きく首を振ると、断言した。
「――貴女は、もう立派な学者ですよ」
ラリカの言葉に、リクリスははっとした表情を浮かべ、次に顔を真っ赤に染めると、大きく息を吸い込んで、顔を伏せた。
膝の上で握った両手が、きゅっと握りしめられ、肩が震えている。
――憧れだったラリカに認められた事がよほど嬉しかったのだろう。
私もラリカも、野暮な真似を避けるように、無言でリクリスの事をじっと見つめていた。
***
「 二人ともよく頑張った。さあ、もう朝になってしまったが、少し眠ると良い」
「……ああ、朝ですか」
白み始めた窓の外を見つめ、頃合いを見計らった私が、いつまでたっても睡眠をとりそうに無い二人に眠りを訴えた。
その言葉に、二人とも疲れを思い出したかのように、額に手を当てた。
そろって同じ動作をする二人を可笑しく思いながら、私も興奮が冷めて体の芯に疲れが出てくるのを感じた。
「生活リズムを……戻さなくてはな……」
二人に聞こえないよう、こっそりと私はつぶやくと、寝室に続く扉にとびついてギイッと開けて、後ろを振り返ると、二人をベッドに行くよう促したのだった。
二人の少女は、急激に襲い来る眠気に耐えるように、ふらふらとふらつきながら扉をあけると、着の身着のままでベッドに向かって倒れ込んだ。
やれやれ……二人とも、後で起きたらきっちり身支度させねばなるまい。
年頃の乙女としてあるまじき二人の様子に、私は呆れながら間に潜り込みながら丸くなるのだった。