第一話「お前じゃなくて」[挿絵あり]
事件の後始末を終え、教会に帰り着いたのは、すでに夜も遅い時間になってからだった。
ラリカがヴェニシエスというのも災いした。
通報を受けて駆けつけてくれた衛兵たちは、決してラリカをぞんざいな扱いをすることはなかった。
むしろ、ラリカの気苦労を労うように、入れ替わり立ち代わりラリカに声をかけていた。
おかげで、詰め所を出るまで、ラリカに掛けられたのは『相手には無事刻印を刻んだ』という事実報告の一言だけだった。
勿論、皆、噂に聞くヴェニシエスの顔を、一目見たいという下心もあったのだろう。
だが、声をかけてきた者達は皆、心底幼い少女が衝撃的な現場に居合わせてしまったことを気遣っているように思えた。
ただ、結果として、人一倍責任感が強く、心優しいご主人は、逆に気を遣う大人達に気を遣って過ごしたのだった。
――まったく、心優しいにも程がある。
年の近い少女の遺体を、最初に見たのはこの子なのだ。
もはや、あの少女に手の施しようがないと気づいたとき、この子は一体何を思ったのだろうか?
そういう時、私を含め、周りのものに縋るということを、この子には早く覚えてほしいものだ。
でなければ、いつか本当に小さな体に抱え込み切れない事実と直面しなくてはならなくなったとき、こういう子供は簡単に壊れてしまう。崩れてしまう。
ラリカには、そんなことにはなって欲しくなかった。
「さあ、くろみゃー、もうすぐ教会ですよ。お前も疲れたでしょう? 今日はゆっくり休みましょうね」
ラリカは視界に教会を収めると、私に向かって優しく微笑んだ。
確かに、優しいいつもの笑みだ。
――だからこそ、どこか無理をしているような気がした。
「ラリカ――君の方こそ、疲れているはずだ。ゆっくり休め」
私が、胸の痛みをこらえながら、少しきつめの口調で言うと、ラリカはその場で足を止めた。
肩の上に乗っている、私の体を器用に両手でつかみ取ると、赤子をあやすように、私を視線が合う高さまで持ち上げた。
目の前、ほんの少しの距離に、ラリカの人形のように整った顔立ちが近づいてくる。
――赤い瞳が、街灯の明かりを受けて、きらきらと揺らめいている。
「――いいえ。くろみゃー。今日、私はなにも出来ていません。犯人を追いかけたのは、お前です。咄嗟に私は、お前に犯人を追うように指示してしまいました。必死で頑張ってくれたのはお前です。だから――ゆっくり今日は休んでください」
毅然と諭すように、ラリカはじっと私を見つめてくる。
なにか、その瞳から少しでも読み取りたいと思った私は、何も言わずにその瞳を見つめ返した。
しばらくの間、どちらも何も言わず、耳がキンと痛んだ。
――しばらくそうしていると、ラリカの瞳に少しずつ変化が現れた。
強い意志を込めたようにこちらを見つめていた瞳が、じわじわとその揺らぎを大きくしていく。
やがて、誤魔化しの効かないほどにその瞳に涙を溜めたラリカは、くしゃりと大きく顔を歪ませた。
「――お前が、お前が行ってしまって、あの、あの子がもう手遅れだとわかって……相手がハイクミアの吸血鬼かもしれないと気が付いて、それで、もし、もしお前に何かあったらって思ったら――」
そういって、ラリカは目の前に持ち上げていた私を、ぎゅっと胸元に抱き寄せた。
ぽろぽろと、熱い滴が私の頭の上に落ちて弾かれ、毛並みに沿って流れ落ちていく。
ぴくぴくと耳を動かしながら上を向くと、そこにあったのは後悔に押しつぶされそうな小さな小さな少女の姿だった。
ぽたりぽたりと断続的に落ちる滴が、上を向いた私の鼻先にも落ちてくる。
――少し、しょっぱい。
全く、よくこの瞬間まで我慢したものだ。
この子は本当に意地っ張りというか……
「――ラリカ」
