第六話「術式研究会」
――歓迎会は恙なく終了した。
食事も、大変――そう、大変不本意な形ではあるが、無事に摂ることが出来た。
しかし、さすがに教会で行う宴なだけあって、やはり皆自制を心がけているらしい。
リベスの酒盛り騒ぎの時のように皆が皆酔いつぶれるということもなかった。
途中から、随分と騒ぎにはなっていたが、一応節度を持った騒ぎ方をしていたようだ。
元からヴェニシエスとして皆から一目置かれていたラリカは、今日一日で絶大な人気を獲得するに至ったようだ。
先ほどからすれ違う者が皆ラリカにお礼を言って去っていく。
しかも、とびっきりの笑顔を浮かべてだ。
『ヴェニシエス』として教会の人間が接している間は、どこか距離を感じて、ある意味畏れていたようだったが、今日の宴を超えて、少し壁がなくなったのだろうか。
まあ、それというのも、ラリカが皆と距離を縮めようと悪戦苦闘した結果のようだから、苦労が報われたようで素直に喜ばしいことだ。
――何があったのか知らないが、私がフィックに憮然とした表情で餌付けされている間に、腕相撲大会が始まっていて、獰猛な笑みを浮かべたラリカが、筋骨隆々というにふさわしい大男を投げ飛ばしていたときは目を疑った。
やんややんやと盛り上がる観衆の中、小さくガッツポーズを浮かべるラリカは、ここ数日の鬱屈とした気持ちを忘れ、晴れ晴れとした様子でとても楽しそうだった。
ラリカの笑顔に当てられたのか、投げ飛ばされた相手も、なぜか嬉しそうだったのが印象的だ。
とにかく、これで少しでも教会内で過ごしやすくなりそうなのは何よりだ。
王都に来た当日、皆の儀礼的な様子に疲れ果てたラリカを思い出し、一人私は満足げにフィックの手の中心中笑みを浮かべたのだった。
***
今は、自室に戻ってリクリスとラリカ、それから私の三人は、のんびり冷水を飲みながら寛いでいるところだ。
「ラリカさんっ! 料理、すごくっ、すっごくおいしかったですっ! お料理もとっても上手なんですね!」
「……ありがとうございます。まあ、私の料理はお店で出すような上等な物ではありませんが、気に入ってもらえたなら良かったです。くろみゃーもちゃんとご飯食べましたか?」
「ああ。ありがたく頂かせてもらった。美味しかったぞ。味付けが絶妙だった」
興奮しながら両手を振り上げて力説するリクリスに、少し照れくさそうに遅れて反応したラリカは、緩んだ顔をリクリスに見られないように私の瞳を覗き込んだ。
にまにまと口元が嬉しげにゆがんでいる。
「それは良かったですね。途中からフィック=リスがお前を離してくれなかったので、ちゃんとご飯が食べられたか心配していたのですよ」
「……その心配をしてくれるのなら、もう少し早くに回収して欲しかったのだが」
おかげで、妙ににやにやとした表情のフィックから、手渡しされながら餌付けされている気分を味わう羽目になったではないか。
なにかと話しかけながら、毛並みが乱れるのも気にせず、無遠慮に撫で回されながらの食事では、せっかくのラリカの手料理が十分に味わえなかったでは無いか。
いや、ラリカの料理は確かに美味しかったのだが、落ち着いて食べればもっと楽しめたのではないかと思うと、とても残念だ。
ラリカをジト目で見つめると、やぶ蛇だったと気づいたのだろう慌てたように目線をそらした。
「ま、まあ、ちょっと私の方も立て込んでいまして……」
「そうですっ! ラリカさん、力比べ、凄かったですねっ! 力自慢のアリさんの体がふわぁって浮き上がった時は、びっくりしましたっ!」
もごもごと口中に歯切れ悪く言い訳するラリカに、『立て込んでいた内容』とやらを思い返したらしいリクリスが、ふわぁっとアリ氏が浮き上がった様子をジェスチャーで示しながら、ラリカを褒め称える。
本当に、このご主人は何をしているのか……というか、どこにそんな馬鹿力を秘めているのか?
