第五話「少女はラリカというらしい」
少女に抱きかかえられて、しばらくすると、視界が開け、城壁が見えた。町への入り口らしきところには、馬車や人だかりも見える。大型の城壁で町全体を囲った城郭都市構造をしているようだ。
「さあ、街が見えてきましたよ。もうすぐお家ですから、頑張ってくださいね。帰りついたら、暖かいものでも飲みましょう」
奮い立たせるように、彼女は私にことさら元気な声をかけ、街にむかって歩き出した。そういう彼女の体は外套を私にかけたせいで、すでに雨にぬれてしまってびしょ濡れになっている。
幸いにして気温はそれほど低くはないが、雨の中歩くと言うのは非常に体力を消耗するものだ。さらに、猫一匹を抱えている。
……随分と疲れているだろうに。そんな様子を一切見せない健気な少女に、不覚にも胸が熱くなった。
「ラリカちゃん!なにしてんだい!?コートも脱いでびちゃびちゃじゃないか」
町に入ろうとすると、衛兵らしき屈強な壮年の男性から声をかけられた。
――どうやら、私を抱えている少女は『ラリカ』というらしい。
「クロエ婆から受け取ってこないといけないものがあったのですが、帰りに雨の中倒れているミルマルがいたので、保護したのですよ」
外套で包んだ私を見せながら、ラリカ嬢は衛兵に応えた。
私の姿を確認した衛兵は、慌ててラリカ嬢と私を焚き火の近くへと案内する。
「ミルマルか。珍しいなこのあたりじゃ、見かけないもんだが……」
「そうですね。私も久しぶりに見ました」
「ラリカちゃんは、ユーニラミア教徒になるんだったか?」
「いえ、我が家は母の代から、熱心なユルキファナミア教徒です。ユーニラミア教徒ではないですが……さすがに弱っているミルマルを、雨の森に放置していくことはできません……」
「ああ、班長がよく言ってる、『ユルキファナミア様にリヴィダさんを助けて頂いた』ってやつか……なるほど。つまりは、ラリカちゃん――ミルマルなら、ユーニラミア教徒が高値で買ってくれるだろうってえ寸法だな」
そう言って、衛兵は一人わざとらしい下衆な笑みを浮かべている。
――ただ、本気で言っているわけではないのだろう。その声音には冗談の色が強かった。
「いえ、さすがにそんな外道なことを考えていたわけではないのですが……というか、私の金儲けばかり考えているイメージは止めてほしいです……この前、ノルン屋のブロスさんにも言われたのですよ……?」
「ははっ、この街でラリカちゃんがお金にうるさいのは有名だぞ?」
笑いながら衛兵はラリカ嬢の肩をポンポンと叩いた。それはあたかも、『みんな分かっているさ』とでも言いたげである。
「……確かに、お金に興味がないとは言いません。ただ、私は適正価格で売り買いしているだけです!ひどいです!傷つきます。そりゃあ、ちょっと買った物を必要な人に回して、ちょびっとだけお金を増やす事はありますが!!」
「なあに、みんなラリカちゃんの事を褒めているんだよ。将来良い嫁さんになるってな。あーでも、ラリカちゃんなら大商人の行かず後家なんてことも……」
そう言って、ろくでもない想像をしたらしい衛兵が笑いをこらえるのを見て、ラリカ嬢は憤慨した様子で言い返した。
「……なっ、なんということを言うのですッ! ……しかし……まあ、商人ですかー……私は、どっちかっというと、魔法使いになるのが夢だったのですけどね。まあ、どちらにしてもいつか世界を見て回ってみたいです。――うちは両親の世話があるので無理でしょうけど」
……なぜか、言葉の後半。憎まれ口らしき言葉に紛れ。ラリカ嬢は切なげな表情を浮かべている。その表情を見た衛兵が、一瞬唇を噛み締めたように見えた。しかし、すぐにその表情を笑い含みのものへと変え、ラリカのことをからかうように大げさに肩をすくめて見せる。
「おいおい、そういってやるなよ。班長が泣くぞ」
「泣かせておけば良いんです」
「ひどいなぁ」
「くやしかったら、私より稼いで来れば良いんですよ」
「……ラリカちゃんはいい商人になるよ」
