第二十一話「食材調達と事件発生」
リクリスが、無事に試用期間として雇われることになり、ひとまず図書館の見学はこれにてお開き。
リクリスの能力試験をおこなうという運びとなった。
これについては、図書館の業務内ということでラリカは同席しないほうがよいと判断したらしい。
図書館組にご一緒にどうぞと言われていたにも関わらず、これを断った。
それで、現在はどこにいるのかというと……
――なぜか、強面の大男の前で妙にふかふかのソファーに一対一で座らされていた。
大男は先ほどから、顔に横一文字に入った刀傷の痕をぴくりぴくりとことあるごとに痙攣させている。
一体全体どうしてこんなことになっているのか……
――それは、ちょうど図書館を出てきたところまで話は遡る。
***
心細いだろうにいじましく意気込みを見せるリクリスを残し、図書館を後にした私たちは、図書館を出たところで彫像のように立ち尽くすコルス=アコに遭遇した。
遠い目をしながら、茫洋ぼうようと立ち尽くす異様な姿に、一体何事かとラリカが問うてみれば、どうやら私たちに歓迎会の案内をするためにコルスは待機していたらしい。
明日の夜、急遽ラリカを歓迎するための宴を開くことになったらしい。
その決定を受けて、朝も早くからいつ現れるともしれないラリカを、忠犬のごとく待ち構えていたようだ。
当然、ラリカは遠慮して一応断っては見たが、どうやらそうそう簡単に断れる類の誘いではなさそうだ。
元々、クロエ=ヴェネラが事前に歓迎不要と伝えていたこともあり、歓迎会を開く予定はなかったらしいのだが、『ヴェニシエスが王都に来たというのに宴の一つも開かないとは何事か』と突き上げがすでに起こっているらしい。
……いやはや、人気者というのもつらいものである。
一応、ユルキファナミア教会主催ということもあり、基本的にはユルキファナミア教徒ばかりを集めるということで、規模を縮小することには成功したらしいが、それでも王都にいるユルキファナミア教会の人間はほぼ全員あつまり、近隣の町からも教会の人間が来る予定になっているとのことだ。
なんともまあ、少女が一人移動するだけで大騒ぎである。
そんな話を聞いたラリカは、コルスが去った後、げっそりと――それはもう本当にげっそりした顔をした後、しばらく目をぎゅっとつぶるとこう言った。
「――くろみゃー、美味しいごはん。作りましょうか」
そういったラリカは、すぐに荷物をまとめて街に出た。
街への道すがら、よくよく事情を聴いてみれば、どうやら食材の買い付けに行くらしい。
ラリカは、明日の自分の歓迎会に向けてなにか食事を用意しようと考えているようだ。
「昨日も、今日も、くろみゃー、お前にご飯を作ってあげていませんからね。『家族』には、ご飯、作ってあげたいですから」
……そんなことを言われて、不覚にも涙腺が緩んだのは秘密だ。
そうして町に着くと、ラリカは迷いのない足取りで、周辺のお店のなかでもひときわ大きな建物へ入っていく。
――どうやら、ここが目的のお店らしい。
そう思っていたのもつかの間、あれよあれよといううちの奥の高級そうな調度品の並べられた部屋へと案内され、気が付けば私はいつのまにやら強面の大男の前に座らされていた。
ちなみにラリカは、少し離れたところでご老体と何やら商談中のようだ。
「エクザ……お水は……いかが……でしょうか……」
地獄の底から這い上がってくるくるような声で、白い陶器で出来た水差しを片手に目の前の男性がなにやら話しかけてきた。
笑顔でとは言わないが……も、もう少し、にこやかな感じで接してもらえると非常にありがたい。
内容としては水を勧めてくれているありがたい申し出なのだが、そのような態度で進められても、取って食われる前準備のように感じられてしまう。
「エ、エクザ……マルスの実は……いかが……でしょうか……?」
今度はドングリに似た形をした、マルスの実を勧められる。
そういえば、初めてこの実を食べたときは、ラリカがフィムスとかいう楽器を演奏してくれたのだったか。
もはや遠い昔のことのように思える、あの日見た丘の上に思いを馳せ、目の前の現実から目を背ける。
目を背けたついでに、麗しいご主人の方を眺めてみれば、ちょうどこちらを見ていたらしく目が合った。
商談相手は、手元の資料を眺めているようで、ラリカが余所見をしていることには気が付いていないようだ。
ラリカが目線で、目の前の男性の対応をするように指示をしてくるが、一体私に何を求めているのか……?