私の呼びかけに、ラリカはビクリと肩を震わせた。
「――良いか? ラリカ。あの時の君の指示は間違っていない。もし、ラリカのそんな言葉がなかったとしても、私は犯人を追っていただろうさ。」
「――駄目ですっ!」
慌てたように、ラリカが私の発言を遮った。
その顔は、光閉ざされ、絶望に彩られてた死刑囚のように見えた。
「くろみゃーは、行っては行けません――それなら、私が行きます!」
ラリカは、私を逃がすものかと抱きしめる力を強めていく。
「な――」
「くろみゃー! くろみゃーは家族です。くろみゃーが傷ついたり、いなくなったりするのは嫌なのです」
『何を言い出すのだ』と言おうとした私を遮り、ラリカは言葉を続けていく。
「さっきからずっと……ずっとそうなのです……」
罪を告白するように、ラリカがぽつりぽつりと罪悪感にまみれた言葉を吐き出していく。
「あの子が、亡くなって、あの子の事を想ってあげないといけないはずなのに……でも、くろみゃーが無事で、無事でよかったってそればっかり浮かんで……私は、ヴェニシエスなのに……」
なるほど。この常に無いラリカの動揺の原因はそこか。
ヴェニシエスであるにも関わらず、亡くなった者を悼むのではなく、身内に怪我がなかったことに安堵してしまった。
後は、身近な者がいなくなってしまうことへの恐怖がないまぜになったというところか。
――ならば、それが、人として当たり前の感情だと説明しなくてはならない。
「ラリカ。良いか? 昨日も言ったと思うが、私はラリカが傷ついたり、辛そうにするほうが嫌だ」
「ですが、こんな我儘……」
「我儘? 大いに結構ではないか? それでこそ生きているということではないか! ……私はラリカが傷つくのが嫌だ。見ず知らずの人間より、よほど目の前の、ラリカ――君が傷つくのが嫌なのだ。むしろ、身近な者が傷ついてでも、他を助けようとするほうが身の程を知らない傲慢だと私は思うぞ?」
「傲慢……だから、私が――」
――自分が前に出る。
恐らくそう言うつもりなのだろう。だが、そんなもの何の意味もない。
「それこそ、無意味だ。今回のような魔法を使う相手に、今の君は無力すぎる」
「――え?」
切って捨てるような冷たい言い方に、ラリカが戸惑ったように目を見開いた。
「少し魔法が使えるようになったからと言って、自惚れるなよ? ラリカ? 君は碌に魔法を使えないのだ。神器もない。今の君は、そこらを行く者と変わらない存在なのだぞ?」
「――ですが!」
自分自身への自省を込めて言う私の言葉に、自分の存在を否定されでもしたかのように、見捨てられた子供が親に縋るように、ラリカは言い募った。
「だから、こういう時は私が前に出る。その代わり、誰かを助けたり――後はそうだな。私の魔法が通用しそうもないようなお堅い奴が現れたら、君の魔法の出番だ。存分に力を振るってくれ。うむ。適材適所というやつだな」
ラリカに言葉を続けさせないよう、早口で言い切った。
そして、目をつぶると、安心させるようにうんうんと頷いて見せる。
瞼を閉じて暗くなった視界の向こうで、ラリカが動揺しているのを感じる。
勿論、いろいろな葛藤があるのだろう。今は、大いに悩むといい。
なあに、人に頼り切ることが出来なくても、せめて『一緒に来て』とでも言えるようになればよいのだ。
そうすれば、この子のためなら周りは全力で力を貸してくれるだろう。
「しっかり悩んで、大きくなると良い」
「~~、くろみゃーのばかー!」
ラリカに聞こえないよう、小さな声でぼそりと呟いた言葉は、悪戯な風に運ばれラリカに耳まで届いてしまったらしい。
未だ考えのおさまり処が見つからないラリカが、仕返しのように力強く私を抱きしめた。
――その腕は、やはり少し震えているようだった。
