第五話「プニエとふにふに」
――心配無用。
私たちの食事はきちんと取り置きされていた。
ラリカが教会の者らしき人物達の誘導に従って、会場の前方に置かれたテーブルにつくと、料理が運ばれてきた。
私にも専用の椅子が割り当てられたのだが、ラリカが周囲の人間に何事かいうと、椅子は引き上げられた。
撤収された椅子を見つめていると、ラリカにひょいと抱え上げられ、膝の上に乗せられる。
――まあ、こっちの方が良いか。
ちょいちょいと優しく指先で首の辺りをくすぐってくる腕に、尻尾を絡めながら一人納得するのだった。
視線をテーブルの上に戻すと、ラリカが作ったらしい料理も上品に小分けにされて運ばれてきていた。
ふむ。どうやら、こちらは『お偉いさん用』ということなのだろう。
カトラリーの類いも磨き抜かれた金属製のものが用意されている。
席に着いている人物も、ハルト=サファビをはじめとして、シェント、コルスといったこの教会の重要人物と思われる面々。
そして、今まで教会では見かけなかった、高級そうな衣服を身にまとった者ばかり――
――いや、一人だけ例外的な人物がいた。
ラリカの友人ということでなのか、見知った少女が隣の席に座っていた。
ただでさえ小さな体を目立たないように背中を丸め、私と視線を合わせている。
口元を引き攣らせながらこちらをうっすらと涙を浮かべて見つめる瞳は、『私、どうしたらいいんですか……?』と切々と訴えかけていた。
先ほどから、同じ卓についている者たちがラリカに向けている、『だれがはじめに声を掛けるのか』と出方を探っている視線の圧力に負けて、ラリカに話しかける事も出来ないようだ。
確かに、今ここでラリカに話しかければ、確実にその興味の対象を移した者たちの好奇の視線にさらされ、お偉いさんの注目を浴びることだろう。
ほんの数日前までは田舎に引き籠もっていた少女に、いきなりそんな責め苦を味あわせるのは、些か酷というものだ。
……だが、すまない。
助けてあげたいが、私にはどうしようもないのだ。
話すことすら出来ない身の上では、助言をしてやることも出来なかった。
一方、目下皆から一番の注目を集めているラリカは、自分の料理が並べられたテーブルの上を見ながら、どこかしょんぼりとした表情を浮かべていた。
会場の中央に出来た人だかりを見つめては、そわそわとした様子で、カトラリーを持つ手も、時々何かに反応するようにぴくっと震えている。
――どうやら、自分もあの中に飛び込んで皆と一緒に食事したかったらしい。
皆が自分の料理をどう思ってくれたのかが気になっているようだ。
……これは、どうしたものか?
どっちを向いても、困りごとばかりの状況に内心頭を抱えた。
――仕方が無い。
そうだな。とりあえず、場を動かしてみるか。
私は、しばし悩むと、ラリカの内股の辺りをてしてしと前足で叩いた。
「――わっ、どうしたのです? くろみゃー」
会場の反応を気にするあまり、気もそぞろだったラリカは、突然の予想外の刺激に驚いて素っ頓狂な声をあげる。
大慌てで首を下に向け、私の方を見つめてきた。
「みゃぁ!」
私は上を向き、ラリカの瞳を見つめながら一声鳴くと、ラリカの膝を飛び降りて、タタッと駆けると、リクリスのスカートの上へと飛び乗った。
「――くろみゃーさん!?」
小声で、リクリスが驚いた声を上げるのは気にせず、リクリスのお腹の辺りに猫っぽく頬から耳の後ろにかけてを擦りつけた。
リクリスは戸惑いながらも、くすぐったそうに身悶えしている。
ちらっとラリカの方を向くと、すこしへの字に口元を尖らせて居るのが見えた。
ラリカには申し訳ないが、ここは頑張って切り抜けて貰うとしよう。
――ここで場を動かさなくては、せっかくの宴が誰も得しないもので終わりそうだ。
「――この食事も、ラリカ=ヴェニシエスがお作りになったのですか?」
そのうち、先ほどからタイミングを伺っていた高級僧侶らしき男性が、機を得たとばかりにラリカに向話しかけた。
口元の立派なカイゼル髭が、言葉を発するともごもごと動いている。
手元の指し示している皿には、ロシア料理のペリメニか水餃子にも似た料理が盛り付けられていた。
他の者も、『出遅れた!』という顔をしながらも、興味津々な様子で注目していた。
「――あ、はい! それはプニエと言って、ちょっと癖は強いですけど付け合わせ次第でいろいろな味が楽しめる料理なのです。好みの味で召し上がってくださいね」
「ええ……存じております。私の、故郷の味です……」
「あっ……」
嬉しそうに、しかし寂しそうにつぶやく男性は、もう一口プニエを口に含むと、目をつぶってゆっくりと噛みしめた。
ラリカの瞳にも、料理を食べてもらう喜び以上に、深い悲しみの色が浮かんでいるように見えた。
「ああ……この味だ……私は、子供の頃、このクリームをつけてプニエを食べるのが好きでしてね……」
「……そうですか。――お察しします」
「先ほど、料理の覆いが外されたとき、まさかと思ったのだが……まさしくプニエだ」
「そうでしたか……是非……ご賞味ください。少しでも、私の料理が貴方と、神の元へ幸福をもたらすことを祈ります。――あ! そうですね。リベスの町に、プニエのおいしい店があります。後で詳細を書いておきますから、リベスに来ることがあれば、ぜひ寄って下さい」
「……っ! ああ、ヴェニシエス。感謝しますぞ」
