第七話「首が離れる感じですか?」
翌朝、私たちは朝も早くからそろって研究室に籠もっていた。
リクリスがかつて書き写したという蔵書を拝見させてもらおうという魂胆だ。
研究室からであれば、書籍を自由に閲覧することが可能である。
「えと……」
リクリスが、たどたどしい様子で壁のパネルを操作しながら、何かを打ち込んでいる。
出会ったときより、格段に黒く艶を増した髪が室内灯を反射して、揺れている。
「あ、あれ……?」
当惑した様子でリクリスが手元を何度も覗き込んでは首を傾げはじめた。
「どうしたのですか?」
ラリカが、リクリスの手元を覗き込みながら問いかける。
私も、ラリカの肩の上からリクリスの手元をのぞき込むが、やはりそこに表示されている文字は私には判別ができない。
「あ、あの、『神炎』で検索してみたんですけど、全然出てこないんです……」
「……ほんとうですね。『該当書籍無し』ですか・・・・・・」
「……ごめんなさい」
「どうして、リクリスが謝るのですか。貴女に落ち度は無いのです。気にする必要なんてありませんよ」
私たちをぬか喜びさせてしまったことに、罰の悪さを感じたようにリクリスが謝罪する。
ラリカは、そんなリクリスを笑い飛ばすと、リクリスの頭を優しく撫でた。
「リクリス。元々見つかればめっけものという程度の話。あまりそう気に病むな」
「くろみゃーの言うとおりです。そうですね……もしかしたら、どこかからの依頼を受けて写本を依頼したのが登録されていないだけかもしれません」
ラリカが元気づけるように言葉を続ける。
あくまで、リクリスが記憶違いをしているとは考えていないようだ。
「――あ、そ、そうえいば、フィックさんなら何か知ってるかもしれないですっ!」
はっとしたようにリクリスが、伏せ気味になっていた顔を上げると、代わりにとでもいうようにそんな事を言い出した。
困ったように紅潮した頬をこちらに近づけるように身を乗り出しながら、両手を胸の前で握り締めている。
どうやら、要らぬ責任を感じているようだ。
まあ、確かに自分の発言で手間を掛けさせてしまったときに、責任を感じ藁にもすがる気持ちで提案することはよくあるものだ。
きっと、リクリスは今そんな心持ちなのではないだろうか?
「フィック=リスですか?」
「はいっ! あの、フィックさん、昔の魔法について、とっても詳しいんですっ! だから、その、ひょっとしたら何か知ってるかもって!」
「……なるほど。確かにフィック=リスは元々『先技研』の出身だといっていましたね」
「え!? 戦技研ですか!?」
『ああ、そんなこと言っていたな』などと考えていると、うわずったリクリスの声が響き渡った。 どうやら、リクリスの提案は、一定の説得力を持つ内容だったらしい。
ラリカが、リクリスの言葉に納得したようにフィックの出自を語ると、リクリスはなにやら驚いたように震えている。
「ああ、あのときリクリスは居ませんでしたね。初めて挨拶したときに先技研に所属していたと教えてくれたのですよ。神威対系列の部署だったそうですよ」
「――ッ。し、神威対……そんなに偉い方だったんですね……どうしよう……普通に話しちゃった……」
そうえいば、あのときリクリスは居なかったのだったな……と、数日前の事を思い返していると、リクリスは何かを畏れるように、肩をびくりとふるわせた後、涙目になりながら途方に暮れている。
『神威対』というのは、そんな言葉を交わすのも憚られるようなお偉い部署なのか?