子供らしく『つん』とそっぽを向いて見せながら言い返したラリカ嬢に、衛兵が苦笑を浮かべた。
「あまり褒められてる気がしません」
「褒めてないからな。――しかし、ラリカちゃんが行かず後家……っ」
先ほどの自分の言葉を思い出したのか、堪え切れないように噴出して、がっはっはと大声で笑う衛兵に、ラリカ嬢はむくれた様だ。
「どうしていま吹き出しましたか? そんなことばっかり言ってると、勝手に城門の近くで串焼きしてた事を父にばらしますよ」
言いながら、細い指をぴしりと伸ばし、たき火のほとりにおいていた串を示して脅迫する。
……言われてみれば確かに、周囲には肉を焼いた後のようなおいしそうな香りも漂っていた。どうやら、この衛兵は勤務中にのんびり串焼きとしゃれこんでいたらしい。
「はは、ラリカちゃん、そりゃ班長公認さ」
しかし、衛兵は飛び切りの隠し玉を披露するように、たき火近くのカップを指さしながらにやりと笑った。
「……なるほど。父には一度お灸を据えたほうが良いようですね。――今度酔っぱらって帰ってきた時は、酔い覚ましの水薬をあげない事にします」
すうっと細められたラリカ嬢の赤い瞳が、きらりと光を反射して光った。
「ひでぇ……前にラリカちゃんの水薬を貰えなかった時、班長一日仕事にならなかったんだぞ」
「翌日、二日酔いで仕事にならないほど飲んでくるのが悪いです」
子供らしい、酒=悪というかのような態度は、見ていてどこかほほえましい。深酒をして失敗してしまった経験のある立場からすれば、酒を飲むのは笑って許してやってほしいものだ。
……まったくあの時は、悪友に随分と叱られた。
だが、あの二日酔いのつらさは藁にだってすがりたくなる。良く聞く薬があるなら、きっと頼ってしまうだろう。
そう考えれば、頼りにしている薬を取り上げるという、ラリカ嬢の提案は十分に鬼の所業とも言えるのかもしれない。
「そうだ。うちのカミさんに出来物が出来たんだってさ。つらそうだから、なんか薬を作っちゃもらえねえか」
「良いですよ?」
「なんぼくらいになる?」
「そうですね……どうせ、ムシュトさんのことだから、大したお小遣いは持っていないでしょ?それくらい月額の預託金払いでいいですよ。たき火にも当てて頂きましたし」
「そいつぁ助かるよ……」
明らかな子供に小遣いの心配をされて、ムシュト氏は心底情けなさそうだ。
「それから……」
ムシュト氏の方を見つめながら、言いにくそうにラリカ嬢は一瞬言いよどむように言葉を止める。しかし、ちらりとムシュト氏の様子を窺うと、ため息を混じらせながら言葉を続けた。
「……あんまり『出来物が出来た』とか、他の人に言わない方がいいですよ。お薬渡す時も、怒られないように十分に注意してくださいね」
「あ……」
――どうやら。下手をすれば家の中に雷が落ちかねなかった事に今更気づいたらしい。ムシュト氏は俄かに表情を青ざめたのだった。
「こいつぁやっぱ、ラリカちゃんから買って正解だよ……」
肩を落としながら、弱弱しくムシュト氏はそう答えた。
***
「――さて、それでは、だいぶこの子も温まったようですし、調子を見ていきましょうか」
私の顔をじっと見つめた彼女はそういって、今まで包んでいた外套を解く。
「まったく、お前はどうして森の中に倒れていたのですか? 毛並みもそう悪くはなさそうですが」
そう言いながら、ラリカ嬢は私の前足を指先でつまんだりしている。
細く繊細な指先にぷにぷにと触られると、少しくすぐったく感じる。
「飢えたミルマルなんてあんま聞かねえけどな。ましてや今の時期だ。食えるもんはそれこそ山ほどあるはずだ」
後ろからのぞき込んでいるムシュト氏の言葉に頷きながら、ラリカ嬢は神妙な面持ちで唇を引き結んだ。
「んーこれくらいの大きさの生き物なら、脈拍もこれくらいでしょうからね……」
――なるほど先ほどから妙に手足を握りしめられると思っていたが、脈をはかっていたのか。
……果たして猫の足をつまんで脈など計れるのだろうか?