二人の言葉を受けて、周囲でも涙を堪えるように目元を押さえている人物もいる。
「――私の連れも、先ほど故郷の料理を見て呆然としていました……ヴェニシエスに感謝致します」
若い男性がカイゼル髭の男性の後を引き継ぐようにそう切り出した。
「――私も、もうイグナ料理は食べられないと思っていた」
「――私も、母が他界してからはベンツっ子な味は食べられねえと思ってました」
すると、席に着いているもののうち、何人かが続いて口を開いていく。
どうやら、様々な地方の料理を集めた結果、長く口にできていなかった故郷の味に出会った者がいるようだ。
――なるほど。
となると、先ほど料理を見て呆然としていた人々も、ひょっとするとそういう人々だったのやもしれない。
――ただ、その割には料理を懐かしむ喜びよりも、通夜のような重い雰囲気が漂っていることが気になるが……
テーブルには沈黙がおり、皆黙々と大切な思い出を味わうように食事を口に運んでいた――
***
「いっや~遅れちゃってごめんなさーい。ちょーっと野暮用の対処をしてたもんでー」
場の空気を読まない陽気な声が後ろから降りかかってきた。
こんな間の抜けた、無駄に元気な声を出す人物など限られている。
リクリスの肩越しに振り返ると、半袖の白い衣服に身を包んだフィックが立っていた。
「フィック=リスッ! 貴女は……っ!」
シェントは周りの雰囲気を見ながら、顔面を蒼白にしながらフィックを窘めようとするが、あまりの雰囲気の壊しっぷりに続く言葉見つからないようだ。
「いーやーすみませんってばぁ。あ、ヴェニシエスお隣良いですか?」
まるで馴染みの酒場でマスターでも挨拶するように左手をひらひらと振りながら、フィックはラリカの隣に座ってもよいか椅子を片手に体を潜り込ませるようにして問いかけた。
白い衣服からのぞく、生気を感じさせないほど白い肌がなんとなく目を引いた。
「ええ。構いませんよ」
毒気を抜かれた場の空気に苦笑しながら、ラリカが自分の隣に空間を空ける。
「……みなさんも、今日はせっかくのお祝いを開いていただいたのです。楽しくいきましょう?」
席に着いた皆を見渡しながら、取りなすようにラリカが笑いかける。
「――いえ、実はリベスの町はあまり堅苦しいことをしないもので、先ほどから緊張してしまって仕方がないのですよ。ですからみなさん、気楽に楽しくお話ししましょう?」
まったく緊張しているようには見えない様子で、ラリカは楽しそうに両手を広げてそう言うのだった。
「おおっ! 無礼講という奴ですねー! ではではーラリカ=ヴェニシエス! 実はひとーつ折り入ってご相談したいことがありましてー……」
「……?」
ラリカの言葉に、さらに興奮度合いを高めたフィックが、内緒話をするように声を落としながらラリカに真剣な表情で囁きかけた。
不思議そうな顔で、ラリカが首をかしげていると、照れたように頬を掻きながら、とびっきりの笑顔でフィックが言った。
「――いつも連れてつれてるミルマルを触らせてもらえないですかっ?」
「――貴女は少し遠慮を覚えなさいっ! 大体、半袖で来たのはまあ良いでしょう。貴女の長袖はだいぶ傷んできていましたからね! ですが、いつも言っているでしょう!? こういう時くらいはファラスをきちんと――」
砕けた様子でパンッと両手を合わせて、しょうも無い願いを頼み込むフィックに、シェントが即座に突っ込んだ。
ラリカは二人の漫才調子に年相応に笑うと、リクリスの膝の上に居る私の両脇に手を突っ込んでフィックに差し出した。
「どうぞどうぞ。煮るなり焼くなり好きにすると良いですよ!」
――勝手に人の生殺与奪の権利まで預けるのではない……
憮然とラリカを見つけると、ラリカはただただにんまりとした表情で私をフィックに手渡した。
――まさか、さっきの意趣返しか!?
「おおっ! さすが、ヴェニシエスはお話がわかる方ですねー! お借りします」
暗にシェントは融通が利かないと言いつつ、いそいそとフィックが私を受け取った。
私を抱え込んだフィックは、あちこち撫で回し、足だの耳だの肉球だの、あちこちをつまんではいじくり始めた。
ふにふに
ふにふにふに
ふにふにふにふにふにふに
ふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふに……
――長いわッ!
「ミャアっ!」
あまりの鬱陶しさに、少し大きめの声で威嚇するように鳴き声を上げた。
「おおっっと! ちょーっと気に入らなかったみたいですねー」
『ごめんねー』と軽い口調で言いながら、慌てた様子で私から手を離し、ラリカに似た赤い瞳で私のことをじーっと見つめてくる。
視線が真っ正面から向けられて居心地が非常に悪い。
――できることならッ!
リクリス……いや、ラリカのところに早く戻りたい。
ラリカと視線を合わせるならやぶさかではないが、なんというか、この手の手合いは苦手なのだ。
「んー……どーみても見事なミルマルだねー」
――それはどうも。
お褒めの言葉はありがたいが早く解放してくれ
ラリカに助けを求めて振り返るが、すでにラリカは、リクリスと一緒にほかの者との会話に移ってしまっている。
リクリスが、なにかを謝るようにぺこぺこと頭を下げていた。
――こっちを向きすらしないか。
――助けは無い。
――どうやら、まだまだこの責め苦は続きそうだ。
……あと、誰かご飯下さい。