……どうも、無駄にど派手なテンションで言葉の雨を振りまく金髪の少女と『偉い人』というの言葉のイメージが重ならないのだが。
「まあ、あまり細かなことにこだわる方のようには見えませんし、気にする必要はありませんよ」
「はい……」
「しかし、そうですね。なにせ高名な神威対なのですから、フィック=リスのお知恵を借りるというのは存外良い案かもしれませんね。あくまで私が神炎を使えるということは伝えずに、こっそり質問してみましょう」
「はいっ! フィックさん、あまりお部屋に帰らず、いつも研究室に泊まり込んでるらしいんですっ! だから、きっと、研究室にいらっしゃると思います! ここからすぐ近くですっ」
どうやら、ここのところ図書館の仕事を手伝っていることで事情に詳しくなったらしいリクリスが、自信を持って気力たっぷりにそう告げる。
汚名という訳ではないが、気まずい空気を漱ぎ去り、ラリカに良いところの一つでも見せたいのだろう。
「そうですね。善は急げといいます。行ってみましょうか」
リクリスの様子をほほえましそうに見つめたラリカが、優しい笑顔を浮かべると右手を大きく振り上げた。
***
「――『神炎』っすか……いーや、まーた随分マニアックな魔法をご存じですねー。一体どこで聞いたんですかー?」
リクリスの言葉通り、フィックの研究室を訪れると、なにか書き物をしていたらしいフィックがひょこりと顔をだした。
案内されるままフィックの研究室に足を踏み入れると、意外といってはなんだが、とても綺麗に整頓された部屋だった。
壁に備え付けられた本棚に、大量に詰めこまれた書籍の数々も、きちんと高さがそろえられているあたり、意外にも几帳面な一面もあるようだ。
内心、フィックに対しての評価を、ほんの少しだけ上方修正した。
じっと本棚に置かれた本を眺めていると、気になることがあった。
本棚には、随分と年季の入った本が多いのだが、それらの本に書かれている文字が、この世界に来てから何度も見てきた文字とも少々、趣が違うように見えるのだ。
――あとで、ラリカに聞いてみよう。そう思いながら、フィックの話に耳を傾けた。
「ご存じなのですか!?」
「まあ、ちょーっとだけ知っているだけですけどねー。昔、知り合いから寝物語に聞かせてもらった程度なのでー、残念ながらそんなにそんなに詳しくはーというお話ですよー? なので、ヴェニシエスの役にはあんまり立たないんじゃないかなーって思いますよー?」
フィックの反応に、手応えを感じて勢い込んで尋ねるラリカに、フィックが微苦笑を浮かべた。
眉根を寄せながら返す姿は、いつも通りのお気楽そうな中にも、どこか困ったような陰を感じさせる。
「構いませんッ! 実は、リクリスが昔この図書館からの依頼で書き写したという本も探してみたのですが、見つからず、全く手がかりが無い状況だったのですよ。少しでも知っているのなら教えて欲しいのです」
「――リクリスちゃんが書き写した本?」
ラリカが言った言葉に、フィックがぴくりと眉を動かすと、興味深そうにリクリスに視線を向けた。
「――あの、実は、何年か前に、神炎について載ってる本を書き写したことがあるんですっ! 昔の国のお姫様が、いろんな伝承を纏めた本で……」
「あー……あれ、かぁー……こりゃーまいったなぁ」
リクリスの説明に、なにかに思い当たるものがあったのだろう。
フィックが顔を背け、何も無い壁に向かって視線を逸らし、頭を掻いている。
「知ってるんですか?」
「あー知ってるというかぁー……そっかーあの本を書き写したのがリクリスちゃんだったかぁ……しまったなぁ……」
リクリスを見つめながら話す言葉の後半は、ミルマルだからこそ聞き取れたような小さなつぶやきで、苦々しげな声だった。
一体何を渋っているのか、なにやらよほどの問題があるのかフィックの反応はあまりよろしくない。