「お前、一人で立つ事は出来ますか?」
考えていると、ラリカ嬢の手がするりと体の下へと滑り込み、横腹を掴むように持ち上げられた。
持ち上げられるに合わせて、四肢に力を入れる。ぐっと力を入れると立ち上がる事が出来た。
「歩く事は出来ますか?」
ゆっくりゆっくりと体に力を入れて歩いていく。
ふらふらっと体が左右に揺れた。
「……やはり、少し辛そうですね」
「おお……確かに危なっかしいな」
歩こうとする私を止めて、四肢をゆっくり掴んで動かしている。
どうも、詳しく障害が無いかをチェックしているようだ。
「骨折や外傷はないようですね。となると病気か先天的なものでしょうか……?んー、……困りました。とりあえず、しばらく様子見するしかなさそうですね」
『さて困った』という風に指先で眉を擦るラリカ嬢。
――それはそうだろう。
まさか生き物のくせに、自分の体の動かし方が分からないとは夢にも思うまい。
「まったく……こういう時に治癒の魔法を使える方は便利でしょうね」
そういって、ラリカ嬢は、悔しそうな顔をして私を見つめてくる。ルビーのような赤い瞳が、ラリカ嬢の葛藤を示すかのように小刻みに揺れ動き光を反射している。
引き込まれそうなその色に、思わずずっと見つめ返していると――ラリカ嬢は諦めたようにその肩を落とした。
「……お前はしばらく、私のうちで一緒に暮らしますよ」
どうやら、私の住処が決まったらしい。
野良猫として捨て置かれる覚悟をしていたが、どうやらこの少女は私のことを放っておくことができなかったようだ。
「そういえば、魔法で思い出したのですが、この子を拾ったときに、森の中で魔法を展開しようとした人がいたようでした。結局発動はしていませんでしたが、かなり大規模な魔法陣のようだったので……少し気になります」
「魔法陣? なんの魔法陣か分かるか?」
「さあ……さすがに木陰に一瞬見ただけですから……魔法陣の中身までは。……ただ、一瞬しか見えませんでしたが、上級魔法以上の魔法の記述に見えました」
「――っ、上級魔法!?」
慌てた様子で、ムシュト氏が声を荒げる。
森の中で展開されていた魔法陣という言葉に思い当たる事がありすぎる私は、内心冷や汗を掻きながら、気まずい思いで視線をそらした。
――たぶんそれは私が展開したものだろう。
……そういえば、人との関りを得たせいだろうか? いつの間にか。あれほど『消えたい』と思っていたはずの気持ちが、少し和らいでいることに気が付いた。
「……あくまでそのように見えたというだけですが。通常のものよりかなり複雑に見えたので。見た目だけなら『ヨルテさん』並みでしたね」
「……分かった。とりあえず、班長に報告はあげて警備を強化してもらう――しかし、上級魔法かぁ……厄介事ってのは重なるもんだなあ……」
「『重なる』とは? 他にも何かあったんですか?」
頭を抱えるムシュト氏に、何か深刻な色を感じ取ったらしいラリカ嬢が真剣な顔で問いかける。
「見間違いだとは思うが、森の中でミギュルスを見たって報告があってな。ラリカちゃんも十分気をつけな」
「ミギュルスですか!? それが本当なら大事ですね。ミギュルスクラスの魔獣は、小さな町なら簡単に壊滅させると言いますから……」
ラリカ嬢は、恐怖からか手に持った赤い石の埋まった杖をぎゅっと握りしめている。
今、――『魔獣』といっただろうか。
一体、ミギュルスとはどういった生物なのか?