ほっそりとした腕にはそんな力があるようにはとても見えないのだが……
「昔から、運動神経は良い方なのですよ。『力も結構強いのですよ?』と言ったとき、みなさんが、笑うのでつい熱くなってしまいました……」
ラリカは、一番リクリスに顔を見られない位置取りを考えたのか、自然な動作でリクリスの後ろに回り込むと、リクリスの頭を抱きしめるようによしよしと撫でている。
突然の接触に驚いたのか、リクリスは興奮していた表情を蕩けさせると、両手を自分の腿の辺りで組み合わせて、もじもじと指先を動かしている。
「――と、ともかくっ! 今日の用事はすべて終わったわけですから……二人とも、分かっていますねッ!?」
ラリカが、話題を変えるようにビシッと私に指を突きつけてくる。
「――何のことだ?」
言葉の意味が分からず、聞き返すと、なぜか得意げにラリカは突きつけた指を持ち上げ、『わかってないなあ』という風にくるくると回した。
「――研究です。――魔方陣の研究です。――楽しい楽しい研究と検討、議論の時間ですッ!なんだかんだと延び延びになっていたではありませんか! さあ! リクリスッ! 検討です! 早く積層型魔方陣を開発してしまいましょう――ッ!」
ラリカは、いつになく生き生きとした様子で身を乗り出してきた。
どうやら、色々なアクシデントがあったとはいえ、ずっとお預けをされていた状況にストレスを感じていたらしい。
……変なところでテンションの上がってしまうところがなければ良い主人なのだが……
ただ、この間までまったく魔法が使えなかったことを考えると仕方が無いのかもしれないが……
「ラリカさん、良いんですかっ!? って、わ、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいっ!」
あ、リクリスも同類だったらしい。
ラリカの言葉に普段はあげない大きな声を上げると、勢いよく椅子から立ち上がった。
ゴチンっと痛そうな音を立てて、後頭部をラリカの顎にぶつけたリクリスが頭を押さえながら必死で謝っている。
「――勿論です! 頑張って問題点を解決していきますよッ! 実はすでに、この間見せてもらった魔方陣に手を加えた物を用意してあります――ッ!」
ラリカは、頭をぶつけられた事など、それどころではないと気にして居ない様子だ。
――けっこう、重い音がしていたが、大丈夫なのか……?
ともかく、ラリカは表情を一切曇らせることなく、どこからともなく紙束を取り出した。
びっしりと、魔方陣とそれに対する注釈らしきものが紙片に書き込まれている。
――一体いつの間に用意したッ!?
「ええっ!? もう、ですか!?」
「ええッ!! もう、用意しちゃったのですよ」
きゃあきゃあとファッション誌に黄色い声を上げる思春期女子のような二人に、私は一人寂しい気分になっていた。
花より団子とも言うが、お願いだから、年頃の娘として、もう少し、色気のある話題で盛り上がってくれ……
***
「――それでですね。結局のところここで範囲の受けの指定ができていないのです」
「ああっ! え? でも一応アルゴで受けの指定はしてますよ?」
「ええ。確かにアルゴ指定は入っているのですが、おそらくアルゴで指定できるのが平面方向だけなのです」
「なるほど……でもそうなると、ほかにどうやって受けの指定をしたら良いんでしょう……?」
「そうですね……考えられるのが、イル、エズ、ラエス、ファスを元にこんな感じですね」
白熱した様子で二人の少女の声が頭上を飛び交っていく。
その間にもラリカの手はちょうど私の目線の辺りにある紙の上に、フリーハンドでガリガリと複雑な文様を描き出していく。
「それで、ここで参考にしたのが、この間の図書館で見た陣なのですが……」
「あ! あの時はラエスで受けてました! と言うことは――」
ラリカが口走った言葉にかぶせるように、身を乗り出したリクリスが、度々テーブルの上に落ちる髪を耳にかけなおしながら、ラリカの手元で描かれた図を指でたどっていく。
エメラルドグリーンの瞳が、部屋の灯りを受けて、きらきらと輝きを上げている。
心なしか、表情が明るくなったからか、顔まで白く光っているように見えた。
ラリカも、リクリスに呼応するように前傾姿勢になっていくせいで、気がつくと、だんだんラリカの胸のあたりと机に挟まれてそうになってきた。
「ただ、あの術式もベースはあくまで平面で、力業で分岐させていましたから、実際は新しい描き方を作らないといけないと思います」
「……作陣するんですか?」
「そうなりますね」
ラリカが事も無げにいった言葉に、それまでぽんぽんと景気の良さそうに話していたリクリスは、紙片をなぞる手を止め、椅子に深く腰掛け、文字通り頭を抱えこんだ。
なにかトラブルだろうか?