「あの本は、ちょーっと事情があって、今はここには無いんですよー。そりゃー、本を片手に説明できたら良かったんですけどーあの本はちょーっと曰く付きでー」
「……曰く付きとは?」
「あ、や、いや、たいした話じゃ無いんで置いちゃってください。とにかく、あの本は今お見せできないんですよっ!」
『口が滑った』とでもいうように、慌ててごまかしながらフィックが両手を振っている。
……端的に言って、非常に怪しい。不審というしかない反応だ。
「そうですか。――深くは聞かないでおきます。 とにかく、神炎についてご存じなら教えていただきたいのですよ!」
フィックの様子を不思議そうに見つめながら、なにか触れてはいけないことだろうと気を遣ったらしいラリカが、神炎についての情報だけでもと問いかける。
「……はぁ。分かりました。でも、ほんとーに大した内容は知りませんよ? それから、一つだけ、おねーさんに約束してください」
気を遣いつつも、ぐいぐいと押しの強い様子で聞いてくるラリカに、観念したように、不承不承フィックが自分の知識を開陳する事を承知した。
ただ、どうも条件があるようだ。真剣な表情で、ラリカを見つめながら言葉を発する。
「なんですか?」
「神炎に関するお話はこれっきり。あまりいろんな人に聞いて回らないようにして欲しいんだ? ちゃーんと、その理由、説明するから」
フィックは至って真面目な様子だ。
口調も、年下に言い聞かせる年長者の雰囲気を漂わせている。
赤い色をした瞳が、揺らぐこと無く真っ正面からラリカとリクリスに向けられていた。
「……分かりました」
「はい」
『聞いて回ってくれるな』そう告げるフィックの言葉に、尋常ではないものを感じたラリカとリクリスが、それぞれがゴクリと生唾を飲み込みながらフィックの言葉を受け入れる。
***
「『神炎』っていうのは、カミ様が使った魔法なんです。カミ様が、戦うために作った魔法。たった一柱のカミ様だけが使った魔法なんだ。ユルキファナミア様の時代には、もう失われていた魔法。本当にカミ様だけの時代に使われたんだ」
真面目な。しかし、どこか投げやりな様子でフィックが語り出す。
『神が使った魔法』――そうだ。雪華から得た知識にも、確かにその通り記録されていた。
だから、私のかわいいご主人が、普通の魔法を使えないとなったとき、この魔法なら使えるのでは無いかと思ったのだ。
外から魔力を集める特異体質。魔法を使えなくては死に至ってしまう体質。
そんなご主人が普通の魔法を使える手がかりが見つかると良いのだが……
「その魔法は、あらゆる物を消し去ってしまったんだよ。魔物も、自然も、人も。――それから、カミ様も」
重々しげにフィックが付け足した言葉に、室内の空気がすっと冷えて重くなったように感じた。
細められたフィックの瞳が、悲しげな色をたたえて揺れている。
「神炎を使ったカミ様は、悲しい話だけど、他のカミ様と戦うためにこの魔法を使ったんだ。誰かを救う魔法じゃ無くて、誰かを殺す魔法。そして、カミ様だって殺せちゃう魔法。それが神炎。だから、神炎を使ったカミ様は、他のカミ様によってたかっていじめられて、最後は居なくなっちゃった。――だから、この魔法のお話は、ほんとはあんまりしちゃいけないんだ。どこでカミ様が聞いているか分からないから……」
端的に短く概要を語ったフィックは、最後に警告するように殊更声を潜めると、他言無用という風にラリカの唇に人差し指を当てた。
「……そ、そんな話……聞いたことがありませんよ? ――ひょっとして、そのカミ様というのは、ユルキファナミアが戦ったという邪神ですか?」
唇に指を当てられ、戸惑った様子でラリカが自分の知識と照らし合わせてフィックに確認した。
「いやーそこまでは私も知りませんよー」
だが、その確認に答えるフィックは、いつも通りのいい加減な様子だ。
ひらひらと、年嵩の女性のように手先を振りながら、片手を口元に当てて笑っている。