獣である私では、話し相手になることも出来はしないぞ――ッ!?
そろそろ商談相手が資料から顔をあげそうだ。
焦った様子でラリカは、ふうっと息を吐きだすと、口元の形を変え、声を出さずに何やら示している。
――何の指示だろうか?
じいっと見つめて、必死で言葉を読み取るために見つめる。
普段私は翻訳魔法を通しているから、口の形で示されても何を言っているのかは――
――いや、わかる。わかるぞ。ご主人がなにを言っているのか。
そう。それは、言語の壁を越えて理解できる内容だ。
その口元は、こういっている。
――『にゃあ』と。
いや、何を言っているのかはわかるが、なぜ言うのかがわからない。
ご主人! 君は一体なにがしたいのだっ!? どういうことだ!?
ミルマルらしくあれという訓示なのか!?
だが、待て。ご主人は、にゃあと言いながら目線で男性を示しているではないか。
で、あるならば――
「……にゃ、にゃぁ?」
「エクザアァ!!」
『鳴け』と、そういうことかと疑問符交じりに鳴き声を出してみれば、目の前の男性は感動の声を上げる。
……一体、これはどういうことなのだろうか?
右手を天高く突き上げ、興奮に満ちた鬨ときの声強面の大男に少々引きながらも、何度か鳴き声を上げる。
……にゃあ
……にゃぁ……
――すると、そのたびにさらに男性の勢いは増してゆく。
男の『エクザ』の呼び声だけが室内に朗々と木霊して――
こ、怖い……
今までも、それなりに、奇妙な人物たちとは絡みはあったが……
――今回のこれは輪にかけて意味が分からなさ過ぎて恐ろしい。
助けを求めてラリカの方を向いてみれば、大層満足げな様子で、片目を閉じてウィンクが返ってきた。
その後も、ラリカの商談の間中、興奮して食べ物を勧め、鼻息を荒くする強面オヤジと、それに生返事というのか、生鳴きというのか、引き攣った鳴き声を返すミルマルという、訳のわからないループが生み出されては消えていった。
***
「……それで、結局食料の手配は済んだのか?」
「ええ。お陰様でばっちり商談は進みましたよ。明日の朝には必要な食材がすべてユルキファナミア教会に届きます。明日のご飯は、腕を振るいますからね。くろみゃーも心して食べるとよいです」
「分かった。楽しみにしておく」
お店を出てきたところで、人目がなくなったのを良いことに、ラリカと会話を始めた。
辺りはすでに暗くなり、ぽつぽつと灯っている照明は、早く帰れと急かしているようだ。
どうやら、ラリカの方の打ち合わせの首尾は上々だったらしい。
ホクホク顔のラリカが、料理への意気込みを語っている。
「しかし、先ほどの男は何だったのだ……」
愚痴を言うわけではないが、理解できない状況に放り込まれたこともあって、そんな言葉が口をついた。
「こら、そんな邪険にするものではありませんよ?」
ラリカは、ふふ、とやわらかい笑みを浮かべ、私を窘めた。
「彼は、もともとユーニラミア教会の人間で、一応アコまで務めた優秀な人なのです」
「……そうか……聖職者とは思えない威圧感だったな」
見た目的にそうは見えなかったとは言わず、精一杯言葉を濁した感想を述べた。
「もう、くろみゃー、あまり人を見た目で判断してはいけませんよ」
私の鼻先をつんと指先でつつきながらラリカが苦笑する。
「もともと、教会のエリートですから戦闘能力も折り紙付きですが、特に荒事の対応が多かったようですよ? ただ、足に怪我をしてしまって、それからはあのお店の店主、ソトスさんの護衛をしているそうです。彼の顔に傷があったことはくろみゃーも気が付いたと思いますが、あの傷のせいでお客さんには怖がられやすいみたいですね」
随分と、あの大男の事情にも詳しいらしい。一体どこでそんな事情まで聴いたのやら。とても今日は王都に来たばかりだとは思えない。
「確かに、あの傷跡のせいで余計に強面になっていたな……」
「……ええ。私があの傷痕も治してあげられたら良かったのですが」
眉のあたりに指先を当てながらラリカが目を細めた。
その顔は、どこか寂しそうにも見える。
傷跡を消してあげられなかったことを後悔しているのだろうか?