***
「まさか、二日連続でこの魔法を使うことになるとはな」
「……仕方がないではないですか。くろみゃー、お前が悪いのです」
ラリカに、泣き跡をを隠す魔法をかけた私は、呆れる私に、ラリカはどこか不満そうだ。
まあ、昨日も今日も、最後の一押しをしてしまっているのは私だ。仕方がない。
「……あれですね。くろみゃーは、『女泣かせ』というやつなのですね」
「まて、ラリカ、それは非常に不名誉だ。撤回を要求する」
「嫌です。くろみゃーは今日から『女泣かせ』の異名を持てばよいのです。リクリスにも言いつけてやります」
「いや、だからそれでは色々と外聞が……」
感情を表に出して、涙を流したからか、少しすっきりした表情をしている。
後は、少しずつフォローをしていけば立ち直っていくだろう。
この子にはなるべく辛い思いをしてほしくない。
だが、生きていれば当然、死別も、離別も経験する。
そうしたときに、立ち直る術を教えてあげるのが、年長者としての務めだろう。
ある意味、今回の一件は、ラリカにとって良い経験だったかもしれない。
――しかし、同時に、まったく別の問題として、『ハイクミアの吸血鬼』とやらには怒りを覚える。
先ほど矛を交えた手ごたえからして、相当な手練れと見受けられた。
それが、如何なる理由があるかはしらぬが、幼気な少女を手にかけた。
その事実がどうしようもなく許しがたい。
私にもう少し力があれば、あの輩を衛兵たちに突き出すこともできたかもしれない。
過ぎてしまったこと。
力及ばぬゆえの事とは思うが、やはりなんとも消化しきれない悪感情が心の底に堆積していくのだけはどうしようもなかった。
――早急に犯人が捕まり、平穏が訪れることをただただ祈るのみである。
***
「ラリカさんっ!」
――暗がりの向こうから、聞きなれた幼い声が聞こえた。
「リクリス!」
声の主の名前を、ラリカが呼び返した。
パタパタと駆け寄る足音が聞こえて、リクリスが教会から駆け寄ってくるのが見えた。
どうやら、彼女は教会の入り口ずっと私たちを待ってくれていたらしい。
「ラリカさんっ! 大丈夫ですかっ!? ラリカさんが事件に巻き込まれたって聞いて、私……」
「――ああ、もう、リクリス。大丈夫ですよ。大丈夫ですから、そんな慌ててあちこち叩かないでください。どこにも怪我はありませんから」
慌てた様子で、ラリカに怪我がないか、あちこちぺたぺたと撫でまわしているリクリスを、苦笑しながらラリカが窘めた。
「それより、リクリス。こんな暗くなるまで一人で待っていたのですか? いけませんよ? 危険人物が出歩いているのですから」
ラリカが、リクリスの事を心配している。
確かに、いくら教会の目の前とはいえ、暗がりの目立つ道沿いで一人というのは感心しない。
「あ、大丈夫です! シェントさんが一緒に待っててくれましたから!」
そういって、リクリスが指さした先には、確かに白い装束を身にまとったシェントが立っていた。
少し距離が空いているせいで、表情を見ることはできないが、街灯の光を眼鏡が反射しているから間違いないだろう。
「ほかにも、門番さんもいたから大丈夫です!」
どうやら、シェント以外にも何名か待機しているようだ。
なるほど。これだけ大人が近くにいれば大丈夫か。
「……そうですか。それなら良かったです。でも、リクリスも気を付けないといけませんよ?」
「はい! ――とりあえず、ラリカさん、お部屋に戻りませんかっ? 今日は、もうゆっくり休みましょう!」
「……ふふ、貴女もそういうのですね。――今日は休みましょうか」
リクリスからも休むように必死に説得され、ラリカは何もかも放って休むことに決めたらしい。
リクリスに手を引かれゆっくりと、教会に向かって歩き出した。