「でも……たぶんですけどー邪神じゃ無いんじゃないですかぁー?」
「そうなのですか? 神が争った話など、他に聞いたことがありませんが……」
「いやーだってほらーカミ様だってー、きっと普通の人間とおんなじで、怒ったりワガママだったりで、争うことだってあるんじゃないですかー? だって、昔のカミ様のお話だって、よくよく聞いてみたら、結構適当で、『人のことなんてしーらない』って言ってそうですしー?」
「……貴女の発言の方が、よっぽど他の人に聞かれたら首が飛びますよ」
「あははーラリカ=ヴェニシエスはそんな事しませんよーねー?」
「……」
けらけらと笑いながら話すフィックに、ラリカは押し黙っている。
顎に手を当てて、どうやら、熟考しているようだ。
「……え? あの、ヴェニシエス……? しません……よね?」
「……」
返事が無いことに、フィックがそわそわと慌てだした。
ラリカの顔色をうかがうように不安気にのぞき込んでいる。
語尾も、どこか自信がなさそうだ。
「あ、あの、ラリカ=ヴェニシエス……?、ラリカ、さん……? え、本気ですか? 本気で私訴えられます? く、首が離れる感じですか? や、やだなー、ヴェニシエス。軽口ですよ? 軽口。ほんとに思ってるわけじゃ無くて――」
「――どうして、その神の魔法だけ、名前がついているのでしょう?」
じわじわと焦りを示すように口数が増えていくフィックを横目に見ていると、ラリカが唐突に疑問を口にした。
どうやら、先ほどから思索にふけっていたらしいのは、話の内容を吟味していたらしい。
フィックの様子は目に入っていなかったようだ。
「……え?」
言い訳をを口にしていたフィックは、ラリカの質問が理解できなかったようだ。
呆けたように口を開け、ラリカに向かって言い訳するように謎の体勢を取ったまま固まっている。
「普通、神様が魔法を使っても『奇跡』とか『魔法』としか呼ばれませんよね? なぜ、『神炎』は『神炎』と呼ばれているのでしょうか?」
「あー、そういうことかぁっ! それなら、カミ様は術式魔法が――」
言いかけたフィックが、はっとした表情で固まった。
どうしたのだろうか?
「あ、やー……なんででしょうねー? ほらーやっぱり、カミ様と喧嘩したカミ様の魔法だからじゃないっすかー?」
言葉を途切れさせたフィックは言い直した。
なにかをごまかそうとしたような不自然さを感じる。一体何を言いかけたのだろう?
「――フィック=リス、今何か言いかけませんでしたか?」
「いやー、全然大した話じゃ無くて、ひょっとして他のカミ様ってば『奇跡』を起こしたけど『魔法』は使ってなかったんじゃないかなーって」
「神様が魔法を使っていない?」
「いや、ほらーカミ様が何かするときって、色々思い通りに物事を進めるお話が多いじゃないですかー? だから、ひょっとしてカミ様が使う力は、ひょっとして、私たちが使う魔法みたいに、特定の何かを起こすものじゃなかったんじゃないかーなんて思っちゃったりなんかして……」
「なるほど……魔法が神の奇跡の模倣という説を拡大したのですね。確かに、神が使う力は、魔法とは言いづらいところがありますね」
「でしょー? ラリカ=ヴェニシエスもそう思われますー?」
「……そうなると、私が魔法を使えないのは……」
フィックがきゃぴきゃぴとした猫なで声で、すり寄って来るのは無視しながら、ラリカは再び思索の海へと潜っていったようだ。
――そう、神様が魔法を使えず、神炎だけが使うことができたとしたら、やはり神というのはラリカと似通った体質の者を指していて……
ミギュルスとの戦いに当たって、仮説でしかなかった推測が、少しずつ少しずつ形を成していくように感じた。
そして、それは同時に、良きにせよ悪しきにせよ、ラリカという少女の前途が多難であることを暗示しているように感じ、私はじっとラリカの横顔を見つめるのだった。