確かに、魔法が存在する世界なのだ。
魔物や魔獣などと呼ばれる存在が居てもおかしくはないが、どんなものか分からないというのは、まるで薄氷の上を歩まされているような気がしてやはり空恐ろしいものがある。
「やっぱり、そんなに厄介なのか……アテネア級の魔獣なんて、ここ百年、このあたりには現れてないから、十中八九なにかの間違いだとは思うが……ただ、ミギュルスなら上級魔法を展開してもおかしくねえのかなって思ってな」
ムシュト氏も、杖をぎゅっと握りしめたラリカの手元を見つめていた。
「たぶん、魔法陣とミギュルスは関係ないと思いますよ」
「――そいつはどうしてだ?」
「簡単な事です。アテネア級の魔獣は、確かに魔力を持っていて、『町一つを滅ぼす』といわれていています。……ただ、魔法を使うことはないんです。正確に言うと、『術式を使って』の魔法は使いません」
「なるほど。『術式は神が人に与えたもうた恩恵』ってやつか」
顎鬚をなでながら、訳知り顔のムシュト氏がうんうんと頷く。そんなムシュト氏の言葉に、年上に説明できることが楽しいのか、心なしか表情を輝かせたラリカが得意げに説明を続けた。
「まあ、術式が神の与えたもうたものかどうかは、現在では議論されているところではありますが……少なくとも、術式を利用するのは、人間と魔族だけです。魔獣たちは第一世代術式より、さらに原始的で非効率な魔法を使用しているはずです。元々、何らかの形であり得ない奇跡を起こす『魔法』は、かつて神々が使っていた技術ですから。魔獣はそれに近い形での魔法を使います。語り継がれているミギュルスの特徴は、鎧のように恐ろしく固い毛皮を持っていて、その突進は城壁を砕いたと言われています。また、一部では針のような魔力の塊を飛ばして攻撃したとも言われています。投石機で大岩を当てても傷一つつかなかったなんて逸話もありますから、まず通常の武器では傷つけることも出来ないでしょうね」
「おお……そいつは怖い怖い……」
立て板に水のごとく解説しながらも、真剣な態度で説明するラリカ嬢に、ムシュト氏は空気を和らげる為だろうか。おどけた様子で返答する。
「ま、どうせ、ミギュルスについては、大方、ティギュリス辺りの大型の獣にやられた冒険者が大げさに言ってるだけだろうがなっ!」
ムシュト氏のおどけた態度に、ラリカ嬢は一瞬目を見開き、すぐに『仕方がない』とでもいうように自身もおどけた口調で応えた。
「ですね。なんにせよ、一応気をつけときます。――私みたいなか弱い女の子は、たとえティギュリスでも襲われたら一瞬でやられちゃいます」
「ははは。そうだな。『か弱い女の子』なら危険だな。なんだったらうちの若い奴、森に入るとは付けてやろうか?」
「……なんだか、悪意を感じる言い回しですね。まあ、お気持ちだけで結構です。若い男性なんかと森に入ったら、そっちの方が危険な気がしますから。きっちり自分達のお仕事をなさってください。――第一どうせアリンさんでしょう?」
「おう! もちろんアリンだ。ははっ!『どうせ』とか言ってるとアリンの奴、また落ち込むぞ。あれでも同期じゃ一番の出世頭らしいぞ?」
「アリンさんは能力はおいておいて、もう少しメンタルを鍛えた方が良いと思います」
そういって目を細めながら、ラリカ嬢は私を外套に包みなおすと、話を打ち切るように立ち上がる。
「……いや、ラリカちゃんだからこそ、余計落ち込むんだぞ? ……まあ、アリンが精神的に弱っちょろいのは否定しないがな」
「……? とりあえず、火、ありがとうございました。あとは家に帰ってじっくり休む事にします」
小さく小首を傾げながらラリカ嬢はそう返した。
……その表情を見るに、ムシュト氏の言う意味が全く分かっていないようだ。
――どうやら、アリン氏というのはラリカ嬢に特別な感情でも抱いているらしい。
しかし、ラリカ嬢の様子を見るに、そのアリン氏の前途はどうやら多難そうだ。
「いざって時は頼りにしてるぞ。ラリカ=ヴェニ……」
立ち去るラリカ嬢の後ろ、遠い目をしながら。ムシュト氏は消え入りそうな声で小さくつぶやいた。
――おそらく独り言なのだろう。
ラリカ嬢の耳にも届かなかったらしく、ラリカ嬢はその言葉を気にした様子もなく歩き始める。
……だが、それは。
どこか悲痛な期待が籠ったような。耳に残る言葉だった。