正直馴染みのない用語ばかりで、私には何が引っかかっているのかすら分からない。
「――なにか、問題でもあったのか?」
「あ、あの……作陣するってことは、あと何年もかかるってことですよね……ああ、でも……ラリカさんにその間色々教えてもらえるっていうのは嬉しいです、けど……」
焦点の合わないリクリスが、時々頬を染めながらか細い声でぶつぶつとなにやら述べている。
真上にいるラリカを見上げると、なるほど。何か策でもあるらしい。
隠し球があるような悪戯を企んだ顔をしている。
「ふっふっふ……リクリス、お悩みのようですね?」
ラリカが、わざとらしく不敵な笑みを浮かべた。
「確かに、作陣は膨大な手間がかかる仕事です。――ですがッ! 今回はそんな手間を省く素敵なアイテムを紹介しましょう!」
もったいぶったラリカが、深夜にテレビで流れている怪しげな通販番組のような調子で語り出した。
――いやな予感がする!?
背筋の毛が逆立つのを感じながら、慌てて椅子から飛び降りようとしたところを、ラリカにがしっと捕まえられた。
先ほどフィックに手渡されたときのように、両前足の下に手を入れられ、持ち上げられる。
だらーんと下半身としっぽが重力に引かれて垂れ下がった。これは――
「素敵アイテム、『くろみゃー』ですッ!」
「くろみゃー……さん?」
「私はアイテムなどではないぞッ!?」
口々に、ラリカへの疑問と不満を口にする私たちに、ラリカが秘密を打ち明けるように語り出した。
「前に、くろみゃーが魔法を使えるというお話はしたでしょう? 実は、くろみゃーは術式を視覚として捕らえることができるのですよ――ッ!」
「ああ、そういえばそんな……って、『魔方陣』じゃなくて『術式』が見えるんですかっ!?」
「……前に言った通りだ」
「てっきり、私くろみゃーさんの言い間違いだとばっかり……」
「そう、そんな素敵ア――素敵に便利なくろみゃーさんなのですよ」
――私の言い分は無視されるようだ。
ちゃんとアイテムと言わないように気を遣ってくれたようだが、私が言いたかったのはそういうことではない。
「でも、術式が見えるってことは……」
「そうです! 少しずつ魔方陣の描き方を変えながら、くろみゃーに術式の変化を見てもらえば良いのですよ!」
ラリカが私のことを高い高いするように何度も上下に振り回した。
しかし、まあ――術式の変化を確認していけばよいのか。
それでラリカ達の役に立つのならば引き受けよう。
私自身、魔方陣と術式の変化という物には興味があるからな。
手伝うにやぶさかでは無い。
だからラリカ――気持ち悪くなりそうなので、勢いよくシェイクするのはやめてもらえないだろうか――ッ!
***
しばらくラリカに振り回され、その後手渡されたリクリスにも振り回され続けた結果、案の定と言うべきか、私はぐるぐると横向きに重力がかかったように回転する世界にいた。
「も、申し訳ないです……」
「ごめんなさい……」
「……反省、して、いるのなら、良い……だが、今日は、無理だ……」
目の前で、心から反省している様子の二人を鷹揚に許しながら、息も絶え絶えに私は本日の協力を断らせてもらう。
――実を言うと、確かに調子は多少悪いが、魔法の確認ができないほどではない。
正直言って、半分くらいは演技だ。
もうすでに深夜と言って良い時間にさしかかっている。
このままでは、二人の睡眠時間がまた減ってしまうため、これ幸いと今日のお勉強の時間は切り上げさせてもらうことにしたのだ。
「そうですね……今後の方針も決まったことですし、今日のところはこれくらいにしておきましょう……」
「そうですね……ごめんなさい」
二人とも、罰の悪そうに遠慮がちに頷き合っている。
よし。予定通り。今日はのんびり皆で休もうか。
***
「くろみゃー、加減はどうですか?」
先に寝室でベッドに寝かされていると、入浴を済ませたらしいラリカとリクリスがやってきた。
二人ともほかほかと暖かそうに頬を上気させている。
「ああ。少し休ませてもらったからな。ずいぶん楽になった」
「そうですか。それは良かったです」
「あのっ、ほんとにごめんなさい!」
リクリスが、再び深々と頭を下げて謝っている。
本当はたいしたことはないのだから、あまり気遣いは必要ないのだが……
「なに、気にすることはない。ラリカと居るとよくあることだからな……」
「なっ――!」
私が遠い目をして、さも疲れたようにリクリスに告げると、ラリカが心外だとでもいうように声を漏らした。
いや、その点については事実だろう。初めて私が言葉を発した時、死にかけたことは忘れていない。