「傷痕について、ラリカが、気にすることではあるまい」
まったく、心優しいにもほどがある。
この子は、痛々しい傷痕を残す人を見捨ててはおけないというのか。
「……ふふ、ありがとうございます。ただ、あの傷を治療したのは私なのですよ。ですから、傷痕が残ったのは、私の責任なのです」
「……なんだと?」
予想外の返答が返ってきた。どうやら、昔あの大男の治療をした経験があるらしい。
「六年くらい前でしょうか……ソトスさんがリベスのあたりまで来たことがあって、運悪くリベスの近くで潜伏していた賞金首に襲われたのです。それで、当時から護衛をしていたランデルさんが、ソトスさんを庇ってあの怪我を負ったのです。ソトスさんを逃がした後もしばらく森を彷徨ってようで、私のところに運ばれてきたときにはもう……」
「……そうか。名誉の負傷というやつだったのだな」
「ええ。本当に。ただ、そのお陰といってはなんですが、今もこうしてご縁が続いているのです。だから、せめて傷痕だけでも治してあげたかったな。なんて考えてしまいますね」
「……その、なんだ。その、事情も知らず、強面だなんだと言ってしまってすまなかったな」
今回は完全に見た目で不気味がってしまっていた私がいけない。
これでも、人を見た目で判断してはいけないとは普段から気を付けているのだが。
今回は、少々場に飲まれてしまっていた。だから、素直にラリカに向かって謝る。
「私に向かって謝らなくても良いですよ。今度、ランデルさんにはお詫びをしてあげてください」
「お詫びといってもな……生憎、ミルマルのこの身ではなかなかどうしたものか……」
あくまで謝る先は自分ではないとラリカは言う。確かにそれはそうだ。
だが、お詫びと言われると少々困ってしまう。
「では、そんなくろみゃーに良い情報を教えてあげましょう」
ラリカは、私の顎の下をなでながらにっこりと笑った。
「……実は、ランデルさん、ユーニラミア教会にいたころから、聖獣――つまり、ミルマルですね。ミルマルの声を聞いたことがないのがコンプレックスだったのです! ですから、お前が話し相手になって、ついでになでなでしてあげれば、十分お詫びになりますよ! あ、もちろん話し相手といっても、ミルマルとしてですからね。人の言葉を話してはいけませんよ?」
「……そんなことで良いのか?」
「ええ。なんといってもくろみゃーはミルマルですからね。きっととても喜びます」
「そうか」
どうやら、ラリカのことをアイドルのようだと形容していたが、私自身もそれなりにアイドルのような扱いのようだ。
だが、本当にそれくらいでお詫びとなるのであれば、喜んでして見せよう。
「ちなみに、ランデルさん、ああ見えてとってもかわいいものが好きなのです。治療が終わった後に――」
――ラリカがランデルの意外な素顔について得意満面で話し始めたとき、ドスっという鈍い音が私たちの耳を叩いた。
音は、斜め前にある路地から聞こえてきた。なにか、荷に卸おろしでもしているのだろうか?
「――なんでしょう? 随分と重々しい音が聞こえましたね」
言葉を途切れさせたラリカが、不思議そうな顔で路地裏をのぞき込んだ。
野次馬心を刺激された私は、ラリカの肩の上から身を乗り出すように、一緒になってのぞき込む。
――私たちの瞳がとらえたのは、路地に倒れ伏す黒髪の少女と、全身をすっぽりと隠すようにフード付きの茶色い外套を羽織った何者かの姿だった。