「そ、それを言うのなら、くろみゃー、お前もでしょう!? 私が初めて自分の力で魔法を使った後に、さんざん爪を――」
「ラリカさんの初めて使った魔法ですかっ!? ――あれ? でも確かラリカさん魔法を使えないって……?」
ラリカの『初めての魔法』という言葉に反応したリクリスが、勢い込んで尋ね、不思議そうな顔をした。
「――ええ。確かに私は魔法を使えないのですが、実は一つだけ使える魔法があることが最近分かったのですよ……」
一瞬、しまったという顔をした後、今更誤魔化すことはできないと思ったのか、ラリカは言葉を続けた。
「ひょっとして、聞いたらいけないお話でしたかっ!? ごめんなさいっ!」
ラリカの態度に察するところがあったのか、リクリスがはっとした表情を浮かべて謝った。
ラリカは、優しく首を振ると、何気ない様子でリクリスに問いかけた。
「いえ――『神炎』という魔法なのだそうですが、リクリスは知っていますか?」
おそらく、雰囲気を悪くしたくなかったのだろう。
誰も詳細を知らない『神炎』という魔法について、『よく分からなかったから言い出せなかったのだ』とでもいう風に、リクリスを頼る体でお茶を濁すつもりのようだ。
「『神炎』……ですか?」
案の定、リクリスは難しい顔をして考え込んでしまった。
頭を振って転がり落ちてくる知識がないか、隅から隅まで探るように左右に頭を振っている。
わさわさと水気を含んだ髪の毛が左右に揺れている。
「ああ、そんな悩まなくても良いのですよ……実は、諸事情あってこの魔法を使えるようになったのは良かったのですが、詳細を誰も知らないのですよ……」
もともと、何かを聞き出すつもりなど無かったラリカは、苦笑を浮かべると、思考の袋小路に迷い込みそうなリクリスに助け船を出す。
「……。あの、ラリカさんっ!」
考え込んでいたリクリスが、意を決したようにラリカ向かって話しかけた。
「どうしました?」
「あの、あの、それって、すっごい威力で、何もかも消し去ってしまうような魔法ですか……?」
おずおずと、『間違っていたらごめんなさい』とでも言うように、自信なさそうに、しかし懸命にリクリスが質問した。
「――ッ! そうですが……」
「なにか知っているのかッ!?」
期待などまったくしていなかったところに来た思わぬ反応に、自分の声が大きくなるのを感じた。
「はい……あ、でも全然詳しいことは知らないですけど……」
「「少しでもなにか知っているのなら教えてください(欲しい)!」」
リクリスの返答に、私と顔を見合わせた後、ラリカは声をかぶらせるのだった。
***
「あの、その、さっきも言ったとおり、全然詳しくないんですけどっ、昔写した本の中に、『神炎』っていう魔法が出てきたんです」
私たち二人の慌てる姿に、頑張って知っていることを伝えようとリクリスが話し出した。
「昔々のお姫様が、各地のお話をまとめたという体の小説でした。その中で、西方の賢者が語るお話の中に、かつて『神炎』という魔法が使われていたって書いていました。その魔法の威力は、あらゆる物を消滅させるほどだったと描かれてて――たしか、そのお姫様は、まだユルキファナミア様が人であられた頃の方ということになっていましたけど、それよりもさらにずっと昔、神様達の時代の出来事だって……『神炎』の魔法を使って、神様と戦った人が居たお話を聞く場面でした」
「なるほど。かなり古い魔法であることは間違いなさそうですね」
「あくまでお話では、ですけど……私が写したのは、写本の写本のそのまた写本くらいだとおもうので、かなりお話も変わってるかもしれません」
「いいえ。全く手がかりがない状態から考えると、立派な進歩です。ありがとうございますよ!リクリスッ!」
「――ぅぅ。そんな、私なんて、ただ知ってたことをお伝えしただけですっ!」
ラリカに再び抱きしめられて、どきどきとした表情を浮かべたリクリスが、頭を左右に振ることさえ出来ずに固まっている。
「謙遜することはありません。きちんとリクリスが本の内容を覚えてくれていたからですよ。ですが、そんな本があるのなら、是非とも読んで見たい物ですね……」
ラリカがそう言って、まだ見ぬ手がかりに思いを馳せているように視線を揺らした。
「――あの、ラリカさんっ!」
未だラリカの腕の中にいるリクリスが、慌てたように頭を上に向け、ラリカを見つめて声を上げた。
「その本、確か貸出し元がユルキファナミア教会、図書館でした!」
そうして、リクリスは、いつもの舌っ足らずの口調で、とても重大な情報をもたらしたのだった。